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大手資産家のファベル氏のその日の夜会の一番の話題をさらったのは、ティラニスの王、ユエ・イェンリーが同伴したパートナーだった。
パートナーとは、一生の誓いを立てた公的な恋人と同じ意味を持つ。
ユエ・イェンリーがパートナーを同伴したのはこれが初めてだった。
その相手が四年間、行方不明だった先王の養子、リュウ・エリアードだったことも一同を驚かせた。
リュウ・エリアードがこの世界でどういう存在であったのかは…言うまでもなかった。
彼は最高級の男娼であり、芸術品だった。
多くのマーケットでも彼だけは王に直接売値を伺い、一晩だけの悦楽を味わうのだ。
むろん、リュウ・エリアードが先王の愛人であり、あのリョウ・アヤセの実の遺児と承知の上だった。
四年前のリュウなら、躊躇いもせず売品としての自分を魅せ、高値を吊り上げる術を楽しむ余裕さえあったかもしれない。
自分の運命を諦めたリュウには、憎悪と快楽を得ることしか生きる道は許されなかったからだ。
だが今のリュウに、昔と同じ気分で振舞えるはずもない。
広間を歩くリュウの身体を品定めするように嘗め回す人々の眼差し、囁く声と薄笑い。
思わせぶりな接触、殊更に慇懃な社交辞令、溜息と嚥下が交錯する。
そのひとつひとつが、身震いするほどおぞましいものに感じた。
リュウはユエの腕を掴んだまま離さない。
そうでもしなければ一歩も歩けなかったのだ。
帰りの車の中でリュウは向かい合うユエを責めた。
「よくも…俺を晒し者にしやがったな、ユエ・イェンリー。あの豚どもに俺を売るつもりでいるのか」
「幾人かのオーナーがおまえの売値の交渉を伺ってきたがね。おまえが望むなら話を進めるが…」
「やめろよ。俺を幾つだと思っている。21の男が商品になるかよ。…冗談じゃない」
「そうだな。俺もおまえを売り物にする気はないさ。だが四年前と同じく、あいつらのおまえを見る目つきはひとつも変わりはしない。物欲しげで今にも飛びつきそうなハイエナの群れそのものだったな。傑作だよ」
「…楽しそうでなによりだな、王様」
舌を打ち、煙草に火をつけようとするリュウの手を押さえ、ユエは咥えた煙草を取り上げた。
「今夜おまえを見世物にしたのはおまえが次代のティラニスの王だと知らしめるためだ」
「…なに、考えてる。本気でこの俺を玉座に座らせる気か?…俺にやれると思っているのか?」
「ただの抱き人形の傀儡で構わない。血塗られた権力と悪名高き名誉…そのたおやかな顔にはふさわしかろう。だが…おまえがただの馬鹿ではないと知っている。おまえに帝王学を学ばせたのはこの俺なんだからな」
「昔のことなんぞ、忘れたね」
「ビューロクラシー(官僚主義)の崩壊は近い。テュラニスがこの惑星に王国を創るのはそう遠くない」
「おまえがそこまで傲慢な野心家だとは知らなかったよ。…S・C・Oを侮るな。足元をすくわれるぞ」
「S・C・Oのネズミが、大そうな口を利く。おまえたちを野放図にしてきたのは、おまえをおびき寄せる罠だと気づかなかったか?…あの連中を皆殺しにするのは簡単なことだ」
「…やめろ」
「おまえがおとなしく俺の奴隷でいる限りは、おまえの友人は生かしておく。そう肝に銘じておけ」
「…」
リュウはユエの本当の恐ろしさを今更ながら知った。
掴まれた手が震えている。
(何も知らぬまま俺を信頼し、四年間、共に笑い懸命に生きてきた人達だけには、手を出させるわけにはいかない。…絶対に)
「変わらずに細く白い美しい指で、俺も嬉しいよ、リュウ…」
ユエ・イェンリーは冷たくなったリュウの両手を取った。
