ゆっくり、考えてみて
「…ふふ、逃がしませんよ」
老いているのに、彼女の目はギラギラときらめいている。その生き生きとしたその表情に、何度思ったことか。ねぇ、侍女より護衛騎士の方が向いてるんじゃない?
私はとにかくかけていた。
この場所はそんなに広く無い。広くは無いが、私と彼女の二人だけであればやりようはいくらでもある。と、思ったんだけどね。
じりじりと私と彼女の距離が近づく。
私の体力は、50に近いルーエと同じくらいだった。瞬発力は私の方が上だが、長期戦になるとどうも不利になる。それでも、前世の時よりも格段に良いのだけど。
精神的にインドアなため書庫に引きこもっていた今の私でさえここまで動けるのだから、どうやらこの世界の人たちは前の世界の人たちよりもずっと身体能力が強いようだ。
そんなことを考えているうちに、彼女がもう手の届く位置に来ていた。って手が届いちゃまずいんだって。
躱すのは無理。じゃあどうする。
意を決して、私は叫んだ。
「〈私はここにはいない〉!」
「え?」
ひゅるりと視界が真っ暗になって、すぐに明るくなる。途端、自分の中の何かが萎んでいく感覚がした。これ、初めて体感したときはびびったわ...。
目の前の人間が突然消えて、ルーエはひどく驚いたようだった。慌てた声が、背後から聞こえる。
「え、エーリ様?」
「こっちだよー」
その慌てようにちょっと罪悪感を持ってしまい、鬼ごっこ中でありながら声をかけてしまった。まあ、このまま逃げていても足音でばれていたろうし。
「今の、魔法なんですか?」
私の声に振り向いたルーエは、眼を限界まで見開いていた。
「そうだよ?」
「…貴女の魔力は確か…」
ルーエは言葉を濁らせたが、その先に続く言葉は私が一番理解している。
「努力の結果です。さすがにちょっとしか移動できないけど。」
魔法に詳しくないルーエは、不思議そうに首をかしげた。
「魔力と移動距離が比例するのですか?」
「うん。だから、ルヴェイトやルエーナだったら大陸くらい渡っちゃえるんじゃないかな」
まぁ無理なんだけどね。それを知っているルーエも、驚いた顔を苦笑に変えた。
「アレージュノ様ならともかく、お二人には到底無理ですよ。海のど真ん中に落ちるのがオチです」
オチなだけに、と思わず言ってしまいそうな口をつぐんだ。十中八九真顔で「はい?」と返されるだけだ。無駄にスベるのは心に悪いから止めている。
「そうだね。絶対やるね。」
ルエーナもそうだが、特にルヴェイトの魔力制御能力はひどかった。私の魔力の大きさと同じくらい。
魔法とは、魔力を使ってイメージを現象にすることである。魔力の大きさがその現象の大きさと比例するため、どんな高度な魔法でも私の前ではただの一発芸と化す!
炎も出せるし水も出せる。ただし、コンロの火や水道水レベルで。便利っちゃ便利なんだが、魔法にあこがれていたゲームッ子としては何とも言えない気持ちになる。
ちなみに本人に聞いたのだが、ルヴェイトは、薪に火をつけようとしたところ山火事になったことがあったそうだ。水を飲もうとして、離宮内を水浸しにしたことは私も覚えている。
そんな風に、ルヴェイトにも実は欠点があった。しかし、彼の場合は努力次第でなんとかなる。
だが魔力の容量は血筋で決まる。母譲りのそれに不平を言うつもり無いが、私は一生上級魔術師なんてなれないだろう。そう思っている。
「じゃあ、エーリ様は上級魔術師なんですねぇ」
だから、のんびりと世間話をするように言われた言葉に思わず口元が引きったのを感じた。
「いや、ねぇ、転移魔法できるからって上級とは言えないでしょ」
「え?でも、転移魔法を使えるか使えないかで上級か中級かが決まると、この前仰ってませんでしたっけ」
私ボケたんですかねぇ、と続けるルーエの言葉にはまったく含んだ物がない。もはや引きつりすぎて痛くなりそうな顔を揉んで戻しつつ、しっかり自分の力のなさを説明した。
「私の魔力がひどいのは知ってるでしょ。いくら転移ができるくらいイメージ力が強くても、その現象が小さかったら意味ないでしょうが」
「でも、イメージ力が凄いことには変わりないんでしょう?」
確かにそうだ。イメージ力さえ高ければ、小さくても現象は起こる。
だけど私はその疑問には答ないで、曖昧に笑ってごまかした。
その答えは、私が前世の記憶を持っていることに関連する。
前世で、私は普通の女子高生だった。つまり、授業を受けていた。普通の公立高校だったから、色んな授業を。
要は、生物の授業で人体を習ったため治癒魔法が、眠い数学に耐え座標の存在を知っているため転移魔法が使える、ということなのだ。
具体的にどのように役に立っているかと問われれば、分からない。イメージはイメージでしかなく、そのイメージをするために前世の授業が役に立った、というわけなのだ。
しかもこの答えは私の推測でしかない。しかし、私は兄妹達とちがい二人と比べるのもおこがましいほど少ないのに、兄妹達よりもずっと早くに魔法が使えた。恐らく、この推測は正しい。
いろんな人にその理由を問い詰められたんだよなぁ…。本をいっぱい読んでるから、で通したけど。
日課である鬼ごっこを終えた私は、休憩をかねてお茶を飲んでいた。
好物のお茶をすすって、流行らしい少し変わった茶菓子を咀嚼する。飲み込むと、南国系のフルーツの味がした。強いているならパイナップル?ケーキには合わないかな。
「エーリ様、少々失礼します」
珍しいことに、ルーエが退出していった。何かあったのかな。
だが、部屋から除く景色は、のどかとも言えるほど落ち着いている。
誰もいなくなった部屋は無駄に広い。この離宮もだ。私とルエーナ、そしてそれを世話する少数の人間が住む離宮は、不必要だと感じるほどに広い。
生まれ直してから、この広くて狭い世界が私のすべてだった。
ある意味、絶好の機会なのかもしれない。
ルヴェイトが旅立ってから二週間が経った。未だ何の連絡も情報もない。その二週間、私がしたことと言えば魔法の精度を少しでも上げることだけだった。ルヴェイトが言っていた根拠の話も聞いていない。
それどころか離宮を出ることさえしなかった。
兄妹達が自国や世界の為に行動しているというのに、私は何もしていないに等しかったのだ。
どうしていいのか、分からなかった。
私は政治に関われない。血を重視する貴族達から良く思われていない、というだけではなく、私を持ち上げて自らの力にしてしまおうと考える輩すら現れてしまうからだ。
これは物心つく頃からアレージュノ様に言いつけられている。
だからといって、これまで通りここに引きこもっていても自分は何もできない。
暖かな離宮を出て自らの意志で動く、絶好の機会だ。
ずっと待ってるって約束したけど、要はあっちが帰ってくる前に帰ればいいんだよな。




