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<探偵・成田耕康>シリーズ

回想・バレンタイン事件

作者:

 2月14日。

 いくら世間の流行に疎い僕……成田耕康(なりた たがやす)でも、これがどんな日かは分かる。

 バレンタインデー、である。

 女性が、好きな男性にチョコレートを贈る日だ。……なんて得意げに語ってみたが、その由来は何だったかはよく覚えていない。毎年誰かに聞くんだけど、毎年忘れちゃうんだよね。

 僕がその日を認識するようになったのは、中学校に上がってからだ。それが世間一般から見て、遅いのか早いのかは分からない。

 ちょうどその時期に日本に広まったのかなぁ、と僕は思っていたが……今思えば、それは違っただろう。

 こんな北の地方都市だ。当然のことながら、伝達速度も遅いはずだったろう。


 まあ、とにもかくにも。

 中学3年間、僕は毎年期待し、毎年裏切られた。

 高校に入って1年目も期待し、2年目になってようやく、僕に魅力がないことに気づいた。

 平凡が人になったような、そんな僕である。

 およそ僕には魅力、というかセールスポイントが無い。

 自己PRの作文などは苦労したものだ。ホントに。

 こういう場合のテクニックは、長所と短所を置き換えることだという。

 ニブい人を動じない人と言ったり、とか。

 しかし、僕といえば。

 そこまでの短所も無く、かつ長所も無かったために最悪だったのだ。

 頭を捻っても浮かばない。

 周りに「僕の長所って何?」と聞いてしまって、悩ませてしまって、ガッカリしてしまい……。


 話が逸れてしまったが、何が言いたかったといえば。

 結局、バレンタインデーにチョコレートと愛の告白、なんてのは無かったという話だ。

 そりゃあ、1個も貰ったことがないワケではないが……大概がいわゆる「義理」だったし。


 今思えば、それでも良い方だったのだろう。

 成人し、探偵事務所を開業してからは、義理すら貰えない立場になってしまうのだから。


 ……とにかく、今も昔も、僕にとってバレンタインデーというイベントは無縁な存在だ。




「あるでしょ。ほら、『あの』バレンタイン事件」


 そんなことを言うのは、依頼主でも無いのに僕の事務所に現れて、飲み物を要求してきた女性だ。

 小学校から高校までの幼なじみにして、現在は地元の有名新聞社である亀甲新報(かめのこしんぽう)に勤めるジャーナリスト……渡場那奈(わたしば なな)

 なんでも久しぶりに実家に帰ったらしく、僕の分の漬け物を貰ってきたとか言って上がり込んできた。そして、肝心の漬け物を僕はまだ貰っていない。

 しかし、こんな寒空だ。すぐさま放り出すのも紳士的ではないだろう。

 僕はそう思い、彼女用に甘くしたコーヒーを持っていった。


「紅茶の方が良かったなぁ」


 ……落ち着け。紳士的になれ。


「僕、紅茶ダメなんだよ。飲めなくなっちゃって」

「ふ~ん。あ、まさか元カノを思い出しちゃうから、とか?」

「ああ。うん、半分正解」

「耕康って変に繊細だよね…………って、え? 何それ? 半分?」


 渡場が食いぎみに質問してくる。おぉ、ちょっとジャーナリストっぽいな。

 ともあれ、話がちょっと嫌な方向に行きそうだ。僕は無理矢理ながら軌道修正を図った。


「で。バレンタイン事件……あれってそんなに有名か?」


 何やら不満げな顔を浮かべていたが、すぐにこちらに合わせてくれた。

 流石、世渡り上手の渡場那奈。なんだかんだで、わきまえている。


「そりゃあ、もう! 成田耕康という名前が、扇丸(おうぎまる)高校中に広まった……ってのは言い過ぎとしても、しばらくはウワサになってたからね」


 ニヤニヤしながら、渡場は告げる。

 扇丸高校というのは、僕と渡場が通っていた私立高校だ。そのルーツは藩校らしく、武道系の部活が充実していることでも知られている。


「僕にとっては、あんまり思い出したくない事件なんだけどなぁ」

「まあ、確かにそうかもね」


 口では同意しつつも、目は興味津々というように輝いている。


 まさか……僕に語れと言うのか?


