第十二話
読んで頂ければ幸いです。
「アドヴァンス教会、政府に軍隊と、国の大半を敵に回してしまったなぁ」
レンガで造られた街を五階建てのビルから眺めるガイ。
金髪を刈り上げ、顎に無精髭を生やしています。
ビルの最上階は狭い通路とボスの部屋だけしかありません。
先代のボスが好んでいた真っ赤な絨毯を敷いたままの部屋でもう一人、白衣を着たクローン科学者のフレッドがいました。
「戦争だよ、ガイ君。全てのクローンが我々に味方をするさ、そうなれば勝てる」
疲れ果てた末に痩せ細った乏しい顔にこちらが警戒してしまう怪しい笑みを浮かばせます。
「馬鹿言わないでくれ、ほとんどのクローンに戦う意志がないんだ。そんなことするよりもクローンを保護することが先だろ」
「なぁに武器を持たせて煽ればすぐにやってくれるだろう。そうだね、新たなクローン開発にでも取り掛かるとしよう。最近首都の方からいい子が見つかってねぇ、可愛らしい女の子だ。クローンになれる素質がある子供はどんどん買い占めないと、な?」
何かを企んでいるような目つきのフレッド。
静かに部屋から出て行ったところで、ガイはようやく肩の力を抜きました。
「あいつはどうしてこの状況を楽しんでるのかわからない。クローン迫害が酷くなっているのにクローン開発を続けるし、国が禁忌にしている特殊クローンなんかを造りだそうとしている。厄介なことをしないでくれよどいつもこいつも、ったく」
不気味なことが起きなければいいのだが、ガイは溜息を深く吐いて柔らかなイスに座り込んでしまいます。
愛する彼女が戻ってくれることを望みながら、その時を待っていました。
午後を過ぎて太陽も少しずつ傾いて落ちようとしています。
その太陽を覆い隠そうとする大きな雲が現れはじめました。
青い空を押しのけて灰色が迫ってくる中で街の住民も建物内へと早々に避難。
そんな天気であっても街の通路を進む団体が列を作っていました。
地味なローブで全身を隠す者達は両手を胸の前で握りしめて祈るように行進していきます。
目指す場所は街の一番奥に建造された大きな教会。
教会の上に飾られた神々しい十字架が目印になっています。
二列に並んで進む信者達、その先頭には真っ白なローブに身を包む他の信者よりも背丈が小さい姿がありました。
素性が隠れて何もわかりませんが、祈る信者を導いています。
その様子を街で有名な豪邸から眺めている者が二人。
二階の客間は装飾品もなく、一般人には手の届かない高級ソファーとテーブルが置かれているだけ。
「ヘレナが政府関係者を殺害、さらに軍隊の装甲車両を破壊したって話がレヴェルに来ているね」
黒い背広を着た保住健児は隣で立ち尽している最愛のクローンへ声をかけました。
「政府関係者を殺害、なぜ?」
紅玉の瞳に感情は伝わってきません。
首に巻いたマフラーで口元を隠しています。
「わからない。ヘレナが政府と関係を悪化をさせるなんてことは有り得ないはずなのに、もしかしたらフレッド博士が何かを仕込んだ可能性もある」
健児は苦い表情を浮かべて困惑。
「そのフレッドという奴は一体なんだ?」
「クローン開発の先駆者、かな。元々臓器とかの細胞を研究していたらしいけどね」
「私はそいつに造られたのか、ヘレナと同様に……」
顔を俯かせたセツナの表情は変わりませんが、健児には十分伝わったようです。
二人の間にはいつも静寂な時間が流れ、言葉を交わすことも少ない。
どれだけ健児が心を開いたとしても、セツナはどうでしょうか。
手を握れば拒否をして、近づけば離されて、心を通わすことも至難。
健児は目を細めてゆっくりと手を肩へ伸ばそうとしました。
ですが、
「ボス、失礼します」
寸前で邪魔が入ってしまい、健児は手を自身の腰に当てて部下へ。
「ど、どうかした?」
慌てている健児に、部下は首を傾げます。
「あの、ヘレナが街の門で倒れているところを発見しました。現在一階の医務室で手当てを行っております」
