誰かがきっと、覚えている
僕は上官、という言葉を聞き、彼女の背を見た。
「あの鈴埜さん」
「どうした?」
「上官って言えば……神嶋室長、辞令書をもらった日から見てないんですけど」
辞令書をもらって一週間ほど経つが、その日以来神嶋室長を僕は見ていない。訓練の様子を見に来るかと思っていたが、その日は今日に至るまで一度も訪れていない。
「室長がどうかしたのか?」
「いえ、先日父のことを訊ねた時に、もう少し色々聞きたかったなって思って」
あの時神嶋室長は足早に帰ってしまった。もしあのまま室長がいたら、僕はもっと多く父のことを訊ねていたに違いない。
あの時の逸した機会をもう一度――そんな願いは叶わずにいる。
聞きたいことと言っても具体的なことはない。その場その場で思いついたことを彼が知っているかどうかを訊ね、その答えをもらいたいというそれだけだった。
「室長は最近予算がどうとかいうそういった方面で動かれているらしい」
「大変なんですね……」
「まあそういった仕事のための人だからな。不思議な人ではあるが……」
彼女は顎に手を当てながら、考え込みだした。彼女のこういった仕草は普段なかなか出てこない。リュウカもそれを気にしたのか、彼女の横顔を窺っていた。
「何か気になるんですか、軍人女」
「いや、時折突拍子もないアイデアを思いつく人だからな。また驚くようなことをするのかもって考えただけだ」
僕はそれに苦笑いした。
僕をこの場に呼んだこともそうだし、若い鈴埜さんを国のマスコット的な位置づけにする目的はあったであろうにしても、実際に抜擢しようとは普通考えない。考えても実行に移さない。それをやってしまうからあの人は不思議なのだ。
「まあ私のような広告代わりの人間に無茶もさせないし、ありがたいんだけどね」
「なんか歯切れ悪いですね」
「気にしないでくれ。超竜を倒す、それが先決だろう?」
彼女のほほえみに僕も頷く。
と、向こうから辺りをきょろきょろ見回し歩いてくる軍服姿の男性が見えた。彼は鈴埜さんを見つけると大きく息をつき、彼女の側へと駆け寄った。
「大尉、ここにいらしたんですか」
「休憩中でしたので。探されていたんですか?」
「大尉、階級はそちらの方が上なんですから……」
その人物は鈴埜さんの言葉遣いに頭をかきむしっていた。年齢は三十ほどで、確かに鈴埜さんよりは年上だ。
「長野くん、みっともないところを見せてしまったな」
「いえ。それよりこちらの方はどうされたんですか?」
「ギアの整備班のもんです。訓練のデータのフィードバックが完了したんで、シミュレーターとか見ながら微調整をこれから大尉にお願いするとこなんですよ」
彼の丸い頬が一層丸くなる。もしかして特別な関係かなと疑った僕の感情を鈴埜さんは察したのか、横から覗いて苦笑していた。
「軍人女、年上も悪くないですよぉ」
「ほお、リュウカはそういう趣味か。私は年下に近い方がいいんだが」
「ぐぬぬ……お前のその物言い、いつかぶちのめしてやるです!」
リュウカと鈴埜さんの、主にリュウカがやられるだけの不毛な言い争いがまた始まろうとした。すると男性が僕を見て相好を崩した。
「あの、君が長野雲雀君ですか?」
「ええ……そうですけど……」
「大尉、噂には聞いてましたけど、なんか感じのいい子ですね」
この人は何を言っているんだろうか。僕の背にぞわりと寒気がよぎる。鈴埜さんは僕のその様子を無視し、彼と言葉を交わし続けた。
「ですが新型の怪獣を単機で一体、私と組んで一体倒していますよ、彼は」
「怪獣退治は親譲りってわけですねえ」
彼の口から親という言葉が漏れた。僕の目に映った彼は、すがすがしいほどに笑顔だった。
「ここじゃあんまし大きな声で言えないですけど、俺も昔、SP1に憧れてたクチなんですよ」
彼の笑みは、過去も未来も見ていない。そこにあるのは、額縁に飾られた大切で懐かしい、今も自分を動かしてくれる光景だけだ。
「俺が軍に配属された頃、SP1はそりゃもう怪獣倒しまくってましたよ」
「父のこと、ご存じなんですか?」
「ええ。よかった頃のことも、マスコミにバッシングされても出撃してた時のことも。なんて言っても、全部画面越しですけどね」
「……そうですか」
「国がふがいなかった頃に守ってくれたのは君のお父さんを含めたみんなだったんです。今じゃ民間が何かするのなんて禁止されましたけど、同じメカニックとしては心意気に憧れますよ」
彼の言葉に僕はうつむきながら堅苦しい笑顔を見せた。罵られて無様なはずで、僕がこの世で一番憎んでいたはずの父の面影の何かが違う。誰かに必要とされていた。でも誰かが必要とする前に、勝手に動いていた。