 彼女の目は、そのまさかを訴えている。こうなってしまっては、止めることはほぼ不可能だ。幼なじみの僕には分かる。

 しぶしぶながら、僕は口を開く。


「分かったよ。僕の高校時代……バレンタイン事件を振り返ってみようか」

「長くなるならお菓子が欲しいなぁ」

「どこまで図々しいんだよ!?」


 なんだかんだで用意してしまう僕は、ホント紳士だと思う。偉いなぁ、僕。









 ◇◇◇




 あれは、高校1年の頃だった。

 2月14日。バレンタインデー。

 その日は、学校中の男子がどこかそわそわして、ふわふわしていた。

 平凡な僕もまた、その例に漏れず落ち着かなかった。

 靴箱の前で深呼吸をし、ゆっくりと、目を瞑って開けたりなんかもした。机の中に手を入れる時、やけに慎重に探ったりもした。


 無論、そこには僕の靴しかなかったし、机の中には何も入っていなかった。

 つまり、僕のバレンタインデーは終了した。




「終わっちまったな……俺たちの聖戦(バレンタインデー)

「……まさか朝のHR前に終わるとは思わなかったよ。関ヶ原より酷いじゃん、僕らの戦い」


 昼休みの食堂。友人である三本木(さんぼんぎ)との昼食は、入学当初以来と言ってもいいくらい重苦しいものとなっていた。

 僕は弁当を持ってきているのだが、彼が学食を利用するためにこちらに来て食べている。


「どうするよ……あと半日も無いぜ? 義理チョコ集めに奔走するか?」

「いやいや。それは流石に恥ず…………チョコを貰わないで帰るのとどっちが恥ずかしいかな?」


 ちなみにさっきの僕の教室では。大きな紙袋を持ち、募金集めのために座席を回る委員会の女子と、チョコを交換し合う同じクラスの女子……奇しくも愛を求める女子と愛を与える女子で、てんやわんやだった。

 そのおこぼれに預かろうとする男子もいたが……アレはどうなんだろ。


「悩みドコだな。どっちを選んでもプライドはズタズタだろーな」


 そう言って、注文していた安っぽいラーメンをズルッとすすった。




 三本木貫徹(さんぼんぎ とおし)。皆の言葉を借りるなら「残念なイケメン」だ。

 彼はどちらかと言えば、僕と正反対な活発タイプだった。部活は演劇部。舞台上ではキラキラ輝いていて、僕はその演技を見たときに彼は別の世界の人間だ、と思ったくらいだ。

 しかし、この男。とにかくモテない。

 顔は良い方だと思うし、おまけに主演確実の演技力をもっている。

 まさに優良物件といってもいいのだが、惜しいかなその物件には玄関が無かった……みたいな、そのくらいの欠陥をもっていた。


 彼は根っからの役者気質というか、演技バカなのだった。


 演技関連の知識以外は頭に入れようとしない。役を与えられるとそれに影響される。

 その実、台本となるとすぐに覚えてしまうという天才肌。

 ……まあ、端的に言って変人なのだ。

 自然、彼に寄ってくるような人はいなかった。より正確に言うなら寄ってきても、また離れていった。そんな個性的な(綺麗な言い方)彼だったが、何故か僕とは馬があった。

 僕のような凡人と……何故だ?




