第九話
よろしくお願いします。
レンガの街から少し離れた場所に設置されたボロボロの小屋。
一面草原の景色は遠くまで続いています。
太陽が半分顔を覗かせた頃、垂直に伸びる草を踏み潰しては道を作っている二本の足がありました。
その足は急いでいるようで、息を切らして走っています。
バーテンダーの服装を着た肥満気味の中年男性。
顔面を真っ青にさせて小屋のドアを力強く叩きました。
「セツナぁ!」
休む暇もなく扉を叩き、かすれた声よりも息の音が出しています。
「なんだ店主」
騒がしい音にゆっくりと顔を出した倭人のセツナ。
無表情で、紅玉の瞳は鋭く相手を睨みつけました。
そんな彼女の両肩をいきなり掴んだ店主。
「頼む、頼む、金も返すから! なぁセツナ!!」
洋人特有の青い瞳を震わして今にも泣きそうです。
「店主?」
首が前後に揺れるほど動かされるセツナ。
「ジャンが」
息が詰まって声が出ません。
「ジャンになにかあったのか?」
続きの内容を求めて、一度店主から離れました。
「俺の息子が……」
少しの沈黙を置いて店主の口が開かれます。
「殺された」
その言葉を口にしたあと、力が抜けたのでしょう床にお尻から座り込みました。
しかし、店主はすぐにセツナの黒いズボンへしがみつきます。
「キングの奴らが見つけてくれて、どこかの組織がやったんだよ。喉を掻っ切って殺しやがった! 頼むからそいつらを見つけて殺してくれ!!」
床に大粒の涙が零れて、湿らします。
そんな店主の姿を視界に映さず、セツナはただ草原を眺めて首に巻いた真っ赤なマフラーを左手で握り締め震わせました。
「お金は、返さなくていい」
セツナは声と息を同時に吐き出して静かに囁きました。
俯く店主の横を音も無く通り過ぎます。
「うぅ、うっううう」
セツナの背後から聞こえてきた嗚咽。
朝も昼も夜も変わらず無音な街の外で店主の泣き声が鮮明に響きます。
レンガで造られた大きな門をくぐり抜けてセツナは街へと入りました。
壁に凭れて俯いたままの住民達。
セツナが横切ってもなんの反応もしません。
思わず死んでいるのではないかと目を疑ってしまいます。
治安の悪い街の端にはコンクリートでできたビル。
その周辺、ビルの外壁には争ったような形跡があります。
そこには見向きもせず扉の前で警備を行っている厳つい男達二人へ向かっていきました。
「悪いがアンタは入れない」
黒いビジネススーツからでもわかる逞しい筋肉をもつ男は扉の前に立ち塞がってセツナへ忠告しますが、
「ジャンを殺した組織はどこだ?」
いつもの感情の無い静かな口調で質問。
眉間にシワを寄せて厳つい男はセツナを睨みつけました。
「おいクローン、お前は耳が悪いのか?」
「ジャンを殺した組織はどこだと言っているのが聞こえないか?」
セツナは答えを知るまで下がろうともしません。
刀の柄に手を乗せて今にも戦闘態勢に入ろうとしているセツナ。
「まぁまぁ、部下達もボスの命令には絶対だ。それならば私が教えよう」
「お前は……」
ビルの扉が開かれ、現れたのは白衣姿の男性。
痩せ細った容姿で疲れているように感じさせます。
大きく目を開かせ、セツナを面白そうに眺めていました。
「昨日はすまないね、私はフレッドだ。モグラと呼ばれる暗殺集団が街の外に設置された墓場の近くにいる」
セツナは黙って睨みます。
「君が今から何をするのか知らないが、幸運を祈るよ。そうそう、ヘレナは順調に仕事をしてくれている。さすが我々の為なら何でもしてくれる素晴らしいクローンだ。君もそういうクローンになってくれれば良かったものを」
嫌味とも取れる言い方をして口元に怪しい笑みを浮かべます。
セツナは柄から手を離しその場から去りました。
相手をしている暇はないのでしょう。
「どこだ?」
再び街の外へ出たセツナは草原の一部に設置された小さな墓地にいました。
十字架の墓石以外目立つ建物も人物もいません。
どこまでも続く平原以外何もありませんでした。
騙されたのではないか、セツナは脱力気味に息を吐き街へ体を向けた時でした。
なにやら地面が動いているのが見えたのです。
草や土が徐々に盛り上がり、突起物のような形が出てきました。
「土の中から……」
そこを視界に映すといきなり鋭い何かがセツナに向かって飛び出してきたのです。
「っ」
持ち前の反射神経でセツナは後ろへ下がりましたが、前髪の毛が数本切れてしまいました。