僕の目がふいに熱くなる。それでも僕は頑張って笑顔を作り、はきはきした声で返した。
「あの人は身勝手ですから」
僕は必死に頬を緩めて笑った。それを見た彼は大きく頷いた。
「バッシングされたって、黙々とSP1出撃させて、正直何考えてんだって思いましたよ。でもやっぱ、他人を守りたかったんでしょうね」
「それで自分が死んでちゃ世話ないですよ」
「そう、だから我々メカニックは、常に大尉に最高の状態の機体に乗っていただき、無事に帰ってきてもらおうと思うわけです。……俺があの時関わってたわけじゃないですけど、お父さんを救えなくて、すんませんでした」
彼は僕に深々と頭を下げ、顔を上げると照れ隠しのように軽く笑い走り去った。鈴埜さんは僕をちらりと見た後「また」と呟き整備のために廊下の向こうへ消えていった。
「雲雀さん……泣いてるんですか?」
「……まさか」
僕はそう言いながら、腕で目元を覆いしばらく壁にもたれかかっていた。後ろにリュウカがいるのに、情けない。それが分かっているのに、僕は声を殺すことしかできなかった。
悪人を作ることで保っていた僕の世界が壊される。壊れた先にあるものは何だろうと、好奇と恐怖が僕をいたずらに煽り立ててくる。
それを作ってくれた人間は、いつまで僕の側にいてくれるのだろうか。欠片ほどの疑問が、また大きな不安に変わっていく。
僕は深呼吸をして、前を向いた。
「ほら、リュウカ、泣いてないぞ」
「雲雀さん、目元真っ赤です」
「……うるさいな」
リュウカにつつかれながらも、僕は一歩を踏み出した。
鈴埜さんも部隊の仕事に戻り、僕達ももうここにいる意味はない。
壁から離れて歩き出す。リュウカも僕の側にぴったりつきながら、同じように歩き出した。
リュウカや鈴埜さんが告げた「先にある夢」はまだよく分からないけど、真っ暗だったトンネルの向こうに、光が見えてきたのは感じている。
僕にこれだけのものを与えてくれたリュウカは、最後の超竜戦が終わったあとどうするのだろう。この地球にとどまるのか、それとも母星へ帰るのか。
先日から少し気にしだしていたことが、強いイメージに変わらないようにと、僕は何度も笑ってごまかす。でもそのごまかしは一時的な対処法で、ずっと通じるわけではない。
もし別れが来るなら、笑顔で見送るのがいいのだろう。でも僕はその時笑顔でいられるのだろうか。
まだそうだと決まったわけではないのに、妙な不安が僕を襲う。
「雲雀さん、悩み事の顔です」
横からぴょんと、リュウカが僕の前方に飛び出した。僕はそうかな、と目をそらした。
「私はさっきも言ったように、雲雀さんに超然としていただきたいのです。今の雲雀さんも素敵ですけど、自信を持って凛となったらもっと素敵だと思うんです」
「鈴埜さんみたいな人……がそうなのかな」
「あんな作られた英雄じゃなくて、雲雀さんには本物の格の違いって奴を見せつけてやってほしいのです。そして、それが出来るのは雲雀さんだけなんですよ?」
厳しいことを告げた直後に、リュウカは僕を強く励ましてくる。はじめて知り合った頃は苦手なタイプだと思ったが、結局こいつに支えられて、今の自分が一歩踏み出せているのを何度も感じた。
どのタイミングで感謝の言葉を告げればいいんだろう。歩きながらリュウカとの会話もなく、僕は何度も自問自答していた。
施設を出て僕は携帯の電源をオンにした。訓練中は切っている携帯だが施設から出る時には携帯の電源を戻してよいという条件になっている。
携帯に不在着信のランプがともっている。
誰からか気になり、僕は発信者を見た。その発信者は、しばらく顔を出せないと連絡したはずの優花さんだった。
彼女が僕に電話を入れてくることは珍しい。気がかりになり僕はすぐさまリダイアルした。
二度ほどのコールののち、すぐさま電話が取られた。
「もしもし? 雲雀くん?」
いつも落ち着いている優花さんのどこかうわずった声に、少し驚きを感じる。僕はゆっくり彼女に声をかけた。
「あの、僕ですけど、優花さん、どうしたんですか?」
「……大丈夫なのね、よかった」
彼女は僕の言葉も聞かず、一人胸を撫で下ろすように安堵の息をついていた。
「変なこととかしてません。大丈夫です」
もしかすると軍のことを気取られたのかもしれない。僕がそっと探りを入れると、彼女は安心したような声色で僕に訊ねていた。
「雲雀くん、工場に最近行ってないわよね?」
工場と聞いて僕は少し首を傾げた。
「工場って……どこのですか?」
「SP1の倉庫よ。長野技術研究所跡地とも言うけど」