「あーあ。何とかチョコが手に入らねぇかな」


 と、昼食を食べ終えた三本木は文庫本を取り出した。何とも珍しい。活字は台本以外は読まないであろう男なのに。

 紙パックの牛乳を吸いながら、チラリとタイトルを覗く。無性に興味があった。


『意見を通す! 交渉術入門~全てはあなたの思うがまま~』


「お前、そこまでチョコが欲しかったのか……!?」


 ついツッコミをいれてしまった。思いの外、声が大きくなってしまったため、周りの視線がグサグサと痛い。

 いや、そんなことより、何だよその本……サブタイトル怖いし。


「あ? いやいや。違うってーの。今度俺が()る役が、口が達者な交渉役って設定なんだよ」


 そう言って、こちらに放ってくる。運動神経に自信がない僕でも、向かい合ったこの距離では流石にキャッチできた。


「交渉術、ねぇ……僕には無縁かな」


 交渉術。自分の意見を通すための方法。僕のような周りに同調して生きているような人間にとっては憧れではあるが、真似したいとは思えない。

 誰かの意見を通すということは、誰かの意見を曲げるということだから。


「ハッタリでも良いから、相手の虚を突いてみろよ。そうすれば案外簡単に意見を通せるぜ。……流されてるだけじゃ変われないだろ」


 呆れたような、しかしどこか嬉しそうな顔を浮かべて、三本木はそう告げた。




 昼休み終了10分前。教室に戻ると、僕の机の上には黒く大きな弁当箱が置かれていた。まるでハードカバーの本くらいの弁当箱だ。

 無論、それは僕のではない。


「ああ耕康、悪い。今片付ける」


 そんな風に後ろから声をかけられる。低いが優しい声だ。完全に振り向かずとも、その姿は見えてしまう……それくらいの巨体。

 男子柔道部の小杉(こすぎ)。柔道部の期待の星だという。

 僕の席は教室の真ん中の一番後ろなのだが、五十音順の席順のために前には奈良(なら)、右には津田(つだ)という柔道部員がいる。そのため、部活仲間の中で一人離れてしまった小杉は昼休み中、僕の席を使って昼食を食べているというわけだ。


「ちょっと皆と購買に買い物に行ってて……。ほら、女子たちが食べてるのを見てたらつい、な」

「ああ、小杉もか」


 お互い、ポン、と肩を叩き合った。

 男子柔道部には女子マネージャーも居ないし、女子柔道部も練習場が分かれているから女子との交流はないんだろうな……可哀想に。いや、人のことは言えないけど。




 席につく。もうすぐ昼休みも終わりだ。四時間目の時間割は確か現国だったかな……。

 何気なく机の中に手を突っ込んだその時。


 カサリ。音がした。


 机の中に、何かある。ペタペタと触って形を確かめつつ、ゆっくりと手前に持ってきた。


 そこには綺麗にラッピングされた箱があった。


 視認した瞬間、即座に行動に移った。

 それをポケットに突っ込み、僕は教室を出る。授業が始まりそうだったがそれどころではない。お腹が痛かったことにしておこう。

 教室を出て、ひとまず個室のトイレに駆け込んだ。柑橘系の芳香剤の匂いが気になるがそんなことを言っている場合ではない。

 僕は確信した。貰ったことはなかったが確信していた。

 これは本命だ、と。


 外装はまだ破かないでメッセージカードを抜き取り、文字に目を通した。頬がやけに熱い。

 胸が激しく踊っている。このテンポの早さはフラメンコだろうか。

 すげぇ。すげぇよ、高校生。漫画みたいなことが起こるんだ……。




『一目惚れでした。話がしたいです。放課後すぐに第2多目的室で会ってください。 小杉裕太(こすぎ ゆうた)さまへ』




 胸のテンポが盆踊りレベルまで遅くなった。同時に頬の朱は別の意味での羞恥に変化する。

 ……何だこれ? 僕のじゃない?

 恥ずかしいッ!

 ヤバい。めちゃくちゃ恥ずかしい……。

 何浮かれてたんだよ、自分。まさに顔から火が出そうだった。寒い季節もこれで安心ってくらい熱くなっていた。


 徐々に冷静になっていく頭。整理する度に浮かび上がる、悲しい(僕にとって)真相。


 要するに僕と小杉の机を間違えて入れちゃったわけだ。

 まあ、昼休み中はいつも小杉はあそこにいるしな。


「にしてもこれ、どうやって……いや、誰に返そうかな?」


 一般的な落とし物に対してだったら、僕はこのチョコを小杉に渡せば済む話だ。

 しかし、これはバレンタインデーの、おそらく本命と思われるチョコだ。

 僕がさらっと渡して良いものだろうか?


「といっても……誰が出したか分からないしなぁ」


 書いていないのだから、どうしようもできない。

 そう諦めるのは簡単だけど。

 僕は贈り主を探し出さなければと思った。理由ははっきりとしなかったけれど、何だかそう思った。


「考えてみよう。放課後までまだ時間はあるんだ」


 とりあえず、まずは教室に戻らないと……現国の今井(いまい)先生に怒鳴られる。






 五時間目終了の鐘が鳴った。残りは六時間目のみ。それが終わった3時半からは放課となる。


「万策尽きた……」


 絶望的だった。そりゃそうだ。冷静に考えてみれば分かる。

 一目惚れ、なんて何のヒントにもならないじゃないか。

 だって、学校中どこでも、誰でも、一目惚れは起こる。


 そもそも、僕は頭脳明晰でも何でもない。ミステリ小説をちょくちょく読むくらいの平凡な男子高校生だ。

 しかも、僕のミステリの楽しみ方は犯人当てではない。それは登場人物の探偵役に任せている。

 僕はその活躍を見ているだけだ。

 彼らの鮮やかな解決に心を奪われ、喝采を浴びせるだけ、だ。


 そんな僕がこんなことをしていて、意味があるのか?

