室長との食事
二体目の超竜撃破。それからの僕の日常は平穏そのものだった。
先日の授業からの脱走も、英語の教師から冷たい目で見られるという事実は変わらないが、反省文代わりの課題を提出することで一旦は怒りを収めてもらうことに成功した。
学校に行けば、いつものようにリュウカがついてくる。だけどまともに顔を見られるのは放課後家路につく時だけだ。
空で約束した、学校での鈴埜さんとの再会は、彼女を取り巻く相変わらずの喧噪に阻まれ叶うことはない。
それもそのはずで、地上に現れた前代未聞の化け物を颯爽と蹴散らしたのが、いつも通り美少女エース鈴埜夕陽と報道されればそうもなる。
それでも僕は以前よりも晴れ晴れとした気持ちで動いていた。誰一人として傷つくことはなかった。それは怪獣頻出期を知っている優花さんいわく「奇跡」らしい。
「では今回の件についての政府の見解について、解説員の原田さんに――」
優花さんがテレビをつけながら花の手入れをする。家に居座る代わりに、ここで軽い手伝いをすることを要求されたリュウカと共に、僕は掃除や水やりをしていた。
テレビの解説員が、先日の政府発表について語った。
二体目の超竜が地上に現れたこと、そしてそれが現状の怪獣と結びつかないことなど、僕がリュウカに聞かされたような話を政府は発表した。
もちろん、これは国民にとって危機である。だからこそ全国に展開するゼロエックス部隊の総力を結集し、敵の撃破に当たる、と政府は宣言したのだ。
その折に、二体目の超竜と戦った謎のギア、そして避難訓練のための報道とされた一体目の超竜に関する疑問が記者達から飛び交った。
政府は「現状答えられる範囲ではない」と一蹴し、その報道を打ち切った。
そのことがあるせいか、最初の頃はきつかった軍からの僕の監視がゆるくなっている気がした。どうでもよくなったのか、逃亡の危険性なしとみなされたのかは分からない。ただ僕は平穏な日常を享受できるだけで、心穏やかに過ごすことが出来た。
「やっぱり本当に怪獣が出てたのね」
優花さんがため息交じりに話す。僕は当事者だと言えず、苦笑しながら床を磨いていた。
「何もなかったからいいけど、対応が遅れてたらとんでもないことになってたわよ」
政府報道に憤りを感じているのか、彼女の声は荒々しい。僕はリュウカと目を合わせながら、お互いに余計な発言に気をつけることを再確認した。
「こんな時、宗徳さんがいたらどんな顔をされるのかしら……」
「い、いやあ……あれはギアだから何とかなっただけで、SP1じゃそもそも間に合いませんよ」
「そんな事ないわ。宗徳さんだったらきっとこの事態を見越して、ブースターなんかをつけてたと思うの」
確かにブースターをつけて怪獣をより遠い場所で倒すという計画自体はあったらしい。だがこの事態を見越せていたかどうかは非常に怪しい。
しかし今もなお、こうして生きていた人間を動かす長野宗徳という人間に、僕は何度も遠い目を見せてしまう。自分の父のはずなのに、教科書に出てくる見知らぬ偉人のような感慨を覚える。父を失って何年も経った。その面影のなさが僕をそう思わせているのだろうか。
「でも、ゼロエックスばっかり報道してて嫌になります。もう一つの機体だって大活躍してたじゃないですか」
話の流れに乗せられて、リュウカが言わなくてもいいことを口にする。僕は頭を抱えながらリュウカに苦言を呈した。
「活躍したかどうかはともかく、映像見てたら結局よく分かんないギアがゼロエックスにリードされてたの分かるだろ」
「なんですかそれ。軍人女はリードも得意って言いたいんですか」
僕は口をつぐみ、リュウカの頭を上からがつんと叩いた。少しうがった見方をすれば変な意味に捉えられる発言を、この年頃の少女が軽々しく口にするものではない。
しかし、あの時の彼女には確かにりりしさを感じた。決して屈さない、民を守る騎士として必要なものを全て備えているように僕の目には映った。
お飾りとしてではなく、本物の煌めきをあの大きく黒い真円の奥に持っている。それを知って、心惹かれない男子はいないだろう。
もっとも僕とは住む世界の違う人である。僕は目の前の掃除に専念するだけだ。
僕がのんびり構えながらブラシ片手に掃除をしていると、ガラス製のドアの向こうに、黒塗りの大型車が駐まるのが見えた。
何だろうと思い目を取られる。そこから降りてきた人物に、僕は目を丸くした。
「おお、ここが噂の花屋さんか、悪いたたずまいじゃないねえ」
のんびりした口調で店の扉を開ける男に、僕は見覚えがあった。軍の対怪獣の指揮官、神嶋信也と名乗る男だ。そしてその傍らには、珍しく軍服姿をした鈴埜さんもいた。
僕と鈴埜さんの目が合った。彼女は一瞬息を飲んだようにのど元を動かしたが、すぐさま背を張り、店の奥を見つめた。
突然の物々しい来客に、優花さんが飛び出していく。彼女が現れると、神嶋室長はにこりと微笑みながら頭を下げた。
「どうも初めまして。私、軍で怪獣専門の部署を担当している、神嶋、と申します」
「こちらこそ初めまして。私はこの店の経営者の黒崎優花と申します」
優花さんの口調は物腰穏やかだが、その奥底の不信感ははっきりとしていた。彼は嫌われていることを理解しているのか、笑顔を浮かべながら近くにある花を屈んで見つめた。
