神々の悪戯
気が付けば、シュウの視界いっぱいを『白』が占有していた。
それがどこかの天井で、ここがどこかの室内だと思い至ったのは、それからすぐのことである。
「……そうか」
そして思い出し、推察する。
意識を失う前に何が起こり、如何な経緯でここに連れてこられたのかを。
ゆっくり室内を見渡してみる。
清潔感にあふれたベッドやカーテン、来訪者用と思しき木椅子と簡易棚──それらを含めた様式ある空間。誰が見ても一目で病室とわかる部屋模様である。
そう、ここは『病室』なのだろう。
日本のような充実した医療機器こそないものの、にわかに漂う消毒液特有のにおいは現実世界のそれとなんら相違ない。
それだけでも十分考察を裏付ける材料となってくれるのに、右手に感じるザラついた質感──包帯と思しき布の感触が、より現状を明確にしている。
極めつけは棚上にある果物籠だ。
今でこそ室内に人気はないが、意識のない内に誰かが『見舞い』にやってきていたのは明らかである。
「……どうやって嗅ぎつけたんだか」
そしてそれが『誰によるものか』を推測するのは、現状を正しく認識出来ていれば割と容易である。少なくとも、シュウの場合においては“超簡単”と言い切ってしまえるほどに難易度が低い。
まず大前提として、ここは現世に実在する世界ではなく『創造上の世界』である。
いわば地球とは別世界……異世界なのだ。
当然、日本のような情報伝達力に優れた先進国など存在せず、本来ならば真っ先に報せが届くはずの『身内』的存在はほぼ皆無。加えて、元々うすい交友関係しか持たないシュウの数少ない“友”と呼べる相手は、彼がゲームというコンテンツに縁がないと思い込んでいる。
これらの事情から突発的に舞い込んだ彼の『強制イベント』を知る道理はなく──ともすれば、必然的に「見舞い客」となりうる人材は絞られてくる。
「……ぶっちゃけ、一人しかいないはずだからな」
具体的には一人ではない。だが、主導は間違いなく彼女だろう。ログイン後に合流する予定だったことを思えば、フロウスフィアを訪れた際に風の噂で事件のことを耳にしていてもおかしくはない。もっとも、そこからシュウへとたどり着いたとするならば、余程常識外れな……もとい、天文学的確率を引き寄せる天運もしくは天性の嗅覚でもなければ到底不可能だろうが。
「他に考えられるとしたら、あの場に居合わせた混成パーティーくらいか……いや、まずないだろうな。その場合はむしろ俺が困るし」
無駄に啖呵きっての無謀な交渉。要求した物こそ程度はしれているが、やるだけやって最後は気絶。そしてほぼ間違いなく助けられている。この上見舞いまでされたとあっては、さすがに申し訳なさで押し潰されそうだ。シュウにとってのせめてもの救いは、彼らの印象からその可能性が限りなくゼロに近いと想像できることくらいだろう。
「まあ、見舞い客については看護師さん……助手さん? 文明レベルが具体的にどのくらいかわからんが、最悪医師にでも聞きゃわかるだろ」
それよりも──と、窓の外に見える二つの太陽。その位置と”陰の伸び方”から地球基準があてにならないことを再確認すると、諦めたようにそっと溜息を吐き出した。
「あれからいったいどれだけ経ったんだ? 恒星二つじゃ恒星一つの常識はあてにならないし……いや、たとえ太陽が二つあったとしても、さすがに陰が真逆に伸びる世界なんてここくらいだろうが……。ともかく、どうにかして時間を知れないもんか……っ、とそういや怪我してたんだったな」
そう言って上体を起こし、感じた痛みに妙案がひらめく。いわゆる『自身のコンディションから経過を推測できないか』というもので──しかしやはり、そこでもまた“異世界の壁”が立ちふさがる。
「すこし痛みはするがほとんど違和感がないな。……いや、いくらなんでも違和感がなさすぎる。最低でも複雑骨折はしてたはずなんだが……思いすごしか?」
右手、右腕についで上半身の各所を隈なく目で手で確認し、下半身においても布団のなかで限定的にだが動作確認を行う。
結果、シュウが想定していたよりもずっと状態がよい事が判明し、安堵すると共に疑問が湧きあがる。
──いくらなんでも回復が早すぎる、と。
「骨折の治療は意外と時間がかかる」というのは、経験者であれば誰もが知ることだろう。適当な治療を施せば、骨がおかしな形で癒着し、骨折部位が変形──最悪、血管や神経を圧迫するなんて話もよく耳にする。可能な限り身体機能を温存するためにも、現代医学では骨折治療に時間をかけているのだ。
当然、治療期間中は『安静』が推奨である。特に下半身においては頭に“絶対”がつきまとうレベルだ。固定具をつけた状態で何週間もの間ベッドに横たわっていれば当然、筋肉は衰え『気だるさ』を感じることだろう。
──そう、その本来あるはずの『気だるさ』が感じられないのだ。
つまり、裏を返せば「長期的に身体を横たえていない」ということ。しかし状態は明らかに“完治目前”で──現状はあまりに矛盾している。
「──いや、『魔法』の類ならそれも有り得るのか」
思い浮かべるのは意識を失う直前の記憶。
数多の超常現象を意図的に引き起こし、行使するその姿を。
「魔法か、はたまた魔術か……どっちが正しいにしろ、万能すぎる力を扱う技術が存在する世界で、科学を基盤とした地球の論理が通用するはずもない──って話なわけだ」
だが、それだけわかりさえすれば見えてくるものも当然ある。
「便宜上『治癒魔法』と呼ぶが、それにどの程度体力を消耗するのかは不明。だが、患者に重い負担をかけるようじゃ技術体系として未熟もいいところだ。その場合、少しでも患者の負担を減らすために補助器具や草薬の力を頼らざるを得ないはず。しかし包帯の内側に何かを塗り込んだ形跡はなく、注射や点滴の痕も見当たらない。その代わりと言っちゃなんだが、包帯には奇妙な模様が描かれている──とくれば、さすがに馬鹿でもどちらに医療文明が傾倒してきているかわかろうってもんだ」
医療分野における魔法、もしくは魔術文明の発展。それが強く窺えるいい判断材料といえよう。
そして、
「文明的に魔法や魔術を発展の基盤にしてきたのなら、俺が意識を失ってから差程時間は経っていないと考えられる。具体的には一週間以内。実はまだ数時間しか経っていない可能性もあるな」
まったく質の悪い冗談である。
そう、仮に数時間しか経っていないのであれば、見舞い客の正体について外れて欲しかった可能性が途端に色濃くなり始めるのだ。
「すみませんお願いします神様なんでもしますからそれこそ一生崇め続けますんでどうかその未来だけは回避させて下さい後生です神さまぁアッ──!?」
などと適当な神に願望を垂れ流し現実逃避に耽るシュウに、ガチャリ──と。
現実に呼び戻さんとする神々の悪戯が突如として到来を告げる。
「───」
「…………」
「───っ」
「……布団に蹲って何してるの? ──お兄ちゃん」
この後病室では、手のひらを返したように神を呪わんと奇声をあげる男の姿があったという。