第七話
よろしくお願い致します。
レンガの建物が並ぶ街でのことです。
昼間だというのに人通りの少ない街は今日も不安に囲まれていました。
建物の壁に凭れこむ民衆の間を堂々と恐怖もなしに歩くヘレナ。
肩より下に伸びた長い茶髪を後ろで結っています。
青い瞳はどこまでも真っ直ぐに見つめていました。
黒のビジネススーツ姿、二本の刀を左右に差して二挺の拳銃をホルスターに装着。
目的地は街の端にある豪邸でした。
広大な敷地に三階建ての真っ白な邸宅。
ガレージには五台の高級車が駐車されています。
ベルを一度鳴らすと、応答するように扉が開きました。
「ああヘレナか、ボスが二階で待っている。入れ」
厳つい男に案内され、二階の真ん中に設置されたドアの前へ。
取っ手を握り締め室内に入ると目の前には高価な骨董品が沢山飾られた部屋。
真っ赤な絨毯が敷かれその上に高級なソファーとテーブルが置かれています。
杖を手に持ち、ソファーに座り込んでいる老人がいました。
胸元まで伸びた白い顎髭を大切そうに撫でています。
「ヘレナ、どうぞ座りなさい」
「いや、いい。簡単な話だからすぐに終わる」
軽く断るとヘレナは腕を組み老人の隣で立ち止まります。
「そうかのぉ、残念じゃの。さて用事とは一体なにかな?」
「カナンのことなのだが、次期聖母の候補はどうなっている?」
ヘレナの質問に首を傾げてみる老人。
思い出してみようと頑張っていますが、返答がなかなか無いのでヘレナは話題を変えます。
「もういい、アドヴァンス教会襲撃の為レヴェルからも人材が欲しい」
「ほぉーそうか、都に養子がおる。呼び出そうかの、倭人の子でなぁ。射撃の腕は一番、実践で的を外したこと無いって有名じゃ」
「主、一人じゃ足りないんだ」
目をきつく閉じては眉をひそめるヘレナ。
「そんなこと言われてものぉ、生憎今は皆手が離せん。武装信者程度の相手なら養子一人で充分じゃけどのぉ」
困ったような嬉しそうな曖昧な表情で主は渇いた声で笑いました。
ヘレナは不安で仕方がないようです。
ああでもない、こうでもない、と言い合いを続けていたらドアを叩く音が二人の耳に入ってきました。
「失礼します」
ノックの次に少年の声。
青みのかかった黒髪に中性的な小さな顔、洋人特有の青い瞳。
その少年に灰色のビジネススーツは背伸びをしているみたいで似合っていません。
「主、例の鎮静剤を頂きました。ありがとうございます」
少年からは真面目そうな雰囲気が漂ってきます。
「アル!」
通路から響き渡る少女の怒りがこもった声にアルは驚き、肩を震わします。
「なに勝手に行ってるのよ!!」
高飛車な少女にヘレナは目を丸くさせました。
「マリア、落ち着いて。聖母候補なんだから君が勝手に先へ行ったら駄目なんだよ」
金色のウェーブヘア、少しつり目の赤い瞳をしたマリアという少女。
淡い水色のワンピースドレス姿で腰に手を当てては不満を露にしています。
「あれが、マリア」
ヘレナの疑う眼差しにマリアはきつく睨んできました。
「あんた何、クローン?」
まるで喧嘩を吹っ掛けるような態度。
「それが、どうした」
首を傾げたヘレナはマリアを眺めます。
「アンタみたいなクローン、大嫌い!!」
歯を見せるほどに口を開け怒りをヘレナにぶつけてきました。
「マリア、とにかく落ち着いて!」
「うるさい! アルのくせに!!」
「ああ、もう。すいません、失礼しました!」
アルは慌ててマリアを引っ張って部屋から出て行きます。
外から届くマリアの怒鳴り声。
「あれが聖母候補なのか」
耳が痛くなりそうな声を聞きながら、ヘレナは老人に問いました。
「そうじゃ、外面はいいぞ」
今度は頭が痛くなりそうです。
「一番悩んでいるのは本人らしい、あのクローンは短命でな二十年しか生きられん。今は確か十四くらいか、皆はカナンに期待しておるし所属しているアドヴァンス教会もカナン寄りじゃしな聖母になる為に作られたのにのぉ」
「自暴自棄というやつか」
呆れつつヘレナは呟きました。
「成すべき事もできんと意味なく死ぬのは嫌だと思うぞぉ」
主の哀れみの言葉にヘレナは黙って眉をひそめます。
「今のままではカナンは聖母候補にも入れない。犯罪組織に属している者は除外じゃからな、だからアドヴァンスはカナンを狙っておる。どうする? ヘレナよ」
