リュウカの涙
僕は一旦ホテルの自室に戻った。
昼間は清掃が入るので、ホテルの上階にあるラウンジのような喫茶店でリーノさんと行動することが多い。
というより、彼女を外に出せない、それだけだ。
彼女も、いつまでこんな拘束生活をさせられるのか。そんな不満を募らせていてもおかしくないのに、いつも僕の側でにこにこ笑ってくれる。
地球の話が聞きたいと言って、拙い僕の話を熱心に聞いて、感心したようにこくこく頷く。
それでも彼女は、お兄さんの話になると、首を横にゆっくり振り、それを語ることを拒否する。
僕はその話の中で、地球を守ってきた多くの人々の話をした。
父だけでなく、数多くのロボット乗り達。
そして、父が死んだ後の、僕の身の上話。
彼女は決して退屈そうな顔をせず、一つ一つの言葉に真剣に耳を傾けてくれた。
ずっと心に仕舞っていた昔話。それを吐露していると、ふいに涙がこぼれそうになる瞬間もあった。それを察したのか、彼女は僕の顔が曇り出すと手をそっと握って、「今日の続きはまた今度聞かせてください」という。
その彼女、そして僕を軸として、この星の命運が決まる。
地球を守ったつもりが、今度こそ完膚なきまでに地球がたたきのめされる可能性もある。
だったら、リュウカは何のために命を掛けてあの星に来たのか?
地球で僕を支えてくれた多くの人達は、どんな思いをするのか?
考えれば考えるほど、自分という存在の無力感に身を殴られるようで、僕は思考を閉ざしたくなった。
「……雲雀さん」
人気のほとんどない喫茶店の一角で、彼女が突然話しかけてきた。
僕ははっと目を開いた。そう言えば、ここへ来てからほとんど口を開いていないような気がする。
「な、なんですか?」
僕は慌てて笑い顔を作る。彼女もうっすら笑い、両肘をつきながら手のひらを組んだ。
「私、リュウカ中尉とお会いしてみたいのです」
「リュウカ……ですか?」
「はい。あなたの星を救った、我が星の使者。私などでは到底勤まらない大役を果たされた、かの方と、一度お目にかかりたいのです」
彼女は優しく語りかける。
忙しいかも、とかあいつが萎縮するんでとか、色々言い様はあった。でも僕は、何故かためらうことなく、リュウカに通信を取っていた。
それから二十分程度が経った頃だろうか。リュウカが僕達のいる場所に現れた。
「雲雀さん、どうもです。皇女様、お初にお目にかかります。リュウカ=コニャックと申します」
「初めまして。私、リーノと申します。皇女なんて堅苦しい呼び方しないでください」
彼女がふふと笑うと、リュウカは顔を真っ赤にしながら僕の隣の席についた。
リュウカが美人なのは、取り立てて口に出さないだけで認めている。でもやっぱり、こうして並ぶと皇女様の美しさは際立っている。
「あの、雲雀さん。さっきからずっと皇女様見てませんか」
「あ、い、いやそんなことない。リュウカはいっつも見てるし……」
「……なんかはぐらかされた感じです。二人で同じ部屋で生活してますし」
リュウカが少しむくれると、リーノさんがくすりと笑った。
「リュウカさん、雲雀さんは大変紳士的な方ですから、大丈夫ですよ」
「そうなんですか?」
「はい。先日も床は疲れるでしょうから同じベッドの中で寝ませんかとお誘いしたんです。そしたら首を大きく横に振って、床でお休みになって。騎士たる方はこういうものなのだなと私、心打たれました」
いい話にしようとしているが、まったくいい話になっていない。
現に先ほどまでリーノさんに尊敬にも似た眼差しを浮かべていたリュウカが、僕とリーノさん、双方に殺気だった視線をよこしている。
「雲雀さん、まさかと思いますが皇女様に手を出したりしていませんよね?」
「そ、そんな怖いこと出来るわけないだろ!」
「……そうですか? 私、雲雀さんの手を握らせて頂くだけで、勇気をいつも与えてもらっています」
僕はこの時、ようやく察した。この人は天然を装いつつ、わざと場を乱すのが好きな人だと。
決して性格が悪いわけではない。ただ悪戯を仕掛け、僕があたふたするのを傍目で見て楽しむのが好きなのだ。
「そーですか。私の助力なんて必要ないですね」
「ちょ、ちょっと待ってくれリュウカ!」