ゆっくりと落ちていく髪の毛と同時に銀色の細い刃が上へと向かっていくのを確認。
獲物を外した細い刃はすぐに引っ込んでしまいます。
土の中へ潜ってしまった刃は次もセツナを狙って土から飛び出してきました。
「そこか」
セツナは何を思ったのか飛び出してきた刃へ向かっていくのです。
白銀の刃を抜刀したセツナは数ミリの差で細い刃を回避しますが、自身の頬が掠れてしまいます。
ほんの少しの掠り傷ですが多量の血液が噴出。
セツナは気にせず切っ先からそのまま地面へと突き刺しました。
「うぎぃぃ!!」
細い刃が飛び出たまま停止したと同時に男の悲痛な叫び声が土の中から聞こえてきます。
「この下か」
地面から白銀の刃を抜き取ると草原に真っ赤な血液が飛び散りました。
刀にもびっしりと血液が付着しています。
そして今度は地面を横一線に斬りつけました。
斬った場所から地面が崩れ、土の層が見えると草原や街の景色が一瞬にして視界から消えてしまいます。。
落とし穴のように地面が陥没を起こし、セツナはよろめくことなく流れに身を任せて落ちていきます。
土から今度はコンクリートの壁へと変わり、セツナはその地面へ怪我もなく着地しました。
「あが、あああ」
土と血液が体中に付着した一人の男が転がっていました。
苦しそうに胸へ手を当てています。
どうやらセツナが突き刺した部分が右胸だったようです。
「お前がやったのか?」
相手の安否確認より誰が殺したのかを確認したいのですが、唸る以外に返答はありません。
眉をしかめるセツナの瞳孔は獣のように変わっていました。
震える紅玉の瞳は視界が合っていません。
切っ先をもがく男の首筋へ突きつけます。
あと、もう少し、あともう少しで息の根を止めることができる。
『あの優男のお友達か』
低く年老いた男の声が耳に入った瞬間、セツナの瞳孔は元に戻り慌てて鞘に白銀の刃を収めます。
壁に設置されたモニター画面付きの機械がありました。
砂嵐のような映像で何も映りません。
ですが声の主はその機械のようです。
『ワシは既にこの世を去っている意識だけの存在だ。一応ボスという肩書きでいるがな』
「誰だっていい。ジャンをどうして殺した?」
とにかく殺した原因を知りたがるセツナ。
『あのガキは街からでることなんて許されん。借金を全額返済していてもだ。あのガキはこの街の犯罪組織と深く関係があるのだからな』
「だが殺す必要はあったのか?」
『当然、あのガキは街から出ようとし、さらに部下の顔を見てしまった。我々の顔を見た者は殺すという掟を部下に教えている』
男は語りました。
それでもセツナは納得できず首を小さく振って否定します。
「掟だとしてもだ、人殺しに変わりない、ジャンを殺したことに変わりはない」
『ワシらがいる世界、血で血を洗って、金で解決、殺して解決そんなもの当然だ。そこに民衆が巻き込まれ政府は見捨てる。死んで当然、殺されて当然。殺人という行いが決して悪いといえるか、いや……いえない。だから復讐を掲げてお前は殺しにきた』
落ち着いた男の声にセツナは再び眉をしかめます。
「ふざけるな」
白銀の刀を構えました。
『戦う為に作られた特殊クローンよ、我を失うな。あのガキがよっぽど大切な存在だったのだな、確かに部下が悪いことをした。だが自分だけの見解で判断するな全てに掟が、ルールがある。ワシらの掟は先程言ったとおり姿を見た者は殺す、とな』
セツナを囲むように現れた覆面姿の集団。
皆手に様々な暗殺武器を所持しています。
『ここから逃がすわけにはいかん。死んでもらおうか、特殊クローン』
一斉に飛び掛ってくる集団にセツナは初めて表情を歪めました。
「くっ!」
セツナは白銀の刃を抜き取るとクローン特有の能力覚瞳が自然と起きます。
獣のような瞳孔に変化しますが先程のように狂ってはいません。
自身に映る世界が真っ暗闇になります。
集団の動きが停止し、セツナだけが自由の世界。
体が意思とは反対に相手の急所を目掛けて切っ先を振り回しました。
喉元を深く切り払い、柄の頭でこめかみに打撃を与え、胸の中央へ突き刺し、鞘の先をみぞおちへと叩きつけました。
「かはぁっ!」
「はぁ、はぁー!」
呼吸がうまくできない。
動き出した世界で苦しみはじめた数人の覆面集団は地面に倒れこみました。
死を理解できないまま息絶えた者もいれば激痛に耐え切れず呼吸が乱れてしまう者もいます。
『失敗作といえこの覚瞳能力は計り知れん』