腕を組んだままヘレナはしばらく考え込みます。
目を閉じてはカナンの純粋な笑顔を思い浮かべ、これから先のことを、望むべき道を探します。
ゆっくりと、瞳を開けました。
「どこへ行ってもカナンは穢れてしまう可能性が高い。どうせなら離れたところに、とは思うが……な」
ヘレナの考えに主は黙って笑みを浮かべていました。
協力要請を頼んだことで面会は終了。
外ではまだまだ一方的に文句を吐き出すマリアの姿が。
「どいつもこいつもカナン、カナン、カナン! 教祖様もカナンって!!」
「マリア、そういうことを言っちゃいけないよ、とにかく教会に戻ろう」
「時間が無いのを知ってるんでしょ!? アルのくせに、こうなったら……」
マリアに再び睨まれたヘレナ。
「アタシだってホントは、本当は、フン!」
何かを言いたい、ですが堪えたマリアはアルを払いのけて去っていきました。
「すいません、今日はいつもより機嫌が悪いみたいでして」
「別に構わないけど、あれが本当にマリアなのか」
アルは優しく微笑みます。
「よく言われます、信者の前では聖女らしく清楚なお嬢様って感じで振る舞っていますけど、他だとあんな感じで暴れるんです」
「嫌そうじゃないみたいだな、貴様は」
目を丸くしたアルは照れ笑いをして、髪を掻きました。
「ええ、そうかもしれません」
そして、一礼してはすぐにマリアを追いかけていきます。
「聖母にクローンを使うなんてことが間違っているのかもしれないな」
なんともいえない、尽きない問題をどう解決していけばいいか、悩みが止まることはありません。
ヘレナは自身が属している犯罪組織キングのアジトへ戻ってきました。
街の区域から離された五階建てのビル。
「あ、ヘレナ」
その出入り口で待っていたのは金髪碧眼の青年。
整った顔立ちはいわゆる美少年で爽やかです。
「どうしたウィル」
「今さっき都から連絡があって、現聖母様が殉職されたそうだよ。予定通り二十歳で」
「候補は何人いるか知っているか?」
難しそうな表情です。
ウィルは普段と変わらぬ様子で答えました。
「確か五人だったけど、それがどうしたの?」
「いや、別になんでもない」
微笑むウィルにヘレナは怪訝な表情を浮かべます。
「なんだその顔は、変な事を言ったか?」
「ううん、ヘレナはいつもカナンのことばかりだなって思って、二人を見てると本当の家族みたいだよ」
ストレートに感想を言われ、ヘレナは口を下向きに頬を赤く染めました。
「う、うるさい。初代ボスに任されているから見ているだけだ」
照れ隠しだと簡単に見透かしたウィルは嬉しそうに笑います。
「でも、そこに俺は入れないんだね」
笑ったと思えばウィルは目を細め、眉を下げて呟きました。
彼の呟きを拾ったヘレナは、少し俯くと首を縦に動かします。
「私と貴様の関係は、体を」
「ヘレナー!」
幼く明るい少女の声に言葉を遮れら、ヘレナは口を紡ぐ。
当の本人は詳しい事情も知らぬまま穢れのない微笑みを見せてやってきました。
純白のワンピースを着こなす聖女に相応しい容姿と青空のような瞳にか細い白い肌。
「おかえり!」
「ただ、いま」
純粋無垢な微笑みにヘレナは呆然。
「あ、ガイに話があるから。ウィル、頼んだ」
戸惑いを隠せずにヘレナは呟きました。
「わかったよ」
ウィルはカナンへと手を差し伸べます。
「いってらっしゃーい」
無邪気に手を振って見送るカナンはウィルの手を握って地下へ戻っていきました。
室内のエレベーターに乗り込んではすぐに五階と表記されたスイッチを押します。
その間は両腕を組んで仁王立ち。
自動的に上へと昇ったあと、音もなく扉は開かれます。
直線が続く廊下に一人分の靴音を響かせました。
ヘレナはその途中、なにやら妙な寒気がしたのでしょう、体を停止。
「誰かいるのか?」
ホルスターに収められている拳銃のグリップに軽く触れたまま辺りを見回します。
直線しかない通路にヘレナ以外誰もいません。
だとしたら、外? ですがここは五階です。
区域も少し離れていますので他の建物は近くにありません。
「この殺気は……!?」
「アンタがいるってことは、カナンもここにいるんでしょ!?」
窓の外から女の声が。
「この声!!」
