忘れ去られた神殿 ~私の手記~
Twitterでお題を頂いて書いたものです。
『忘れ去られた神殿』(全2話)は
今現在ご覧の『~私の手記~』から読むことを強くお勧めします。
【忘れ去られた神殿】
二――静かな広間に反響する踵の音が、私がここに到達したことを祝福するように聞こえる。
地図にもないこの土地に見つけた建造物。
長きに渡りその存在は確認されることは無かったが、今、私はその地へ辿り着いた。
まるでここだけ時が止まっているかのように美しく、綺麗な姿を保ったままでその神殿は存在していた。
「素晴らしい……」
口から漏れる言葉は感嘆の意を述べるものばかりだ。
三――ここに来るまでに多くの犠牲を払った。
共に探索に赴いた研究員たちは、皆現地の病に倒れて息を引き取った。
この計画を企画した責任者もいなくなり、一番下っ端であった私だけが生き残ってしまった。
本来ならば計画を中断し帰路に着くことが望ましかったのだが……。
恥ずかしい話だが、私はこの未開の土地で迷ってしまった。
俗に言う、遭難というヤツだ。
「そうなんです……」
ハハハ……一人で言っても全くもって面白くないな。
皆がいればきっと笑ってくれただろう。
…………いや、ないか。
四――そんな訳で私は、ここ三日程ロクに食事を摂ることが出来ておらず、亡くなった同士たちから拝借した食料も尽きてしまった。
手元にあるのは少量の飲み水だけ。
その飲み水も今しがた到着すると同時に無くなってしまったのだがね。
これでいよいよ私は死を待つだけとなってしまった。
私は神殿の大広間の階段に腰掛け、ここまでの手記を開いて掠れきったペンでトントンと紙面を突いて記す内容を考えた。
「そうだなぁ。色々と書きたいことはあるが……、このペンも限界が近いな。ふふ、まさか食料だけを手に一番大事な記録を置いて来るとは。これが、私が下っ端である理由かな」
情けない話だが、私は同士の亡骸を触れれば自分も病に倒れるのではないかと恐れて、安全そうな荷物だけを探って持ってきたのだ。
今にして思えば私だけが生き残った理由として、接触感染の線を疑って極力皆に近づかなかったことが幸いしたのかもしれない。
本当にどうしようもないヤツだったな。申し訳ない。
七――とりあえず、この手記を発見する人がいるとすればこの神殿まで到達したという訳だ。
そうなると、書く内容としては私がここまで至った経緯を書くのが好ましいのか?
私の波乱万丈な人生を脚色たっぷりで記してみるか?
きっと公に公表されれば大ヒット間違いなしだぞ。
何年先になるかなんてわからないがね。
五――冗談はさておき、頭を捻ること数分。
「……うーむ」
いざ書くとなると何にも浮かんでこないな。
もういっそ書かなくていいか。
……よし。
そうと決まれば早速探検だ。
体力も残りわずかだ。
どうせ死ぬならばこの美しい神殿の中をくまなく見てからにしよう。
それで後悔はない。うん。
こんな私は短絡的だと言わざるを得ないな。
六――神殿とは言うものだから、てっきり私は荒廃して崩れかけの風が吹きぬける遺跡的なものを想像していた。
実際にはどうだろう。
強いて言うならば教会だろうか。
建造素材は石なのだが、いくつもの扉が並び、それぞれに部屋がある。
まぁ、元々が憶測で語られてきた都市伝説なのだから実際に見た者でないとわからないな。
百聞は一見に如かずだ。まさに言葉通り。
しかしなんとも綺麗だ。
奥へ進めば進むほどその綺麗さは増し、私は疲れも忘れて無我夢中で内装を見て回った。
扉を開けて中に入ることはまた後でもできるであろうから、とりあえずは一周。
ぐるりと神殿内を徘徊して、私はもと居た大広間へと戻ってきた。
「想像以上に広い建物だ」
今一度私は広間の階段に腰掛けて、一時の休憩を取ろうと考えた。
「そういえば昔に映画で見たな。愉快な音楽と共に使用人や来客を巻き込んでの盛大なパーティ。グイーッとカメラが階段の下からアングルを動かして行って、綺麗なドレスを着たお姫様がこの階段を降りてくるんだ」
当時に見た映画のアングルの真似をして、私は階段の下からゆっくりと視線を二階へと向けて行った。
九――階段の踊り場付近に目線が到達したとき、私はあまりの出来事に腰を抜かしそうになった。
先ほどまで誰もいなかったその踊り場に、女の人が立っていた。
使用人の服に身を包みこちらを見ている。
一瞬目を丸くした私だったが、その使用人があまりにも私の好みにドンピシャだった。
「あ……えと……。は、ハロー?」
私は苦笑いを浮かべながら、恐る恐る挨拶をしてみた。
ハローで合っているのか? 私はここにいていいのか?
