10 封印の迷宮
ディアーナは木の上から、王国兵の様子を見ていた。恐怖、混乱、無秩序、厳しい訓練を乗り越えたはずの正規兵達がまるで新兵のごとく逃げ惑う。森の中に逃げた兵達は、自分たちの仕掛けた罠に捕らえられ、さらに悲惨な状況になっている。
哀れな敵兵を確実にボウガンの照門に入れ、引き金を引く。勇ましく仲間を鼓舞する騎士ほど優先的に彼女の獲物となった。そのせいで混乱はさらにその度合いを増していく。ディアーナは味方の仇を討つという昏い満足感に浸っていた。
(死ね!死ね!)
確実に急所に突き刺さる一撃は、彼らに呻き声さえ上げさせない。ディアーナは腰の矢を確かめながら考える。
(まだだ、まだ矢はある。矢が尽きれば剣で、罠に嵌った敵を確実に殺してやる!)
興奮か、はたまた別の感情によるものか、ディアーナは我知れず震え、目の端には涙を浮かべていた。次の敵兵を再び照門に捉えると、突然目の前が真っ暗になった。いつの間にかルイスが横に立って、手で自分の目を塞いだのだ。
「もう良い」
……一言、ただ一言、その言葉を聞いただけで身体中の強張りが解け、涙が川のように溢れ出した。ルイスが塞いだ手を通して、顔を熱いものが流れていく。暖かい手が自分の肩を抱きしめてくれた。ディアーナは一言も発することができず、しばらくその腕に身を預けていた。
「……すみません」
「よい……初陣とは、初めて人を殺めた時とは、そんなものだ……」
ようやく出せた言葉にルイスは優しい声で返し、瞳を塞いでいた手をそっと外した。ディアーナは小さく「あっ」と声が出てしまった。暖かく大きな手のひらの感触が名残惜しかった。
周りには敵兵の死体や物資が散乱し、目的の馬も何頭か逃げずにいた。ディアーナは感心する。
「本当に全てルイスさんの言う通りになりましたね……こんな簡単に」
「簡単に、ではないぞ?入念に準備を怠らず事を進めた結果だ。『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求める』と言うやつだ」
ーー
ディアーナは始め今回の作戦を聞いた時に、1回では理解できなかった。
鞍のベルトを盗む。それ自体、発想の転換だ。馬が盗めなければ鞍を盗めば良い、鞍を盗めなければ、鞍のベルトを盗めば良い。まさに鬼才だと感心した。騎乗できなければ騎士を中心とした戦力は半減どころではない。そのため、盗むだけではなく、金具まで壊していったのだ。それも一つ残らずだ。剣の柄を差し込み梃子の要領でひねると簡単に金具はひしゃげた。
しかし、ルイスは敵の次の行動を予測した。壊れたものは修理しようとするだろう。だが敵中でのんびり全ての金具とベルトを修理している時間はないはず。我々が本隊と連絡を取り戻ってくると予測して、短期間でできるだけの修理を行い、移動するだろうと。
まさに、その通りだった。実はディアーナはその時に無用になった馬はここに置いていくか、と思っていたのだが、ルイスは戦における馬の重要性をディアーナよりもよく把握していた。ただ、軍を二つに分け、徒組と騎馬組に分けたのは意外だったのだが、その事によりすぐに、この敵の侵攻の目的が”戦争”ではなく、何か別の、”特別な目的”を持ったものである事を看破したのだ。
そこから二人はさらに忙しくなった。徒組の部隊が王国へと帰国すると予測した彼らは、その道中での襲撃の準備を行う。ルイス曰く『結界』と言うものらしい。魔法的な結界とは異なるものだ。森の道を細工し、本来の道を木々で塞ぎ、草を払いながら、行き止まりまでの新たな道を作る。そして遠近感や、方向感覚を狂わせるような細工を周りの木々にも施していく。そこに確かに、”迷いの森”ができていく様子はまるで魔法のようだった。レンジャーである彼女であっても、知識なくこの場に来れば迷ってしまうだろう。
彼女も見ているばかりではない。森の知識を生かして、ルイスにアドバイスを行いながら手伝った。偽の道が出来上がったら、次は道の周辺に罠を作り仕掛けていく。本来イノシシやシカを捕まえるための罠だが、人間に対しても威力を発揮する。
「目的は殲滅ではない。混乱を作り出し、煽り、そして拡大させていく事だ。あとは敵が勝手に転んでくれる」
