初陣
「でっかいだけのロボットは、邪魔な時代なんだ。戦う度に街を壊して文句を言われる。そういうのは要らないし、今は軍だっている」
「……そうですか」
「そう。だから君は宇宙に帰って、自分の成すべき事を成して」
僕が笑顔で励ますと、彼女は俯いたまままた鞄を探り出した。今度は何を取り出すのだろうと見ていると、彼女は紙とペンを手にしてきた。それを彼女はすすと僕の前に差し出した。
「本当に私の目が間違っていたのか、少しだけ見せてください」
「……このペンで?」
「字は人を表すという考え方が、地球にはあると聞きます。それで確かめるのです」
僕はふむ、と頷いた。筆跡鑑定の類に、そういうものがあるのは知っている。僕はペンを握り紙を今一度凝視した。うっかり名前を書いて、それが契約書ではたまったものではない。
「名前じゃなくていいかな」
「はい。好きな単語を書いてください」
どうやら本当に筆跡から性格を判断するようだ。それに単語を組み合わせて、僕の性格を覗くのかもしれない。そう考えると、何を書けばいいのか分からなくなる。
一分ほど悩んだ挙げ句、僕は「たまご」と書いた。理由は彼女がここへ来る前に考えていたものだったから、というつまらないものである。
僕は彼女にペンと紙を返した。彼女はぺこりと一礼して、紙を折りたたんだ。そしてペンを見てにやりと笑った。
「ふふ、ちょろいもんです」
「え、え?」
「雲雀さんの指紋、声紋、確かに頂きました。コード転送っと」
リュウカはにっと笑い、ペンを操作した。ペンは一瞬光り、何かへ情報を伝えていく。
僕はしまったと唇を噛んだ。紙や書く内容に囚われすぎて、ペンへの警戒を怠るという不覚を取ってしまった。だが時すでに遅し、焦る僕に対し、目の前の狡猾な宇宙人はしたり顔の嫌な笑いをずっと浮かべているのである。
「てめえ騙したなあっ!」
「騙したなんて人聞きが悪いです。これも全て、雲雀さんに英雄になって頂くためです」
「言っとくけどなあ、僕は絶対にあんなみっともない人生――」
と、僕が叫んでいると、突然テレビの向こうが慌ただしく騒ぎ出した。僕はつられてそちらを見る。ニュースキャスターの元に次々と原稿が渡されていく。キャスターの目も驚きで丸くなっているのが分かるほどだった。
「え、ええっと今入りましたニュースですが……カメラ、カメラ切り替わりますか?」
キャスターがそう言うと、画面が切り替わる。「録画」の文字が左上に入った画面に、巨大な甲殻類を思わせる怪獣が映し出されていた。
見たこともない、昆虫のような怪獣。そして何より僕の目を見開かせたのは、その怪獣が山間部を闊歩していたことだ。
怪獣が上陸したなんて、怪獣頻出時代だった頃でさえ湾岸部が精一杯だったはずだ。それがあろうことに、山の中を歩いている。
キャスターが早口で近隣住民の避難を呼びかける。そしてカメラが定点カメラに切り替わった。怪獣はそのカメラ付近を見ると、小さな口を赤く輝かせた。
そこで定点カメラの映像は終わり、また報道局からの放送に変わった。
「……何だよこれ」
僕は思わず口走った。怪獣と戦う軍は、必ず海辺で怪獣を撃破する。そして陸上に被害を及ぼさないように尽力しているのは、誰しも知っていることだ。
その誰しも知っていることの裏をかいたような出来事が起こっている。常識が完全に破壊された世界が、今目の前に繰り広げられている。
「超竜……もう現れたんですか……」
リュウカが小声で呟いた。その横顔は先ほどまでの浮かれた調子のものではない。真剣で苦しくて、その小さな体で背負い込むには重すぎるものだ。僕は彼女に振り向き、机の上から身を乗り出していた。
「おい、どういうことなんだよ!」
「海からたくさんの怪獣が出てくるのは知ってますよね。それとは違う、地球侵略用に作られた、とんでもなく強い怪獣が今のあいつです」
彼女の言葉を僕はにわかには信じられなかった。地球侵略などという言葉は、とっくに世間から消え去った言葉だ。
確かに怪獣は恐ろしい。だがそれは「上陸すれば」という前提がつく。近年怪獣が上陸したことは軍の活躍により一度もない。しかも海から現れる怪獣を軍が倒すショーのように報道が扱っている現状で、民間の避難態勢など整っているはずもない。
僕は頭の中でさっと計算した。軍の対特殊生命体部隊の内、一騎当千のパワードスーツ部隊は六機。今の報道で現れたと言われる場所は山梨。日本各地の海沿いの基地で待機している彼らではどう考えてもすぐに到着できない。