 おとなしく小杉に渡してしまえば、それで万事解決なんじゃないのか?

 カバンにしまったチョコレートを、このまま溶かしてしまって良いのか?

 でも、僕は……。


「浮かない顔してるね?」


 バンッと肩を叩かれた。

 ビクッと、背筋を震わせる。思考の海からいきなり引っ張りあげられたからか、心臓が落ち着かない。


「ほい。チョコ」


 そう言われ、小さな立方体のチョコレートが投げつけられた。すんでのところでキャッチする。


「ありがとう。えっと……林崎(はやしざき)さん」


 名前が一瞬出なかったことに心中で謝りつつ、僕は彼女に向き合った。

 林崎千早(はやしざき ちはや)

 僕の左横に席がある女子で、校則を全力で無視したスカート丈の持ち主。どう見ても染めているであろう茶髪は本人曰く地毛だそうで、頭髪検査では毎回死闘が繰り広げられているという……って、そんなことはどうでもいいか。


「それ、別に返さなくっても良いよー。完っ全に義理っていうかお情けだし」

「……改めて事実を突きつけられるとヘコむなぁ」


 いや、分かってたけどね? 期待しようがないような市販のチョコレートだったけどね?


「あ、そだ。……ナリタガさー。なんか昼休み前と変わったことなかった?」

「え!?」


 ナリタガって呼び方も気になるんだが……そんなことよりも、変わったこと?

 彼女は深刻そうな顔でこちらを見てくる。大きめの瞳は、こちらを窺っているような気がする。

 まさか、このチョコレートのこと? 知っているのか?

 それとも、僕が授業中に挙動不審になっていたからかな?

 とりあえず、ここはスルーが吉だ。


「……い、いや。別に?」

「そっか。いやさ、さっき耕康のトコで今日の募金額の確認っぽいことやってたからさ。もしかしたら……少しくらい落ちてなかったかなー、なーんて」


 そんなことかよっ! ……突っ込みは心中で抑えることにした。


「残念ながら……1円たりとも落ちてなかったよ」

「そりゃそうか。あの()、優秀っぽいもんね。毎回昼休みの同じ時間に来てさ。どんなに募金が少なくてもニコニコしながら教室を出ていくしね」

「へぇ。……ていうか、このクラスで募金してる人もいるんだ?」


 僕は普段ここに居ないから分からなかったけれど。意外と優しい人もいるんだなぁ。


「まず、あやっぺでしょ? それからギユウ。チヒロン……それくらいかな?」


 すごい呼び方だなぁ……。

 もう誰だか分からないって。




 鐘が鳴り、教師が入ってきたところで、話は途切れた。

 六時間目。50分間の授業が始まる。

 タイムリミットが迫っていた。

 カチカチと、やけに今日は時計の音がうるさく響いている気がする。しかも、何だかいつもよりも動きが素早い。


 時間がない。考えろ。

 結局、これは誰が机の中に……。


 いや、待てよ。

 そうだ。何で気づかなかったんだ?

