1
「流れる星の彼方に…」
1、
硝子越しに見る夜空は、リュウの心の様だった。
何も見えない…
月も星も今夜はリュウを迎えるために、その輝きを顰めているのだろうか…
リュウは溜息を吐いた。
己の不安を隠せないまま、早鐘を打つ胸を知らず知らずのうちにそっと抑えた。
絶え間なく続くエンジン音とその振動は、決して不快なものではなかった。だが、彼を見つめる黒い双眸がリュウの身体を慄わせていた。
決して逸らさない痛いほどの熱い視線が、魂を疼かせた。
リュウは重い沈黙をはぐらかすために、ポケットの煙草を取り出し、口にした。
「フィオーレ」と言う花の名には程遠い苦々しい味が、口腔に、肺に広がる。
空っぽになったケースを捻り潰す。
(あんたに教えられたんだ…この煙草の味も、何もかも…そして、奪われた…)
伏せた目を上げ、目の前に座る男を見つめた。艶やかな髪は胸まで流れ、穏やかに艶めかしい美貌は昔と変わらない。
その顔に残酷な影が潜んでいるのもリュウは知っている。
サンドベージュの肌に黒曜石の瞳、リュウを縛りつけるその宝石は、餓えた狼のごとく輝く。
四方八方探しつくし、やっと手に入れた獲物を、どう味わおうかと舌なめずりをする狩人のごとく。
リュウは堪え切れず目を逸らした。抗う事のできぬ視線…
リュウの服も肉も通り越し、その魂だけを掴み取る。
(ユエ・イェンリー…おまえを恐れ、おまえから逃げ、この四年間、おまえだけを待っていた…)
「リュウ…」
右手を差し伸べ、低く俺を呼ぶ…
夜を飛行する小型ジェット機の室内は暗く澱み、それと溶け合うかのようなユエ・イェンリーの姿は決して正しき道へと導きはしない。だが差し伸べられた手こそが、逃げ隠れ続けたリュウの本当に求めるものではなかったか…
ゆっくりと腰を上げ、ユエ・イェンリーの足元に跪き、リュウはその手に口づけた。
王への忠誠の証である。
当然のごとく、そして、抗えぬユエ・イェンリーへの想いを抱いたまま、リュウ・エリアードは還ってきた。
軽く押し付けられた唇を離し、ユエの右手はリュウの細顎を引き上げる。
深い口づけ…魂が焼けつくほどの熱い痺れ…まさぐるユエの舌は優雅にリュウの口腔を支配し、次第に理性を失わせ、翻弄する。
ユエの背に腕を廻し、リュウは満足のいくまでそれを味わった。
四年ぶりに感じるユエ・イェンリーの官能…求めていたのはこれでしかない。
身体中に燃え上がる熱い餓えは、お互いを貪りつくすほどに貪欲だ。
止める術を失ったリュウは、彼を支配する男に呟いた。
「抱いてくれ…」と。
高鳴る鼓動は、抑えが効かぬほどに膨れ上がっている。
ドクン、ドクン…
鼓動がユエにも聞こえたのか、ユエはその胸に耳をあてたまま、動かない。その間にも彼の指はリュウの身体を這うようにすべり、身体の奥に潜む魔物を揺すぶり起こす。
身体中の触官を震えさせる完璧な愛撫。
すべてを委ねるだけで得られる快感と苦痛は何ものを差し置いても、この身に与えられたい。
リュウは身体を震わせ、弓なりに胸を反らした。
張り詰めた四肢は感覚を奪われ、時折痙攣を起こした。噛みしめた口唇から途切れ途切れにもれる喘ぎは、よりいっそうの高みへと燃え上がらせる。
「うっ…ああーっ…」
ユエ・イェンリーの激しいナイフを突き立てられたリュウは、その苦痛の果てに来る悦楽の扉をこじ開けようと、ユエにしがみつき、自ら身体を激しく揺らした。
「くっ…」
直後、リュウはユエの胸で啜り泣いた。
自由だった四年間を想い、泣いた。
その月日が砂漠に彷徨う蜃気楼のように感じたのだ。そして、それはやがて遠い記憶の果てに、跡形もなく消え去るのだろう。
五世紀前、私利私欲を尽くした人類は、この惑星をも食い尽くし、滅亡へと導くのみであった。 自然破壊、食糧危機は言うに及ばす、精神荒廃が引き起こした核戦争は、決定的な打撃を地上すべてに打ちつけた。
自らの手により、自らの運命を葬っていく儚い運命…
そして、今世紀初頭、60億の人口は粛清され、およそ15億となり、人類は新しい岐路に立たされたのだった。
国々の境界線は消え、人々は理想理念を掲げ、新しい社会を作り上げようとする。
そこには確かに生きのびる為に必要な未知への改革と、あくなき復興を手がける気力に満ち溢れていた。
「惑星全体の統一」
「資本主義でも社会主義でもない。そのどちらにも通じ、どちらにも属さない社会」
人々の声の元、選ばれた代表者により、S・C・O即ち、社会統制機構が創立される。
それにより、地球は完全なる一個の連邦国となる。
諸手を挙げて人々の喝采を浴びた政治体制も、半世紀も経てば腐敗が始まる。
新しい秩序は古めかしい規律と成り果て、慢性的な経済不況が広がった。
S・C・Oの管理体制は確かに浸透しつつあったが、その一方で国の端々で起こるテロなどの暴力行為の多発、飢餓や貧困の広がりは彼らさえ止める事が出来なかった。
今や覇権的能力の無い不安定な行政機関と成り果てた。
彼らが嫌々ながら頭を下げ、その力を借りたのは、前世紀の遺物と卑しまれたエクセレント・カンパニー「テュラニス」であった。
「テュラニス」…情報、技術研究事業団。
この絶対資本主義シンジケートは、外見上は経済融資、技術開発が主な事業である。が、その真の姿は軍事産業、武器、兵器の開発ブローカー、そして大規模なテレポート(情報、通信処理システム)を持っていた。
S・C・Oでさえ持て余す地球唯一の絶対君主「僭王」…その力は、政治干渉さえ可能であった。
ユエ・イェンリーが「テュラニス」の総帥、通称「王」の地位に座したのは、今から四年前であった。
先代が暗殺された為、急遽後を継いだ形とはなったものの、彼の能力を疑うものはおらず、また先王の遺志でもあったため、多くの後継者の中からユエ・イェンリーが選ばれた事は、至極当然と受け止められていた。また、ユエ・イェンリーはその力を如何なく発揮し、この四年の企業の伸びは「ティラニス」始まって以来の隆盛ぶりであった。
今や「S・C・O」と「テュラニス」の癒着はすさまじく、二頭の統治者等は表と裏を完全に掌握した。
しかし、その力の均衡は奇妙な形を映し出していた。
食うか食われるか、いつの世にも弱者は強者に跪くしかない。
お互いの駆け引きの緊張の糸は、この惑星の未来を賭ける程に引き合い、慄えていたのだ。