「おまえのこの指は人殺しの兵器にもなりうる。だがそれも必要あるまい。これから先、俺はおまえに人殺しをさせるつもりはないのだから」
「…」
ユエはリュウの右の人差し指を掴み、反対側に反らせた。
「昔話に戻るが…先王を暗殺したのはフランシス・ユージィンと公表されている。王が亡くなって半月後,逃げ回っていた本人が本部に戻り、そう自白したのだから。だが、あの男はおまえを庇う為にすべての罪を負った…そうじゃないのか?リュウ・エリアード。真実は…おまえが先王を殺し、己の逃亡の為にフランシスを陥れた…」
「…違う」
「何が違うんだ」
「俺は…」
確かに先王、ジャック・エリアードを殺したのはリュウ自身であった。が、その意味をユエは知らない。
だが、あの頃の想いを告白したとしても、ユエは許さないだろう。ユエ・イェンリーにとってフランシス・ユージィンは「特別な男」だったのだから。
「…殺せよ。おまえは俺を殺したいんだろう」
「ああ、じっくりといたぶって地獄に突き落としてやろう。だが今はこの指…おまえは右も左でも狙った的を外すことは滅多になかったなあ。上等の殺し屋だがこれまでだ。引き金を引けないように…十本の指をすべて折ってやろうか…」
「…」
ユエの言葉にリュウは背中が震えた。
この男なら本気でやるかもしれない。
殺されても構わないと覚悟したはずの心が恐怖に強張るのだ。
ユエ・イェンリーはリュウの目を見つめたまま、その指一本一本をじっくりと舐めた。
ユエが少しでもその気なら、簡単に折ってしまうだろう。
リュウは凶暴に渦巻くユエの瞳から目を逸らすことができなかった。目を逸らせば、ユエ・イェンリーは確実にリュウの指を折ってしまう、と、知っていたからだ。
震えながらも目を逸らさぬリュウを「愛おしい」…と、ユエ・イェンリーは思った。
「殺せ」と、言うリュウの本性は、昔と変わらずに生きる事に執拗だったからだ。
(これを俺が、殺せるわけがない…)
(だが、許すわけにはいかない。だから…)
「苦痛にあがくおまえが、愛しいよ」
引き攣った顔を撫で、その首筋の動脈を押さえた。
震える口唇をユエのそれと重ねた途端、涙を流すリュウを見たユエは嗤った。
リュウは泣いているのも気づかずに、ただ「許してくれ」と、繰り返すのだった。
車は出かけた時の建物ではなく、超高層ビルの玄関へ到着した。
「おまえと俺の背徳の城だ」と、ユエはリュウの手を取る。
拒めるはずもないリュウは、ユエの身体に寄り添うように最上階へのエレベーターに乗り込んだ。
42階のコンドミニアムはセキュリティが厳しく、ふたりの指紋を確認しなければドアは開かないと説明するユエに、リュウはいぶかしんだ。
「なぜそこまでする必要がある」
「おまえを監禁するために決まっている」
「今更、おまえから逃げる気はない…」
「手負いの虎は気を抜くとこちらがやられる。俺は先王やフランシスのように、おまえを見縊ったりしない」
通されたリビングはシンプルだが、細部に行き届いた建具とモダンなデザインで構成され、レトロな間接照明の淡い灯りが、緊張したリュウの気分を幾分和らげてくれた。
首都ニューアレイの街並みが一望できるインテリジェントシティであるオールトの街は高台にある。その高層ビルの窓枠のないはめこまれた硝子越しから見る景色にリュウは見惚れた。
色とりどりのイルミネーションライトと夜空の闇色が奇妙に交じり合い、その境界線がオーロラの儚い輝きのようだった。
上着を脱いだユエはソファに座り、カシャッサを飲んでいる。
カシャッサはアルコール分が強く、先王の好んでいた酒だ。そしてフランシス・ユージィンも好きだった。
(あの男と同じように飲みやがる)
スーツを脱ぎ捨て、シャツを羽織っただけのリュウは、ユエの姿を苦々しく思った。
(俺とおまえだけでいいはずだ。なのに、何故、今更…)
