既視感を与える色。
スレイア神国に来るのは初めてではない。故に驚くことこそしなかったものの、俺はやはり感嘆せずにはいられなかった。
この国は美しい。
自国を汚いとは思わないが、威圧感すらあたえる美しさがここにはあった。人工物は建造物くらいで、国を囲む堀や塀すらない。
整備されていない道からはささやかながら美しい花が所々咲いている。
水くらいは人工に与えているかもしれないが、恐らくそれくらいだ。その花が生える場所すら、この国の人間は関与していない。
自然を司る神、スレイアの元に集う人間。それがスレイア神国の始まりである。
入国してすぐにとった宿は木製の建物で、箱形に切り取られた木に藁を詰め、その上に布をしいた寝床が特徴的だった。
「んで、これからどうするんだ?」
俺は椅子に座っていたが、リードはその特徴的な寝台の上で、ならすように肩を回していた。あんなデカイ物を常に背負っていれば肩もこるだろう。
「とりあえず、登山だな」
「神官長には会わねぇのか」
この国で最も権力のある人物を上げたリードに、俺は首を横に振った。
「俺は今王族の証を持っていない。こちらから会いに行くのは無理だろうな」
「なるほど」
王族の証であるピアスは、国で待つ人間に持たせている。つまり俺は今、確実に身分を表せる物を持っていないのだ。
困るんじゃないかとこの男は聞いていたが、特に問題は無いだろう。元々身分を隠していたい身であるし、俺は他国の力を借りるつもりは無かった。
俺は「それに」と続けた。
「神官長には昔一度だけ会った事ある。その時に知ったんだがあの人は極度の魔族嫌いだ」
リードにはすでに、俺が半魔族であることを伝えてある。だからかは知らないが、納得と了承を表して頷いていた顔がどこか複雑そうな面持ちだった。
自国では、魔族が嫌いな人間は少なくは無いが決して多くない。しかし、この国は違う。
神官長だけではない。俺は魔獣を換金しに行ったときのことを思い出した。
店の人間は害獣が滅ぼされて喜ぶ反面、害獣を作っている魔族を酷く罵っていた。それがすべてを物語っているのだろう。
皇子の俺が来ていると知ったら、神官長は恐らく嬉々として俺を手伝う。それがまずいのだ。
例え自国と比べて田舎に見えても、ここは歴とした四大国。皇子が何のために旅しているか気づかぬはずがない。
「んじゃ、あそこに直行っつうわけだな?」
あごで窓の外を、正確には神が住まうという霊山を指したリードに頷いた。
明日はあの恐ろしく標高の高い山に登る。
今までの疲れも溜まっていて、明日も重労働。それでも登山を明後日に持ち越すつもりは毛頭なかった。
俺は、やはり木製の幅が広い机に乗せていた剣を手に取る。そのまま、リードの向かいに置いてある寝台の横に置いた。
俺自身が寝台に入ると、半目でリードが俺を見ていた。だが俺は、こいつが枕の下に短剣を隠していることを知っている。こいつに呆れる資格は無いだろう。
「馬鹿、だな」
「……」
朝食を取った俺達は、急遽食料調達に来ていた。
食料が足りなくなっていることに今朝気づいたからである。何故今朝なのかと問われれば、恐ろしいことに、足りなくなったのが今朝だからだ。
「お前それでも獣人か」
「……」
リードは頑として返答しないが、反論しないところをみると罪悪感は覚えているようだ。
今朝、早く起きたリードは窓から鳥が入ってきたのを目にした。それに感動したリードは、「懐かせるのには餌付けなんだ」とよく分からない理由で布袋から食料を出した。
当然、食べ物が向けられれば鳥は寄ってくる。
そして、危険を感じないで食べ物が食べられるのなら鳥はさらにやってくる。
そうして、全ての食料を餌付けしてしまったらしい。
俺はずっと眠っていたので全て後から本人から聞いた話だ。
