遠い日の思い出
リュウカが僕の目を優しく捉え、扉を開けていく。広がる逆光の中、その向こうにいる男は大きな机に両肘をついて僕を無言で迎え入れた。
「外務特別任務部隊所属、リュウカ・コニャック中尉、ただいま帰還しました」
「え、えっと……地球から来ました、長野雲雀です!」
リュウカが敬礼するのに合わせて、僕も頭を下げる。
すると、男は少しして口元を緩め、鼻息を漏らした。
「初めまして。私はリュウカの父で外相、ルラル・コニャックという。よろしく」
「リュ、リュウカの……ということは」
「ああ、昔、君のお父さんに命を助けられた。それが私だよ」
リュウカのはしゃぐ調子とは違う、落ち着いた大人の言葉は、僕の体にクレーンでつり下げた鉄球をぶつけるようでもあった。
この人は父を知っている。生きてた頃の父、長野宗徳を知っている。
あの人は幸せだったんだ。そうした結論が地球で出たのに、思い出すとふと寂しい笑顔が浮かんでしまう。
「あどけない顔だが、あの男の面影もあるな」
「父のことですか。母に似ているとはよく言われました」
「あの男とは長い時間話したわけじゃない。だが……亡くなったという一報を聞いた時、十年来の親友を失ったような虚無感に襲われたよ」
筋肉質の体が上を向く。そう、あの人に夢を見た人間なんていくらでもいた。
その一人が、ここにいる。
リュウカでもリュウカのお父さんでもない。そう、僕という人間の中に押し殺した、あの幼い頃の長野雲雀だ。
「君のお父さんがいなければ、パッシブ星の解放はなかった。改めて感謝する」
「いえ、僕がしたことじゃないです。そして父がしたことでもありません。この星の人達が頑張ったことです」
「……かもしれんな。リュウカ、あの話は本当なのか」
リュウカの父さんは、おもむろに目をやった。リュウカも難しい顔でこくりと頷く。
「本当です。前のバカ王子が地球に潜伏してました」
「バカ王子ってリュウカ……あの人、許してあげようよ」
「終わりよければ全てよしなんてそんな生っちょろいこと言ってられないのです! あいつは雲雀さんや私、ついでに鈴埜を陥れようとしたんです」
確かにそれらは全て事実だ。そして彼が今、獄中で何を思っているのか、僕は知る術もない。出来ればあの時語った想いの全てが彼に届いていればよいのだが――
「長野君はセルラ王には会ったかね」
「……会いました。理知的で聡明で……どうしてあんな過ちを犯したのか、今でも信じられません。少なくとも、僕が今ここにいられる理由は、彼が僕を認めてくれたからです」
「君はそう捉えるか。……彼は立派な人間だった。ただ、先代の王が亡くなり若さ故の経験のなさから失政を犯すこともあった。それが彼にとって、失敗だったのだろう」
彼は残念そうに目を落とした。それが芝居でないのは一目瞭然だった。悲しげで、ため息をこぼすのをこらえている。リュウカから聞いていた神嶋室長のイメージと違い、僕の知っている神嶋室長のそれに似ていると思えた。
「ところで、リュウカから聞いたのだが、君はこれから宇宙全体に活動を移すつもりらしいな」
「はい。今まで全然そういうつもりはなかったんですけど……父がずっと見つめ続けた宇宙って、どんな場所か知りたくなったんです」
「ほお、どんなことを聞いたんだい」
「地球には色んな人がいる。宇宙にも色んな人がいる。いつかわかり合うために、宇宙へ行ってみたい、それが幼い僕に、父がよく話してくれたことでした」
僕の意思に、彼は少しだけ頬を崩し目を閉じた。
僕は写真の中の父の姿しか知らない。間近で見ていたはずなのに、嫌だという思いがいつしかその横顔さえ忘れさせていた。
どんな人だったのだろう。どんな思いで戦っていたのだろう。
本当に宇宙人を敵だと思っていたのだろうか。敵だと思っていたのなら、何故リュウカのお父さんを助けたのだろう。
分からないことが多すぎる。そして決してその真実に触れることが出来ないのも分かっている。
だから僕は、宇宙へ行くことにした。父は僕を連れ、夜空を指さしていた。顔かたちは思い出せないのに、その様子だけはしっかりと覚えている。
「雲雀さん、立派です! 是非その調子で、このパッシブ星も盛り上げて下さい!」
「……その仕事はもうリュウカに移ってると思うけど」
僕がぽそりと呟くと、リュウカのお父さんが気まずげに視線を逸らした。どうやら元凶はここにあるらしい。
「その、リュウカ、済まない。長野君の情報を発信するはずが、どうも私の娘が地球に行ったということの方が注目されてしまってな……」
「……父様、そういうことですか」
リュウカは低く、重たい声で呟く。ちらりとその目を見た。とがった、怒りを通りこえた何かを含んだ眼差しだ。
地球でしばらく共にしたが、こんな目は見たことがない。今の僕はこのリュウカの側に一歩でも近づけそうになかった。