「状態は?」
「はい、傷は深く危険な状態です。しばらく休養が必要と思われます」
肩の力を抜いて、健児は微笑みました。
「そうか、でも生きていてよかったね、セツ、ナ?」
先ほどまで隣にいたセツナの姿がいません。
いつの間に部屋から出て行ったのか、健児は口を開けたまま呆然と立ち尽くしました。
一階の医務室には人間、クローン問わず治療可能な怪しい医者がいます。
「ヘレナさん、しばらく休んでくださいね」
怪しい医者は医務室から出ていき、階段を上ると急ぐセツナとすれ違いました。
階段を勢いよく下りていくセツナ。
通路の奥にある扉が医務室です。
両手で押し開けてセツナは歓喜しているのかと思えばそんなことはなく、いつもの無表情。
医薬品の独特なにおいが充満し、鼻につきます。
ベッドには腰に包帯を巻かれた同じ特殊クローンのヘレナが横になっていました。
長い茶髪は普段後ろで結っているのですが、今回はそのままおろしているようで、まるで気品溢れるお嬢様。
「ヘレナ」
感情の込められていない口調で名前を呼ぶと、ヘレナは体を起こしてセツナを凝視します。
「セツナ! ここにいたのか、小屋が無くなっていたから心配したぞ」
目を丸くさせた後、安堵の表情を浮かべるヘレナ。
「小屋は燃やされた」
「いや、それは痕跡をみればわかった。しかし意外だな、こんなところにいるなんて」
ヘレナは口元に笑みを浮かべると、セツナは眉をしかめて睨みました。
「わかっている、そんな顔をするな」
体をベッドの外へと出してゆっくりと立ち上がろうとしたヘレナ。
「ぐぅ」
両足が地面に着地して力を入れた瞬間、ヘレナの腰に電気が流れるような衝撃が。
唇を噛み締めながらもなんとか無事に立つことができました。
「痛いのか?」
「まさか、それよりカナンは見つかったのか?」
「見つけた、でもあまり良くない」
ヘレナは予想範囲内の返答に焦ることなく素直に受け止めます。
「そうか、ありがとう。私は一旦アジトに戻ってウィルとガイに会ってくる。それと、保住は?」
「奴なら上にいる」
セツナが健児の名前を呼ぶことはありません。
「せっかく同郷が再会できたのに、仲良くしていないのか……全く、また後でな」
「わかった」
久しぶりに再会した友の姿が衰弱しているように見えたセツナ。
歩き方も少しぎこちない。
医務室から出たセツナは一階の廊下で軽く散歩を始めます。
必要最低限の物以外は何もない通路は暇つぶしもできません。
邸宅の玄関口も三人がいても全く狭く感じさせない、そこをセツナは無言で眺めていると、
「た、助けてください!」
いきなり玄関の扉を押し開けた衝撃が室内に響き渡ります。
セツナはちょうど玄関の前にいたことで相手と対面しました。
青みのかかった黒髪をした少年と、その少年の背中に乗っている少女。
「誰?」
灰色の背広は少年にはまだ似合いません。
手には自動式拳銃、返り血も何度か浴びている様子です。
「マリアを助けてください、教会に追われているんです!」
「教会、マリア?」
聞き慣れない単語にセツナは首を傾げます。
マリアという少女は信者と同じローブを着ており、本人は眠っていました。
「教祖が、ドイゾナーがクローン撲滅運動を正式に行うと!」
「今、なんて言った!?」
セツナより後ろからヘレナの声が。
さらにその後ろには黙って立ち尽している健児の姿もあります。
「ヘレナさん、生きていたんですか!?」
「生きていたら悪いか! 教会で何があった? どうしてマリアがここに」
先ほどの衰弱した足取りではなく速足でセツナを通り越して、アルの肩を掴むと前後に揺らします。
「うわ、ま、マリアはもう聖母にはなれないから、クローンだから、殺せという命令でした。でも僕は彼女を殺せなくて……教会に対する反逆罪に!」
ヘレナは深いため息を吐いて、俯きながら首を横に振りました。
その様子を落ち着いた表情で見つめる健児はセツナの隣に並びます。