テレビの中の画面がざわつく。そこに現場は映っていない。けれど画面の見えない向こうでは、怪獣が街へ向け山を一歩ずつ進んでいる。その怪獣が街へ出てしまえば甚大な被害がもたらされる。
英雄なんて嫌だ。戦いなんて誰かがやればいい。
僕はもう一度、自分の心に語りかけた。
戦いは嫌だ。だけど、誰かが死ぬのはもっと嫌だ。
「……リュウカ、だったよな」
僕はまだ覚えきっていない彼女の名前を呼んでみた。彼女は僕の方に、ゆっくり振り向いた。
「お前の持ってきた怪獣と戦えるのって、あいつのとこにすぐ行けるのか?」
僕の問いに、彼女は大きく目を開いた。
「はい! ここから出ても、十分ないくらいで到着できます!」
十分。それはそれで加速に自分が耐えられるかどうか怪しくなるが、この宇宙人があの大嫌いな父と同じ、怪獣と戦える力があるというのだ。僕はそれを選んでいる場合ではない。
「僕は英雄になんてなりたくない。でも今行かなきゃ、誰かが困るんだ。力、貸してくれ」
自然と自分の口調が重くなる。だがリュウカは嬉しそうに軽く飛び跳ねた。
「雲雀さんならそう言ってくれると信じていました。来い、MM!」
と、彼女はポケットから小さな笛を取りだした。それを鳴らすと家の扉が、取り立てでも来たように激しく鳴らされる。
何だと思っていると、彼女は玄関まで走って扉を開けた。ぴょんと蛙が跳ねるように、一つのキャリーバッグが僕の足下にやってきた。
「これが雲雀さんの力です!」
ああ、こいつに期待した僕が馬鹿だったのだなと僕は横を向いた。キャリーバッグを開ければ銃器類が出てきてそれで怪獣と戦えというのか。
僕が冷たい顔をしていると、頬を膨らませたリュウカが僕につかつかと歩み寄ってきた。
「これは地球での活動用の格好です。この姿で戦うわけじゃないです」
「そ、そう……」
「装着用のコード考えてなかったですね。声紋も指紋も採ってあるので、雲雀さんが呼べばすぐに変身と装着は可能なんですが……」
と、彼女は考え出した。僕は時計を見る。先ほどからすでに一分は経っていた。いくら鈍足の怪獣とは言え、あの歩幅だ。かなり街に近づいたはずである。
僕はリュウカの肩を掴み、急げと目で懇願した。するとリュウカは難しい顔で「じゃあ」と答えた。
「変身、パワーで」
「……はい?」
「装着用のコードです。へぇぇんしぃぃんっ! パワーっ! って力強く叫ぶと装着できますよ。知ってる言葉の中で今ちょっと組み合わせを考えました。格好いいですよね、えへへ」
僕はこの宇宙人を殴りたくなった。何が悲しくてそんな恥ずかしい言葉を叫ばなくてはならないのか。今時のヒーローでなくとももっとましな台詞で変身するぞと、僕はこいつに突っかかりたくなった。
だが一、二を争う事態でそれにばかりこだわっている暇はない。僕はすうっと息を吸い込み、声を発した。
「へん……しん……ぱ……わー……」
勢いよく叫ぶつもりだったのに、やっぱり気恥ずかしさで声が小さくなる。
だが僕のその声に呼応するように、飛んで現れたキャリーバッグが突然光になって拡散した。そのまばゆさは僕の目を思わず閉ざしてしまうほどだった。
光が収まっていく。痛いほどだった光が消え、僕のまぶたに軽さが取り戻る。体に違和感はない。どうなったのだろう。恐る恐る僕は目を開いた。
僕の口から言葉が消えた。鈍色の腕に足を覆うバーニア付きの鎧。それはテレビで見る軍のパワードスーツとはまた違う本格の姿だった。
「なんだこれ……本物だ、すげえ!」
「パッシブ星の最新技術を投入した、新型のパワードスーツ、MMです。一番低いスペックでもゼロエックスの一.四倍はありますよ」
リュウカが得意げに微笑む。どう動かせばいいんだ。僕が考えた瞬間に、僕の目の前を覆うヘルメットのバイザーにコンソールが現れた。
「脳波コントロール対応です。操作系統はSP1をモチーフにしているから……大丈夫ですよね?」
彼女がSP1の操作系統と言った瞬間、身震いした。僕がまだ純粋だった頃、僕はあのロボットのコクピットを模した操縦練習機で何度も遊んでいた。
やれるじゃない。やるんだ。僕は自分に言い聞かせ、唇を強く結んだ。
「長野雲雀、出る!」
窓を開け、僕は叫んだ。と同時に、ふわり浮き上がる感覚が僕を襲った。
あれ? 気付いた時には僕の体は雲の上まで到達していた。この加速でまったく意識を失わないのは、パッシブ星驚異の耐加速度技術の賜だろう。これだけ速く飛んでいるのに、ジェットコースターに乗っているような感覚しか受けない。
僕の体の周りを幾つもの緑色の球状の光が忙しく回っている。これが加速に関する正体なのかもしれない。