「いいですか! 私はこの方、そしてこの滅びかけていた星の英雄、長野宗徳さんに報いるため地球に向かったのです!」
「い、いやそれは分かる、分かるんだが……」
「それが何ですか! 地球じゃなく、未開文明のクアンタ扱い! この星の奴らがここまで醜いとは思ってなかったです!」
普段もヒートアップすると早口になるくせがあるが、今日のリュウカはいつもにまして早口だ。先ほどまで威厳を保っていたリュウカのお父さんも、すっかり縮こまっている。
「まあリュウカ、いいんじゃないかな」
「……雲雀さん、どういう意味ですか」
「それだけ、僕にはまだ何もないってことだよ。僕は地球、日本を救っただけで終わりなんて嫌だ。父さんの後を追うためにここへ来たんじゃない。僕は長野雲雀だから」
穏やかな口調で僕が諭すと、リュウカはしばらく黙った後、ようやく柔らかな顔に戻って僕の腕にしがみついてきた。
「あの、そういうことです。ここでの仕事先、なるべく早く探します」
「ああ、その件なら大丈夫だ。外相補佐のフィン君に君の居住先など一任しているからな。何より君は私の命の恩人の息子だ、無碍には出来んよ」
他人の世話になるのは昔から気が引ける。もっとも、ここには地球で生活していた時のように後見人もいない。一月か二月、住環境の世話になったら、新しい場所に変わりお金を蓄えて礼を尽くそう。
「雲雀さん、また他人行儀なこと考えてますね」
「え、え……?」
「確かに私も父も、雲雀さんとは他人です。でも、心は繋がってます。だからそんな、一人みたいな顔しないで下さい」
僕の考えはすぐにリュウカに読み取られた。察しがいいのか悪いのかよく分からないが、やっぱり僕はリュウカには敵わないと思い知らされる。
僕達のそんなやりとりを見ていたリュウカのお父さんが、少し咳払いをし、腕を組んだ。何やら重要な話を予感させ、僕の背筋をぴんと伸ばさせる。
「長野君、君は家族もいなかったし、将来どこかに婿入りなどの話もあったんじゃないかね」
彼はとてつもなく生真面目な顔で言う。身の上話はあまり好きではないが、しないという選択肢もない。僕は素直に答えた。
「色んな人に可愛がってもらいましたけど、僕自身引っ込み思案でしたし、そういう話は一切ありませんでした。そもそも僕と結婚なんてしたらとてつもない借金を背負うことになりますし」
「ふむ、そうか。……いや、実はな、リュウカもそろそろ年頃で、嫁ぎ先もない。君さえよければ、リュウカと婚約を、だ」
その言葉を聞き、僕は無言で目を丸くした。
リュウカと僕が結婚する。
十秒ほど考え、僕は大きく笑った。
「はは、何言ってるんですか」
「嫌かね」
「いえ、嫌とかそうじゃなくて、リュウカさん、この星の英雄ですよ。それに僕、いつもリュウカさんに怒られたりとかそんなのばかりで、リュウカさんが嫌がりますよ。何よりリュウカさん、すごく美人ですから、男の人の引く手数多でしょう」
僕の大笑いを見て、彼は難しい顔で首を傾げた。何かおかしいことを言ったのかなと思いリュウカも見る。先ほどに負けず劣らずの殺意に満ちた目で、リュウカは僕を睨んでいた。
「ま、まあ……リュウカもこういう話じゃなくて、自由恋愛を楽しんだ方がいいよ。結婚するには若すぎるし」
「そうですね、ああ、そうですねそうですね。もっと恋愛を楽しませていただきます」
「う、うん……その方がいいと思うけど……」
何かフォローの言葉を出そうと思うが、何も言葉が浮かんでこない。リュウカの目を見ているだけで、恐れおののき言葉が雲散霧消するのだ。
「リュウカ、とりあえずこの街の案内はお前に任せた」
「……はい」
「外相補佐から階級が与えられるはずだ。それである程度自由も利くだろう。住居が決まるまでしばらくホテル住まいになるが、許してくれ」
「いえ、そこまで気を遣っていただいて申し訳ないくらいです。リュウカが地球にしてくれたように、僕もこの星の役に立つつもりです」
先ほどまでの呆れたような顔から一転し、僕の決意を聞くと彼の顔はしっかりとした、軍人と父の顔を併せ持ったものに変わった。
リュウカだけじゃない。地球から旅立つことを許してくれたみんなを裏切ることは出来ない。僕の心の中で、闘志がゆらりと燃えさかった。
彼の手元にある機械が光った。どうやらこの星の電話のようなものらしい。
彼は手でそれに「ああ、分かった」と軽く答え、僕達に微笑んだ。
「リュウカ、済まないな、仕事が山積みだ」
「いえ、仕方のないことです」
「……たまには親らしいことをしてやりたいんだがな」
「父様がこの星のみんなに慕われている、それだけで私にとって立派な父です」
リュウカは笑顔で頭を下げ、踵を返すように部屋を出た。僕も慌てて礼をして、その後についていく。