「マリアが狙われているのなら、カナンだってそうだよ、穢れてしまった以上はただのクローンだから。ヘレナ、カナンのことは組織に任せて別の街で治療を」
「そんなことしている暇なんてあるか! 私はカナンを助けに行く!!」
納得できないヘレナは背広の内側に装着されたショルダーホルスターから二挺の自動式拳銃を取り出すと、痛みも忘れて街へと駆け出していきます。
「ヘレナ!」
呼び止めようとしましたが、既に姿は見えません。
健児は扉の前で肩を落とします。
「セツナ、君はヘレナと一緒に行くかい?」
ただ声を発さず、頷いたセツナは街へ駆けていきました。
ヘレナの姿は見えない。
さっさとアジトへ向かってしまったのだろうと、セツナは寄り道をしている暇もなくキングのアジトへ。
門で区別された先には五階建てのビル。
既に騒がしい銃声が街中に響いていました。
防弾性のない窓は枠のみを残して地面に硝子をまき散らしています。
建物内を繋ぐ扉は解放され、普段なら岩のように立っている厳つい男達が今日はいません。
中から爆発、そして何かが破裂し、弾けたような音が騒がしく響いてきます。
ふと首を二階の窓へ向けるとタイミングよく硝子が高音を鳴らして枠から破片となって離れていきました。
それと同時に人間も窓から放り出されます。
緑の制服、表情を隠しているゴーグルと耳垂れ付の防寒用帽子姿の男。
重力に任せるがまま男は落下しセツナの目の前で受け身もないまま背中から着地しました。
防寒用帽子には小さな穴を開けており、表情はわからないですが出血は酷く、死因は頭部に銃弾を受けて即死。
「武装信者?」
セツナは遺体を跨いでアドヴァンス教会とキングが殺し合いを行っている中へ侵入します。
一階通路は既に鎮静し、多量の血液が壁、床や天井に飛び散っていました。
血液の量に反して争った形跡は少なく、あまりにも綺麗過ぎます。
武装信者は急所部位に銃弾を受けて死亡していますが、キングのメンバーは損壊、負傷もせずに息絶えていました。
「綺麗な死体だ」
顔色も良いまま、冷たくなっているキングのメンバー達。
「何か、あるのか?」
セツナは次の二階へ上がります。
階段で息絶えている者が三人、その先から死体は見つかりませんでした。
難なく辿り着いた五階。
外で聞こえていた銃撃戦もいつの間にか消え、死体以外誰とも会うことなく進んできました。
あと一つ、確認するべき場所はキングのボスがいる部屋。
狭い通路の天井は崩れ、争った形が未だに残っていました。
「これがマリアの仕業?」
会話した記憶のない相手の顔など浮かび上がることはなく先程豪邸で見た二人組だったか、と考えていました。
真っ赤な扉のドアノブに手を伸ばします。
前に押し出すと、鉄分の臭いが部屋中を包み込んでいました。
散らかった様子もなく整理整頓された室内。
血液と見間違えそうな絨毯へ視界を映すと、ガイが床を這っていました。
唇が切れて出血し、流血の多い脇腹を押さえて呼吸を乱しています。
「ガイ?」
相当のダメージを受けたのでしょう、セツナと目が合っても突っ掛かってきません。
セツナが近寄って確認しようとしたのですが、
「ちかよるなぁ!」
弱く掠れるような声で威嚇したのです。
押さえていない手には回転式拳銃。
「ヘレナはどこへ?」
「うるせぇ、ヘレナを、お、お前とあわせてたまるかぁ」
声が途中で消えてしまってもおかしくありません。
「あんな怪我でぇ、帰ってきて……これも、全部、お前のせいだぁ!!」
親指で撃鉄を引き起こされ、そのまま引き金を押さえたガイ。
セツナは回避することができず、爆音と共に発射された弾丸を至近距離から胸の真ん中へ受け止めてしまいます。
弾を発砲した反動でガイは体に負荷を与えて、余計に苦しみました。
放たれた銃弾を受けた衝撃で両脚を後ろに下がらせたセツナは左手で胸部を押さえましたが、痛みはありません。