様々な想いが巡ったが、すぐに全ての思考は吹っ飛んで行った。
「ハロー、うふふ」
とても穏やかな笑顔で彼女はこちらへ手を振り返してくれた。
そして、ちょいちょいと人差し指で私の足元を指差す。
私は彼女のことを凝視するあまり、手に持っていた手記を床へ落としてしまっていたようだ。
「おっと、いけない、いけない」
手記を拾おうと腰を屈めたところで彼女はゆっくりと階段を下りてきた。
「あ、ありがとう。いや、サンキュー?」
近づいてきた彼女にぎこちない喋りでお礼を言う。
「うふふ、大丈夫ですよ。日本語……ですよね。私、日本語は得意なんです」
そう言ってにこやかにこちらに笑顔を向ける彼女。
「あ、そ、そうなんだ! いやー、それは……すごい!」
ぐっと近づいてきた彼女に焦りを隠せない。
「……どうかなさいましたか?」
突然フリーズした私に小首を傾げて彼女が問いかけてきた。
「いえ! なんでも! あ、そ、そうだ! あまりにも素晴らしい物だから、ちょっと気が気じゃなくなってしまって!」
他に何か言うことがあっただろうが、私はどうしたらいいのかわからなかった。
十――彼女は私を見て言った。
「さぞ遠くから来られたんでしょう。ここに来られる方はどれぐらいぶりでしょうか。長らく私も人とお話しすることが無かったものですから……」
そりゃ、こんな辺鄙な所に人は来ないだろう。
それどころか、こんな所に人が住んでいることに驚きだ。
「えっと、あ、貴女はここの使用人さん……? ご主人はいないのかな?」
上がり込んでしまった以上は一言挨拶をしなければ。
「ええ、そうでございます。私はここで使用人を務めております『エミリー』と申します。誠に申し訳ないのですが、ご主人様方はただいま長期の外出をしておられるのです。ですので、今この場にいるのは私だけとなってしまいます。なにか御伝達等ございましたら承りますが」
「特に伝達とかはないかな、ふらっと寄っただけみたいなものだし……」
十一――そこで私は思い出した。
今まさに死の危機を感じているのだと。
ふらっと寄ったというか、そもそもが偶然ここに辿り着いた訳で。
それを思い出した途端、ドッと疲れが沸き、盛大に腹が鳴る。
膝を立てて床に座ってしまうほどに体力にも限界が訪れていた。
「まぁっ」
あまりの腹の虫の煩さに口元に手を当てて驚いた素振りを見せるエミリー。
「もしかして、お腹が空いてらっしゃるのですか?」
私は無言で頷く。
「それは大変。歩くことは出来そうですか? せめてお部屋で横になられた方がいいと思います。さ、肩をお貸ししますのでどうぞ」
使用人の衣装の上からでもわかる華奢な体つきなのにも関わらず、ぐっと私の体が持ちあがる。意識が朦朧とする中、引きずられ気味に私は彼女に連れられて歩いた。
二六――どれくらい眠っていたのかは定かではないが、私はベッドの上で目を覚ました。
体が重く、起き上がるのすら困難だと悟った私は首だけを動かして辺りを見回した。
「お気づきになられましたか?」
横を見れば、ベッドのすぐ隣に腰掛け、心配そうに私の顔を覗き込むエミリーの姿があった。
「無理はなさらないでください。今温かいスープをお持ちしますから」
そう言うと、そっ と私の手を撫でて彼女は部屋を出て行った。
「……はー」
私は大きく一つ呼吸を置いて軽く目を閉じた。
てっきり息絶えるものだと思っていたが、よもや生き長らえてしまうとは。
まだ私は現世に見放されてないのかもしれない。
二五――しばらくしてエミリーが皿にスープを満たして部屋に戻ってきた。
「寝たままで大丈夫ですよ」
そう言ってスープをスプーンで一掬いすると私の口元に運んでくる。
口の中に広がる芳醇な味わいと、久々のまともな食事に私は心底気持ちが安らいだ。
「……お口に合いますか?」
まずい等と思えるわけがない。
「とてもおいしい……」
私は素直に思ったことを言った。
口に残る温かさが何故か私はとても懐かしいもののように感じる。
女性の手作りを食べるなどというのは母の料理以来か。
「それはよかったです……」
腕に自信が無かったのか、彼女もまたとても安堵した様子だった。
一口食べただけだというのに、次の一口を催促するように体が起き上がる。
なんとも体は正直な物だ。
「あ、無理はなさらないでください」
慌てた様子でエミリーが私に声をかける。
