敵意
僕に与えられた地位は、一応の軍人。
でも僕に軍の経験はない。一応、地球での騒動の時に軍と連携して演習をしたことはあったけど、実際にどのようにして動くのかなんて全く知らない。
ただフィンさんがその辺を分かっていないとは思えず、僕はただ、自分の置かれた立場の据わりの悪さに何とも言えない気分を覚えていた。
リーノさんと別れて、街をうろついていると、ふと海辺に来ていた。
地球でもよくある、柵のついた海沿いの並木道だ。
ここは地球とよく似た環境だ。リュウカが地球でそれほど戸惑わなかったのもよく分かる。
綺麗な青空、日光、そして海辺を駆けるカモメのような何か。
怪獣が宇宙では当たり前って言ってたけど、この星ではそんな気配を感じない。この星に怪獣はいないのだろうか。情報端末の一つでもあれば、この星をすぐに知ることが出来るのにな、と僕はまた腕を組んだ。
時間はある。何もしなくていい。
そんな日々が、僕に訪れるなんて。それが僕から平静を奪う一番の理由だった。
やっぱり忙しい方がいいのかな。青空をぼんやりみていると、海辺の向こうの方に、何か曲がった、大きな物体がまるで飛行機の着陸のようにゆっくりと下りていくのが見えた。
あの妙な物体が下りていく場所に、僕は覚えがあった。先日僕もこの星の第一歩として訪れた、この星の発着路だ。SP1も預けっぱなしにしている。
この星の人達がどこかから帰ってきたのか、それとも誰か来たのか。
気にしなくていいはずなのに、どうも気持ちの悪い思いが背筋を走る。
細身のストローを曲げたようなスタイルに、幾つもの砲身。あまり考えられない形だが多分戦艦のようなものだとは分かる。
と、僕の持っている指輪が突然震えだした。
どうやって操作していいのか分からず、僕は震える指輪を触るか触るまいか、遠目に見ていた。
いや、慌てても仕方ない。何かの連絡で本当に必要ならまたかけてくる。僕は思いきって、その指輪に触れた。
「雲雀さん、聞こえますか?」
僕の耳に響いたのは、リュウカの声だった。
「うん、聞こえる。これ、電話なの?」
「そんなものです。それより、今どちらにいますか?」
リュウカの声が、若干上ずっている。それは浮かれ調子の上ずり方ではない。僕を必要としている声だ。
「今海辺だけど……あの宇宙空港っていうの? ああいうところがすぐ近くの」
「あまり遠くない場所ですね。申し訳ないのですが、父のいるビルに来ていただけますか」
「どうしたの?」
「……ちょっとした外交問題です。その場に雲雀さんがいないと、少しまずいのです」
リュウカが重たい声で呟く。僕は先ほどのストローのような戦艦を思い出した。
もしかして、あれがリュウカを惑わす元なのか?
ここで迷ってる場合じゃない。僕は「すぐ行く」と返事をし、元の方へ戻った。恐らく、直線距離で言えばここから外相のいるビルはそれほど遠くないはずだ。だが道になれていない僕が下手に博打を打つと迷って変な場所に出る可能性がある。
だから、一分一秒でも惜しいから、僕は元の商店街へ戻った。
花屋さんや喫茶店、落ち着いた街並みが僕の目にまた入る。それを僕のせいでややこしくするわけにはいかない。
それから三十分ほど走った頃だろうか、さすがに息が切れてきたところでようやく僕は外相のビルに到着していた。
門を守る衛兵が僕をちらりと見る。許可証は何があるんだ。僕はとりあえず指輪を見せた。彼はこくりと首を縦に振り僕に道を譲った。
この指輪、なくしたら大変なことになるな。僕は大慌てでエレベーターに乗った。
「長野雲雀、失礼します」
外相室の扉の前に立ち、数度扉を叩いて強く叫ぶ。
中から「どうぞ」という冷静な女性の声が聞こえてきた。
「……フィンさん」
「長野さん、お待ちしておりました」
「リュウカ……それと外相さんは?」
「今、先方と話している最中です。先方もあなたをお待ちです、行きましょう」
彼女は一歩先んじて、部屋を出る。僕もそれに遅れまいとその後を急ぐ。
エレベーターに乗り込み、別の階へ。大型の応接室の前で、フィンさんが止まった。
「外相補佐、フィン=パストリア、入ります」
彼女が扉を開ける。そこにはリュウカとリュウカのお父さん、そして見知らぬ頬のやせこけた白髪の若い男が座っていた。
男は僕を見て、にやりと唇の両端をつり上げた。それはまるで、狼が獲物を見つけたような、そんな不気味さを僕にぶつけてくる。
若いのに、爽やかさとか、そういった言葉とはまったく無縁で、うかつなことを言えば噛みつかれそうな、鋭い目を転がしている。
「長野雲雀えっと……二等兵、入ります」
「ほお、こちらがあの……ははははははははははは!」
男は何がおかしいのか、僕の顔を見て大笑いした。
感じがいいか悪いかで言えば、間違いなく悪い。でもそれを口にすることも出来ず、僕は彼の顔を窺っていた。