左手には自分の赤い血液が付着しています。
茶色のコートに染みを広げてしまいました。
人間なら即死か瀕死になるような部位に当たったはず。
セツナは左手を軽く握りしめ、唸っているガイへもう一度近寄ります。
唸り声を上げながらもガイはまた撃鉄を引き起こし、憎いセツナへ銃口を向けました。
再び激しい発砲音。
連射のできない、速射も難しいシングルアクションを何度も何度も、装填してはセツナに向けて弾がある限りを撃ちつくします。
体の部位に当たって出血を繰り返し、計六発。
装弾していた数を全部撃ち終えたガイは反動を受けすぎたのでしょう、かなり衰弱しています。
セツナは表情に変化をつけず、冷たい視線を浴びさせました。
「カナンだってそうだぁ。聖母の娘なんてことはどうだっていいんだよ、俺達はあんなガキの護衛でもない、この街で一番強い組織だなんだぞ、あんなガキいらねぇんだよ!」
本音を吐き出し弾の入っていない回転式拳銃をまだセツナへと向けています。
「それで、カナンをどうした?」
「げほぉ、げほっ。政府に……売り払った」
思わぬ発言にガイの襟首を掴み起こします。
「何故?」
ガイはを渇いた声で笑い、回転式拳銃を床に落とします。
「資金が足りなくなってきたぁ。組織を、立て直すには金が、いる。だから、多額の金であのガキを売った……やっと、元に戻れると、思ったのにぃい」
ガイは悔しさを込めて唸り、唇を噛み締めました。
このまま放置しても死んでいく哀れなボスに何をしてやればいいのか。
眠ってしまいそうに閉じたり開いたり、青い瞳はセツナを捉えています。
「ヘレナが俺を、斬ったぁ、なんで、なんでだよぉおお」
好意を寄せていた相手に斬られたことで精神的に深い傷を負っていました。
「お前が怒らせて当然なことをしたからだ」
ガイの瞳から溢れ出る涙。
「好き、なんだよ、彼女がぁ」
「いきなり告白するな、気持ち悪い」
きっぱりと答えたセツナにガイは睨みます。
「誰が、てめぇみたいな奴、俺がぁ好きなのはヘレナだぁ」
「どうでもいいが、絶対釣り合わない。いい加減ヘレナがどこに行ったか答えろ」
襟を掴んでセツナは上半身を起こさせました。
「教えろと言われて……教えるワケがないだろぉお!」
渾身の想いがセツナの心臓部分へ。
ガイが内ポケットに隠し持っていたフォールディングナイフが根本まで深く突き刺さりました。
脇腹を押さえず、ガイは柄を握りしめていますがセツナはその手を払いのけます。
「愛想尽かされた奴がいつまでもヘレナに付き纏うな」
ゆっくりと立ち上がたセツナは自身の胸に突き刺さったフォールディングナイフの柄を持ち、抜き取りました。
刺したはずの傷口は何もなかったかのように消え血だけが残ります。
返り血を浴びているガイは虚ろな目で横たわり、セツナをずっと見上げたまま。
心臓から鳴り響く激しい鼓動がセツナを襲います。
獲物を仕留めたいという思わぬ欲望がセツナの体を動かしていました。
セツナは刃先をそっくりそのまま、ガイの心臓部分へ振り下ろします。
すんなりと違和感なく入り込む切っ先。
人を刺した感触なんてしない柔らかな物へ沈んでいくのが手に伝わってきました。
歯を食いしばりながら、ガイは瞳孔を大きくさせて痙攣を起こします。
それは一瞬で終わり、苦しい表情のままガイは目を開けて停止。
柄から手を離したセツナは何事も無かったかのように部屋から出ていきました。
取り残されたガイは完全に息を引き取ったようで、鎮静したボスの部屋は寂しくなります。
ポケットから落ちた小さな四角い箱。
床に落ちた反動で箱が開くと、飛び出てきた小さな物が血の水溜りへ落ちます。
どこから注目しても光り輝くダイヤモンドがはめ込まれた指輪でした。
手に取って眺めていたいほど眩しい高価な代物でしょう。
はめ込むべき愛する人の薬指へ届くことはありません。
これからもずっと、見知らぬ誰かが手にとるまで。




