パッシング・エンカウンター ②
しかし、そうして取り乱したのも一瞬のこと。
いろいろあって、奇妙な経験なら人一倍多いと自負するシュウだ。
理屈で理解できずとも、感覚的に処理した方が良いこともなかにはある。
今こそ『その時』に違いないと、感じる圧が高いほうへ弾かれるように視線をとばした。
場所は馬車の後方。上空の島から等間隔に設置された『旋回誘導石』──その上。
今まさに黒い外套をひるがえしながら降り立ったその人物は、これまた奇妙な仮面でその素顔を覆っていた。
「……っ」
明らかに怪しい身なりをした人物の登場に、シュウはひそかに警戒を強める。
何か良からぬことが起きる前兆と確信しながら、周囲の変わりない様子に「思い過ごしかもしれない」という希望的思考を捨てきれない。
そのせいで、周囲に促すべき警戒を躊躇ってしまった。
「──ッ!?」
シュウの躊躇の間をついて、状況が暫定的保留から確定的現実へとシフトする。
黒外套がおもむろに片手をかざすと、その先にとてつもない熱量が発生しはじめたのだ。
渦巻く熱量は紅を宿し、触れる全てを焼き付くさんとばかりに轟々と燃えさかる。
現出せしは半径五メートルはあるであろう特大の火球──それは紛れもなく『魔法』だった。
そしてそれは、シュウが生まれて初めて目にした、"神秘の力"が顕現した瞬間でもあった。
──アレはどう考えてもヤバイだろ! いい加減気付けよクソ脳筋共ッ!!
その罵倒は胸中でのものだが、実際そう言われてもおかしくないくらいに周囲の反応は鈍かった。
さすがに質量として具現化したことで気付く者もちらほら現れているものの、大部分が他者の呼びかけでようやくといった具合だ。頭上のアレが発射までに時間がかかる魔法などでなく、速射性にすぐれた銃火器の類だったならと考えるだけで頭が痛くなる。
いくらなんでも平和ボケしすぎじゃないかという呆れを呑み込み、今は魔法をどうにかしないと──というところにきて、シュウは今さらながら思い至った『決定的事実』に愕然とした。
──自分がどう足掻いたところで、現状の打開はほぼ不可能──
状況をざっくり整理しよう。
シュウがリバースワールドへ降り立ったのはほんの数十分前のこと。
MMOの経験はなく、手持ちの装備に至っては当然のごとく『初期状態』のままである。
そんな状態のところへ襲撃に現れた仮面の魔法使いは、あろうことか上空八十メートル付近にある誘導石を足場にしている。
仮面のメインターゲットは空飛ぶ馬車。だが、あれが落ちれば地上の被害も軽微では済まないだろう。
すべてを『守り切って』事態を収束させるには、仮面の魔法使いを拘束、ないし撤退させる。もしくは、火球の消滅が“最低条件”。
ただしその相対位置は地上と上空──『空を飛べなくては接近も出来ない』位置にある。
つまり、完全に『お手上げ』状態というわけだ。
「……ハハハ、なんっつー皮肉だよ……!」
羽付きの癖に飛べない無能。
なるほど、人様を『脳筋』と揶揄する前に自分の本質を顧みろと。
無能が無能を無能と蔑んでいるぞと、そういうことらしい。
まったく世界ってヤツはとことん世知辛くできてるもんだと乾いた笑みがこぼれる。
ともあれ、近接距離にしか対抗手段がないシュウにはどうすることもできそうにない。
となれば、必然的に遠距離攻撃が可能な“誰か”に期待するしかなくなる。
すこし前のことを思い出す。
火球が現出してから真っ先に反応を示したのは魔法使い然とした人々だった。
彼か彼女かはこの際どうでもいい。
他力本願なのは性分じゃないが、上手いこと対処してくれよと周囲に視線を巡らせて──
「……なんで誰も動こうとしないんだ……?」
シュウの期待とは裏腹に、周囲の冒険者たちは身動きひとつとろうとはしなかった。
その理由はいくつかあるが、総じて『間に合わない』というのが主なところだ。それ以外にも『相性の悪さ』やら『力量不足』やら『武器が振り回せないほど密集している現状』、そして『抵抗した場合の風都に与えた損害における責任の所在』等々……様々な要因が彼らの身動きを封じていた。
