第二十六話
「血痕?」
倭人である保住健児は白銀の刀を手に持って首都の中心にある時計台にいました。
時計台の根本に広がる石畳には渇いた血液が飛び散っています。
「平和な首都でも何かしら事故か事件はあるものだね」
「そんなもの見なくていいから来い」
健児の袖を人差し指と親指で摘んで引っ張るのは、特殊クローンのセツナでした。
どちらも倭人特有の黒い髪と幼い顔立ちをしています。
ともに十代後半で違うのは性別と瞳の色ですが、セツナはカラーコンタクトを使用して漆黒の瞳で嘘をつく。
これで違うのは性別だけとなり、傍からみればセツナはクローンではなく倭人です。
「はいはい」
真っ赤なマフラーで口元を隠しているセツナの手を握り、健児は笑顔で引っ張られる方向へと進んでいきました。
時計台で起きた事件は男女の痴話喧嘩が原因だったという噂が流れている首都のなか、二人は学生街へ。
多くの学校が集結した学生街は様々な子供達が沢山います。
クローン研究を行っている大学は茶色の塗装を施された円柱の建物。
大学の周りは庭園が広がり、三人ほどが座れる木製のベンチに老齢ながら貴族議員を務めるクラウベルが座っていました。
体中が老いて皺を重ね、洋人特有の青い瞳は疲れています。
首都へと戻ってきたクラウベルは黒い背広姿で二人を出迎えました。
「息子が次期聖母カナン様とアドヴァンス教会とで最後の儀式をする為、地下にいるそうだ」
「最後の儀式、ですか」
「カナン様はまだ幼い少女だ。心は穢れて、息子は未熟な体を穢した。愛を与える者になるのには、愛を知ること。その愛が時として野蛮で純粋のようだ」
クラウベルの権力のおかげでセツナと健児は首都へ入ることができましたが、彼の言葉はいつまでたっても理解できません。
「こんなクソじじいと会話なんて成立するわけないでしょ」
大学の玄関口から突然幼い女の子の声が聞こえてきました。
振り返ってみますが誰もいません。
さらに視線を下に向けると白衣を着た少女がない胸を張って堂々と歩く姿が映ります。
長い茶髪に瞳も茶色の女の子。
着ている白衣はブカブカでどうしても地面を引き摺ってしまいます。
「アリアン・ルノー」
「え?」
健児の気の抜けた声。
「アタシの名前よ、あんた達のことは知ってるから自己紹介なんていらないわ」
愛想もなければ可愛げもない無愛想な顔をしたアリアンはセツナへと鋭い視線を送ります。
「ちょうどいい実験体がいるじゃない」
「じっけんたい……?」
同じ単語を復唱したセツナ。
怪しげな笑みを浮かべたアリアンが真下まで接近してきました。
輪郭は丸く、まだ十代にも満たない彼女をセツナは感情のない瞳で捉えます。
「アンタの体を使って意識を覗き見するのよ。いいでしょ、ジジイ?」
クラウベルは何も言わずにゆっくりと顎を下げます。
彼の動作をアリアンは良い意味として受け取ったのでしょう、変わらぬ怪しげな笑みが二人を誘いました。
大学内部は壁一面が真っ白で床は青く、各講義室が設置されていたり実験室と表記された部屋があったりと最新の機械が導入されています。
研究室と表記された部屋へと案内された二人。
「これはまた、クローン差別を行う政府が公認しているようには見えない機械が沢山あるね」
クローンを作り出す為に必要なカプセルと常人では理解できない複雑な機械が研究室に用意されていました。
「フレッド率いる細胞研究チームが開発した古い装置をこっそりと持ち出したのが今ここにある。このカプセルが母の代わりをして、胎児に栄養を送り人間そっくりのクローンを作り出すことができる装置なんだけどね」
透明な液体が満タンになっているカプセル。
アリアンは髪を掻き分けながら目を半開きにさせました。
「どれだけ細胞や遺伝子をいじっても胎児の状態で死滅する、フレッドがどうやってこんな物を開発できたのか、わからないの。データも全部消去されてたし」
装置のモニター画面には頭をどれだけ捻らせても解けない計算式が映っています。
「三十年の間に一気にクローンを大量生産させたあの狂った奴の脳みそを見てみたかったわ」
一人でひたすら喋り続けているアリアンにセツナは眉をしかめました。
「なんで私達をここにつれてきた?」
装置の説明やクローンの作り方なんて興味ありません。
「ああ、そうだった。クローンは必ず生まれた瞬間に頭の中で潜在的な意識というのが芽生えるんだけど、私はその意識っていうのが何なのかを探しているの。意識の中を覗きたいから手伝って」
本題を伝えると健児は首を傾げました。
「意識って、クローン達の楽園世界ってことかい?」
「んー、そういえばそんな言い方もあった。楽園世界は聖母カノンが創造した世界であって意識とどういう関係があるのか知らないけど、まぁセツナは横になって」
アリアンの指が示した場所には機械と連携した寝台。