ルイスはそう断言した。だんだん細くなる道を作り、敵に戦う場所、方向を転換する場所を与えない事。隊列を長くさせ、反転できなくさせる事。横の森に罠の張り巡らせ逃げ場がない恐怖感を演出する事。彼女にはまるでこの仕掛け全てが、魚捕り用の罠のように思えた。
罠ができればあとは獲物を追い込むだけだ。
ディアーナはルイスに感動した。徒組追い込んだ大部隊は、果たしてルイスの名演によるものだった。ディアーナが初めに披露された時に、思わず拍手してしまったのは、ルイスの「声帯模写」
馬の嘶く声、遠くから聞こえる大勢の鬨の声、近くの声、遠くの声、挙句に敵の斥候の真似や、馬の蹄の音まで自由自在。人間の口から出るとは思えない迫力のある声の模写!まさに、七色の声を持つとはこの事だ。砂けむりは言うまでも無く、木の枝葉を地面に引きずりルイスが作り出したものだ。
ディアーナはあらかじめ木の上で待機しており、一行の通過と同時に後ろからボウガンで斥候や馬を狙撃する役目である。
まさに追い込み漁と言ってよかった。
ーー
ルイスは軽々と木から飛び降りると、敵から奪った短剣で罠に嵌った哀れな者達の首を裂き、トドメを刺していく。そして、その場にいた二頭の馬のくつわに括った紐を持つと、近くの木につなぎ、乗り捨てられた馬車の中から壊れた2つの鞍を出す。壊れたといっても部品だけだ。あらかじめ盗んでおいた無傷の金具とベルトを懐から出すと、簡単に交換して修理し、馬に取り付けた。
「急ぐぞ、道案内を頼む」
「はい!」
ルイスとディアーナは馬に乗ると、颯爽とその場を後にする。普通であれば風の国の駐留部隊本隊までは馬で二日の距離。ディアーナは自然と馬を操る手綱に力を込めた。
ーー
帰国部隊がそんな状況になっているとは露知らず、フットバルトを含む王国軍の一行は目的の遺跡までやってきた。そんな彼らの先頭に立つ人物はこの集団唯一の騎士団以外の人物である。その人物は煌びやかな黄金の刺繍が入った、深い紺色のフードのついた袍を翻しながら下馬すると遺跡の入口へと進んだ。
風の国にはこのような古代都市の廃墟が数多く点在し、宮殿の遺構や墳墓の痕跡、地下神殿に続く空洞などが今でも新たに見つかり続けている。風の国は遺跡の類を貴重な文化遺産と考えたり、厚く保護したりする政策を取ってはいないが、遺跡盗掘には目を光らせており、それなり以上の規模の軍隊をこの地域に駐留させている。
彼らのいる場所も、”風の国”こと、”マリ=エラ国”の東部方面駐留部隊管轄の地域に属している。
しかし、広大な範囲をカバーする人員が不足している為、ディアーナ達のような警備隊を組織し、一定周期で巡回させるのが精一杯であった。次の巡回が来るのは、あとほぼ一日後の予定、その事実をイシス王国は密偵を介し掴んでいた。
「ピョートル殿、こちらの遺跡で間違いございませんか?」
指揮官が袍の男に尋ねた。ピョートルと呼ばれた男は懐から短杖を取り出すと、それを遺跡の入口に向ける。
「……間違いない。我らが国王の求めし秘宝、ここにある」
老境に差し掛かった男のしわがれた声はまるで、幽霊のようであり聞くものの心胆を寒からしめた。深く被ったフードの奥の表情は全く読めない。男はその幽霊のような風情そのままに静かに遺跡の奥に進んでいく。
遺跡の地上構造物最奥まで来た一行は周りを見渡した。ここには礼拝堂があったようだが、現在は屋根は全て落ち、朽ち折れた石造りの柱のみが痕跡を残していた。何もないその場所でピョートルは呪文を唱える。
「ディテクト・マジック」
それは、近くにある魔法のオーラの有無を感知する魔法だ。詠唱時間が長ければ長いほど、わずかなオーラでも発見することができ、その種類の判別が可能となる。
この世界には、魔法と呼ばれる異能の力を行使する者達がいる。中でも”知識の探求者”、”神秘の求道者”として畏怖される存在が、”魔術師”と呼ばれる者達である。王国は”魔術師”の保護育成に務め、この神秘の力、”魔法”に関する研究が進んでいる「魔法先進国」の一つであった。
呪文を詠唱終えるとピョートルは何もない一隅を指差し「ここだ」と指示した。その言葉に答えるように人を掻き分け、フットバルトが前に進み出ると、自慢の鉄棍を振り上げ、地面に叩きつけた。轟音とともに地面に敷かれていたタイルは粉々に砕け、その下から地下へ続く階段が姿を表した。
