船上生活
船内生活は思いのほか快適だった。
シャワーも出るし、食事もうまい。500円でお腹いっぱい定食を食べれることが何よりよかった。
乗り込み初日の夕食は実に豪華で、おいしい中華定食に瓶ビールを二本も付けてしまった。
窓から見える遠くの灯りが旅の哀愁を漂わせ、ついいつまでも景色を見ていたくなった。
食事を終え、酒で火照った体を覚まそうと思い外に出ると、たくさんの漁船や貨物船の灯りが見えた。あれらの船も今はまだ遠くにいるが、いつかは長旅を終え、家路につくのだろう。そして家で温かい食事と家族が出迎えてくれる。そんな当たり前ことがきっとこの船乗りたちは恋しいのかもしれない。
甲板員は実に険しい顔で船内を行き来する。多くの客や貨物を扱ってるだけに責任は重いのだろう。
少々早いが寝ることにした。船は揺れを増しており、このまま起きていても船酔いにやられるだけだろうと思ったからだ。
シャワーを浴び床に就くと、早々に寝入ってしまった。
高速バスの疲れが一気に出てきたように感じられる。しかしその疲労がとても心地よかった。
翌朝6時ごろ、外の灯りで目が覚めた。
燦々と日のさすデッキに飛び出てみるとどこまでも広がる紺碧の海が広がっていた。
船体にばさーっとぶつかる波が飛沫をあげて舞っていく。はるか遠くを航行する船を見つけては、視界からなくなるまでひたすら追っかけて行った。意味なくずっと外にいた。
時折近くを航行する貨物船の迫力には圧倒された。それもただ大きいからというわけでもなく、そのスケールが狂っていた。
我々が日常でよく見る大型コンテナが数多積み重なっているのに、それが遠くにあるせいなのかミニチュアのように見えてしまう。近くで見ると大きくて不気味なコンテナでも、大海原ではわずか米粒のような存在なのだ。
コンテナ船に交じって航行する客船も決して小さくはない。それもこれも小さく見える。
これらの距離感を考えていると、きっと人との距離感と同じなのかもしれないと思った。
遠すぎず、近すぎず、程よい距離感を保つのはとても難しいことだが、それがうまくこなせる人はきっといろんな人から好かれるのかもしれない。それができない私には少々心痛む思い付きであった。
朝7時を回ったころ、朝食の支度ができたというアナウンスが流れた。
パンが二つ、ハムときゅうり、トマトにお粥。申し訳程度におかれている果物がよかった。
食べていて感じたのは、おかゆを食べるのに塩気がないのが辛かった。
いつだったか中国行の船に乗るならばお茶漬けの素を用意せよとあったが、理解するころには間に合わなかった。
朝食を終えるとすることがなくなってしまったので、船内探検を始めたのだがすぐに終わってしまった。
部屋に戻りのんびりのんびり読書をすることにした。
今回もってきたのは沢木耕太郎著の深夜特急というもので、全6巻出ている。長い船旅で飽きぬように全巻もってきた。
海を見ながらの読書は実に快適で、ジャスミン茶の香りがまた心地よくさせた。
お昼をはさみ、読書に耽っているうちに日が傾き始める。こうやってのんびり過ごせる日は二度と来ないかもしれない。そう思うと今を存分に堪能したくなってきた。
夕食は再び中華定食。それに瓶ビール2本を付けた。
ささやかながらも幸せな時間はあっという間に過ぎていった。
その晩遅く、船内アナウンスで、一時間の時差修正を行うといった。つまりこの船は間もなく中国帳に入るのだ。
時差という言葉に胸が躍る。
明日の昼前には上海港に到着する。上海についた何をしようか迷いに浸ってるうちに眠ってしまった。
船上生活二日目はとても穏やかな日であった。