仲間が倒れていても男の声は変わらず落ち着いていました。
左手に付着した返り血。
瞳孔を戻したセツナは手を震わして握り締めます。
『運の悪い娘よ……』
「何の話だ?」
『折角あのガキがお前の心を変えようとしていたのに、部下が殺してしまった。運が悪いとしか言いようがない、セツナよこっちへ来なさい』
言われたとおりにセツナは機械へ歩み寄ります。
モニター画面の下に埋め込まれた小さな赤い石がありました。
輝く赤い石の中身は水分が含まれているように空気が浮かんでいます。
「この石は?」
『意識の塊だ。ワシはその石のおかげで生きている』
「壊せるのか?」
『普通の武器では壊れないだろう……だがその武器ならできる』
セツナは手に持っている白銀の刀を見ました。
『お前が持っているその武器は儀式の刀。錬成にできた』
「これは知らない、気付いたら持っていた物だ」
白銀に照り輝く雪のような刀身を空に向けるように立てて下から上へと視線を動かしました。
『覚えていないのか……私のこともフレッドのこともルノー博士のことも、セレスティア博士のことも』
セツナはしばらく刀身を眺めたあと、黙って首を横に振ります。
『お前自身がやってしまった重大な事件も覚えていないということか』
「重大な事件?」
『ルノー博士とセレスティア博士をお前が殺害したのだ。クローン開発に大きく貢献してきた国の宝ともいえる存在と、国の象徴である聖母カノンを殺害し、クローン迫害を激化させてしまった災いの種をお前が蒔いたのだ』
男に静かに答えられ、セツナは眉をしかめました。
「そんなの、知らない」
『知らないのではない、記憶を失っただけだ。信じたくないのならそれでいい、ワシはお前がこれからもずっとこの街で差別なく生きてくれるのを願うだけだ』
「黙れ……勝手にしろ」
セツナは白銀の刀を純白の鞘に収めて、地下通路から去ろうとします。
『この部屋を出て右に出たら墓地の上へ出れる階段がある』
親切に道を教えてくれたので、素直に扉を開けて右へ向かいました。
太陽がようやく中央に昇った時刻。
人々は静かに息を殺すように過ごしています。
「店主」
街の酒場を開店しないままドアの前で愕然とした様子で座り込んでいる店主に声をかけました。
「セツナ、終わったのか?」
不安そうに怯えた声で訊ねる店主。
「一応、だがお金はいらない」
返り血が付着した左手を後ろに回して、変わらぬ口調で返答します。
安堵した店主は不安が解け、自然と微笑みました。
「ありがとう、すまない。そういや息子が酒場の仕事放り投げてお前が今住んでいる小屋を造っていたのを思い出してな」
懐かしい風景を脳内に思い浮かばせて、店主は嬉しそうに話します。
「怪我だらけのお前が街に来てから、ジャンはお前のことばかり気にしていたな。組織から借金ばかりしていた頃に比べたらだいぶ変わったよ」
「変わった、そうだな」
「そう、あいつは変われたんだ。息子が将来を真面目に語る姿を見れただけでも嬉しかったよ」
優しく微笑む店主に何かを言おうとセツナが口を開けた時です。
どこからか、地割れが起きたのではないかというほどの激しい破裂音が。
思わず立ち上がった店主は、
「なんだ、街の外で爆発!?」
通路へ飛び出します。
住民全員が総立ちで真っ黒な煙へ指していました。
街の壁で遮られ詳しくはわかりませんが、セツナはその方角に覚えがあります。
「あそこは、私の家」
さっきまで閑散としていた街が突如人で溢れかえりました。
セツナはその人ごみを無理にでも割り込んで、門の出入り口へ。
昼夜問わず静かな街の外。
なのに今日は騒がしく、これまで以上に激しい物音が、セツナを追い込んでいきます。
「小屋が、燃えている。ジャンが建ててくれた小屋が」
原型が既に無く、セツナが暮らしていた小屋は潰れて明るい鮮明な赤色が空に向かっていくほど黒くなり燃え盛っていました。
周りの草にも燃え移り、近づくだけで肌が焼けるように熱くなります。
座ることなく立ち続けていたセツナの両脚が折れるように草原の地面へ密着させました。
口を閉じることも忘れて、壊れていく小屋を何もできないまま眺めるだけのセツナ。
「これも一種の決別なのか……ジャン」
死人に問い掛けたところで返答などありません。
「私は、一体誰だ。どこから来てどうして特殊クローンとなった?」
浴びた返り血を思い出し、左手へ視線を動かします。
「普通に生きていくことはできないのか、私は、私は」