だから真相はどうか知らないが、俺は起きて目に入ったのは、空にしかみえない食料入れを抱えてうなだれているリードだった。瞬間的にとてつもないあほらしさを感じた。
つまり起きるのが遅かった俺にも非はある。しかしそれ以上に馬鹿をやってくれたリードには及ぶまい。
「その耳は作り物なのか。狼ならあっちを食料にするくらいの気概を見せろ」
「いや…狼つったって俺、人でもあるわけだし…」
「人ならもっと知性のある行動をしてもらいたかったな。そもそも、何で酒場なんだ」
俺はぽつぽつと無規則に建っている家や店を眺めていた。
リードの先導で向かっているのは、この国には僅かしかない酒場である。
朝っぱらから酒を飲むわけでもないのに、と俺が呟くとリードはやや満足げな顔をして笑った。
「今から向かうのはちょっと特別な酒場なんだよ。特上の肉を燻製にしてくれるんだ」
「…つまり、肉目当てか」
「あったりめぇだろ!俺がどれほど肉を渇望してたか…!」
肉はともかくとして、燻製は助かる。余分に買っても後の旅にとっておけるかもしれない。
「そろそろだったはず……お…?」
手をかざして遠くを眺めたリードが、訝しげな声をあげた。視線を追ってみると、酒場らしき建物の前になにやら人が集まっていた。
どう考えても厄介ごとだ。自分の眉が寄ったのが分かった。関わりたくない。
しかしリードは何故か嬉々として足早に向かっていった。
同行人が行けば、自分も行かざるを得ない。どうにも出てこない自分のやる気を練る為に、一度深く息を吐いてから足を進めた。
「すまん、ちょっと退いてくれ」
それはちょうど、俺が人混みをさけ、酒場の入り口にたどり着く頃だった。
悲鳴と騒音が耳をつんざく。無意識に手を耳に当てると、視界が少し暗くなった。
こちらに向かって、何かが飛んできていた。
無意識によけてしまい、何かは人にぶつかりながら道ばたに転がっていく。
他に迷惑がかかるくらいなら受け止めれば良かったかも知れない。少し罪悪感を覚えつつ、意識はあるようだが転がった大男を観察する。
「…なに見てんだテメェ!」
男が起き上がれないまま俺を睨んだ。口の端から血が流れていたが、男が今叫べていることから内蔵を損傷している訳ではなさそうだ。
この剃髪の男は、荒い口調からも恐らくこの国の人間ではないだろう。
男が叫んだ相手も俺なのだろうが、特に構うこともあるまい。一瞥してから俺は、壊れた酒場のドアをまたぐようにして入った。
「てめぇ、よくも…!」
「いいから早くあいつ助けてやれよ。そんでさっさと出てけ」
俺は即座に戻したくなった足を宥めて、静かに進んだ。
中は、大分荒れていた。
椅子などが投げつけられ、床には割れた硝子が点々としている。思わず店主を見れば、蒼白な顔で狼狽していた。
そして、長身の男と見事な黒髪の少年が相対していた。
男の方は恐らく表で転がっている奴の仲間だろう。同じく剃髪で、同じような服装をしていた。
そちらには特に興味を持てなかったので少年に視線を移す。
少年は俺より少し下で、目測だがエーリと同じくらいだろう。その普通でない物腰は、どう考えてもただ者ではない。
多分大男を投げたのもあいつだ。
しかし、俺が見ていたのは結局そいつの髪だけだった。
黒、という色は自国では珍しくない。
しかし、自国を離れた俺には懐かしい色だった。漆黒というのは、どうにもあいつを思い出させる。
あいつの母親も美しい黒髪だった。色彩がよく似ているとルーエはよく言っていたが、俺の記憶違いでなければ、あいつの母の瞳には黒は黒でも青が少し混じっていた気がする。
「お前らちょっと待ったぁぁぁああ!」
思考の海に沈んでいた俺の意識が、聞きなじんだ男の声に引き戻される。
声に導かれるようにリードに顔を向け、すぐに後悔した。
「何がしたいんだ…」
重いため息がもれるのも仕方のない事だろう。頭痛が痛い。そんな気分だ。
そこには、大量の酒を抱え持った獣人の男がいた。




