静かな昼食
超竜はまだ出現しない。
リュウカの示した出現予言日まで、あと一週間以上はある。
最後の超竜が今までの超竜よりも強いのか弱いのか、リュウカにも想像がつきかねるらしい。だが僕も鈴埜さんも、そして軍でサポートしてくれる他の人たちも勝つしかない。負ければ超竜が中央研究所に保存されているセノフォトンを食らって大事故をまき散らす。
何としてでも勝つ――そう思っている僕の目の前に、プリントが置かれた。
「長野くん、休んでた分のプリント」
クラス委員長の女の子が僕に束になったプリントを渡してくる。短くない学生生活の中で、これだけ長期的に学校を休んだのは初めてだ。
「また課題出てるけど……大丈夫?」
彼女は心配そうに僕に訊ねてくれる。僕はうっすら笑みを浮かべ、首を横に振った。
「出来る量じゃないよ」
「だよねえ。でも、英語、単位出さないって怒ってたけど課題出すんだったら進級できるくらいは単位あげるって言ってくれてるよ?」
彼女は僕に学生としてまだ未来があることを示唆してくれる。英語の教師があれだけ立腹していたのに単位を出す方向に変えたのも、神嶋室長経由で何らかの取り計らいがあったからというのは容易に推測がつく。
ただしそれを凡人である僕が素早くこなせるかどうかは別問題で、これだけたまっている課題を終わらせるのを僕は諦めだしていた。
合同演習のあとは、たいていへとへとになって家に戻る。家でリュウカの分まで夕飯を作ったあと、小さな風呂に入って僕はすぐに眠る。そんな生活の中で「学業」という行為に手を付けるのは無理だった。
「長野くん、このままじゃ留年するよ?」
「まあその可能性は高いよ、現実問題として」
「はあ……長野くんよりたくさん休んでる鈴埜先輩、この間の実力試験学年一位だったのに」
「あの人はここにいるのがおかしい超人だから」
「長野くん、一応私、心配してるんだからね。前まで真面目だったのにいきなり単位落としそうになってるし」
委員長の真面目な性格に僕は頭を下げた。おせっかいと言っていやがる人間もいるが、僕は彼女の責任感の強さは嫌いではない。むしろ心配させている自分が無様にも思えた。
「金髪の子、元気?」
彼女がふいにリュウカのことを訊ねてくる。学校では姿を隠しているが、町中では姿を堂々と現している。その様子はしょっちゅうクラスメイトに見られていて、話しかけられる度に僕は「知人の子」として説明をしていた。
「元気だよ。どうかした?」
「鈴埜先輩みたいな綺麗な人もいいけど、ああいう可愛い感じの子も悪くないよね」
「……何の話だよ」
「よそから見た話」
彼女はそう言ってにこにこ笑う。誰にでも平等に優しい彼女は、クラスの癒しだ。僕は駄目でも、彼女を裏切るのは心苦しい。僕は曲がりつつあった背を伸ばし、彼女に強く告げた。
「まあ何とか勉強頑張ってみるよ。心配してくれてありがと」
と、僕は壁にかけられている時計を見た。昼休みが始まって五分以上経つ。
「ごめん、ちょっと昼ご飯食べに行く。あとできるだけやってみるから」
「うん、応援してるよ」
と、僕は席を立った。彼女は僕に手を振ると、仲のいいクラスメイトの元へ小さな歩幅で近づいていった。
階段を駆け上って、一番上の人気の少ない端の教室へこっそり向かう。
一番奥の教室への道を遮るように、背広を着た屈強な男二人が廊下で仁王立ちしている。
僕が軽く会釈をすると、彼らは何も言わずに僕を通してくれた。
僕は勢いを殺さず、滑るように一番奥の教室に飛び込む。すると二つの視線が入り込んだ僕へ投げられた。
「雲雀さん、遅かったですね」
「ちょっと色々あったんだ。鈴埜さん、遅れて済みません」
「ふふ、学校の中だぞ? そういう関係ではないと思うけどな」
僕はリュウカと鈴埜さんに頭を下げ、扉を閉めて席に着いた。
リュウカの存在は相変わらず学校では公になっていない。そして僕と鈴埜さんの関係も公になっていない。
だからこうして鈴埜さんと学校で会う時は、メールで呼び出された後にこの教室で集まることになっている。
この教室の使用許可も、堅苦しいはずの生徒会が一切の議論もせず、鈴埜さんのためにOKを出した。
ただ相変わらず携帯を持てないリュウカのために、鈴埜さんから呼び出しのメールをもらった場合、僕はリュウカに集合の声をかけに行く。それ自体は大した苦労ではないのだが、先ほどのように休みが立て込んで掴まることもある。今日のように昼休みより先にリュウカに教えられる場合は問題が起きないのだが、僕が遅れることで、リュウカと鈴埜さん、双方共に迷惑をかけることもあるのである。
僕のその硬い面持ちを読み取ったのか、鈴埜さんが頬杖をついて僕を見つめた。
