十五年も経っています。婚約者だった勇者が後悔しても、もう遅い【追記・番外編】
今日は私、マルティナの三十二歳の誕生日だった。
外では日が傾いて、オレンジ色の空の下で一日が終わろうとしている。
誰にも祝って貰えなかったけれど、今日は私の生まれた日だった。
店のカレンダーの今日の日付にも何も書かれていない。
生まれただけの日が特別なものだなんて思っていないはずなのに、少し寂しいような気がする。
毎年少し寂しく思っていたから、去年は一人でケーキを買ってお祝いしたけれど、もっと寂しい気がした。
だから、今年は何の用意もしていなかった。
私は武器屋を経営していて、今日も、武器の納品や手入れをしてくれる職人さんが午前中に店を訪ねてくれた。
それからお客さんが数人来て、三本の剣と一本の槍が売れて、中古の剣を一本買い取った。
初めての剣が欲しいと相談に来た男の子もいて——同じことをしていた彼を思い出して胸が痛んだ——今度はお父さんと買いに来ると言っていたけど、どんな剣を選ぶのか楽しみに待とうと思う。
その中に、今日、私が三十二歳になったなんて知る人はいなかっただろう。
普通の一日として過ごしたのに、やっぱり意識してしまう。
誕生日は、私の最悪の思い出の記念日だからかもしれない——。
カラン……
閉店間際の店の扉が開いて、客が一人現れた。
私は、薄暗くなっていた店内の窓から差し込む夕陽に照らされた、その客の顔に息を呑んだ。
十年ぶりに見る彼は、げっそりとやつれて無精髭が生えている。
いつも身綺麗にして人目を気にしていた面影はない。
でも、整った顔立ちは変わっていない。
私の幼なじみで、婚約者だった——勇者のヴィクトル・ハーグレイヴだった。
◆◇◆
——十五年前、私はマルティナ・ローデンという伯爵令嬢だった。
三姉妹の長女だった私は伯爵家を継ぐ為に婿養子を迎えなくてはいけなかった。
そして、私には伯爵家の三兄弟の末っ子に当たるヴィクトル・ハーグレイヴという幼なじみがいた。
子供の頃には何も知らずに幼なじみのヴィクトルと遊んでいたけれど、成長するにつれて彼がただの幼なじみじゃないことを感じはじめていた。
「どの剣がこの店で一番強いんですか?」
街のローレンス武器店でヴィクトルが店主に質問していた。
「この剣がこの店で一番いい剣じゃが、自分の戦闘スタイルに合わせた剣を選ぶ方が強くなれるものじゃよ」
店主のローレンスおじいさんがヴィクトルの戦闘スタイルを丁寧に聞いて武器選びの相談に乗っている。
ヴィクトルは勇者になりたいと昔から言っていた。
私はヴィクトルについて回って、武器屋、防具屋、道具屋、冒険者ギルド……と、ヴィクトルが着実に勇者になる道を進んでいるのを側で見ていた。
そして十七歳になると、ヴィクトルはギルドに登録して勇者になってしまう。
私と結婚させる気だった両家の両親はヴィクトルを説得したり怒ったりしていたけど、私はこうなることは分かっていた。
だから悲しくなかった——なんて言えない。
悲しかった。
ヴィクトルがどれだけ本気で勇者になりたいのかは側で見ていた私が知ってる。
でも、だけど——ずっとそばにいた私の気持ちも分かってくれたら良かったのに——!
「マルティナも一緒に行くか?」
もっと小さな頃にヴィクトルが私に聞いた。
魔法や戦闘の才能がないか色々と試したけど、私には、どれも才能がなかった。
だから、私は首を振るしかなかった。
「ヴィクトルが勇者になって旅立つなら、別の婚約者を見つけないといけないわね」
「ああ」
私の家の中で両親が話し出す。
私は、ヴィクトル以外の人と結婚なんてしたくないのに……ヴィクトルが旅立つ日は迫っていた。
——私の十七歳の誕生日に、ヴィクトルは旅立つ。
「マルティナ……」
「どうして……今日なの……?」
旅立ち前に会いに来たヴィクトルに聞いた。
最後なんだから、私の誕生日をちゃんと祝ってから旅立ってもいいのに……。
「……俺は、お前に結婚を申し込みにきたんだよ!」
「……え……?」
ヴィクトルが私に……?