 これは机の中に入っていたんだ。

 下駄箱ではなく、机の中に。

 手渡しではなく、机の中に。


 単純すぎるほどに単純な解決。

 トリックも何もない、平凡な真相。

 そして、そんな平凡な真相にギリギリまで気づかなかった、僕の平凡な思考……。

 僕はどうも、探偵役には向いていない。


 授業終了の鐘が鳴った。








 第2多目的室。僕らのクラスよりも若干広い教室だ。普段は鍵がかかっているが、理由を申請すれば簡単に鍵を開けられる。

 流石にストーブは点けてもらえなかったらしく、空気はひんやりとしていた。指先が凍りそうだ。自然とポケットに手を突っ込んでしまう。


 ガラガラガラ、と。扉が開いた。

 僕はポケットから手を抜き、振り向く。そして、手に持っているチョコレートの包みを、彼女に差し出した。


「チョコレート。今から渡しに行けば間に合うよ」


 しかし、彼女は受け取らない。小さな唇を懸命に動かして、こちらに問うてきた。


「えっ……と、誰?」

「……ああ、ゴメン。つい勢いで。僕は成田耕康です。君がチョコを入れた、あの机の持ち主」

「え? 嘘!? でも、あの、わたし……!」

「うん。君は小杉の机だと思ってたんでしょ? そりゃ、しょうがないよ。だって、君が訪れる昼休みに、僕は学食に行ってるし、小杉はいつも僕の机を使っているからね」


 そりゃ、無理もないよ。勘違いもするさ。


「募金回収のために昼休みしか来たことがない君なら、ね」


 ホント単純なことだった。

 僕が漫画で見たように、朝の下駄箱や机の中ではなく、昼休み終了後の机の中に入っていた……ということは。


 贈り主は、内部……クラスの人間ってことになる。


 けれど、それはおかしい。

 クラスメイトだったら、机が間違っていることに気づく。


 だったら、昼休みの時に入ってきた外部の人間。

 かつ、僕の机に近づくことが出来た人間。実際に近づいた人間。


「君しかいないんだよね。中山さん、だっけ?」


 募金回収係……中山知佳(なかやま ちか)は、こくりと首を前に倒した。




 募金回収と言うのはどうやらなかなか骨が折れるらしい。皆から嫌な顔をされるし、皮肉られるそうだ。

 もともと、やりたかったわけではなく、じゃんけんで負けて委員会に入り、あれよあれよと流されて回収担当になり……。昼休みを潰して全クラスを巡る羽目になってしまったのだという。


「けれど。……小杉くんは言ってくれたんだ。『大変だね』って。それで、いっつも必ず10円入れてくれるの」


 その言葉が嬉しかった、忘れられなかった……そういうことらしい。

 少し分かる。努力を評価された嬉しさは格別だ。


 僕のクラスで募金を入れる人の一人……ギユウは、林崎さんが彼に付けた呼び方だ。コスギユウタだからギユウ。ギユウは義勇とも書けるからピッタリ、らしい。これは絶対後付けの理由だろう。


「けれど、わたしドジっちゃったなぁ……。バカだなぁ、ホント」


 ホント、バカだ……と、そんな一言がやけに冷たく響いた。

 僕はもう一度、彼女にチョコレートを渡す。

 しかし、やはり彼女は受け取らない。


「耕康くん、だよね? それ、捨てちゃって……良いよ」


 一瞬、呼吸が苦しくなった。

 何だよそれ。それこそバカじゃないか。


「いや、大丈夫。まだ間に合うよ。男子柔道部は6時まで練習してるから」

「もう……良いんだよ」

「いや、良くないよ。だって、これ手作りでしょ? 渡さないなんて……」

「いいから!」


 そう叫んだ。小柄な体を震わせて、彼女は主張した。目にいっぱいの涙を浮かべて。



 その時、僕は気づいた。

 僕が助けたいと思っていた理由に。


 この、中山知佳という女子は平凡だ。

 メッセージカードの筆跡だって、女子にありがちな文字だった。

 多分、そのときに思ったんだ。


 平凡な彼女が、変わるために一歩踏み出したんだ、と。


 蛇の道は蛇、というわけだ。僕は無意識にそれを感じ取っていたのかもしれない。

 平凡な女子が、チョコレートを作り、メッセージカードを添えて、こっそりと机の中に置き、適当な嘘を吐いて多目的室を借り……そして、自分の想いを伝えようとした。


 彼女は変わろうとしていた。


 そんな彼女の前進を、ここで止めるわけにはいかない。

 だって、それはきっとすごい決意のもとに踏み出した一歩だから。

 そんなの、もったいないじゃないか。


 考えろ。考えろ。僕はどうやって声をかければいい?