彼女がいたずらっぽく笑う。あの場所はクロサキの土地を父が間借りしていただけで、長野家には一切の権利はない。父が死んだ後、コクピットを貫通され、無残な姿になったSP1の残骸が放置されている。
僕は父の死後訪れたことはないが、SP1というより、父に心酔している優花さんが時折訪れているのは知っている。
その名前を突然出されたのが、少し妙で僕の胸元をざわつかせた。
「行くわけないじゃないですか。何かあったんですか?」
「連絡があってね。泥棒なのかしら、人が入った様子があったって聞いたのよ」
僕は口を噤んだ。あんなところに今更用のある人間はまずいない。金目のものと言えば一山いくらの壊れた金属塊で、運び出すのも大変な代物だ。
そんなものしかない場所に、わざわざ人が入り込む。僕の身にも何かあったのではと優花さんが心配する理由も分かった。
「工場に残ってたSP1のパーツの一部が盗られたらしいわ。でも駆動系は盗られてないらしいし、金属目当ての物盗りかしら」
穏やかに話しているものの、彼女の口調からは明らかな怒りが感じ取れる。自分の青春を傾けた象徴が誰とも知らない人間に奪われればそうなるのも仕方ない。
言い表しようのないもやもやを抱えながら僕が黙っていると、そっと彼女が電話の向こうから柔らかな声をかけてくれた。
「でもあなたが無事で良かった」
「……その、済みません」
「謝らなくていいわよ。あなたに危害があったら、それこそ私、宗徳さんに顔向け出来ないわ」
それもそうかと、僕は暗闇に近くなってきた空を見上げた。
今日一日で、僕は何度SP1のことを思い出しただろう。何年も記憶の底に封印していた嫌いなロボットのことを、僕はここ最近毎日考えさせられる。
「工場の警備装置を強くしておいたから、一応大丈夫だとは思うけど……はあ」
「これからはもう少し大切にした方がいいですね」
「ええ。それと、またバイトに来られるようになったら来てね。やっぱり一人じゃ面倒なことが多いわ」
最後にふふと、いつものお姉さんとしての笑顔が浮かんでくるようなくすぐったい声を残し、電話は切れた。
僕が携帯をポケットにしまうと、電話の内容を気にしたようなリュウカが僕の顔をしつこく覗いてきた。
「雲雀さん、どうかされたんですか?」
リュウカがSP1のこのことを知れば、どんな顔をするだろう。僕は話すべきかどうか悩んだ。だが秘密にすることこそ裏切りだ。僕は思いきって、リュウカにも本当のことを話した。
「SP1の残骸を置いてる、親父が昔使ってた研究所の跡地に泥棒が入ったらしいんだ」
「ど、泥棒って……SP1、かなり大きいですよ!」
「でもSP1の色んなパーツが盗られてる。トラックとか使わないと無理なんだけどな」
僕がうつむきがちの小声で話すと、リュウカは奥歯を噛みしめた怒りの形相でぎっと前を見た。
「SP1は人々を守ってきた凄い機体なんですよ! そんなものを盗むなんて、最低最悪の行いです! 盗んだ奴は今すぐ死ねってとこです!」
「いや……高い部品とかは機密のこととかもあったから回収した時に外したし、大したものはないから、死ねってほどじゃ……」
「いいですか、雲雀さん! SP1は真っ直ぐな力の象徴なんです! MMやゼロエックスなんて比較にならない、心の現れなんです!」
父も生前、SP1をここまで偶像として崇める少女が出てくるとは思っていなかっただろう。しかも自分の息子とほぼ同年代でだ。
僕はため息をこぼしながら、怒り心頭のリュウカの頭をぽんと軽くはたいた。
「今はまだ届いてないけど、ちゃんとSP1の気持ちは引き継ぐから」
「雲雀さん……」
「でもあれに追いつくの、大変だなあ。出来るかな?」
僕がわざと弱気気味なことを言うと、リュウカは握り拳を作りながら、僕の目の前で強く叫んだ。
「出来るかなじゃないんです! やるんです! お父さまのなされたことを乗り越えるのは、雲雀さんの使命なんですよ!」
「分かってる。リュウカ、超竜、次で最後なんだからちゃんとサポートしてくれよ」
「はいっ!」
リュウカは満面の笑みでしっかりと答えた。僕は横目で見ながら、また落ち着いた足取りで歩き出した。
ただ何故今更あんな場所に物盗りがくるのか理解できない。ゆるい警備とは言ってもクロサキがきちんとセキュリティは付けてくれていたはずだし、あれを盗ったからといって大きなメリットもない。手間と換金性を考えるなら、他に狙いをつけた方がよほどましだ。
みんな揃って、SP1の名を口にする。そのSP1の先には、何かを必死に追い求めた僕も知らない父の道がある。
妙な人生だ。
僕は鈴埜さんがまだ仕事を行っているであろう基地に一度振り返り、再び家路についた。




