20 呉越同舟
ーー 闇があった
何もない闇の空間ではない。どす黒い何かが埋め尽くし、そこらじゅうを這い回っている。音もなく動き回るそれは、やがてエヴァの体を包み込んだ。彼女はその正体を知っている、人々の憎悪、怨嗟、怒り……彼女に向けられる多くの負の感情。それに心当たりがないとは言えない、否、ありすぎる。彼女はそれだけの事をシュバラード聖王国でしてきた。
彼女に後悔はない。自らの信念のままに、神に忠実に生きてきたのだ。彼女にとって信仰とは究極的には神の敵を皆殺しにする事である。誰に教えられたのでもなく、幼き頃より自身の内側にあった殺人衝動、それが神の教えと出会った時に花開いたのである。真に人々が言う『全知全能の創造神』が存在しうるのであれば、彼女は確かに神によって作られた申し子だ。「そうあれかし」と……
「……うっ……」
エヴァの目に最初に飛び込んで来たのは金色の光、ローレンの髪と小さな顔だった。
「ローレン……」
「良かった、間に合った」
ローレンの呟きに、エヴァは頭を押さえながら起き上がる。周りを見渡すと、すでに他の仲間は起きていた。ただ疲労が大きく、皆一様に座り込んでいる。
「みんな無事?」
「うん、見てのとおりだよ」
「武器は取り上げられちまってるみたいだけどよぉ そこの旦那にな」
リタの言葉にエヴァがあわてて、暗闇の一隅を見ると、クヴァルを抱きかかえた弥左衛門がいた。弥左衛門は忍装束姿のまま顔を隠しているが、その佇まいに先ほどまでの殺気はない。
「これで皆、起きたようだな」
エヴァは警戒を露に立ち上がろうとしたが、弥左衛門が即座に手で制した。
「これ以上の争いは無用に願いたい」
弥左衛門からの意外な停戦の申し入れだった。この戦いは「試し合い」ではなく、純粋な「殺し合い」である。ならば、習いとして生殺与奪は勝者の権利。まして仕掛けたのがエヴァ達の方ならば殺されても文句は言えない。少なくとも命か、命に代わるものを差し出せと言うのが通常だ。それを、無罪と放免するのは、戦場に生きるエヴァには解せない行動である。
「さて、一旦汝等とはここでけりをつけたい こちらはクヴァルを誘拐した黒幕を倒した以上、これ以上の遺恨はない」
エヴァは弥左衛門に警戒をしたまま、その言葉の真偽、真意を探る。
「まぁ、報酬は元々払われぬ予定であったのだ。俺が汝等の上前を撥ねた訳でもない まぁ、"お楽しみ"とやらを奪ったことについては謝罪してもよいが、これで両者遺恨なしということで良いか? 」
どうやら、本気で情けをかけると言うことらしい。
(甘い……こいつ、ゲロ甘だぁ……)
エヴァは内心に悪魔のほくそ笑みを浮かべ、表面は天使のような表情に。柳眉をわずかに顰みながら、弥左衛門に近づいた。
「ほんとうに? あなた、優しいのね……」
エヴァはそう言うと、普段とは違った妖艶な笑みを浮かべながら弥左衛門近づき、しだれかかり、首に手を回した。そして唇を重ねようとした時、
「近づかないでくれる? このブス! 」
クヴァルと目があった。
「なっ、あんた起きてたの? 」
驚愕に目を丸くするエヴァに、さらに弥左衛門の言葉にが続く。
「ん? 毒を塗った指輪なら毒爪を外しておいたぞ? 言い忘れたが武器はひとつ残らず預かっておる。無論、暗器の類いもな」
ハッとして、自身の左手の指輪の仕掛けを動かそうとしたが確かに壊されていた。改めて調べるまでもないが、襟や、袖、秘所に潜ませた武具の類まで無くなっている感覚がある。女には男に想像もできぬ隠し場所があるが、それらを一切持ち去られている。
エヴァはジニーを振り返ると、彼女は左右に首を振った。同様だと言わんばかりである。最も窮地からの脱出に長けたジニーがお手上げという以上、エヴァに残った手は無い。
「……しょうがないね 私の命は好きにしていい、その代わり、」
エヴァがそう言いかけた時、
「お主は人の話を聞いておらんのか? "構いなし"と申した」
エヴァは今度こそ本当に目を丸くした。今、隙をついて殺そうとした事も不問だという。人がいいとか、甘いという話では無い。圧倒的な格の差のようなものを感じ取り、エヴァは生まれて初めて本心から敗北を受け入れた。
「はっ、ははははは……あーあ みんな、ごめん、負けちゃった」
エヴァは仲間たちに振り返り、素直に詫びた。仲間たちの信頼を裏切ったのだ、どのように失望されようと仕方ないと思っていた。しかし、
「『生きてる限りは負けじゃねぇ』……だろ?」
「エヴァの口癖」
「だよねー」
「……今は私たちの方が弱かった……それだけ……」
普段ほとんど喋らないフィービィまで、エヴァに声をかける。彼女の目の奥に熱いものが込み上げてきた。エヴァは顔を自分の手でパンパンと強く叩くと、改めて弥左衛門の方に向き直り、片膝を着いて深々と騎士の礼をする。