「斥候、前に!」
指揮官の声に、松明を持った斥候たちが順にその階段を降りていく。誰も入ったことのない遺跡には毒となるガスが溜まっていたり、侵入者避けの罠などがそのままになっていたりする。斥候は鋭敏な感覚でその危険性を感じ取り、後方の味方に伝達するのだ。
地下に降りた一行が見たものは明らかに人工的に作られた回廊だった。両面の壁、天井、床は磨き上げられた石材で組み上げられており、古代都市の特徴を色濃く残していた。
回廊は迷路のような複雑な構造になっている。ピョートルが魔法でこまめに進路を確認し、方向を定め、斥候がその方向の罠や、敵の有無等を確かめた後、一行は先に進む……その繰り返しである。 決して失敗が許されぬ任務ゆえに、安全性を重視しての事だった。
しかし当然と言おうか、やたら時間がかかった。それに加えてこの地下構造物は思ったより広範囲に広がっているようであり、 指揮官は少々の焦りを含んだ声で先頭の斥候に声をかけた。
「もう少し急ぐことはできんのか?」
「申し訳ありません!しかし、これ以上に急ぐことは少し難しいかと……」
「ピョートル殿、 目的の場所まではまだ遠いのですか?」
「ふむ、オーラの強さから見て……こちらの方角に、もうあと100メートルほど先か。しかし入り組んだ構造ゆえ、どれほどでたどり着くかは分かりませぬな……」
「何か良い魔法はないですかな?」
指揮官の言葉にピョートルはピクリと反応し、くるりと指揮官に向き直って答えた。
「指揮官殿、”魔術師”にとって”魔法”とは真理を探究する手段であり、世界の根元への至る知識であり、その深淵そのものでもあるのです。良いですかな?魔法というものは、”剣”やそこの”鉄の棒”のように、ただ”ものの役に立てば良い”というものではない」
そう言うと、ピョートルは教壇で生徒達に教える時のように目を閉じ、指を一つ立て話を続けた。
「……嘆かわしいことに、魔法というものを何か便利な道具のように考えている輩が巷に溢れており、やれ火が出たの、やれ水が出たのと大騒ぎするが、そもそもこのような……」
「わ、分かりました、ピョートル殿!ご高説は後ほど改めて拝聴致しますゆえ、今は何卒お急ぎを」
慌てて、指揮官が言うと、ピョートルは面白くなさそうにまたフードを深くかぶり直し、斥候について進んでいく。『はぁ……』と言う指揮官のため息が重い。後ろで様子を見ていたフットバルトは自慢の”鉄棍”をバカにされ、内心憤慨していた。ガラント卿がいなければピョートルを怒鳴りつけ、いや、一つや二つ殴っていたかもしれない。
しばらく進むと急に道が人工的なものから自然の洞窟に変わっていた。鍾乳洞の中の様にも思える。空間は広いが人が歩くには不向きであり、一行は縦一列になり進んでいく。洞窟の壁や、水たまりの底は不思議な光を発しており、空間全体を明るく照らしていた。
一つしかない洞窟の道を進むと、目の前に巨大な水晶が見えた。2メートルほどの巨大な水晶が直立し、半ば壁にめり込んで、周りの岩と一体化している。水晶は驚くほどの透明度を誇り、見るものを感嘆させた。そして、いかなる技によるものか、その水晶の中に一振りの剣が見えた。
「おぉ!」
指揮官が思わず声をあげ、確信する。これだ!、と
「ピ、ピョートル殿。こ、これが、……これですな!!」
興奮のあまり、意味がわからない言葉をつぶやくがピョートルは努めて冷静に答えた。
「さよう……これこそ……これこそ、我々の求めし遺物。”魔王”を倒しうる唯一の武器」
一行に歓声が沸き起こる。
「おおー!」「ヤッタァ!」「なんて美しい剣だ!」「こ、これで世界が救われる!」「よかった、うぅ……よかったぁ!」
ある者は抱き合い、ある者は肩を叩き合い、この偉業を讃えあった。目に涙を浮かべている者もいる。
……と、
『魔王とな……それは聞き捨てならぬなぁ……』
謎の声が洞窟内に響き渡った。反響し声の場所が分からない。誰だ!どこだ!と、皆、口々に言い、洞窟内を四方八方見渡す。やがて一人の兵士が声をあげた。
「あそこだ!」
兵士の指先が向かう方向は上、その場にいた全員の視線がその方向へ向かう。
そして驚愕のあまり一瞬の時が止まる。
そこには一人の男が天井に逆さまに”立っていた”のだ。
次回、忍者暴れます!