高速バス
私は子供のころからふらふら出歩くのが好きだった。ただ意味もなく電車やバスに揺られ、遠くまで行く。その日に行って帰ってこれる範囲でどこまでも行く。
観光名所よりも車窓からの眺め。到着地の風景や看板。全く違う雰囲気が好きなのだ。
今再び、あの頃と同じような旅をしてみた。
6月5日の夜、私と多くの乗客を乗せた深夜バスは大阪へと走り出した。
大宮駅西口にある高速バスターミナルは小さく、なんといっても待合室がないのだ。6月とはいえ夜になるとわずかに肌寒くなる。
これから一週間の上海船旅に出るというのにこんなところで風邪を引くわけにはいかない。しかし持ち合わせている物はわずかな衣類と、心もとない旅の資金、それに安価なニコンのデジカメだけである。家を出るときは意気揚々と闊歩していたのが、今では腕をこすり合わせて暖を取る始末だ。これはひどい。
駅前といってもすでに23時に近くなっている。お店はどこも閉まっており、この時間に開いているのは居酒屋くらいだろう。しかし残念ながらそのようなところで使うほどの金など持ち合わせていない。
寒空の下、わずかな後悔とともにバスを待った。
23時15分ごろにバスが到着した。いつも思うのは、この手の交通機関の時間の正確さには感激する。
電車もバスも、貨物のトラックでさえ時間をきちっと守るのは大したものである。
仕事や人との待ち合わせでいつも遅れ気味の私には、おそらく勤まらない仕事だろう。無論、威張っていうことではない。
今回乗ったバスは独立3列シートの仕様で、乗っていてとても楽なのだ。その分値段も高いがこれからの旅を思えば気にすることではない。
荷物を預け車内に乗り込むと人はまだいない。どうやら一番乗りのようだ。座席も、真ん中の居づらい席だったのがドライバーのはからいによって、通路側の、周りに予約の入っていない席に回してくれた。
このような小さな気遣いがとてもうれしい。
大阪に着くのは明朝8時半。それまでしばし揺られることになる。
リクライニングを最大まで倒し、スリッパに履き替えて微睡んでいるうちに車内は照明が落とされた。
窓の隙間からわずかに差し込んでくる高速の灯りが旅情を高鳴らせる。少し強すぎる冷房と、エンジンの振動がとても心地よかった。
きっとこのバスには大阪へ帰る人もいれば、私のようにこれから旅に出るという人もいるだろう。いろんな世界が一つのバスに集結していると思うと妙にわくわくしてしまう。
胸の高鳴りが峠を越えたころ、バスは談合坂SAに到着した。ここで乗務員の交代をするようだ。
わずか10分足らずで出発してしまうが、その間に乗客はトイレやわずかなお土産を買いに外へと出る。
私もつられて外に出てみると、山間のひんやりとした空気が肌を突き刺すように感じた。
さっさとトイレを済ませ、ミネラルウォーターを一本仕入れるといそいそとバスへ戻った。
バスはひたすら走り続ける。どこまでも走り続ける感覚がとても心地よかった。いまだかつて行ったことのないところを走ってると考えるだけで、わくわくして夜も眠れやしない。
ときどき分厚い遮光カーテンをめくり外を見てしまう。
遠くに見える街灯りはいったいどこだろうか。今走っているのは中央道で、談合坂のSAを過ぎてからそれなりに時間がたったことを勘案すると更埴JCTか。しかし走っていてJCTはとうのまえに過ぎていたはずだ。
そのようなことを考えているうちに眠り込んでしまった。
せっかくの車窓をもっと楽しみたかったが、疲労のピークがやってきたようだ。
明朝6時頃にバスは京都駅に到着。
ぱらぱらと乗客が降りていく。京都の街は眠りから覚めていたようで、道路には多くの車やバイクが行きかっている。車のナンバープレートを見てついに京都まで来たのかと実感した。
私が京都の街を見るのは二回目だ。といっても初めて京都を訪れたのはおよそ10年ほど前。それも中学校の卒業旅行で訪れたきりなのだ。
当時は何が面白くてお寺なんだと文句を垂れていたが、今になってやっと京都の良さを少しわかったような気がする。歴史のあらゆる事象はここ京都を中心に起きている。幕末の動乱も、戦国時代の激しい動乱も、どれも京都にかかわりがあるのだ。
今更であるがゆっくりと京都の街を散策してみたものだ。
そのような妄想にふけつつバスは大阪駅へと向かうが、途中で渋滞にはまってしまう。
朝の通勤ラッシュと重なってしまったようで、30分ほどのろのろであった。それでも心のどこかでもっとゆっくり走ってもいいよと思っていた。それくらい今回の旅には心の余裕がある。
時間の制約もこれといってない。パッケージツアーではないので完全フリー。どこに行こうと何を食べようと自由なのだ。その自由さがとても快活であった。
幾分か揺られるとバスは大阪駅に到着した。
約10時間ぶりの外の空気はとくに大宮と変わらなかった。それもそのはずで、私はまだ外国に着いたわけではない。外国へと繋がる玄関へとやってきたにすぎないからだ。
しかし街を行きかう人々からは、やはり関西訛りが飛び交っていた。
聞き慣れぬ訛りにやっぱり異国に来たような気がした。同じ言葉でも語尾やイントネーションが違うだけでこんなにも変わる。それに大阪は天下の台所として栄えた街なのだ。尻込みするくらいの勢いがあっていいのだ。
今日これから私は上海行きのフェリーに乗る。それまでしばし時間があるので、遅めの朝食をとることにした。
大阪といえばたこ焼きである。しかし朝から粉物はどうも重いようで受け付けなかった。
コンビニでおにぎり一つと小ぶりの菓子パンを買うと、それをもって街が良く見える港の公園に向かった。
遠くにはすでにフェリーが待機していた。
初めてのフェリーに再び心が高鳴ってきた。
それにのれば次の陸は上海。それも中国大陸。つまりひたすら歩いていけばその地の果てにはパリやリスボンがある。今回の旅でそこまで行く予定はないが、どこまでも繋がっているんだと思うだけでわくわくしてしまう。
島国日本では陸路や川を越えてほかの国に行くということはまず体験できない。
そのようなこともできてしまうのが大陸の魅力なのだ。
私は大きな希望を胸に抱き、ついにフェリー受付へと向かう。