「ユエ・イェンリー、何故それほどまでにジャック・エリアードの死を惜しむ。おまえだって…俺と同じようにあの親父にいたぶられ続けていたくせに…憎んでいたくせに。あの男の肩を持つとは思わなかったよ。王の座を譲られたからか?だから忌まわしい過去は捨てたというのか?」
リュウの詰問を聞いたユエはグラスの氷を鳴らし、飲み干した。
「ジャック・エリアードは行き倒れの孤児だったの俺を拾い、育ててくれた。リュウ、おまえは死ぬほどの餓えを味わったことがあるか?雨風をしのげる家と、寒さを防げる服、飢えることもない毎日の食事、あらゆる高等教育を彼は受けさせてくれた。それまでの泥の中を這い蹲り、やっとのことで生きてきた俺には信じられぬほどの恵まれた生活を彼はくれた。玩具にされようが人に売られようが、恩義に報いるのは当たり前だ。…その王をおまえが殺した。俺への情念の為に…」
ユエの最後の言葉に、リュウは驚愕した。
「知って…いたのか?俺がおまえにどれ程焦がれ、会いたいと願ったのか」
「ああ、おまえが俺を欲しがるように調教したのは俺だからな」
「…ジャック・エリアードはおまえを俺から無理矢理離し、会わせなかったんだ。俺は…王におまえに会わせてくれと何度も頼んだ。だけど…王はそれを許さなかった…」
「だから、殺した。ジャック・エリアードを」
「…そうだ」
「ではまずはその罪を購ってもらう。そして、フランシス・ユージィンへは罪はその後に聞く」
「…」
「こちらへ…」
リュウは言われるままに、ユエの足元に這いつくばった。
「両手を後ろへ」
廻したリュウの両手を絹の細い組み紐できつく縛る。
ユエは道具は使わない。鞭で打つ事さえしない。
ただ縛りながら責めるのだ。
「瞬時に痛めつけるのは二流。時間をかけて苦痛を味あわせる方が何事にも面白みが増す」と、言う。その言葉通り、ユエ・イェンリーの拷問とも言えるリュウへの罰は肉体よりも精神的苦痛が大きい。
「あっ…う…うっ…」
頭と腰を掴まれ、繋ぎとめられたまま、達することも許さないユエの責め苦に、リュウは啼く他はないが、こうまでもしてもリュウはこの男に蹂躙されることを望んでいた。
リュウにとって罰は褒美でもある。
リュウを縛りつけるユエ・イェンリーもまた、リュウに縛られているのだから。
「アルバート・ルードに会ったか?」
何度かの失神の後、ベッドに移されたリュウは半場意識を失いつつも、ユエ・イェンリーの言葉の意味を理解しようと思考した。
「?…ああ、あのインテリ男か。おまえの第一秘書らしいな。おまえの趣味も変わったもんだと思ったが…」
「あれはフランシスが特別に可愛がっていた舎弟だよ。いずれはパートナーにと話していた。おまえに会わせる前までは…な」
「…だとしたら…全部、おまえの所為だな、ユエ・イェンリー。俺とおまえ、どちらが悪魔なのか、神にでも聞いてみるか?」
「聞く必要はない。神は俺達など、とうに見捨てている」
(そうかもしれない)と、リュウは思った。
昔、テュラニスに連れられる以前の太陽神を崇めていた生活が懐かしい。貧しくても日一日の穏やかさは仰ぐ空のように清清しいものであった。しかし、今は、陽の眩しさから目を瞑り、光から影へと逃げ、蜉蝣のように足元さえ心もとない。
与えられる苦痛だけを生きる糧にし、快楽を味わいつくそうと媚を売る。
堕ちるところまで行き着けば、いつかは這い上がる時が来るのか…
(いや、いつか俺の身体に厭きた時、ユエは俺を殺すだろう…それまでこの朽ち果てた部屋でふたり、ただの淫獣でいるのも悪くはない)
「ああっ…」
リュウの悲鳴が無音の部屋に啼いた。
絡み合うふたりのひとつひとつの行為が、部屋に散りばめられ、処刑の痕をたどっていた。




