宇宙人の恩返し
夕日の赤色が畳の緑を茶色に染める。
汗をタオルで拭って、水道水を飲む。ちゃぶ台一つ挟んだ向こうにある、小さくて古い液晶テレビの電源を入れた。
ニュースの映像はいつも通りの光景を映している。「LIVE」の文字と共に流れる、夕焼けに照らし出された海の水面。
水を切る音が聞こえそうな、巨大な体躯を鈍重な足で運ぶのは、一昔前の特撮番組で見たような大きな化け物。その周りを戦闘機が警戒するように飛んでいく。
輸送機から一体、銀色のパワードスーツが落とされた。背部と脚部に付いたブースターを駆使し、安定した飛行を繰り出すそれは、手にした武器で悠然と化け物へ攻撃を繰り出す。
この国へ襲いかかる化け物達を確実に倒してくれる軍の人達。この国に化け物を絶対上陸させない心強い存在。
僕達にとって、彼らはこの上ない安心をもたらしてくれる。
対して僕には何があるのか。制服、鞄、冷蔵庫、小さなテレビとちゃぶ台と丸めた布団。
派手さなんて欠片もないが、生活するには充分すぎる。僕にはあんな輝く世界は関係もないし縁もない。すさまじいプレッシャーの中で生きて、たった一回負けたら国賊呼ばわりなんて、耐えられないしそもそもお断りだ。
テレビの音をBGMにして、今日の夕食について考える。
確か明日はスーパーの特売日のはず。いつもの傾向で行くと、野菜類が安くなるはずだが、魚はそれほど安くならない。残っている卵と組み合わせて何か作れればいいのだが。
と、僕が冷蔵庫の扉を見て思考の渦に陥っていると、チャイムの甲高い電子音が部屋中に鳴り響いた。こんなボロアパートに今更新聞やセールスの勧誘もないと思うのだが、油断は禁物。僕はそっと伺うように、のぞき窓から訪問者の姿を息をひそめて見つめた。
ドアの外でのぞき窓をじっと見つめる眼がある。小さな背を一生懸命伸ばして、こちらを伺う少女がそこにいた。さらさらした金色の髪に、青い瞳。手には旅行用と思しきキャリーバッグ。ひらひらした白のワンピース姿が、人形のような少女の上品さを際立たせている。
360度回転させそうな勢いで、僕は首を捻った。というより捻らざるを得なかった。生まれてこの方金髪の方と知り合いになったことはないし、こんな身なりの綺麗な子がこのボロアパートを訪れる所以も分からない。
だが彼女はきょろきょろと手元のタブレットを確認しながら、もう一度この扉に付いているのぞき窓を扉の向こうから見つめてくる。
たぶん住所を間違えたのだろう。僕は扉を少し開けて、顔をちょこんと出した。
「あの……どちら様ですか」
髪をかきむしりながら、面倒そうな声で訊ねる。扉の向こうにいた少女は、体を傾け扉の隙間から顔を覗かせた。
僕は疑念たっぷりに彼女を見た。彼女はそれでも僕をきらきらした眼差しで見つめてくる。
「……あの、どうかしました」
「あの、あの、あの、もしかしてあなたが長野雲雀さんですか?」
僕は口をつぐみ、隙間から見える夕焼け空を見た。その名前は確かに僕のものだし、そうでないというわけではない。ただこんな綺麗な少女が、現れるやいなや僕の名を告げるのは気味が悪くて仕方なかった。
しばらく思案を巡らせ、僕は恐る恐る「はい」と返答した。すると彼女はその大きな目を更に大きくして、自らの両手を祈るようにきゅっと結んだ。
「と、と、ということは、ここが雲雀さんのおうちということですか?」
「あ、はい……そうですけど……あなた、どちら様ですか?」
僕が真っ当至極当然の意見を述べると、彼女は照れたようにくすりと笑い、頭を下げた。もっとも扉は二十センチも開いていないので、そのお辞儀は少ししか見えない。
「済みません! 私はパッシブ星からやってきた、パッシブ星人のリュウカと申します!」
彼女は元気に自らの名を名乗った。僕はその言葉に「はあ、そうですか」と普通に答えそうになった。