特に火系統に優位な水系統に高い親和性を有する『両生種』においては、「水気のない場所ほど能力が弱体化する」という種族的欠陥が存在し、一番低い浮島でも高度一〇〇〇メートルに位置する風都とあっては能力の減少具合も察してあまりあるのだ。
きちんと段階を踏めば『欠陥補完』も可能ではあるが、現状ではやはり間に合わなければなんら意味がない。
ましてこの場に居合わせた冒険者の集団が、鍛錬された騎士団のような連携を発揮できるわけもなく。遅かれ早かれ指揮系統皆無の有象無象と化すのは必定だった。
そこまで具体的な理由があることをシュウは知らない。しかし知らないなりに冒険者が騒ぎ立てる様子からある程度の事情を察するくらいは可能だった。
「……なるほどな、手を出したくても出せないってわけか。たしかにこの人数の他種族が種族領域外の都市に損害を与えるとなると、相当不味いことになるってのは理解できない話じゃない。……まあ、だからって何もしないのは本末転倒でしかないんだけどな」
もはやいつ射出されてもおかしくない状況──いや、もう間もなく撃ち出される火球を、どうにかして阻止……は無理でも、軌道をそらすなり打ち消すなりしなければ大惨事はまぬがれない。
「下手すりゃ死人が出る……程度の考えは温いんだろうな。漫画やアニメのように着弾後ハデに大爆発するのが魔法の標準仕様なら、十八禁待ったなしのスプラッタ映像ド直球。『お食事中のご視聴はお控えください』ってか? ──ハッ、こちとら鬼教官も真っ青な師匠の鍛錬のお陰でグロ耐性は万全なんだよ。ただし狩る側で狩られる側に回る趣味はねぇけどなっ」
なんて笑えない冗談を言ってる場合じゃないだろう。
とにかく何もかもが手遅れになる前にと行動を開始する。
人垣を縫うように移動しながら左手首の銀輪型情報統合投影機──『異邦の銀帳』に触れる。
これを端的に言い表すならば、MMOで言うところの『メニュー機能』にあたる。
アクトロノーツ──以降ANと略称──の使用法については大雑把ながら、麗華による『解説の合間の余談』の時に聞かされていたのだ。
その記憶を頼りに、視界内に現れた《ウインドウ》を視線と意思でもって次々と展開していく。
(──アイテム──装備リスト──武器リスト──……さすがにまともそうな武器は最初から持たされちゃいない、か。粉砕覚悟でナイフなら使えなくもないが……アレで火球を打ち消すには最低でも十本はいる。やっぱり現実的に不可能だ)
むしろ初期装備のナイフ十本で直線にしておよそ八十メートル上空、半径五メートル級の炎球を相殺できると考えている時点でいろいろおかしいわけだが……ともあれ。
(ざっと見渡したかぎり他に使えそうなものなんてないぞ……いよいよもって手詰まり感半端ないな!)
所持品外に希望を見出そうと、目紛しく変わる視界のなかで必死に周囲に視線を走らせたが、やはりめぼしい物を見つけられず。
あまりの運のなさに引き攣った笑みを浮かべて、どうにか射出前までに人垣を抜けることには成功する。
これでいざという時に『身動きができるだけのスペースの確保』と『確実性を期するための相対距離の短縮』はできた。……が、肝心要の『状況を打開できるだけの一手』が不足してしまっている。
このままでは結局何もさせてもらえず『無駄な努力』確定だ。
「こっちに来てさっそく無力感味わわされるとか……まったく冗談じゃねぇ」
こんな調子じゃいったい何のために地獄のような日々を堪え抜き、力をつけたのかわからなくなる。
そんな忸怩たる想いがシュウの拳をかたく握らせる。
──絶対にただでは終わらせない。
強固な決意を込めて見上げた視線の先で、とうとう魔法が解き放たれた。
特大火球の接近に気付いた御者は、さらに必死な形相を浮かべて空駆馬ヴィルクルの手綱をあやつる。
しかしそんなものは考慮のうちと、火球は軌道を修正しながら飛翔し──
「────『水流の飛沫』っ!」
細長い水流が、火球に勢いよく襲いかかる。
その発生源に、地上にいる誰もが驚愕を露わにした。
「──ははっ、魔法使いが同乗してたのかっ!」
驚いたのはシュウとて同じだった。
シュウは自分が何らかの方法で魔法を発動前に察知できると踏んでいた。