「雲雀さん! 私も今、ブースターを装着して追っているところです!」
メットの画面に通信が入った。それは間違いなくリュウカの声だった。
「何か問題はありますか?」
「いや、特にない。これ、どうやって出てきたの?」
「分子変換で、キャリーバッグが今の形状に変わってます。他の粒子も側にありますから、武器とかもすぐに出せます」
なるほどと僕は頷いた。そんな会話をしている間にレーダーに熱源の反応が現れた。これから生まれて初めての戦いに挑む。僕は思わず口を強く噛みしめた。
下降を始め、山中が見えてきたところで、甲殻類の化け物の姿がモニターに映し出された。奴はゆっくりと闊歩しながら、平地へ向かっている。巨大な山間が、その化け物の前では公園の遊具のように見える。ギア、つまりこの類のパワードスーツ全般にいえることだが運動性能に優れているものの、人間が装着するものであり怪獣からの攻撃は一発二発食らえば終わりだ。その点も考慮に入れて戦いに挑まねばならない。
カブトムシとクワガタを合わせたような化け物の三本のツノが、威圧感を発している。この小さな身で、あのでかい化け物と戦うのかと思うと、逃げ出したい気持ちがわずかに生まれてくる。でもここで僕がやらなきゃ誰も奴を止められない。僕は覚悟を決め、一気に化け物に接近していった。
「リュウカ、どういう武器があるんだ!」
「雲雀さん、まず敵を隔離することを念頭に置いてください」
「っていうと……」
「武器一覧に、ロングバレットライフルというのがあるはずです。それを出してみてください」
出してみてくださいと言われても出し方が分からない。と思うと、モニターに丁度その武器の名が右腕の画面と共に点滅した。これは右腕に現れるということだろうか。僕が試しにOKを押すように宙で指先を動かすと、予想通り、右腕にその武器が一体化される形で出現した。
「それを超竜に向けて、一発撃ってください」
「分かった!」
僕は言われるまま、奴に向けて銃を向ける。一方の化け物は僕など気にも留めないのか、進撃を続けていた。
鈍重な体に狙いを定めて撃つ。僕はしっかりと狙いをつけてトリガーを引いた。
すると弾丸らしき光弾が命中すると、突然怪獣を中心としてシャボン玉のようなものが膨らみだしていった。それはあっという間に浮かんでいき、バブルアートのごとく怪獣をシャボン玉の中に隔離していく。
「……何あれ」
「シールドです。簡単に言えば、小さな宇宙、といったところですかね」
リュウカが妙に偉そうな口調で喋る。
「空間の端から端が全て繋がっています。もっとも円ですから、端と端っていう言い方が合ってるかどうかは分からないですけど……」
「いや、そんなことはどうでもいいから、あいつを倒す方法を教えてくれ!」
「あの空間に突入してください。ただし、空間が持つのは五分間。その間に奴を倒してくださいね」
リュウカの声は明るく調子の良いものだった。その隔離空間内は、怪獣が脱出を試みようと走っても、また端から出現してしまう。確かにこれなら被害の拡大は防げそうだ。
僕はギアを加速させ、シャボン玉の中へ突入していく。境目で何か衝撃が加わるかと思ったがそんなものもなく、一瞬の内に敵と相対した。
敵の目が僕を捉える。本能だろうか、僕を睨むように目を光らせた。
と、その瞬間僕をはたき落とそうと、僕の体の何十倍もある敵の腕が振り下ろされた。驚きでのけぞり、足のバーニアが作動する。加速のついた状態で僕はくるくる後転するように後方へ飛んだが、敵は羽虫が気に入らないのか僕を睨みながら再び腕を振り上げてきた。
このままじゃまずい。何か武器はないか。僕がそう願うと、モニターに「マシンガン」の表示がやはり先ほど同様、右腕部分に表示された。それで構わない。僕が出ろと叫ぶと、今まで腕に付いていたライフルが消え、手にマシンガンが握られた。
試しに敵に向けて撃ってみる。反動がギアに伝わり、体勢が崩れそうになる。加えて、数発当たった弾丸に、化け物は興味を示さない。
火力不足。その四文字が頭を過ぎる。僕には軍のような一撃必殺の武器はない。どうすればいいか。迫り来る化け物に追い詰められ、僕は領域の端まで来た。
この領域を突っ切るとどうなるのだったか。外に出る。いや、違うと僕は思い出した。思い切って加速を付け、空間の端へと移動する。敵の腕がまた伸びる。僕は逃げるように領域の限界へ飛び込んだ。
次の瞬間、僕の目の前に広がったのはカブトムシの背を連想させる化け物の背部だった。
化け物は僕がどこに行ったのか分からず辺りを見回している。
――これなら!