頭を寝かせる位置には巻きつける為の有線がありました。
寝台の上へ言われた通りにセツナは横になり、白い天井へ顔を向けます。
アリアンは黙々と準備を始めてセツナの頭に有線を巻きつけました。
視界を覆う黒い分厚い布が被せられ、何も見えません。
「その方が意識に飛びやすいって思っただけ、特に意味はない」
「アリアン、意識に飛ぶ実験には危険とかないの?」
安全性と危険性について健児は苦い笑みで訊きます。
「今のところない、かも。特殊クローン相手に実験をするのは初めてだけど今まで何百回と繰り返してクローンの体に害があったのは五回。だいじょーぶ、たぶん」
言葉の一部に不安な内容がありますが健児は黙って頷きました。
「あとはセツナが今から意識の世界に飛んだとして、映像がモニターに流れたら一番良い。ダメだったらセツナが口で説明して」
「わかった」
真っ暗闇の視界、セツナは口を半開きにさせて実験を待ちます。
「よし、始める」
アリアンの合図とともにセツナの頭に電気が流れ始めました。
電気が脳内で交互からぶつかって弾け、時折体が跳ねます。
刺さるような痛みと電流に慣れてきたのでしょう、今も続いているはずですが体に変化はありません。
真っ暗だった視界が次第に明るく、暖色系の世界が映りました。
一面桃色の花弁が舞う草原。
空は淡い紫で草原の中央には太く逞しい大木が一本植えられています。
セツナの周りを囲んでいるのは桃色の花畑でした。
「草原と花が……ある」
自らの視界で得た情報を声に出したセツナ。
『多分それが意識、残念だけどモニターには映らないみたい、そのまま実況して』
頭に響いたのは乱れた雑音とともに発せられたアリアンの声。
その度全身に電気が走り、青白い火花が散ればセツナは眉をしかめます。
花畑から草原へと出ると、大木の根本で座り込む水色のロングワンピースを着た少女と目が合いました。
「あれは……カナン?」
ふんわりとした茶色の髪と小さい輪郭に大きな赤い瞳。
微笑む姿は落ち着いた雰囲気が遠くからでも感じ取ることができます。
『カナン? カナンはまだ生命反応が残っている。今アンタの前にいるのは聖母カノンだと思う、ってことはなるほどね、科学では解明のしようがない現象があるわけ』
自己解決をしたアリアンの声。
「カノン?」
気付けば目の前にカノンと思わしき人物が立っていました。
「ここはクローンだけが平穏と安らぎをもって転生できる世界、楽園よ、セツナ。そして私がカノン」
慈愛に満ちた優しい声がセツナを包み込みます。
身長はカノンの方が大きく年齢は変わりません。
「ここであなた達を見守って、死んだクローン達を転生させるのが私の役目」
セツナは断片的な記憶が残っているのでしょう、鈍器で殴られたような衝撃が頭に襲いかかってきました。
頭に手を置いて俯くセツナ。
「無理に思い出す必要もないのよ。あなたは街の何でも屋で人々を助けているセツナ、それ以前の記憶なんていらない。なくてもいいの、これからはヘレナやカナン達と一緒に過ごすことがだ、い事、よ、わか」
楽園と呼ばれる世界が歪み始め、セツナは目を細めます。
カノンの姿が砂嵐のように荒れ、形を崩していきました。
『そろそろ時間切れセツナ、ダウン』
またも真っ暗闇に視界を奪われ、セツナは呆然としたまま。
巻きつかれていた有線や分厚い布が取られ、白い天井が視界に映りました。
「どうだった?」
無愛想なアリアンと心配そうに見下ろす健児の姿。
双方を交互に目を合わせてセツナは上半身を起こします。
「あんまり覚えてない、けど妙に暖かかった」
「やっぱりね、実験したクローン全員が同じことを言っている。でも実験中に喋れたのはセツナだけ。楽園と意識は同じ存在でクローンが行くことのできる世界。覗けなかったのは残念、でもカノンがいたのならそれだけで政府に証明できる。ありがと、セツナ」
淡々と言う感謝と一緒にアリアンの瞳孔が獣のような形に細く収縮し、セツナを睨みました。
鮮明なまでに記憶に入っている瞳孔の形と重なり、激しい運動をしたわけでもないのに汗がセツナの体中から滲んできます。
呼吸の間が狭まって息苦しく、心臓のリズムが高まってきました。
歯を剥き出しに表情を引き攣らせたセツナは目の前の空気を手で力強く振り払います。
小さな風を生み出し、アリアンの前髪を軽く浮かせました。
「君は、クローンなのか?」
元の形に戻したアリアンは目を半開きに首を横に振って否定。
「実験終了、あとはレポートに書くだけだから用はないわ、帰って」
顔を両手で覆い隠すセツナと苦い表情の健児に素っ気なく、冷たい言葉を吐いて研究室から出ていきました。
「クラウベル議員が外で待っている、ヘレナとカナンを探しに行こう」
耳元で囁かれた優しい声。セツナは静かに、体を震わして小さく頷きます。