第二十八話
誰がクローンで、誰が人間か、そんな判断をしているわけがありませんでした。
アサルトライフルを構えて突撃していく全身に濃い緑色の制服を着た武装信者達。
平和という代名詞が得体の知れない信者達によって容易く剥がされてしまいます。
クローンに対して好意的である若者が行き交う学生通りも数えきれないほどの銃弾が襲いかかっていました。
茶色い円柱の形をした大学内。
緑が広がる庭園に出られる暇はありません。
倭人特有の幼い顔立ちをした少女は老人の両脇を掴んで引き摺っていました。
クローンであることを示す紅い瞳を漆黒に変えていますが、無表情のまま。
真っ赤なマフラーを首に巻いています。
背広を着た老人は半目で俯いていました。
心臓に近い胸部から滲み出ている血液が背広を汚し、生命をじわじわと奪う。
大学内の青いタイルを赤い液体で濡らしながら研究室と表記された部屋へ入りました。
寝台に持ち上げて横に寝かすと、少女は息を吐きます。
「クラウベル、いますぐ医者を」
クラウベルと呼ばれた老人は虫の息で首を横にゆっくりと振りました。
「セツナ、も、もう、いい、間に合わない」
「どうして?」
「娘に会ったら、愛していると……伝えてくれ」
相変わらず噛み合わない会話にセツナは眉をしかめますが、相手は終わりを待っている老人。
セツナは何も言わずに見下ろしています。
「はぁああ、苦しいなぁ」
口から零れ出る血液が顎をつたって寝台に流れ、広がっていきました。
老いを重ねていく皺、青い目は疲れて瞼を閉ざします。
浅く速い呼吸が次第にゆっくりと深くなり、口を半分開けて停止。
胸ポケットに付いている血で染められた星の形をした議員バッジが光を放つ。
セツナは目を細めてクラウベルを研究室に置いて扉へ歩み寄っていきます。
廊下に顔を出すと、
「アンタ、クローンでしょ?」
なんとも愛想のない冷めた少女の声が響き渡っていました。
セツナに対してではなく、他の誰かに言っている様子。
「知らないね、俺は俺、タイガっていう名前もあるぜ!」
ふて腐れた態度がよくわかるほど、タイガと名乗る人物は声を荒げていました。
「大河って倭人はとっくに死んでるわ。そもそも、アンタの名前に興味なんかない」
「ちょっと、可愛い女の子がそんな怖い顔したらせっかくの容姿が勿体無いだろ」
一歩、一歩、足音を立てないように声のする部屋へ歩み寄ります。
「女の子にまで手を出すの? 最低な屑クローンだわ」
嫌気全開で見下している幼い少女がサイズの大きい白衣を着てポケットに手を突っ込んで立っていました。
ストレートに伸びた長い茶髪に茶色い瞳。
冷たい床に座り込んでいるタイガとちょうど目が合う身長です
黒い背広を着たタイガの頭部から少量の血液が滲み出ていました。
両腕と両足を縄で縛られてしまい身動きができません。
「地下にヘレナちゃんがいるんだから、早くほどいてくれ!」
「ヘレナ、ちゃん……っ」
少女は軽い舌打ちをして眉間に皺を寄せます。
体を無理にでも動かして縄を緩めようとしているタイガ。
「ばーか」
大きな息とともに吐き出された力無き声にタイガは動きを止めました。
俯きながらポケットに入れていた右手を抜けば、か細い白い肌と一緒に黒い物体が現れます。
タイガの額に突きつけられたのは護身用の小型自動拳銃。
ハンマーを起こし、発砲の準備はできています。
「な、なに、なんで子供が銃なんか持っているのさ」
予想にもしていなかった出来事にタイガは視線を銃口に合わせて眉は下がり、苦笑。
無邪気さや愛想のない茶色の瞳が冷ややかにタイガを睨みます。
「悪いけどヘレナの生命反応は消えた。つまり、死んだってこと」
タイガの顔から一瞬感情が奪われて、無となりました。
顔を黙って横に数回振って首を傾げています。
「聞こえなかった? ヘレナは死んだの。あれだけ核にダメージを受けていたら簡単に死ぬわ」
はっきりとした口調にタイガは口角を上げて、透明な雫が頬をつたう。
当たり前のような言い方が完全に感情を奪い取りました。
声を出さない様子に少女は哀れむような眼差しをタイガに向けます。
「ねぇ、なんであっちを選んだのよ、なんでアタシの父親がアンタなのよ?」
タイガの瞳孔が大きく拡がったと同時に小型自動拳銃から甲高い音が発せられました。
空薬莢が床に落ち、真っ赤な血液も床に飛び散ってタイガを仰向けに倒します。
セツナは壁に背を預けてその様子を見守っていましたが、少女は小型自動拳銃をポケットへ右手と一緒に入れて、
「言い忘れてたけどアタシ、クローン撲滅に協力している研究者なの。相手が肉親だろうがクローンだったら殺す」
靴で床を叩きながらセツナがいる廊下へと歩んでいく。
セツナの横で立ち止まり、少女は酷く冷たい目で見上げました。
「セツナ、アンタに戦う意志がなくても周りは戦う。ヘレナみたいに戦っていれば必ず誰かは死んで、生きる。それはクローンだろうが人間だろうが関係ないわ」
「アリアン」
「大切な仲間が生きるか死ぬかの選択を迫られているのに、アンタは何もしないで傍観者気分」
セツナの口元はすっぽりと赤いマフラーに沈みます。
「セツナが特殊クローンで、他のクローンとは違う存在だっていうのは知っているわ。だから殺そうなんて思わないし、戦いたくない」
アリアンと呼ばれた少女は目線を垂直に続く廊下へと変えました。
肩を落として小さく溜息。
「アンタの体にはヘレナやドイゾナーとは違って固定されていない核が存在している。常に体内で動き続けて、しかも小さい。超天才研究者のアタシでもアンタの体から核を探せなかったんだから、それだけ特殊な存在なら……仲間や誰かの選択を捻じ曲げるぐらい、簡単にできるんじゃない?」
右手はポケットの中に、アリアンは床を叩く音を響かせながら立ち去っていきました。
磔にでもされたような気分。セツナは壁から離れることができません。
戦う武器もない両手を力なくぶら下げます。
部屋に残っているクローンの遺体、研究室に置いてきた人間の遺体。
セツナの表情は既に引き攣っていました。