僕はすかさずギアの加速を強めた。領域に入ってすでに一分半。この空間の持続力もそう長くはない。空間を滑りながら僕は、牽制のように敵へ弾丸を放った。敵は僕がどこにいるのかようやく気づき、振り向いた。
だが僕は鈍重な怪獣がこちらへ気付いた瞬間、また同じように上空へ飛び立ち領域の際を突っ切っていく。
上から下、右から左。様々な場所から現れ、ちょこまかと攻撃する僕へ、昆虫のような化け物は苛立ちを感じだしたようだ。大仰に振る腕は、小型かつ素早い動きをするこのMMを捉えることは出来ない。
化け物の目が光る。その瞬間、化け物の口から野山を焼いたあの強力な熱線が吹き出た。回転しながらの回避運動で躱しながら、化け物を領域の端まで誘導する。
また化け物が火を放った。だがその領域の境目近辺で放った火は、境で消え、化け物の背後から自らを襲っていた。
化け物は驚いたように目を光らせるが、知性はないのか動く僕にばかり目を奪われている。別の場に現れた僕は、また同じように敵を領域の端まで誘い出した。わざと眼前に現れ、マシンガンの引き金を引く。敵はここぞとばかりに熱線を吹くが、それはまた境目で消え自身の体を背後から襲っていく。
何度もそれを繰り返すうちに、化け物の体が焼けただれてきた。敵のこの硬そうな体で、唯一柔らかそうなむき出しの部位がある。それは目と、開いた口だ。
敵の体はかなりぐらついている。これなら行ける。僕はもう一度敵の眼前に飛びだし、そのぎょろりとした眼球に向かって弾丸を勢いよく叩き込んだ。痛みで叫ぶ化け物が火炎を辺りにまき散らすと、それは敵の体を飲み込んでいった。
空間中に巻かれた炎は、化け物自身を焼きこがすものへと化した。炎を武器としていた化け物は、奇しくも己の力に焼かれ、前のめりに倒れ動かなくなった。それとほぼ同時に、空中に浮かんだシャボン玉の空間も溶け、数十メートルの高さから落ちた化け物の骸がどしんと大きな音を立て大地に伏せた。
僕は勝った。信じられないことに、勝てた。
「雲雀さん! お見事です!」
戦闘中黙っていたリュウカから甲高い声の通信が入った。ああそうですねと言い返したくなったが、怪獣を倒せてほっとした僕は悪態をつく気もなく、近辺にそっと着陸した。
しばらくすると足と胴体に簡易的なギアを付けたリュウカが僕の元へ降りてきた。速度が違うと言っても、結局この時間に到達できるパッシブ星の技術力はすさまじいとしか言いようがない。
僕は倒れた怪獣の亡骸を遠目で見た。地球侵略のために作られたのだろうが、こいつも宇宙で静かに暮らしていれば、こんなことにならなかったのになと少し寂しい目になった。
「凄いですね、マシンガン一つで倒しちゃうなんて」
「いや……あれしか武器ないんだろ」
僕の言葉にリュウカが「え?」と首を傾げた。
「え? リニアキャノンとか、三連ビーム砲とか一応色々ありますけど?」
僕はにっこり笑った。そして腹の底で煮えたぎるような怒りを覚えた。そんな強力な武器があったらこんな苦戦しなくて済んだだろう。それをこの宇宙人は分かっていないのだ。