最期に見た光景
襲撃から二日、特にこれといった動きは起こらなかった。
うかつに外に出るとまずい。リーノさんが外に出るのは、僕と共に食事の準備を買い出しに行く時だけだ。
「何か飲みます?」
リーノさんが僕に訊ねてくる。僕は「いえ」と返事して、また眉間に皺を寄せた。
地図を広げて眺めるが、これといった何かが浮かぶことはない。
地球の半分ほどの面積の星で起こった事件は、この中央の都市にばかり被害が及んでいる。逆に言えば、それ以外の場所は興味が無いような動きだ。
「雲雀さん、息抜きしないと持ちませんよ」
「そうなんですけど……何だろう」
と、僕は仕方なく赤のマーカーを置いた。事件の発生場所、時間をこの街の地図、そして星全体の地図に記しているのだが、先ほど考えついた共通項しか見えてこない。
「港には被害が及んでいませんね」
僕にそっとお茶の入ったカップをリーノさんが差し出してくれる。僕は彼女に頭を下げカップに口を付けた。
「不思議なんですよね、この街に重要な拠点がたくさんあるのに、そういう所には全然危害が及んでないんです」
「確かに様々な省庁の建物には何も起こっていませんね」
「警戒が強いから出来ないのか、そもそも攻撃の対象外なのか」
「あえて拠点を残している可能性も否めませんね」
僕はこくりと頷いた。今回の犯行にダムア大佐が全く関わっていないとは思えない。だが彼は至って静かにこの街を闊歩している。
リーノさんの即位の話についても、まったく議論が進んでいない。では、何のために彼はここへ来て、彼女の『返還』を求めてきたのか。
「今度の件が政治絡みだって思ってたけど、案外違うのかな」
「そうと言い切れる部分、そうとは言い切れない部分、双方共にあります」
僕の隣で、彼女は足を崩した。そして、僕が床に広げた地図を細い指でなぞっていく。
「現在事件が起こっているのはこの街。範囲としては中心部から人気の少ない山間まで及んでいます」
「山間を襲って意味があるのかってことですね」
彼女はこくりと頷く。誰かに危害を加えるのが目的なら、人のいない山間部に爆弾を仕掛けたところで効果は無い。
となると、これは攪乱目的である可能性が高い。
「次に、先日リュウカさんが襲われました」
「リュウカが襲われたのは……よく分かりませんね」
「私も断言できるだけの何かがあるわけではありません。ですが、リュウカさんはここ最近この星へ帰ってこられました。雲雀さんと共に」
そう、そのタイミングなんだ。僕とリュウカをまるで待っていたかのような戦い。普通ならそんなものは必要ない。
やはり、これは父やセルラ王と関係のあることなのか?
「雲雀さん」
「何ですか」
「ふふ」
彼女はくすりと笑って僕の頬を軽く引っ張るようにつねった。いたずら以外の何物でもないそれに僕はたまらず呆れた視線を投げかけた。
「何してるんですか……」
「雲雀さんは考え込みすぎです。もう少し、直感で行ってもいいんじゃないでしょうか」
「直感って……そういうのは」
僕の戸惑いもどこへやら、彼女は一笑に付して軽く頷いた。
「そう、それです。そういう風に気を抜くこと、それが雲雀さんには大事なのではないのかと思うのです」
「はあ……なるほど」
「難しいことを考えてしまうこともあります。それを否定はしませんが、肯定も出来ません。自分が一番力を出しやすい態勢を整えるのも、大事ですよ?」
それを聞いて、僕は思わず唇を結んだ。そうだ、僕は考えすぎていた。もっと気楽に、それでいいじゃないか。そう思うと、ちょっとだけ、重苦しかった肩が楽になるのが分かった。
「ちょっとだけ、頑張ります。それで誰か救えるなら」
「そうです! そう、私とか、そういう孤独な人間を救って下さい」
彼女の笑顔を交えたきらきらの眼差しに僕は小首を傾げず、横を向いた。この人のどこが孤独な人間なのか、そう突っ込みを入れたくなったのだ。
とはいえ、彼女の孤独も笑顔も、全て守りたい。こういう気持ちは、一体何だろう。地球にいて、鈴埜さんを見ていた時のような感情だ。
「あの、雲雀さん、私からも一つよろしいですか?」
珍しく彼女の方から進言してくる。僕は目をきょろりと動かして、「何ですか?」とアイコンタクトした。