「大丈夫。あまりにもおいしくて勝手にね」
エミリーの持つ皿に手を伸ばすと、彼女も察したのか私に皿とスプーンを手渡してきた。
「ありがとう」
スープの上品な飲み方というものがあるのだろうが、私はそんなものはお構い無しに腹の中に流し込んだ。
勿論、最大級に味わって、だ。
食べ終わった口元を袖で拭おうとすると、それよりも早くエミリーがナフキンで私の口を拭いた。
「あ、お、おいしかったよ。ごちそうさま」
またしても私はその仕草に心が跳ね、ぎこちないお礼を述べることしかできなかった。
ふふ、と笑顔を見せてエミリーは皿を下げた。
十二――空腹が満たされた私は帰り支度をしようとする。
「さて、私は腹も満たされたし、はやく家に帰らないといけない。この土地にこの建物があったということを伝えなければいけないんだ」
「そうですか……。もうお帰りになってしまうんですか……」
しゅんと、残念そうな表情を見せるエミリー。
その姿に私の良心の呵責が疼く。
「い、いや、まぁ、まだもう少しだけお邪魔していようかな。そちらがよければ……だけど」
そう言った瞬間とても明るい表情を見せるエミリー。
「本当ですか! 是非! 是非ゆっくりして行ってください!」
あまりにも嬉しそうに言うものだからこちらも釣られて口角が上がる。
十四――そして、私に彼女は寂しげな表情で語りかけてきた。
「私、男の方とお喋りする機会というものが本当に少なくて、ご主人様がいない今、私だけでこのお屋敷を整備していたのです。よければ、貴方様がよければなんですが……」
少し言い溜めてエミリーが俯く。
「私の話し相手となってはいただけないでしょうか……」
顔を赤らめて、消え入りそうな声でそう呟いた。
かわいい。
お世辞抜きに可愛い彼女の頼みをどうやったら断れようか。
「そんなにかしこまらなくとも、話し相手くらいいくらでもするよ」
「本当ですか! わぁ、ありがとうございます!」
さっき以上に目を輝かせて、彼女は私の手を取った。
とても顔が近く、私は顔から火が出そうな勢いだ。
「あら、とてもお顔が赤いですけど、熱でもあるんでしょうか。やはりもう少し横になられた方が……」
ただでさえ近かった距離を更に詰め、彼女は私の額へとおでこを重ねてきた。
火が出るどころの騒ぎではない。
せっかく体調がよくなりかけているというのにこの興奮で死んでしまいそうだ。
「だ、大丈夫だから! と、とりあえず一旦離れようか!」
「あ、も、申し訳ありません! ついご主人様に接するようにしてしまいました! お気を悪くされましたかっ?」
今度は涙目になりながらアワアワと両手を胸の前で無尽蔵に振る。
なんとも表情豊かな使用人だ。
十三――不意に疑問に思ったことを聞いてみる。
「主人はいったいどこへ行っているんだ?」
「それが、私は一切存じ上げないのです。もう随分長いこと経つと思うのですが、一向に音沙汰がありません」
それはこの屋敷を捨てて出て行ったのではないだろうか。
いやでも、だとしたらエミリーがここに居続ける意味はない訳だからな。
ただの旅行かなにかだろうか……。
「私の仕事はあくまでもこの家をお守りすることですから、ご主人様がいなくとも大丈夫です。それに、今はこうして貴方様とお話をすることが出来てとても満足です。長きに渡る孤独からようやく解放された気分です」
彼女の見せる嬉しそうな顔に、私は既に目が離せなくなっていた。
十八――スープ一杯だけではすぐに空腹が訪れる。
エミリーと他愛無い会話を弾ませてしばらくの時間が経った頃合い、また私の腹が音を上げた。
「ん、腹が減ってきた……」
「先ほどのスープだけでは物足りなかったですか?」
「いや、あまりいきなり満たしても気分を崩すだろうから、徐々に食べる量を増やせばいいと思うけど……」
そこまで私が言うと、エミリーはスッと立ち上がって言った。
「では、私がまたお食事を作らせていただきます。先ほどの貴方様の食べっぷりは給仕する側としても、とても気持ちの良い物でございました。いかがでしょう。私の腕でよければ貴方様が満足するまでお作り致しますが」
なんとも献身的な使用人だことで。
むしろこっちが頭を下げてお願いしたいところだ。
「じゃあ、よろしく頼むよ。期待してる」
ベッドへと腰掛けたまま私は軽く会釈をした。
内心は飛び上がるほど嬉しかったが、流石にそんな大人気ないことはできないだろう。