「学校の方の悩みかな」
「分かりますか」
「室長がテストさえこなせれば進級要件を満たせるように取りはからってくれているぞ? 大して得意じゃないが、私が君に教えても構わないしな」
と、彼女が親切の手を僕にさしのべてきてくれた。だが僕はその手を取ることなくゆっくり首を横に振った。
「やっぱり、まっとうな条件で卒業したいですから」
「そのためには留年も辞さず、か」
「怪獣退治自体が僕にとってはイレギュラーな事態ですし。そういうのを乗り越えなきゃ、きっと僕が求めているものには届かないと思うんです」
僕は静かに話した。自分でも信じられないくらいに、悩みを話す鈴埜さんへの妙な壁がなかった。
鈴埜さんは頬杖をついたまま、目元を細め苦笑した。
「せっかく君に勉強を教えるチャンスと思ったのにな」
「あ、あ……あの、鈴埜さんの方がいいんでしたら、是非教えて下さい!」
「……雲雀さん、何たぶらかされてるんですか」
サンドイッチをほおばりかけていたリュウカの鋭い眼光が僕に突き刺さる。僕はすぐさま「悪かった」と頭を下げた。
「大体軍人女も軍人女です。雲雀さんにあーだこーだ言いたいんだったら、外で堂々としてればいいじゃないですか」
「まあそれに関してはちょっと私も色々ある」
と、珍しく鈴埜さんが言葉を濁した。
彼女の曇り気味の顔は見たくない。僕は机から身を乗り出し、彼女の目を芯で捉えていた。
「あの、何かあったんだったら僕に言ってください! 力になれるかどうかはちょっと分からないですけど、でも鈴埜さんのそういう顔は見たくないです!」
妙な力強さに、鈴埜さんは一瞬驚きで口を開けていた。だがすぐさま口を押さえ、僕に向かって失笑を見せた。
「そこまで心配されるほどのことじゃないんだが……」
「じゃあどういうことですか?」
「最近学校で人付き合いが増えただろう? 色々……男子から無理だって分かっているけど付き合ってほしいとか言われて」
彼女はそういうと、前髪をくしゃりとつかみため息をこぼした。
「付き合う気とか……」
「ないよ。ただ断る時に心苦しかったり、まあ君には関係がないことかもな」
彼女は自虐的に笑う。僕は力になりたい――と言おうとした矢先に、リュウカがつまらなさそうに横目で辛辣な言葉を飛ばした。
「ほんと、雲雀さんに関係のない話じゃないですか。なんでそんな話するんですか」
「リュウカ、鈴埜さん、こういうの慣れてないから悩んでるんだぞ」
「そんなの分かってます。でも関係ないって言い切ってる雲雀さんに、何を求めてそんなことを言うんですか」
僕はリュウカの目を見た。厳しい、本気で睨む目だ。
鈴埜さんはその目を見ると、黙ったままそっと頷いた。
「確かにリュウカの言うとおりかも知れない」
「言っておきますけど、私はてめーみたいな甘っちょろい考えをしてる奴が大嫌いなんです。願っても願っても叶わない夢が、ころんと転がってくるなんて思うなってことです」
リュウカはきつい口調で鈴埜さんに言い続ける。鈴埜さんは嫌な顔をしているだろうか。そう思って彼女の顔をこっそり窺うと、リュウカを見てにこりと微笑んでいた。
「そうだな。本当の意味で戦ってないのは、私の方だ」
「ま、お前と私じゃ勝負にならないです。せいぜい言い寄ってくるそこらの男から好みの奴を選んでうきうきしてんのがいいと思うのです」
「悪いが勝負事に関しては何事も厳しくいく方だ。お前が相手でも、一歩も引くつもりはない」
鈴埜さんがリュウカににっと笑いながら宣言すると、リュウカはぷいと横を向いた。
「ま、そのくらいのことを言ってくれなきゃ張り合いってもんもないです」
「ああ、リュウカには悪いが勝ちに行かせてもらう、絶対にな」
鈴埜さんが最後にそう言うと、横を向いていたリュウカの口元が少しだけ緩んだ。なんだかよく分からないが、二人は理解し合えているらしい。
「私も早く、こういうのに慣れないとな」
「男慣れした鈴埜さんってなんか僕は嫌です」
「そういう心配を君がしなくてもいい。そして君がするべき心配じゃない」
かわされるような言葉に僕はつい唇をとがらせた。リュウカは椅子から腰を浮かせて立ち上がると、両手で頬杖を突いて僕を間近で見た。
「雲雀さん、英雄たるもの堂々と、ですよ」
「僕は英雄とかそういうのじゃないって何回言えば分かるんだよ」
途端に切れのない口調に変わる。僕の頭の中には、まだ先日の「あのこと」がこびりついていた。
廃工場に忍び込んで、SP1のパーツを盗んだ奴がいる。たいした金にならないのにそんなものを盗んだ。しかも今更だ。