「あの、この山間部の先にはあるものがあるのです」
「それって?」
「かつての王宮です。もう長らく使われていない、旧支配の証。そこを相手は狙っているのかもしれません」
彼女の言葉に、僕の中で絡み合っていたものが素早く結びついていく。あと少し、長さは足りないが、それは一本の紐になって目的地へ到達しそうだった。
「リーノさん、その王宮へ今から行けますか?」
「どうかしました?」
「リーノさんの言う直感が正しいんなら、ここが次の目的地のような気がするんです」
僕が熱を持って語ると、彼女は目を丸くさせたが、そっと手を頬に宛てながら、何処かへ念じるように、目を閉じた。
「ええ、大丈夫です。フィンに許可を取りました。それに私がここで一人でいる方が危険でしょう」
確かにそうだ。僕は彼女を守る、それがここでの仕事だ。僕はゆっくり立ち上がると、少し屈んで彼女に右手を差し伸べた。彼女はいつもの緩やかな笑みで手を引き、同じように立ち上がった。
公共の施設で移動するか、ギアで移動するか。彼女にダメージが行かない程度にギアで安全に加速しながら移動した方がいいだろう。
彼女を外に連れて、僕はMMを表した。彼女に「しっかり捕まっておいてください」と一声かけると、彼女が恐る恐る僕に抱きついてくる。救命オプションのベルトが出ると、彼女を抱くような姿勢で僕の体に彼女の体が巻き付く。
行きます。そう一声告げると、僕は空へ飛び出した。
「これが……空なんですね」
彼女の声がかすれた中から聞こえる。そう、これが空の世界なんですよ。僕は彼女を連れながら空を見せていく。そして森林部の先にある旧王城の閉鎖された施設に一路一直線で向かう。
町から城まではそう遠くはなく、ギアで三分も飛べば充分に間に合う距離だった。
空から見える、巨大な一つの王家のための邸宅。煉瓦建ての、少し不思議な形状をしたそこに、僕は人の形の違いを思い知った。
ゆっくりとその地へ降りていく。リュウカのお父さんが戦い、リーノさんに取ってふるさとだった場所へ。
懐かしそうに、リーノさんが周囲を見渡す。ここは指定保護場所になっているのか、どこも丁寧に手入れされている印象だ。
さてと、どこから――
そう思った瞬間、リーノさんが僕に飛びつくように抱きついた。
何を?
そう思った瞬間、銃の音が聞こえた。まずい、敵がすでにここにいる。僕が打ち抜かれれば一瞬だ。ギアは外せない。リーノさんを守りながら、僕はゆっくりとサーモグラフィーを立ち上げた。
物陰に幾つもの熱源が確認できる。向こうもこちらの手を読んでいるのか、遮蔽を取るようにうずくまっている。
リーノさんを何としてでも守らないと。
「リーノさん、この草陰から絶対に出ないでください」
「分かりました。貴方に、武運の加護がありますように」
彼女は静かに祈ると、僕が古城に突貫するのを見届けた。
――来るか!?
飛び出した瞬間、辺りから閃光と激しい物音が響く。リュウカ達が使っていたレーザーの類ではなく、実弾の類だ。
これなら当たっても大したことはない! 僕はそのまま一気に古城の中へと突っ込んだ。
そこにいたのは、同じ色のマフラーを巻いた、銃を持った男達だった。男達は僕が来ても怯えることなく銃を撃っていく。
僕はそれをギアの体で全て受け止め、彼らへ向かって牽制の数発レーザーを撃った。
「やめてください! こんなことをしたって何にもならないでしょう!」
「黙れ! 皆、こいつは王政の回帰を邪魔をする異端だ! 滅ぼせ、滅ぼせ!」
彼らはそれでもまだ銃を撃ち放つ。どうしても無理なのか。僕は唇を結んで指示を飛ばしている男の元へ一気にブースターで駆け寄った。
唖然とする男が僕に銃を向ける。だが僕は銃身を握り、そのまま捻り上げるようにして上向きにした。
「あなた達の目的は王政の回帰だったんですか」
「だったらなんだ。長野雲雀、お前の名は知っている。クアンタで王を失墜させた我らの天敵であることもな」
男はにっと笑った。すると、そこにいた兵士達が銃を投げ捨て一目散に逃げ出した。
「えっ……」
「俺と一緒に、さようならだ、長野雲雀君」
男が引き金の横に付けられた、妙な赤いボタンに指をかける。