激しい爆発のような音。
天井の破片が細かく散ってきました。
数回続けて爆発音が響いたと思えば天井が突如粉砕。
「くっ」
天井が一気に崩れその瓦礫がヘレナの頭上に襲い掛かってきました。
すぐにヘレナは後ろへと下がって拳銃を手に構えます。
大きな穴が開いた場所から空が見えていました。
そこには嫉妬の塊ともいえるマリアの姿が。
散弾銃、拳銃、ナイフと様々な武器を携帯しています。
「マリア! どいうつもりだ!?」
マリアは赤い瞳を収縮させては獣ような眼光で相手を捉えました。
「カナンを殺したら皆諦める、教祖様も副神官様も、アルも!!」
「そんなことをしたらお前こそ聖母候補から外れるぞ!!」
「はぁ? アタシ以外に誰がなれんの? 他の候補も殺してやるわ! ついでにアンタも、なんで同じクローンなのにアタシより長生きできるなんて不愉快!! もう限界」
怒りにまかせて散弾銃を至近距離から引き金に指をかけます。
「無茶苦茶なことを」
ヘレナは二挺の拳銃を目の前にある銃口に合わせて即座に発砲。
耳鳴りがするような破裂音と同時に散弾銃が暴発。
思わず手を離したマリア、軽い舌打ちをしては拳銃を手に。
「っ!」
マリアが発砲した弾はヘレナの頬を掠めました。
どうもうまく狙えてないようです。
ヘレナの頬に掠めた傷跡が残ってしまいます。
そこから血が垂れてきました。
「何の音だ!?」
他の仲間が気付いたのでしょう非常階段から厳つい男達が走ってきました。
「人間なんか、人間なんか、何もないくせに!!」
視界に映った全てを妬みの対象にしていくマリア。
狙いをヘレナから人間へと変更したのでしょう、拳銃とは別に鋭く尖った銀色のナイフを放ちます。
一瞬の出来事で厳つい男はわけもわからず喉を両手で覆いました。
「やめろ!」
ヘレナの声も空しく男はそのまま階段へ転落。
段の上で体を回転させて最後は壁へもたれるような形で倒れました。
ナイフは見事に喉へ深く突き刺していたのです。
「くっ、こんなことをして、どうなるかわかってるのか!?」
「こんな犯罪者共を哀れむ奴なんかいない、いたらそいつは頭がおかしいのよ!!」
すぐに武器を取り出した男達。
ですが嫉妬に燃えているマリアに適うわけありません。
「カナンに会わせなさいよ、会わせてくれたらこんなクズ人間なんか殺さない!」
その場へと駆けつけた男達は反撃などできずに最期を迎えてしまいます、
「これ以上被害を増やすわけには……こうなったら」
ヘレナは自ら窓の外へ体を投げました。
「逃げるなぁ!!」
当然のようにマリアも五階から飛び降ります。
両膝を深く曲げた態勢で先に着地したヘレナは上空から視線を外しません。
拳銃を手放して、今度は二本の刃を装備。
灰色の刃と漆黒の刃がまだ空中にいるマリアへ向けられます。
「しねぇええ!!」
マリアの叫び声が響くなか、狙いを定めたヘレナは突如瞳孔を収縮させました。
青いカラーコンタクトは外れ、紅玉の色が露になります。
両方獣のような眼光。
まだ空中にいるマリアは引き金を何度も押さえ、乱射しました。
行き先は当然ヘレナだが、世界が停止するような視覚で弾き返す。
弾切れになった拳銃の先端部分を握ったマリアはそのままグリップで殴りかかりました。
「ちっ」
マリアは舌打ちをします。
ヘレナは頭上へと降りてくるマリアの脇腹を鞘で打撃を与え、マリアはよろけながらも地面へ着地。
それでもすぐに態勢を整えて今度は短刀を懐から取り出してきました。
「どこからそんな武器が」
切っ先をヘレナに目掛けて走り出します。
どこへ、どう来るか、ヘレナの視界からは完全に把握できるのです。
暴走してほとんど狙いも滅茶苦茶、そんなマリアに負けるわけがありません。
「いい加減落ち着け! マリア」
「うるさいのよさっきからぁ!」
回避しているだけで反撃などしないヘレナ。
そんなことを繰り返しているときでした。
「ヘレナ!」
心配そうな表情で駆けつける純白のワンピースを着た聖女様。
「馬鹿な!? どうしてここに」
「自ら出てきてくれたわ……殺させてくれるわけ」
二人とも動きを止めてしまいます。
アジトの出入り口から走ってきたのはカナンでした。
「マリア!」
阻止しようと動いたときにはもう遅い。