眉をしかめ、目をきつく閉じて苦しそうに顔を俯かせました。
近くで住民達がバケツに水を汲んで消火活動を行っています。
早く消せ、と飛び交う大きな声。
しかし、セツナの耳には聞こえてきません。
ただただ愕然とするしかないセツナは泣きそうです。
彼女の寂しい背中、そこへひとつの足音が。
「春香?」
優しそうな少年の声。
倭人特有の幼い顔立ちで漆黒の髪、黒いビジネススーツ姿です。
セツナはその声にようやく顔を上げました。
ですがそこに悲しい表情はなく、どうやら不機嫌そうな面持ちです。
「やっぱり春香だ」
漆黒の瞳に笑みを浮かばせてセツナに近寄ってきました。
「私はセツナだ。お前のことは知らない」
静かに相手を押し返すように否定するセツナ。
「俺は保住健児、君は片桐春香」
自己紹介を簡単に済ませて尚もセツナに対して違う名前で呼びます。
「人違いだろう」
背後にいる健児へ対面するように体を向けました。
「ううん、君だ。表情と目の色は変わったけど俺の知っている春香だよ」
どれだけ否定しても健児は発言を曲げません。
変な奴に出会ったとセツナは睨みつけます。
「とにかく、無事でよかった」
健児の手が返り血まみれの小さな手を掴もうと、伸ばしてきました。
「!? 触れるな」
すぐにセツナは体を下がらせ、触れられないよう手を引っ込めます。
「いきなりやってきて、いきなり覚えていない記憶を突き出されたら混乱するのは当然だよね。俺は君と大事な話をしたいんだ」
伸ばそうとした手を戻し、健児は微笑みながら説得しますが、
「お前から犯罪組織の臭いがする」
近づこうとする健児にもう関わりたくない悪臭がしたのでしょうか、セツナはどんどん離れていきます。
「レヴェルは君が関わってきた組織より安全だよ、この街にも本部があるからそこで話をしよう?」
「私はもう犯罪組織に関わりたくない」
首を何度も横に振って、健児の言葉に否定を続けるセツナ。
そんな彼女の姿に健児は困ったように苦笑します。
「まぁ騙されたと思って、おいで」
しっかりと左手を掴まれたセツナは振り払おうとしますが、離れません。
「大丈夫だよ」
口元をマフラーで隠し、セツナは健児を睨んだまま無言で付いて行くことに。
「これからのことを考える時間だって必要だし、しばらく隠れていた方がいい」
ようやく横に並んだセツナはまだ左手を握られたまま。
「火の始末は街の人たちに任せよう、あのままいても辛いだけだしね」
ずっと優しい声でセツナに話しかけてきます。
「火事でこんなに騒がしいのにアドヴァンス教会は何も動きがないなんて不思議だね?」
健児がどれだけ話しかけてきても、セツナは終始無言を貫きました。
それでも気にせず健児は喋っていました。
目的地に到達するまで続く、成り立たない会話。
ビルとは反対側の端に広大な敷地をもつ金色の邸宅がありました。
高級車が五台駐車できるガレージ。
動物が走り回れるほどの広い庭が目立ちます。
邸宅へ入る大きな扉へ健児はセツナを案内。
「さ、どうぞ」
「なんだここは」
「レヴェルのボス、主はオーナーとして色んな事業もしているから資産家としても有名なんだ」
扉を開けると、外見とは反対に真っ白な壁と床、そして通路に敷かれた赤い絨毯。
それ以外必要最低限の物は置いていません。
「春香、二階に客室があるからそこに行こう」
いまだに手を握り締められているセツナは振り払う気も無くなったのか、言われるがままされるがまま。
辿り着いた客室は簡易なソファとテーブルが部屋の中央に設置されていました。
「座って休もうか」
「私は平気だ」
重い口を開いたセツナはそこでようやく手を振り放しました。
「何か飲む? 用意するよ」
「何もいらない」
セツナはソファに座らず、ドアの前で立ち尽くします。
「そういえば、こうやって二人で会うのは十年振りだったかな。すごく懐かしいよ、あの時はいつも一緒にいたんだ」
「知らん」
短い言葉で返答するセツナ。
不機嫌な彼女を怒ることなく、健児は笑顔で接します。
「そうだね、思い出話はまた今度にしよう」
「そんなもの必要ない」
「春香、とにかく座って落ち着こう」
「私は春香じゃない、セツナだ」
痒い感じを覚えたその名前を否定するセツナ。
「セツナ」
今度は両手を握って、セツナを見つめます。
「ソファで座って休もう、疲れてるんだよ君は」
眉をしかめたセツナはこれ以上何も言いませんでした。