まさかあれは……。
そうか、元々僕を引きつけて自爆するのが目的だったのか。失敗した。
僕の焦りを横に、男は指先をそのボタンに伸ばした。これで、全て終わりになる。
が、いつまで経ってもその瞬間は来ない。男は息を切らせながら何度も何度もボタンを押す。しかし爆発はいつまで経っても訪れなかった。
「何故だ! 何故爆発しない!」
「そりゃ俺が爆弾を取り外したからだろ」
後ろから、聞き覚えのある声がした。はっと振り向くと、そこにはかの星からきたダムア大佐が腕組みをしながら古城の壁にもたれかかっていた。
「貴様……裏切ったのか!」
「裏切った? 俺は元から破壊活動に協力はしてもそいつを殺すのに荷担するつもりはなかったんだがな」
ダムア大佐はにやつきながらつばぜり合いをしている僕達の側へ近づいてくる。そして男の顔を一度ぶん殴ると、僕にあの嫌らしい目で笑ってきた。
「さて、これで終わりだ。長野クン、貸し一つだ」
「……どうやれば返せるんですか、この状態で」
「それはお前がよく分かってるんじゃないのか? ははは、これで一つまた面白いことが終わったな」
彼が笑うと、突然警報音が僕のギアに流れ出した。僕は慌ててバイザーのモニターにガイドを照らし出した。
海から、巨大な生物が顔を覗かせている。のしりのしりと、ゆっくりと地上に向かう様は地球で何度も見た怪獣達と同じだった。
「まさか……あなたのしようとしてたことは!」
「別に何にもする気はねえよ。ただちょっとばかり怪獣が現れたら面白いなあってくらいだ。さて、どれだけの被害をもたらしてくれるかねえ」
彼の口ぶりに、僕は怒りを抑えきれず、思わず手を出してしまった。だがその渾身の一発を彼はすっとバックステップだけで躱し、また軽く笑い出した。
「さあ、今回の俺の役目はこれで終わりだ。王政復興派を焚きつけ混乱させて、怪獣を出して街並みを破壊する。これにてパッシブ星も終わりだ」
彼はそう告げると、指をパチンと弾いて、軽い調子で立ち去ってしまった。
今からギアで間に合うか? だがそれだとリーノさんを危険にさらすことになる。何よりギアで立ち回り出来る怪獣かどうかも分からない。
僕が悩んでいると、僕のギアに通信が入った。リュウカからの連絡だ。
「雲雀さん! 大変です、怪獣が……!」
「分かってる! こっちは陽動作戦に引っかかった! 上陸に間に合うかどうか分からない!」
僕は外へ出た。リーノさんが隠れている草陰に近づくと、彼女は安堵したような表情を見せた。
「リーノさん、大丈夫でしたか?」
「ええ、それより雲雀さんは……」
「僕は大丈夫です。それより海沿いに怪獣が出たらしくて」
「最近海沿いに船が泊まっていたのはそういうことだったんですね。海沿いで急速な成長を遂げる種がいるのです。それを用意していたのでしょう」
彼女の言葉に僕はまた唇をかんだ。向こうの思惑に乗ってしまったとはいえ、この状況を回避する術がなかったのは間抜けとしか言いようがない。
ともかく、ここからすぐに飛び立たないと。と、僕が一歩を歩き出そうとしても、その一歩が出てこない。足に鉛を付けられたような感覚が僕にまとわりつく。
ブースターを付けても、やはり進まない。まさか、あの時ダムア大佐は何か仕掛けをしたのではないか。いや、それしか考えられない。
このまま僕は、この星が怪獣に蹂躙されるところを見届けるしかないのか。
いや、ここは父の思い出の残る星だ。こんなところで終わらせるわけにはいかない。
僕はリュウカに通信を取った。連絡して間もなく、リュウカが音声で応答した。
「リュウカ、こっちは何か細工をされて動けない。このままじゃどうしようもない」
「そ、そんな……どうすればいいんですか!」
「いいか、よく聞け」
「は、はい?」
「リュウカ、お前がSP1に乗って怪獣を倒すんだ」
僕がそう指示を飛ばすと、リュウカは絶句していた。SP1のことは僕よりも詳しいはずだが、自分がそれに乗って操作するとは思っても見なかっただろう。
だが僕はその可能性に賭けるしかなかった。この危機を打開するためには街で待機しているリュウカの存在しかないのだ。
「で、でも……」