「素晴らしい花だ。花は人の影響を受けて育つという。あなたの心が美しいのでしょう」
「ありがとうございます。ですが軍の花形部隊の方に来ていただく用はないと思うのですが」
彼女の突っぱねるような言葉に、彼は少し顎に手を宛て、僕をちらりと見た。ここで知り合いだとばれるとまずい。僕は顔を逸らして黙々とブラシに手を伸ばした。
「あなたが長野雲雀君の後見人だと伺い、こちらへ寄せていただきました」
「そうですが、何かご用ですか」
「怪獣頻出期に怪獣と戦い続けた人物、長野宗徳氏の一人息子であり遺族たる彼に、現実問題として民間の技術供与はどうか伺いたいのです」
彼の言葉に、優花さんが鋭い目でにらみ返した。
「何故彼なのですか」
「鈴埜大尉が最近この近辺の学校に通っていまして」
「存じ上げております」
「そこに通う人物のピックアップをしていたら、長野宗徳氏の息子がいた、というだけですよ。特に深い意味はありません。強いて上げるなら個人的な興味、ですかね」
彼はふっと笑いながら僕に近づきぽんと肩を叩く。僕はブラシを握ったまま、彼に上目を向けた。僕は知らない体を装いながら、彼の言葉を待った。
「鈴埜君が世話になっているそうだね」
「……鈴埜さんはいい人ですよ」
「ああ、そうだね。そんな彼女と食事を共にしてみないか?」
彼の提案に僕は「え?」と聞き返した。顔を上げ鈴埜さんを見る。彼女はもじもじしながら僕から顔を逸らした。
「あ、あの、言ってくださってることの意味がよく分からないというか――」
「そうだな、直接的な言い方をすると、君と話をしてみたい。その会食の席を設けたいということさ」
「な、何で僕なんですか?」
「対怪獣に対する意見を、宗徳氏の息子である君とじっくりと語り明かしたいと思ってね。それに私一人だと圧迫感があるだろ? だから鈴埜君に来てもらったんだが、余計だったかな」
室長は、僕の顔を見据えにっこりし続ける。僕は困り果てながら、優花さんに横目を送った。
「雲雀くん、あなたの好きにすればいいわ」
「でも……優花さん」
「何かあったら私に言ってちょうだい。そちらの方も、ここまで来られるくらいだから私の親類縁者にどういう人間がいるかは知っていらっしゃるでしょうし」
「はは、さすがに国としてもクロサキを敵に回したくはないですよ。しかしあなたはそういったのを嫌っているのでは?」
「ええ。自立するためにここで花屋を営んでいますから。ただ雲雀くんに影響があるのなら、その矜恃も捨てるつもりです」
彼女の一寸厳しい言葉に、室長は自らの頬を指で叩きつつ、頭をかいた。
「大丈夫です。彼に何かあれば真っ先に疑われるのは私でしょう。それに彼とは友好的な話をしたい。彼は鈴埜大尉の友人ですし」
「そ、そうなんですか?」
「おや? 冷たい反応だね。鈴埜君、そういうことだそうだが?」
と、室長が軽く声をかけると、鈴埜さんは顔を真っ赤にしたまま縮こまるように頭を下げた。
彼が何を考えているのかは分からない。だがこのままでは鈴埜さんの面子を潰すことにもなる。それにこれからのことについて聞きたいこともたくさんある。
恐れることはない。僕はブラシを横に置いて、優花さんに微笑んだ。
「大丈夫です、優花さん」
「一応理由を聞かせてもらおうかしら」
「僕の学校の凄い先輩がいますから」
僕は鈴埜さんを見た。彼女は自分がそうだと気付いていないのか、一瞬辺りを見回していた。僕は苦笑して、もう一度言い直した。
「鈴埜夕陽さん、僕の学校の自慢の先輩です」
「あ、あ……え……その」
彼女の声が詰まる。あたふたする鈴埜さんはまったく知らない姿で、初々しくもあった。
「神嶋さん、付いていきますよ」
「済まないね」
僕が頭を下げると、彼は手で制して後ろを向いた。顔を上げると、横からリュウカがつまらなさそうな顔で見てくる。僕はそっと彼に訊ね直した。
「リュウカ……えっと、そっちの金髪の子、どうすればいいですか?」
「ん? ああ済まない。その子も連れてきてくれていいよ。君も軍人二人に囲まれながら食事じゃあ息苦しいだろ?」
彼は至ってにこやかに、そして親近感をわかせるしゃべり方で僕達に接してきた。僕はリュウカを見た。リュウカは不安げにじっと僕を見つめてくる。
「多分、普段家で食べられないようなもの、食べられるぞ」
「行きます!」
即断即決だった。ある意味でこいつの食欲には感動さえ覚える。母星でどのような食生活を送っていたのか、一度聞きたくなるほどだ。
バイトが終わるまで待ってもらう必要がある。僕は優花さんにそのことを話そうと振り向いた。すると彼女は、僕の言いたいことを察したのか、すぐさま笑顔を見せた。
「雲雀くん、今日はもうここはいいわよ」
「でも……」
「あなたが羽を伸ばしたいと思うなら、それでいいじゃない。行ってらっしゃい」
僕はしばらく戸惑った。けれど優花さんは笑顔で僕を送り出そうとしてくれる。ここで意地を張って残る方がかっこわるい。
僕はしっかり頭を下げドア近辺で待つ神嶋室長、そして鈴埜さんと共に外に出た。その後にリュウカもちょこちょことした足取りでついてきて、四人揃って運転手付きの黒い大型車に乗り込んだ。