いや、待てよ。何かおかしくないだろうか。僕は頭の中で、彼女の告げた言葉をしっかりと反芻した。「なんとかせい」とかいう国はこの世の中にあるのかもしれないが、その国名に「せいじん」とつけるものはおよそ聞いたことがない。なんとかせいのなんとかせいじん。うむむ、あれれ。僕の頭の中で、分子結合のように何か一つの単語が合わさっていく。
僕はごくりと息を呑み、彼女を手で制しながら飛び込むように部屋の奥へ走った。その片隅に放置されている古いノートパソコンを引っ張り出し、アダプタを繋いで電源を入れる。
起動してすぐ、僕はこのパソコンに収められているあるデータベースを開いた。「宇宙人・怪獣一覧」という仰々しい名前の付いた品だ。こんな名ではあるが市販されていない代物でもある。まさか今更、こんな慰霊の名簿をめくる日がくるとは、これを記した今は亡き人物でさえ想像しなかっただろう。
僕は大急ぎで「ハ行」を調べる。するとすぐにパッシブ星人という名のデータが見つかった。岩に似た肌をさらした化け物の画像は不気味で、「怪獣エルザを引き連れ日本を侵略しようとしたが、ロボットSP1に怪獣ごと倒された等身大の宇宙人」と短い解説があった。
もう一度僕はゆっくり振り返った。悪夢でも見たかのように、首が硬くなり体がなかなか言うことを聞いてくれない。それでも必死になって僕は振り返る。だがそこにいるのは、地球人の中でも特に美人の部類に入る金髪碧眼の少女だ。データベースに載っているパッシブ星人の写真は、岩にぐしゃりと曲がった鉄を巻き付けたような頭で、地球人との共通項は二足歩行の種族という点しか見当たらない。
僕は壁を伝いながら、不意打ちに備え彼女に接近する。彼女はその僕が不思議なのか、ドアの隙間から小首を傾げる姿を僕に見せていた。
「あの、どうかしたですか?」
「お、お前宇宙人なんだろ!」
「はいっ! そうですっ!」
彼女は意気軒昂に、自分が宇宙人であることを肯定した。残念ながら、僕に抗うだけの武器はない。生まれてこの方いいことなんてほとんどなかったが、人生の終わりを宇宙人に潰されるとは。さすが呪われた生き方だと僕は脱力するようにうなだれた。
「あの……もしかして私が雲雀さんに危害を加えると思ってるんですか?」
「お、お前ら宇宙人に騙されたりしないぞ!」
「いえっ、私、リュウカ・コニャック、父の恩義を返すため、この地球に訪れました!」
彼女の威勢良く告げた言葉に僕はきょとんとした。父の恩義と言っても、この宇宙人は倒されたはずである。
僕は彼女の目に自分の視線を重ねた。彼女はにこにこしたまま僕を直視する。
「我が父は、雲雀さんのお父様、長野宗徳さんに、侵略者でありながら命を助けて頂いたのです! その恩義を、今こそ返す時だとはるばる地球までやって参りました!」
彼女の元気いっぱいの言葉に、僕は力が抜けたように床に崩れた。どうやら僕の命が狙われていたわけではないらしい。だが彼女の口から漏れた人物の名に、僕のこめかみがぴくぴく動くのも理解できた。
長野宗徳。僕の父で、今は亡き人物。僕に残したものは、たった一つ、多額の借金のみ。
僕は宇宙人も怪獣も、その手にまつわる話は全て嫌いだ。あの日から、ずっと。
「あの、入れて頂けませんか?」
「……僕に何を話すの」
「恩義を返すためのお話をするのです!」
彼女はそう告げる。敵意があるかどうかは知らないが、取られて困るようなものは命以外別にない。僕は愛想もなく「どうぞ」と告げ、閉めたままの扉をチェーンを外した。
彼女は僕の住んでいるボロアパートの風情が気になるのか、きょろきょろと辺りを見回す。しかし靴を脱いで上がるところに、日本の常識を学んでいるのだなと分かる。
「お茶も出さずに済みません」
ぶっきらぼうに言うと、彼女はキャリーバッグからペットボトルのお茶を取りだした。
「これ、来る時に買いました! おいしいです!」
そうですか。僕は何の感慨もなく呟いた。テレビは先ほどまで放送していた怪獣退治ショーから一転、地方のほのぼのニュースに切り替えている。逃げ出したレッサーパンダが住民によって捕まえられ、えさをかじりながら動物園に帰っていきましたとさ。チャンネルを変えれば書道展や防災訓練の慎ましい話題が流れていく。