マリアの手にはまたもやどこからか取り出していた銀色に輝くリボルバー銃。
既に引き金は押さえられ、拳銃より騒がしい爆発に似た銃声が響いたとほぼ同時にマリアの体を取り押さえたヘレナ。
そして瞳孔が戻ってしまったヘレナの視界に映ったのは飛び散る血液。
空中に体が浮いてしまうほどの勢いで後ろへとカナンは飛んでいきます。
左肩を貫いた弾丸はカナンを背中から受身もなしに強く地面に打ち付けさせました。
その反動でもう一度浮いて、地面に落ちます。
「ウィル……あいつは一体何を」
怒りのこもった声でヘレナは歯をかみしめ、苦い表情。
「アンタの存在が目障り、うざい! 何が聖女よ、何が純粋よ、ただの間抜け、中途半端なクローン!! 生きている意味なんてないのよ、わかる? カナン!!」
押さえられていてもカナンに向けて暴言を吐き続けるマリア。
「イッ、たい、なに?」
カナンは苦痛に悶えて涙目になっています。
「アンタのせいで、アタシの人生が台無し!!」
「黙れ! マリア!」
「この、放しなさいよ!」
「放せるか!」
カナンを急いで運ぶ部下達。
それを見送ったヘレナはとにかく暴れるマリアを押さえ続けています。
「マリア!」
二人の背後から慌しい少年の声。
「アル! こいつをなんとかしろ!」
「は、はい。マリア……ごめんね」
アルは俯いて、胸ポケットから細い針の注射器を取り出しました。
「そのまま押さえてて下さい」
言われなくても決して放さないヘレナはアルの行動を眺めます。
アルは地面にマリアの頭を密着させました。
「何すん、の!?」
首筋に入った針。
何やら透明な液体が入った注射器がマリアの首筋へ注入されていきます。
「本当にごめん」
液体全てが入っていったのを確認したアル。
マリアは目を閉じて動かなくなりました。
「何をした?」
「鎮静剤が入った液体です。結構強力な物で、法律に触れるくらいです」
「レヴェルと取引したブツか。何故こうなったんだマリアに一体何が?」
なんと説明すればいいのか、アルは悩みます。
「マリアが聞いてしまいまして、あの、教祖様がマリアがもう必要ないって言っていたのを、それでこんなことを」
「教祖、ドイゾナーはやっぱり生きているのか?」
「ええ、軽い傷でしたから命に関わるような傷はありませんでした」
軽い傷? ヘレナは教会で起きた出来事を思い出させていました。
「もういい、マリアを連れて行け」
二人と別れ、カナンが運ばれた地下室へ急ぎます。
地下の一室で怪しい医者達が落ち着いた様子でカナンの処置をしていました。
そこには顔面蒼白のウィルの姿もあります。
「ウィル、こっちに来い」
ウィルを見つけたヘレナに呼び出され、
「へ、ヘレナ」
汗だくになってヘレナの名前を口にしました。
地下通路に出た瞬間、ヘレナは鬼の形相でウィルの襟を乱暴に掴み、壁に押し付けます。
苦しそうに顔を歪めたウィル。
「どういうことだ! あの爆音くらい聞こえただろ? どうしてカナンが一人で外に出てきた!?」
「ぐぇ、カナンから目を離したら、いつの間にかいなくなってて! まさか外に出るなんて思わなかったんだ!」
ヘレナの手首に降参の意味を示す為二回叩きますが、
「貴様は誰の護衛を任されている!?」
「ぐうぅう、か、カナンの護衛!」
さらに押し付けられてしまいます。
「ガイは?」
「う、う、ボスはフレッド博士に呼ばれて出かけてたらしい、よ」
「もう……いい」
残り数秒間、ウィルを壁に押し付けていましたが、怒る気が失せてきたのでしょう、ようやく放しました。
「はぁー、はぁー」
解放されたウィルは脱力気味で座り込み、必死に呼吸を整えています。
ヘレナは苦しむウィルを見下ろして、目をきつく閉じました。
「貴様のような甘い奴にカナンを任せられない。優しければいいってものじゃないのに、貴様はどうしてそうなんだ」
「はぁはぁ……ゴメン」
「謝って済むか! 馬鹿者!!」
地下通路に響き渡ったヘレナの怒鳴り声。
目も合わせられないのでしょうか、ウィルは俯いています。
「人を撃てない奴に人を守れるわけがない」
力のない声でヘレナは対面するようにしゃがみ込み、ウィルと同じく俯き、
「どうして、この街はこんな奴にまで不幸なことを」
誰にも聞こえないようにヘレナは呟きました。