「リュウカ! ここで誰かを助けられなかったら、永遠に誰も助けられなくなるんだぞ! お前の目指してた英雄はそんなのか!」
僕の言葉に、リュウカはしばらく黙っていた。僕だって同じ立場なら無言を貫くだろう。
それでも、リュウカは僕の信じていた強い少女だった。一拍、深呼吸をすると、しっかりした声を返してきた。
「分かりました! 必ず怪獣を止めてみせます!」
「よし、頑張れ!」
僕の言葉にリュウカは気合いを入れ、通信を切った。その隣では、リーノさんが少し不安げな表情で僕を見ていた。
「大丈夫でしょうか……」
「大丈夫です。こういう場面を、僕とリュウカは地球で乗り越えてきましたから」
特に意味のない、強気な発言。それでも僕は必ず何とかなると信じられた。それが僕とリュウカの築いてきたものだからだ。
僕はバイザーの一部を海沿いの定点カメラに切り替えた。ざわざわした海沿いに、巨大な怪獣が遅い動きで歩きだしている。
一歩歩く度に巨大な波がうねりを上げ、泊まっている船をひっくり返していく。このままだと甚大な被害が出かねない。
早く、早く来てくれ――そう念じていると、街の真ん中に駐められていたSP1が、空を駆けていく姿が見えた。
怪獣に蹴りを入れるように、鋭い角度から海へと飛び込んでいく。跳ねた水がうねりを起こし、波となって辺りの船を揺らした。
怪獣の胴体をぶち抜くように蹴ったSP1もまた、海へと倒れ水まみれになっていた。
「リュウカ、大丈夫か!」
「わ、分からないです……でも、ここで頑張らないと……」
リュウカの震えるような声が僕にのみ伝わる。僕はその声を聴いて、初めて自分が怪獣と戦ったあの日を思い出していた。あの時も、僕は何をやればいいのか分からず、恐れながら必死に敵と戦った。
リュウカなら絶対にこの局面を乗り越えられる。僕はそう信じることしか出来ない。
SP1が腕を振り上げる。怪獣はその一瞬を見計らったように、目を光らせた。
刹那、SP1の体が吹き飛ぶ。破壊されたわけではない。ただ相手の体を吹き飛ばす、そんな能力を持った光だというのは瞬時に理解できた。
「あいつに真っ直ぐ向かうな! 死角を突かないとやられる一方だ!」
「そんなこと言われても……どうすればいいのか分からないです……」
「冷静になれ、リュウカなら出来る。僕を何回も救ってくれただろう。それにこの星の英雄なんだろう」
静かに、そしてやや早口でリュウカに諭す。しばらくして彼女は落ち着いたのか、ふうと大きな息をつき、SP1の巨体を立ち上がらせた。
「そうですね、ここで負けてはSP1が泣くというものです。憧れてたこの機体に乗れたことを誇りにするために、私は行きます!」
リュウカが強く叫ぶと、SP1はまるで咆哮をあげるように、仁王立ちして空を見上げた。
SP1が怪獣と再び相まみえる。敵は目を光らせる瞬間を狙っているのか、あまり動こうとしない。
くぐるように、SP1が体を屈ませると、敵の目が瞬時に光った。
「もうその手は食らいません!」
リュウカは強く叫んで、SP1の巨体を倒すように敵の体へタックルの形で突進した。
二つの巨体が海を揺らし、大きな波が防波堤を越えた。怪獣はSP1の体を見て目を光らせようとするが、それより早く、SP1の腕が怪獣の顔を捉えていた。
「武器を使うのは本意じゃないですけど……食らってもらいます!」
SP1の手首の先から、小さな切っ先が出てくる。あれは確か、神嶋室長が改造した際に仕込んだダガーだ。SP1はそのダガーを怪獣の目に突き刺し、敵の攻撃を封殺した。
苦しみの咆哮をあげる怪獣へ、SP1は大きく腕を振り上げ、最後の強烈な腕による一発を怪獣の顔に叩き込んだ。
まるで折れる音が聞こえるかのような、怪獣の首の折れ方。
電池の切れた玩具のように、怪獣は動かなくなった。
「これで……勝てたんですか?」
「ああ、リュウカ、勝てたんだ、勝てたんだ」
リュウカにそんな声をかけると、リュウカは思いっきり泣きじゃくった。
僕に何が出来たわけではないけれど、何とか怪獣を止めることが出来た。
王朝を巡る一連の流れ、そしてまだ残る父との因縁に一旦休止符を打ち、この騒動は幕を下ろした。