「我々の負けです 謝罪を そして、あなたの技量とその研鑽に深い敬意を表します」
まるで王に謁見するような姿勢で、弥左衛門にひざまずく。
「敬意には礼を言うが、謝罪は不要だ。 クヴァルもそれで良いか? 」
姫のように抱きかかえられた姿勢で、弥左衛門の胸に顔を埋めていたクヴァルが潤んだ目で弥左衛門を見上げると、キッとエヴァの方を見て突然叫んだ。
「ブース! ブース! ブスブスブス! 変態!殺人狂の色キチ女ぁ! 」
突然の雄叫びに、一同、弥左衛門までもがキョトンとしてしまった。
「はーっ、スッとした! いいよ、これで。 お互い遺恨なしだっけ? うん、僕も無事だし 」
そう言うと、クヴァルはニッコリと弥左衛門に顔を向け
「これでいい? 」
と甘えるような声で聞いた。
「うむ それより、それだけ元気なら降りてくれないか? 」
そう言うと、弥左衛門はクヴァルを下ろした。「あっ」と思わず声をあげたクヴァルの顔に不満の表情がわずかに陰った。そこで、一同の間にあった張り詰めた空気が解け、ようやく落ち着いた空気が戻った。こめかみに血管を浮き上がらせ、必死に怒りを耐えている若干一名を除いて。
「汝等に話がある」
弥左衛門はそう言うと、するりと忍の覆面を解いた。
ーー
「さて、では改めて名乗る 俺の名はルイス=フロイス、見ての通り他国の冒険者だ」
すでにローレンの呪文が効果を無くしている為、弥左衛門は堂々と嘘をついた。
一同は車座に座っている。彼女達はあらためて弥左衛門の顔を興味深そうに見た。クヴァル誘拐の一瞬、顔を晒した弥左衛門であるが、こうして見るとやはりその特徴的な黒髪と瞳は目立つ。ジニーなど、まるで覗き込むようにまじまじと、弥左衛門の黒曜石のような漆黒の瞳を見つめている。弥左衛門の出自について推測しているのだろう。そんなジニーを無視しつつ、弥左衛門は問を投げる。
「汝等も冒険者か? 」
「そうね、どういう冒険者を想像しているのかは知らないけど、広い意味ではそうよ。 ただ、冒険者ギルドに登録できるような真っ当な奴らとは違うけどね」
「真っ当?」
「要するに、裏の世界で生きているってこと。お尋ね者、罪人、賞金首、迫害された者や、元奴隷…… そういう冒険者もいるのよ。 いわゆる掃除屋と呼ばれる裏稼業専門の冒険者 」
「ん、浪人か」
「ロウニン?」
「『主君を持たぬ』 と言う意味だ」
「必要ない」
それまで語らなかったローレンが突如喋り出した。目を閉じ、両手を胸の前に組んで神に祈りを捧げる格好になる。
「私たちには神様がついてる 偉大な黒き巨人 チェルノ様……」
「邪神じゃねぇか」
リタがすかさずツッコミを入れた。
「邪神じゃない 死と破壊と混沌と狂気を司ってくださる偉大な神 」
(それ、邪神だよね?)
ジニーはいつものローレンの様子に、いつもと同じ感想を心の中で呟いた。そして、異教徒対しては"厳しい"を通り越して"狂気を孕む殺意"しか向けないエヴァが、なぜかローレンの事になると寛容になるらしく、暖かい視線を向けている。
「浪人であれば都合が良い……お前達、国が欲しくないか? 」
ーー
「「「「「「はぁ?」」」」」」
一拍の間があり、驚きの声が揃った。なぜかクヴァルまでが口をぽかんと開けている。
「ん? 何かおかしな事を言ったか 仕官する気がないとなれば一国一城の主を目指すのも一興ではないか? 」
エヴァは弥左衛門の正気を疑った。彼女は仮にも聖王国の軍事部門のトップ、将軍の地位にまで上り詰めた人物だ。国を奪うと言うことがどれほど非現実的か誰よりも知っている。
「無論この国や、隣国を奪うと言う算段ではない。 俺の国は今、戦乱でな。力ある者が名を成し、今までの為政者を追い出し、大名だの、城主だのに収まっておる。 中には元は農民だったものや、油売り、茶坊主だった者までが、こぞって天下を狙っておる」
遥か異国の話。だがしかし、弥左衛門はそこに参戦して自分たちの国を奪い取ってみよと言っているのだ。
「お尋ね者に賞金首結構、南蛮人結構、異人の神の神主結構、狼は……まぁ、結構だ。 誰の下にもつかんでよい、汝等の思うた通りの国を建ててみんとは思わんか? 」
ー大ボラである。
そもそもが、弥左衛門をして日ノ本に帰る手段を探している最中である。しかも信長を倒す手段を探しながらである。かの洞窟にて偶然にも魔王に関する宝剣は手に入れた。だが、あの魔の者がたかが1本の剣でたやすく屠れると思えるほど、弥左衛門は楽観的ではない。
こうしている間も、伊賀の戦力は日々削られているはずである。たとえ「剣」が本物であっても、その切っ先が信長に届かなくては意味がないのだ。戻って見ても信長の元まで辿り着く為の戦力が残っているとは限らない。