「大佐、今回の件について直接彼は関係ない。侮蔑したような真似はやめていただけますかな」
リュウカのお父さんが、すかさず助け船を出してくれる。男は「失礼失礼」と言いながらも、僕をちらりとまた見た。
その時、僕は見てはいけないものを見てしまった。
男は僕を、殺したいような衝動に駆られた、殺意の灯った眼差しで見ていた。それは一瞬のことで、男はすぐに目の前のリュウカやリュウカのお父さんに笑いかける素振りを見せる。
でも僕に見せたそれは、勘違いなどではない。この男は、この星において初めて「僕を睨んできた」人間だった。
「外相、彼を」
「ああ、そうだな」
とフィンさんは自分は後ろに立ちながら、僕にリュウカの隣へ座ることを促す。男が少し斜め前になり、僕と向かい合う。男は先ほどの目を見せないためか、それとも意に介していないのか、僕を見ることはない。
「初めまして、クアンタの英雄殿。俺は惑星グルン王室直属兵、ダムア=ガンナという。お見知りおきを」
「は、はい」
「いやあ、しかしあの長野宗徳の息子さんは、こんな優しげな、女性のようなお顔をされているとは」
男は父の名を出した。もしかして、こいつも父のことを知っているのだろうか。嫌な感じで、口が閉じてしまう。
「……大佐、あまり失礼なことを言わないでください。雲雀さんは、そういうの関係なしに、私と共に地球を救いました」
「ええ、お聞きしていますよ。何でもあのセルラ王の野望さえ打ち砕いたそうで。それもまた、英雄ですなあああ」
男は、今度は神嶋室長に対し侮蔑にも似た嘲笑の声で笑った。
「追放した私が言える立場ではありませんが、前王も、そして長野君の父上も決してあなたに笑われるような人間ではありませんよ」
「……分かってるよ、この六等星が」
「現在はあなたの星と対等の五等星ですが」
「外相殿、耳が大変良い。いいことだ。しかし、ならば何故あなたの星が五等星に昇格できたか、お分かり頂けるはずだ」
男は腕を組みながら、リュウカ、そしてリュウカのお父さんに冷ややかな視線を浴びせた。
五等星、その言葉の意味は何となく分かる。でもそんな格付けされるほどたくさんの星があるのだろうか。
いや、ないなんて僕の口からは言えない。僕の父やその仲間は、多くの宇宙人と戦ってきた。だからそれだけ多くの星があることを知っている。
でも、その中に格があるとまでは知らなくて、僕はただ、目の前の男に対しわき上がる不愉快な思いを必死に抑えるので精一杯だった。
「エルザ貸し出し、及び消失の賠償金の支払いの目処は立っております。それに貴星とは技術供与で損失金に充てると申し上げているではありませんか」
「何度も申し上げておりますが、今回の件はエルザのこと、そしてそちらから受けている技術のこととは関係ないのですよ、外相殿」
男はにっと笑い、僕を見た。
「大帝に指示され襲い続けたクアンタだったが、それも今は昔の話。そして俺が長野宗徳に倒されたのも昔の話。あれからうちんとこの星は落ちぶれる一方で、我が王も天に召されようとしている」
「……その話は受けられないと、先ほども申し上げたでしょう」
「そうだ、貴公達には受けられぬ話かもしれない。だがセルラ王失脚後、王政の崩壊したこの地で、王家の血を引くものがどう必要だと?」
彼はこの星の王政を語り出した。
何が何だか分からず、僕は王政、という言葉で後ろにいるフィンさんに思わず目を向けた。彼女は黙っている。その涼しげな顔を崩さずにいようとしている。だが、怒りに満ちたような手の震えは、いかんとも隠しようがない。
「我が星との友好を結びつけるために、亡きそちらの王に第二王妃としてお渡しした、我が星の皇女、ラス妃は病弱故今は亡き人。ならばその血を引く皇女を、こちらの星との友好の為に渡して頂いても何の問題もないでしょう」
「今は王政が崩壊し、皇女様はこの星で王政の築き上げた失政に贖罪を果たしたいと願っていらっしゃる」
「だあああ! 話が通じねえなあ! だから、あんたらにはもう必要もねえもんだろ。何が贖罪だ、ガキに責任押しつけて格好つけてんじゃねえよ。セルラの野郎もクアンタでくたばった。ならうちんとこに戻しても何の問題もねえだろ」
そして男はくいと顎を上げ、僕を思いきり睨め付けた。
「大帝からの指示はないが、焚きつけりゃ幾らでも問題にすることは出来るんだからな。セルラがクアンタでセノフォトンを作ろうとしていたこと、セルラを倒し、多くの友星の仲間を殺した長野宗徳のガキをこの星が囲ってること。いいか、何が得か損か、よく考えろ」
そして男は一方的に席を立ち上がり、背伸びをした。
粗野で、嫌な奴だ。僕が唇を噛んでいると、男はドアに手をかけながらくるりと振り向いて、にっこりと笑った。
「怒鳴ってごめんよ、雲雀ちゃん。俺は君に恨みはないの、でも君のパパのせいで死線をくぐったんだ。そういうこと、またね~」