「腕によりをかけて作らせていただきます。少々お時間を頂きますのでどうぞごゆっくりしていてください」
手を揃えて深くお辞儀をすると、エミリーは部屋から出て行った。
二二――私はベッドから這い出ると、少し歩き回りたくなった。
ふと服装を見れば、随分と汚らしい格好をしている。
長い間着続けた物だから仕方ないといえば仕方ないが、換えの服なんていうものもない。
どうしたものかと顎に手を当てて考えてみるが、特にどうしようもないことに気づく。
エミリーに何か私が着られる服は無いかと聞くのが一番手っ取り早そうだ。
十九――私は扉のノブに手をかけると、屋敷内の廊下に足を進めた。
油を注いだ証明が点々と壁に掛かり、仄かながらも屋敷内を明るく照らしていた。
赤いカーペットが敷かれた廊下の奥から、芳しい香りが鼻をくすぐってくる。
廊下の突き当たりまで行くと、キッチンと書かれた両開きの扉があった。
中からは料理をする音が聞こえる。
徐に私はその扉を開けた。
「あら? どうかなさいましたか?」
皿を戸棚から卸しながら、エミリーが私の方を気にかけている。
「おいしそうな匂いに釣られてここまで来てしまったんだよ」
「そうでしたの。まだもう少しお時間がかかりそうで……。お待たせして申し訳ないです」
先ほどまでの使用人の衣装とは打って変わり給仕用であろうエプロン姿で、コトコトと音を立てる鍋の火を調整する様子はまるで初嫁のようだ。
「待ちきれないから、ちょっとここで見ていてもいいかな?」
エミリーは「えっ」と少し驚いた顔をして、恥ずかしそうにはにかんで言う。
「普段こんな所はお見せしないので少し照れますね……」
彼女は私から目線を逸らして、パタパタと手際よく食材を調理していく。
十五――この家に彼女一人残して、主人は何をしているんだろうな。
私の嫁にしてしまうぞ。
…………なんてね。
二十――皿に盛りつけられた料理は彩り鮮やかで、誰が見てもこれはご馳走とi言うだろう。
こんなおいしそうなものを振舞ってくれるなんて、なんて出来た人だ。
「運ぶの、手伝うよ」
皿を持って私はエミリーへと言った。
「そんな、お手を煩わせるようなことは……」
「いいの、いいの。気にしないで。そんなことよりもせっかく温かいんだから、はやく食べよう。お腹の虫も煩くなるしね」
「あ……はいっ。ありがとうございます」
深々と頭を下げてエミリーは残りの皿を持って私についてくる。
二一――外はもう暗くなっていた。
空に昇った月の光が廊下へと射しこみ一段と明るく照らしている。
小さなテーブルに料理を置いて、向かい合うように二人で食事を摂る。
おいしい食事のあとは、暖炉の前でまた他愛無い話をしていた。
私の手記に彼女の肖像画を描いた。
インクこそほとんど無くなってしまった物の、我ながら傑作だと思う出来栄えだ。
「私はこんな生活送りたかったんだ」
「使用人と共に暮らすことですか?」
「いやいや、誰かとこうやって何気ない一日を過ごすことだ」
また彼女は嬉しそうに微笑んで見せた。私の描いた肖像画は、宝物だとも言った。
そんなにたいした物じゃないんだけどな。
二三――あくる日の朝、私はベッドから下りてエミリーを探した。
彼女は暖炉の前で編み物をしている。
「エミリー? それは誰宛に?」
いたずら心で聞いていた私に対してエミリーは言う。
「貴方様にですよ」
分かっていたと言わんばかりに私は彼女の頭に手を差し出した。
十六――しばらく世話になっていたのだが、待てども待てども、やはり主人は返ってこなかった。
「もういっそ私と来ないか」
エミリーに言った。
エミリーは涙しながら
「はい」
と答えた。
一――私は、手記を書くときにちょっとした癖がある。
前の続きから綴るといったことをしないのだ。
そのために、読み返してみれば内容が全てごちゃまぜになってしまい、真実が見えない。
もし、手記を正しく読める人がいたら、是非ともお願いしたいものだ。
私の記憶以外、それが本当に正しいとは言えはしないのだけれども。
八――
十七――
二四――
二七――
【了】
~私の手記~
をご覧いただき誠にありがとうございます。
最後の抜け落ちた分は仕様となっております。
物語の中であった文章冒頭の数字と共に『~私の人生~』にて解説してございますのでどうぞそちらもご一読ください。