弥左衛門は彼女たちと手を合わせて分かった。この者達の力は、練達の伊賀忍者にも匹敵する。是が非でも伊賀の里に連れて行きたかった。
「何を企んでいる? 」
エヴァの氷のような視線が弥左衛門を射抜いた。その眼力は異端審問官時代に磨かれたものである。彼女は相手の一挙手一投足の動き、視線、発汗、声の調子、そんな些細な情報から嘘を見抜く。しかし、弥左衛門はその視線に緊張どころか、感動すら覚えていた。
(やはりこの者、将の器ぞ)
弥左衛門は堂々とその視線を受け止め、見つめ返し、覚悟を決めて言葉を返した。
「魔王だ」
ー ざわっ
意外な言葉に一同の息が、掠れた声となって響いた。
「俺の国に魔王が現れ、またここにも魔王の影がある。 偶然とは思えん」
弥左衛門は、あらかたの話を概ね正直に話した。魔王(信長)が弥左衛門の国(伊賀)に攻め込んだこと、自らを魔王と名乗り、人外の力を持っていること、その力により運ばれたこの地で、度々耳にする「魔王」の話、なによりこの誘拐事件の黒幕であるイシス王国の騎士カムフーバーの話に出てきた「魔王討伐作戦」、それらをエヴァたちに訥々と話す。
弥左衛門の隣に座るクヴァルにとっては、魔王とは童話の中の話「深淵の魔王」の事、全く現実味のない話にピンときていない。この国の人の一般的な反応である。しかし、エヴァたちは弥左衛門にとって意外な反応を示した。
「確かにそう言ったんだな? "ピョートル"と、"魔王"と……」
一緒に話を聞いていたリタが弥左衛門に確認をする。弥左衛門はリタの方へ向き直すと素直に頷いた。エヴァはその話を聞いている途中から顎に手を当て俯き気味に思案にふけっていた。
「そう、すこしずつ見えてきたわね。今回の件にアカデミーのピョートル=チャコフが絡んできたとなるとイシス王国で拾った噂の意味が見えてきたわ」
そこまで聞いた弥左衛門は視線だけで、エヴァに話の先を促した。
「私たちが今回の依頼を受ける前、王国のある筋で"魔王"に関する噂が流れたの。もちろん荒唐無稽な話でその時は信じられなかったけどね。噂の出所の筋ってのが、王国のアカデミーの一派……」
「それが、ピョートルという人物に繋がるわけか、で噂の内容は? 」
「……ある人物が魔王を復活させるって」
その質問の答えを語る役を引き継いだのは意外な人物、ローレンであった。
「でも違う! あの人はそんなことしない! 神官長様は…! 」
常に感情のない人形のような冷淡な振る舞いだったローレンが突然激昂し、最後は声を詰まらせた。
「其方の師匠筋か……」
すっかり俯いたローレンに変わり、語り部は再びエヴァに引き継がれた。
「ええ、だから私たちもその噂は信じてはいない。 けど、難癖や難題を突きつけて無理を通すやり方はどの国でも同じようなもの。今回は魔王の名を借りた邪教徒狩りの名分くらいにしか考えていなかったけど 」
「その神官長なる人物、今は?」
「王国……」
ローレンは下を向くと、呟くように答えた。おそらく囚われの身となっているのであろう。彼女の忸怩たる思いが伝わってくる。
そこまで聞くと、弥左衛門は立ち上がった。
「では、是非も無い。いくぞ」
「え、行くって? どこ行くのさ?」
ジニーがいきなり動き出した弥左衛門に当然の疑問を投げる。
「王国に決まっていよう さしあたり、汝等に払われるはずであった手間賃を貰いにいこうではないか? ついでにその神官長なる人物も頂いて行こうか」
突然の言葉に、ローレンは珍しく感情の色のついた表情で弥左衛門を見上げる。その目の端にはかすかに光るものがある。
「正気? 相手にもされないわ」
エヴァの冷たい言葉が刺さる。
「くれと言ってくれぬのならば、こっそりと頂こうか? 」
「?」
「『浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ』 とな、俺の友の句だ」
いきなり俳句を詠み出した弥左衛門を、気味悪げに見上げる一同。
「汝等に一つ教えておく。 俺の国では「国盗り」と言ってな、欲しいものは国ですら奪うものぞ」
弥左衛門は自信を持って一同を見下ろし宣言する。その姿にさっきの彼の発言が頭の中で蘇ってきた。
ー「お前達、国が欲しくないか?」ー
それぞれの心の中に、曰く形容しがたい火が灯る。
ここに一つの集団が出来上がった。それは、仲の良い仲間ではない、魔王を倒すための正義の集団ではない。夢と冒険を追い求めるパーティではない。地獄の鬼よりも恐ろしい取り立て人の集団である。
文禄3年に殺された石川五右衛門と城戸弥左衛門、だいたい同じ年くらいですね。