「はい、リュウカさん。私も少々戯れが過ぎました。私では、雲雀さんが何を悩んでいらっしゃるのか、計りかねます。だからあなたに来て頂きました」
彼女は毅然とした口調で、凛と前を向いていた。それはいつもの妖精のような柔らかなものではない。国を司る、折れない意志の具現体のようなものだった。
取り乱していたリュウカも、静かになり、そっと僕の顔を窺う。
気取られていないつもりだったのに、彼女には全部丸わかりだった。この中で一番幼いのは、僕だった。
「雲雀さん、悩んでるんですか?」
「……ちょっと、ややこしいことになって」
「その、話しにくいことだったらいいです。でも話せることだったら、きちんと話してください。私も、雲雀さんの側で力になりたいと思っていますから」
リュウカが僕に体を向け、真剣な顔で語る。そうだね、と僕はしばらく黙ったあと、ゆっくり、事の顛末を語った。
あの男が何を考えているのか、リーノさんのこれから、そして下手なことをすればこの星も犠牲になるということ。
本当はリュウカのお父さんや、フィンさんといったきちんとした立場の人に連絡しなきゃいけないことだ。それなのに僕は、リュウカに相談している。心を許せる存在だから、それだけで。
「そういうことだったんですね。あいつ、妙に雲雀さんのこと意識してましたしおかしいとは思ってたんです」
「でも、仕方ないところもあると思う。父さんに殺された怪獣や宇宙人はたくさんいるし、あの人みたいに面目を潰された星だってある」
僕が淡々と話すと、リュウカは口を閉じた。
「この星に迷惑をかけるわけにはいかないんだよな。穏便に済ませる、それが一番なのかもしれない」
「……それでいいんですか」
「え?」
「雲雀さんはそれでいいんですかって聞いてるんです!」
リュウカが僕に強く叫んでいた。怒りを隠さない、滅多に見せない顔だ。
僕は驚きで声が出なかった。リュウカは足下に置いた手を震わせながら、僕をぎっと睨んでいた。
「雲雀さんは私に言いましたよね。自分は長野宗徳じゃないって。戻ってまた小さくまとまるのが、長野雲雀なんですか? それが私に夢を与えてくれた人なんですか?」
「……リュウカ」
「地球にいる私の友達も、こんな雲雀さん見たら悲しくて泣きます。地球でどんな困難にも立ち向かった、あの時の自分を思い出してください」
そうだったな。
何もないから無我夢中になれたわけじゃない。救いたい人がいたから戦えた。
今度の相手は、僕が詫びなければならない相手かもしれない。
そして正義は両立しない。
でも僕は、俯いてはいけない。そんなことをすれば、リュウカが悲しむ。そしてここで知り合った多くの人達も、失望させたくない。
僕に夢を託してくれて、宇宙へ向かうことを喜んでくれた人達。
先は哀しみだけじゃない。僕の身の振り方で、幸せに出来る方法だってきっとあるはずだ。
「ふふ、雲雀さん、素敵な面持ちになりましたね」
「……え、そうですか?」
「はい。迷っていたものから解き放たれて、強くなったお顔です」
リーノさんが僕を包むように、優しい言葉をかけてくれる。
僕はまだ何も出来ていない。何も出来ていないから、戦える。
「リュウカ、それにリーノさん、二人ともありがとう」
「そうです、雲雀さんはそういう切り替えの早さも魅力のあるところなのですから、自信をもってください」
「そうだな」
「ええ、そうです。あなたのような素敵な方と契りを結べたら、どれだけ幸せなことでしょう」
リーノさんが微笑をたたえながら僕をじっと見つめる。
また軽い冗談を言って、と思っても、彼女は僕から視線を外さない。
その横から、また別の視線が飛んでくる。研ぎ澄まされた刃のような、殺傷力の高い視線だ。
「雲雀さん、もし地球に連絡する手段があったら、鈴埜にもこのことを報告しておきますね」
「い、いやだから勘違いだって! リーノさんと僕にやましいことなんて一つもないよ!」
「そうなのですか……私は雲雀さんをお慕い申し上げているのに……悲しいですわ」
「だからあなたも場をややこしくするようなことを言わないでください!」
こうして、僕の迷いは吹っ切れた。
が、また別の迷いが僕を無意味に追い立てて、その日一日、げんなりするようなものにしてくれた。
今回は1.5章っぽい雰囲気が漂ってきたぞ。