何年も眠っていた話なのに、僕がギアを駆って動き出すようになってから、SP1にまつわることをいくつも耳にするようになった。ただそれの大半は僕の知らないところでSP1に関係していた人がいたという物語ばかりだ。
それなのに、今回だけは違う。SP1という素材に直接手を出した。奪われたことへの腹立たしさよりも、何のためにという気味悪さだけが胸の中を支配する。
「長野くん、浮かない顔だな」
「……先日話したSP1の盗難事件のこと、少し考えてたんです」
僕が重い口調で言葉を発すると、鈴埜さんも眉をしかめて唇を閉じた。
「確かSP1に使われている外部装甲は、ニジノマンガンだったか」
「はい。修理にかかる費用を軽減するために、安いあれを使ったんです。だから盗んでも換金の手間の方がかかるくらいで……」
SP1に使われていた外部装甲は、クロサキが製造法の特許を持っている合金である。大層な名前だが、マンガンの使用量は少なく、安価で値段の割には剛性の高い合金としてクロサキが当時売り出していた。父が自費で使うには、もっとも現実的な素材だったと言える。
「雲雀さん、結局どのパーツが盗られたのか分かりましたか?」
「ああ、右の上腕部と頭を丸ごと持ってかれたって」
僕は口を曲げながら自分の頭を小突いた。鈴埜さんも同じように顔をしかめている。
「あれは……人々の思いがこもり、君のお父様の人生がかかったものだろう。そういうものをわざわざ奪うというのは……信じがたいな」
「ええ。しかもクレーンとか使わなきゃ持ってけないでかさです。僕にもちょっと、理解できません」
盗難事件の後、優花さんから一報があった。盗まれた部分を確認すると、解体せずに放置してあった頭部や右上腕部がなくなっていたらしい。
しかし解体しなかったパーツは他にもある。貫通された胴体はともかく、右腕は上腕以外にも揃っていたと聞くし、脚部も胴体から外されて無事な形で残っているはずだ。しかもそれらの駆動系にまつわる部品は外されていて、正に「見かけだけ」の動かない代物でしかない。
それを持ち出すのも不思議なだけでなく、そんな大がかりな盗難に目撃証言がないのも気がかりだった。
「雲雀さん、分かりましたよ!」
「……一応聞く、何だ」
「相手はSP1を恐れているのです! SP1に雲雀さんの魂が宿り、また再び動き出すことを――」
「お前、ロボット作りしたいくせになんでそんなオカルトに頼るんだよ」
「それはそう……そうです、私がSP2を作ってですね、雲雀さんに乗っていただき魂の継承をするのですよ!」
馬鹿らしいと僕が頭を抱えると、鈴埜さんが真面目な顔つきでリュウカを見た。
「いや、一概に的外れとは言い難いだろう」
「え?」
「あれだけ国を使ってバッシングされ、存在をなかったことにされたSP1の影響力を感じているからこそ、わざわざ盗んだと考えるのが一番真っ当じゃないか」
彼女の言葉に理があるのは僕もすぐに分かった。
だがいくら考えても、その犯人、その理由が思いつかないのだ。
「まさかと思いますけど、これって国がやったことですか?」
彼女は僕の言葉にうなずきはしなかった。
「もう国はSP1の抹消に成功した。それにたとえ、君がギアに乗って怪獣退治をしていると公表しても、怪獣のある程度の鎮圧に成功している。この状況下でお父様の名前が思い出されても国の根幹を揺るがす事態にはならないはずだ」
「つまり国は関与したところで何の得もないってことですよね」
「基本的にはそうなるな。大きな裏があるなら話は別だが……」
僕達は一様に難しい顔をさせた。奪える技術なんて立派なものはあのスクラップにはない。強いてあげるならそれこそ鈴埜さんが語った「父の人生」の欠片くらいしかない。
「でも、どうして腕と頭を盗っていったんでしょうか」
「それなんだよな。全部盗るわけでもなくて、そこってのが。何に出来るわけでもないし、飾りにもならないよ」
「なりますっ! むしろ雲雀さんは飾りにして写真に収まるくらいになって下さい!」
一人ヒートアップするリュウカを放っておいて、僕と鈴埜さんはまた悩み出した。だが二人で考えたところで、手がかりが少なすぎる。
「お昼、食べましょうか」
「そうだな。今考えても仕方ない話かもしれない」
僕達は肩を落としながら、それぞれ昼食に持参したパンを取り出した。先にサンドイッチをほおばっていたリュウカはコーヒー牛乳に口を付けた。学校で透明になってもこいつの食欲は衰え知らずだ。
僕達が食事を取り出すと、部屋の扉がノックされた。基本的に鈴埜さんのボディガードが押さえているため、ここへ人は来られない。
鈴埜さんが「はい」と返答すると、ゆっくり扉が開けられた。