リュウカといった彼女は、それすらも珍しいのか、茶を飲みつつ時折そちらへ目を向ける。このままではらちがあかないと、僕は腕組みをして彼女に訊ねた。
「恩返しっていうけど、僕はその恩っていうのにまったく心当たりがない」
あえて威圧感を出すように、低い声を発する。だが彼女はにっこり微笑みながら「そうですよね」と返した。
「私の父は、地球侵略の一員として、パッシブ星から送られました」
元気に答えるのはいいが、どうも違和感がある。そもそもあの写真と姿が違いすぎる。
「……その顔を見たんだけど、随分と違うっていうか」
「あ、あれですか! あれはかぶり物です。地球人にナメられるといけませんから!」
宇宙人はかぶり物をして、地球に攻めてくることがある。僕は今日無駄な知識を一つ得た。
そんな僕をよそに、彼女は事の顛末を語り出した。
「父はパッシブ星の尖兵として、侵略に来ました。その時、お父様と交戦したのです」
彼女の語る笑顔に、僕は一つの名前を思い出した。僕は怪訝な顔で、彼女に聞いた。
「……もしかして、SP1と?」
「はい。怪獣を連れていましたが父は負けました。そして地球の軍に追われました。その時雲雀さんのお父様が、父を逃がしてくれたのです」
感動秘話のように、彼女は胸に手を宛てながらしっとり語る。が、僕はそれをいい話ですねと言うことは出来なかった。侵略者に利する行為を働くなど、あの馬鹿は何を考えているのか。それを口にせずにいると、リュウカは立板に水で言葉を続けた。
「家族がいるならなおのこと命を大切にしろ。その言葉を胸に星に帰った父は、成すべき事を考えました。それがパッシブ星の王政の打破だったのです」
「君んとこって王政だったの?」
「はい。圧政とも言いますけど……それを打ち倒し、父は今、星を変えている最中です。そして、その父を救った雲雀さんのお父様とSP1は、パッシブ星では英雄なんです!」
彼女は握り拳で語った。そして先ほど手にしていたタブレットを僕に見せつけてくる。
人間と同じくらいのサイズのSP1人形と写真を撮っているおじさんと子供。おもちゃ売り場で売られているSP1の組立キット。SP1バトルセレクションとかいう、DVDみたいな映像メディアを持って喜んでる青年。
僕はそれを見て口を閉じてしまった。呆れと言うより、この人達は何をやっているんだろうという思いが先に走って仕方ない。
「と、このくらい国民に受け入れられているのです」
リュウカは得意げに豊かでない胸を張る。僕は一寸間を置いて、呟いた。
「……だから?」
「え?」
「だから何。父とSP1が受け入れられてるのは分かったよ。でも僕は何の関係もない」
話したくもない。そんな口ぶりで僕は彼女に答えた。彼女は僕の言葉が意外だったのか、少しうろたえながら僕の目を覗き込む。僕は目を決して合わせず、口を閉ざし続けた。
僕は父が嫌いだ。怪獣や異星人の侵略から地球を守るといって、巨大ロボットを繰り出し、軍に役目を奪われ、最後は誰も知らぬ場所でロボットごと大破。惨めな死に方だった。そして残された僕も、惨めでしかなかった。
あんなのになってまで、英雄なんて称号は求めるものじゃない。僕はあの時思い知った。むしろ英雄なんてものは他人に押しつければいいんだ。そんなことさえ思う。
だからこの頭の中で花畑を作っている宇宙人の言うことが、僕は気にくわなかった。
「雲雀さん! でも雲雀さんだってお父様と同じように戦う力があったら、お父様や雲雀さんを見下した人達を見返せますよ!」
「別に見返すために生きてるわけじゃない。もう忘れたいんだ、父のことも、SP1のことも何もかも。僕は小市民、長野雲雀としてこっそり生きていく、そう決めたんだ」
僕の言葉に彼女はしょげてしまった。少し申し訳ないという気持ちが走る。でもあの時の悲しさ、そして国民に投げかけられた罵声を目の当たりにしたら誰だってそんな気分になる。