男は茶化して部屋を出ていった。だがそれが偽らざる憎しみの根源であることは、僕くらい鈍感な奴でもすぐに察しが付く。
男が去った後の会議室で、誰も口を開かない。ただ重苦しい空気が辺りを飲み込んでいた。
「まったく、狂犬ぶりは健在だな」
「外相、グルン星の王政が危機的な状態であるという情報が入っていた時に対処できなかった私の失態です。申し訳ございません」
「フィンくん、君のせいではないよ。……奴め、問題を大事にしようとしている」
リュウカのお父さんとフィンさんが、互いに難しい顔で言葉を交わし合う。皇女、という人のことが分からず、僕はただ、顔を歪めていた。
「リュウカ、皇女様って神嶋室長と全然違う人なの?」
「まあ、親が違いますから。この星は、地球とは違って一夫多妻が認められています。地位の低かったこの星の地位を上げる方法として、グルンの血を交わらせたんです」
「……政略結婚か」
「でも、皇女様は凄くいい人です。前王がばたばたしていても、民から届いた手紙に目を通し、前王にアドバイスをしていました」
僕はそうか、とぽそりと声を漏らした。あのリュウカでさえいい人だという皇女を、自分の星の為に戻せという。
確かに元は、この星の都合のためだった。でもその皇女の生まれた星はここで、この星のために生きたいと願っている。
「王が……王さえ帰ってきてくだされば」
「……今更どの面下げてあの男が帰ってくるんですか。ちょっとは冷静になってください」
「中尉、あなたには理解できかねると思いますが、王はこういった艱難辛苦に立ち向かえる方なのです。そして妹君である皇女様のこのようなことを知ればどのように嘆くか――」
フィンさんは、僕の前で初めて感情的な姿を露わにしていた。嘆き、哀しみ、苛立つ、そんな人の姿だ。
「フィン君、ともかくあの男がこの星にしばらく滞在するのは事実だ。そこで凶行に及ばないよう、皇女様に護衛を付けてくれ」
「分かりました。……そうですね、少し早くなってしまいましたが、長野さん、あなたにお願いできますか」
フィンさんは、一息つき、僕を見た。僕はその指名された意図が分からず、思わず仰け反ってしまった。
「ぼ、僕ですか?」
「ええ。こんな早々に手の内を明かすのも、私としては嫌でしたが……」
「ちょ、ちょっと行き遅れ! ど、どういうことですか!」
「クアンタとの連携を強めるべく、皇女と長野さんを接近させる術を取ろうと考えていたのです。それと、行き遅れは大変失礼だとは思いませんか、中尉……!」
リュウカとフィンさんがにらみ合いになる。
そんな馬鹿げた話から一歩引いたところで、僕はただ呆然と天を見上げていた。
「まあ、この星は一夫多妻が認められているからな。そもそもあの天真爛漫な皇女が君を気に入るかどうか、それは分からんし、私がどうこう言える範囲でもない」
「……は、はあ。フィンさん、でもその……神嶋……いえ、セルラ王に対して僕は……」
「あなたが権力を強くすれば、王の帰還も早くなる、そう目論んだ、悪いですか」
悪いですよ、と反論したくなるが、僕はその言葉を引っ込めざるを得なかった。
僕の意志よりも、今重要なのは、あの狂犬じみた男から皇女を守ることだ。
「では長野二等兵、あなたに命じます。パッシブ星皇女、リーノ姫の護衛に今日から徹すること」
「リ、リーノ!?」
僕はその言葉を聞き、思わず前屈みになった。
何だろう、その人はもしかして、銀髪で、妖精のようで、不思議にふわりとした優しさを持ち合わせた人なのだろうか。
「あ、あの……その人って銀髪だとか……こう小柄だとか……」
「おや、そうですが。どうしてそれを?」
「い、いやだってあなたがあのホテルを手配したんでしょ!」
僕が指摘しても、フィンさんは腕組みを続ける。
「皇女が外に出られるなんて……いささか不思議ね」
フィンさんが考え込む横で、僕はリュウカに襟首を掴まれていた。
「ちょっと! いきなりこの星に来て皇女様と知り合いになってるってどういうことですか!」
「ぼ、僕が聞きたいよ!」
三者三様に慌てふためく中、唯一冷静だったリュウカのお父さんが咳払いをし、僕を見据えた。
「色々あるのは分かる。だが長野くん、これは大役だ。場合によっては、この星の命運が別れるかもしれん」
「……はい」
「ギアの装着を怠るような事態にならぬように。相手はどのように仕掛けてくるか分からないぞ」
「分かりました!」
僕は、ようやくそこで混乱から脱却した。
僕があの子にどう思ってるとか、そんなことは今はどうでもいい。
僕はあの子を守らなければならない立場だ。そして僕があの子を守れなければ、この星に住む人、そして僕に地球での居場所を与えてくれたリュウカの日々を無為にしてしまう。
そんなこと、絶対にあってはいけない。
僕は何度も自分に言い聞かせ、闘志を奮い立たせた。