これは黒外套の行動の結果から導き出した答えではあるが、何らかのエネルギー──おそらく『魔力』と思われる──が魔法へと変換され、内包するエネルギーを消費しながら魔法が移動していく様をはっきりと感じ取れたためだ。
同時に、属性ごとの相性により多少左右されはするものの、多くの場合は同威力程度の魔法を行使しなければ相殺できないと紗花から教えられている。
つまり、あの規模の魔法を打ち消そうとするならば、もっと早い段階で魔法を準備していなければ間に合わないと考えられた。
その反応がまったく感じられなかったこともあり、「乗員に魔法を得手とする者はいない」とシュウは勝手に思い込んでいたのだ。
見事に予想を裏切られる形とはなったが、それ自体は吉報であって状況が悪くなったわけじゃない。しかしだからといって「好転した」と言えないのもまた事実で、
「……どんなに相性がいい水魔法でも、初級魔法じゃアレは打ち消せない」
「なんで初級魔法なんだ……? あの規模を水系統で相殺するなら中級下位の『流動する清旒』でギリだったろ?」
「……おそらく、《熟練度》の都合じゃろうて」
「……そう、なんでしょうね。きっと初級魔法しか使えないんだわ」
「じゃあ、やっぱりこのままどうしようも……」
「──い」
「いや、まだだ」
シュウの背後にいる冒険者たちが状況をつぶさに語ってくれる。
だが、シュウはすでに“次”があるのを感知していた。
それをとっさに伝えようとして、被せるように投げられた声に思わず振り向いてしまう。
長身の男だった。
先の冒険者に同じく逞しい肉体を所有しているのは一緒だが、男はどこか他とは違うと感じさせるだけのオーラを感じさせた。
そう思わせる一役を担っているのは、間違いなく身に纏う装備品の数々だろう。
見るからに値が張りそうなそれらは、決して駆け出しの冒険者が手出しできない逸品なのだろう。これが新品同然で、ほとんど馴染んだ様子がない状態ならまた受け取る印象も違っただろうが、明らかに使い込まれ、見事に着熟し、戦いの激しさを物語るような大小様々な傷跡を見せられれば、なるほど。男は紛れもない強者なのだと認識させられる。その堂々たる佇まいは見事の一言だ。
と、不躾な視線を向けすぎたせいか。偶然にも男と視線が合ってしまう。
いや、偶然ではないだろう。
男は明らかに見下ろすようにしたあと、さも興味がなさそうに視線を戻したのだから。
その態度はまさしく、
(……弱者には興味がないって感じなわけね。ま、その通りだけど)
シュウもとくに気にした風もなく、上空へと視線を戻した。
それとほぼ同時にして、特大火球に食らいかかっていた水流が内包魔力を消費しきって勢いをなくし──
「──《術式連鎖》」
あとは崩れ落ちるだけと思われた術式が、術者のイメージにもとづいて再構築されていく。
そして、
「『飛沫の水牢』っ!」
発声とともに息を吹き返した術式は、失ったはずの輝きをひときわ強くして再駆動をはじめた。
完成したそれは術式規模も内包する情報量も当初のものよりはるかに強化され、本来ならば一定以上の《熟練度》がなければ行使すら出来ないはずの中級の壁を強引に突破した。
当然のことながら、この技術は一般的なものではない。
その証拠に、
「……なあ。ひょっとするとオレの聞き間違いかもしれねぇが。今まさに火球を呑み込もうとしてるあの水牢の魔法がよぉ、初球中位の《ウォーターバインド》って聞こえた気がしたんだが……?」
「……安心しなさい。今回ばかりは私も同じように聞こえたから」
「……ふむ。みたところ、ひとつ前の術式から事象干渉力のみを引き継いで強引に術式規模を拡張しとるようじゃが……制御自体は安定しとる。ありゃあ相当な技量じゃぞ」
「……すごい。あれなら相殺できるかも……!」
誰も予想していなかった展開に、賞賛を込めた声を上げた。
それらの声をバックに、シュウは左手首に触れながら状況の推移を見守る。
火球を呑み込むようにして包みきった水の牢獄は、蒸気を立ち上らせながらその範囲を狭めていく。このままいけば、女冒険者の言葉どおり相手の魔法を相殺しきることも可能だろう。
だが、誰の目にもそうとわかるような状況を放置してくれるような敵はいない。
「……来る」
男のぶっきらぼうな忠告の直後、蒸気の壁を貫くようにして槍状の炎が姿をあらわした。