不思議な第二皇女
※ルヴェイト視点です。
体が重い。昨日遅くまで文字の羅列とにらみ合っていたからだろう。ほとんど寝ていないが、朝飯を寝過ごす訳にはいかなかった。
食堂の続く扉を開くと、艶やかな漆黒が目に入った。他には彼女の元乳母くらいしかおらず、ゆっくりゆっくり物を食べる後ろ姿に話しかける。
「…エーリだけか…?」
自分でも驚くくらいかすれた声が出た。情けない。
「おはよう。お兄ちゃん」
女が声をかけながら振り返る。そのおかげで漆黒の髪から覗く顔が、笑みを浮かべていることに気づいた。
エーリの隣に座ると、すぐに元乳母であり現在エーリの侍女であるルーエが食事を運んできた。ほくほくと湯気を上げる料理に手をつけるまえに、妹が見あたらないことを聞いた。
「ルエーナはどうした?」
若干の沈黙の後、少し消沈したような声が紡がれる。
「…教育係さんに連れてかれたよ…」
「…そうか」
王族として教育することは、この先必ず重要になる。それが分かっているエーリは文句など言わない。ただ寂しそうなのは変わらないので、その頭を軽く叩いてやった。一瞬驚いた顔をしたあと、すぐ嬉しそうにはにかんだ。
「起きてくれて良かったよー!一人で食べなくちゃいけなくなるとこだった」
おそらく初めは二人で食べていたのだろう。俺はエーリの食べる分を一瞥した。やはり、さめていそうなのにまったく量が減っていない。
「お前は相変わらず食べるのが遅いな」
「遅い方が健康に良いんだよ」
「そういうもんか」
こちらからすれば異常なほど本を読む妹は、こういう風に不思議な知識を持ち出す時がある。たまに意味の分からない言葉で叫ぶときがあるが、それもまた博識故なのだろう。
俺の腹違いの妹であり、この国の第二皇女であるエーリ=ユーギストンは不思議な奴だ。
正妃の子という彼女からみたら敵と言っても過言ではない俺とルエーナに簡単になつき、今でもこうして無邪気な笑みを浮かべてくる。自分の身の上に弱音も文句も言わないで毎日離宮の書庫にこもって本を読んでいる。運動不足の解消だと庭中を走り回っているところを見かけたときは呆れを通り越して感心した。
エーリは思い出したように食べていた手を止めてこちらに顔を向けた。
「お兄ちゃん仕事忙しいの?」
お兄ちゃん。その呼び名に思わず顔が歪む。
「…何度言えば分かる。兄と呼ぶな」
「ええー…。うん、分かったよ分かったから睨まないで!」
そんなに睨んでいただろうか。慌てて何度も頷くエーリに首をかしげる。
いつからなのか、初めからなのか、俺はこいつに兄と呼ばれるのが嫌だ。
「もー、ルヴェイトはおこちゃまなんだからー。呼び名なんてどうでもいいでしょうが」
「20になる男におこちゃまだと?」
さらには子供扱いをしてくるエーリに腹が立つ。妹とか置いておいても、お前は俺より三つも下だろうが。
「分かったよ。ごめんってー」
慌てて素直に謝ったエーリに一度頷いてから、俺は初めの質問に答えた。
選定の儀を知っているのも、恐らく本からえた知識だろう。なにやら考え込み始めたエーリを放置して、俺は食事を再開した。朝飯がどんどん減っていく。それなのにエーリは手を動かそうとしない。
いつまでそうしているつもりなのだろうか。未だぶつぶつと言いながら思考の海に沈んでいるエーリに呆れ、声をかけた。
「エーリ。手が止まってるぞ」
「あ、うん」
飯を無下に扱うのは、エーリがもっとも嫌う行為だ。冷めきった飯でもゆっくり味わって食べるエーリを、頬杖をついて観察した。
誰にも渡したくない。
もうすぐ俺は20になる。選定の儀を受けることには何の文句もない。ただ、この存在だけが俺の後ろ髪を引っ張る。
気づけば声に出していた。
「今回はどんな物なんだろうな…」
「不安?」
意外そうに目を瞬かせるエーリ。おそらく勘違いしているんだろうな。俺は別に、選定の儀をこなせるかどうかを気にしている訳ではない。だが、本当のことを言えるはずもないのでとりあえず肯定しておく。
「…まあな」
さらに驚いた顔をしたエーリは、しばらくしたあと何を考えたのかこちらの頭に向かって手を伸ばしてきた。そうはさせるか。
俺より一回りも二回りも小さい手を掴んで止める。
「…おーう」
不満げな声をだしたが無視した。繊細な白い手を壊さないように握る。この手と離れるのが、たまらなく惜しいのだ。
「もし、陛下の時のような儀式だったら…会えなくなるな…」
「寂しいの?」
「……ああ」
正直に心根を漏らせば、エーリはほほえんだ。
「ならすぐに終わらせて帰ってくればいいんだよ。ずっとここで待ってるから」
慰めるような優しい声。本当にずっと待っててくれるなら、良い。
「…そうだな。」
俺が安堵したのが分かったのか、エーリは安心したように笑うと手を引っ込めようとした。一度逃がしてから、指を絡めてより深くつないだ。予想していなかったのかエーリはきょとんとした顔になる。
「え、何?」
その質問には答えない。離したくないという俺の欲以外には、特に意味はないのだ。
「もし、俺がいない間に嫁に行ったら」
「ルエーナが?」
「お前が!」
ルエーナが嫁に出されても、確かに嫌だ。あれも可愛い妹だ。だが、あれが幸せなら俺は祝福してやる。
「うん。私が嫁に行ったら?」
だけど、この目の前の存在がもし他の男のモノになったら。
想像するだけで殺意が芽生えた。
「多分俺はキレる。嫁いだ先をめちゃくちゃにされたくなかったら、言葉の通りここでおとなしく待ってろ」
むちゃくちゃな言い分だとは分かっていたが、言わずにはいられない。何か言おうとしたエーリだが、俺に何か感じ取ったのかすぐに首を縦に振った。
「わ、分かったよ。」
「ならいい」
手を離して、食事を再開させる。
「この城で簡単に済ませられるやつならいいのにねえ」
食べ終わったエーリはとんでもなく楽天的なことを言う。俺も父親のことを知らなかったらそう希望を持っただろうが、あいにく俺ほどあの男のことをよく知っている人物もいまい。
あの性格の悪い男が、そんな簡単に俺に即位権を渡すとは思えない。
後日、俺はとんでもない無茶を言い渡され、再度父親の性格の悪さを思い知った。