 自分の意見を通すためには……。


「中山さん!」


 自分の意見を通すためには……。



 ーーハッタリでも良いから、相手の虚を突くんだ。



「じゃあ、このチョコレート……僕にください!」

「だか…………え?」


 床に正座をし、頭を下げて床につけた。両手は頭の横に添える。

 土下座、だ。


 彼女は何も喋らない。いや、多分喋れないのだろう。

 顔はきっと、唖然としているに違いない。


「僕、結局今日は義理しか貰ってないし、それも20円くらいの安いヤツだし……お願いします!」

「ちょっ、ホント待っ……声おっきい、って」


 床と一体化していた頭をガバッと上げる。廊下の方からチラチラ届く視線を無視し、彼女の目を見た。


「中山さんがホントに要らないのなら! ……僕が貰っても良いかな?」


 これは、賭けだった。

 でも、もし彼女の気持ちが本物なら、きっと……。

 その目に浮かぶのは戸惑い、躊躇い。彼女は一度目をつむってそれらをリセットする。

 数分の後、彼女は再び目を開いた。

 その瞳に、決意を宿して。


「ーー返事は出た?」


 僕の問いに、彼女ははっきりと頷く。

 そして手を伸ばし、自分の想いの証を手に取った。

 息をゆっくり吸い、僕に返事を告げる。


「ゴメンね、耕康くん。このチョコレート……もう渡す人がいるから」


 そう言って、頭を下げる。ミドルヘアーがハラリと舞った。そして頭を上げる勢いをそのままにくるりとターン。教室の外へ出ようとする。

 前進しようとする。


「そっか。なら仕方ないか……。残念だけど」


 僕は立ち上がり、そんな台詞を言った。まったく。とんだ役回りだ。

 だがまあ、実に僕らしい役だと思う。


 と、そこにポーンと何かが飛んできた。今日はよくキャッチする日だなぁと思いつつ、受け取る。

 林崎さんから貰ったものと同じ、一目で分かる、立方体の義理チョコだった。

 顔を上げると、中山さんはクスッと笑って、こう言った。


「耕康くんって、変わってるよね」


 後にはもう、後ろ姿しか見えなかった。

 変わってる、か……。

 いやいや、僕は平凡な男だよ。モブキャラがお似合いで、ましてヒーロー役なんかにはなれない。

 だって、僕は今、小杉に嫉妬しているから。

 去り際のあの笑顔は、ちっとも平凡なんかじゃなかった。

 あんな彼女に好かれるなんて羨ましい、ズルい……と。


 寒さがより増してきたように思えた。外を見ると、大分日が落ちてきている。急に疲れが襲い来る。今日はもう帰るとしよう。

 ここのカギは……僕が戸締まりをして、返しておこうかな。

 これをチョコレートのお返しに……なんてのは流石にセコすぎるだろうか。




 ◇◇◇









「へぇ……。そんなことがあったんだ」

「えぇ!? お前、知らなかったのかよ!」


 饒舌に語り終えた後、最初の感想がそれだったから、カラカラの喉を限界まで駆使して突っ込んだ。何で僕はそこまでして突っ込んでしまうのだろう。体質かな?


「だって、私が聞いたのとは全然違ってたし」


 そう言って、3杯目となる甘々コーヒーをすする。僕に語らせながらおかわりを要求するその図々しさは、一周回ってスゴいと思ってしまった。


「私が聞いたのはさ。耕康が女子に土下座してチョコレートを要求していた、ってヤツだから」

「え? 何その根も葉もない……」


 いや、違う。さっき自分で語っていたじゃないか。

 ツーっと背筋を撫でる、嫌な汗。


 ーーじゃあ、このチョコレート……僕にください!


「嘘だろ……そこだけ切り取られて話題になってたのか……」


 そう言えば、あの頃も何かおかしいと思ってたんだよな。

 やけに皆からの視線が冷たくなったり。

 じゃあ、みんなから聞かれた「アノ話って本当?」って、土下座した方か。僕、てっきり事件解決の方だと思って、ドヤ顔で頷いていたよ……。


「ふ~ん。じゃあ、そこから耕康の変人度がどんどん増していったわけだね」

「ちょっと待って。変人度って何? 増していったって何?」


 うわぁ。衝撃の事実だよ。

 え? 僕って皆の中では変わり者だったの?

 平凡だと思っている人は、少数派だったってこと?

 何だそれ。うわ、今さら知りたくなかったなぁ……。


「ところでさ」


 と、頭を抱える僕に、渡場は尋ねる。

 僕としては、まだ話題転換できる程納得できてないのだが……。

 まあ、語り手の義務を果たすとしよう。


「結局、あの二人はどうなったの?」


 なんだ。そんなことか。

 僕はため息混じりで、告げる。


「さあ? 僕は極力その手の話を聞かないようにしてきたからね」

「え~? 何それ」


 不満げに頬を膨らます渡場。

 いや、何だそのリアクションは。子供じゃないんだからさ……。

 でも、僕は本当に聞きたくなかったんだよ。

 だって、そうだろう?



「カップルのノロケ話なんて、聞いてて面白いわけないじゃないか?」











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