「俺は魔王を倒しに旅に出るけど……待っていて欲しい。必ず魔王を倒すから、五年……いや、三年で戻ってくる……!」
「……ヴィクトル……うん、待ってる……絶対……魔王を倒して帰って来てね……!」
私とヴィクトルははじめて抱き合ってキスをした。
十七歳の誕生日に、私に婚約者が出来た。
ヴィクトルにはプロポーズされたけど、彼はそのまま旅立ってしまったから、私は両親を説得するのが大変だった。
三年間は待つけど、それ以上は待てないと両親から言われた。
私はヴィクトルが必ず帰って来ることを信じていたから、何度も何度もうなずいた。
——けれど、三年後にヴィクトルが帰って来ることはなかった……。
◇
約束の三年が過ぎてもヴィクトルが帰って来なかったから、両親に新しい婚約者を決めるように言われる。
私は二十歳になっていた。
一年間、夜会に通ったけれど、良い人が見つけられなかった。
次に両親は、この人と結婚するようにと男性を連れてきた。
でも、私は首を横に振る。
ヴィクトルが帰って来るかもしれないのに……。
次の男性、次の男性……。
三人目の男性を断った後で、
「もういい、ローデン伯爵家は妹に継いでもらう!」
お父様がそう言った。
三番目に連れて来られた私の結婚相手の候補だった子爵家の次男が、そのまま次女と結婚して、伯爵家に住むようになった。
跡取り娘だった私はそのまま同じように伯爵家の同じ部屋に住むことを許されたけど、次女とその夫の部屋に伯爵家の重心が目に見えて移っていった。
妹夫婦が次期当主として仲良く過ごす屋敷で、肩身の狭い思いをして待っていると、ヴィクトルは現れた——。
「やっぱり、お前とは結婚できない」
私の二十二歳の誕生日だった——。
◆◇◆
魔王の討伐から戻ってきたヴィクトルは私に婚約破棄を告げた。
横には一緒に旅に出た魔法使いの女がいた。
魔王は結局、ヴィクトルとは別の勇者が倒した。
けれど、ヴィクトルには納得できないようだった。
「アイツと同じルートを進んで魔王城に向かっていたんだ。俺たちの方が先に進んでいたのに……手強い中ボスを俺たちが倒した隙を突かれた……!」
「私たちのパーティーが回復に手間取っている間に、先に進まれてしまったんです!」
ヴィクトルと魔法使いのクラリッサ・フェインと名乗った少女が悔しそうに話す。
「俺は次の魔王を必ず倒すから、それまで、また旅に出る。マルティナとの結婚はもう約束できない!」
ヴィクトルが謝る横で、クラリッサも私を見て言う。
「ごめんなさい、マルティナさん……」
あなたに謝られることなんてないはずよ……!
……。
……五年間待った結末がこれなの。
この世界には勇者候補たちがたくさんいて魔王を倒す為に旅を続けている。
この世界の魔王は、倒されても必ず数年で復活するから、勇者はいつも必要とされていた。
倒せば勇者として英雄と称えられる。
多くの若者が、それだけで勇者になりたがるのだ。
勇者として活躍できるのは三十歳前後までだが、それまでの間に復活する魔王を倒すチャンスは何度もある。
それが、勇者を目指す者を諦め辛くしていた。
「……」
私は言葉が出て来なかった。
ただ、こういうこともあるかもしれないと頭の片隅では思っていた。
だから、帰って来て欲しくなかった。
あなたを思う一途な女でいられたら、どれだけ肩身が狭くても強くいられたのに……!
五年も経って……もう、婚約破棄すら遅すぎる。
◇
私は伯爵家を出て歩いていた。
ただの散歩のつもりだったのに、屋敷に戻ると思うと気が重くなる。
私を訪ねて来たヴィクトルを見送ってそのまま伯爵家を出て来る時の使用人たちの目が私を憐んでいた。
「……っ!」
ヴィクトルと何を話したのかは誰にも伝えていないけど、どんな内容だったのかはヴィクトルと魔法使いのクラリッサの様子から明らかだろう。
……うっ、と嗚咽が漏れそうになるのを、屋敷を出るまでは堪えた。
その後も通行人が私を憐んで見ている気がして泣ける場所なんてなかった。
「まー、あー」
やっと歩けるようになったばかりのような小さい子供が、お母さんとお父さんに連れられて歩いていた。
もし、二年前にヴィクトルが帰って来なかった時点で、結婚していたら、あのくらいの子供が私にもいたのかもしれない……。
二人の子供連れた若い夫婦もいる。
十七歳でヴィクトルを待たずに結婚していたら、きっと二人か三人子供がいたのかもしれない……。
男女二人で歩いている若い恋人同士も見える。
婚約者を五年も待って、何人もの結婚相手の候補者を拒絶して、伯爵家の後継でもなくなって……恋人なんて、もう私には望めない……。
いつの間にか、涙がどこかに消えてしまった。
涙を流した方がスッキリ出来そうなのに、泣きたい衝動すら湧いて来ない。
ただただ自分の愚かさのせいで選んでしまった人生に、終わりが見えた。
『マルティナ様が、お可哀想……』
私は、使用人たちの同情の中で、伯爵家の中で存在を消すように小さくなって生きていくんだ……。
永遠にこのまま、今までと同じ——ただ、ずっとそばにいなかった婚約者だけを、本当に失った。
伯爵家に帰る足取りが重い……。
戻るのがこんなに気が重くなるなら、屋敷を出て来なければよかった。
もう、二度と外には出たくない。
——キラッと光が反射する。
すっかり夕日に赤くなった太陽の光を、キラキラと窓から反射させている建物があった。
『ローレンス武器店』
昔、ヴィクトルに付き合って何度も来た場所だった。
今、一番見たくないのが剣や武器だった。
でも、とても綺麗だった。
窓から反射する光は剣のが先が夕日を反射させているのだろう。
私は、誘われるように閉店間際のローレンス武器店に入った。
店の中は閉店準備で店主のおじいさんが忙しく動き回っていると思ったけど、シンと静まり返って誰もいないようだった。
でも、夕方で薄暗くなっている店の中でも、動く度に武器の刃先が夕日を反射させてキラキラとうるさいくらいに騒いでいる。
きらめきをもっと見ようと奥へ進むと、人の手が見えた。
床に倒れて——店主のローレンスおじいさんが、カウンターの裏で床に倒れていた……!
◇
「マルティナ、買い取った武器をバーナードのところに持って行って修理してもらっておくれ」
「はい、ローレンスおじいさん」
私はローレンス武器店にいた。
あの日、武器店の中で倒れていたローレンスおじいさんを医者に見せると、歳のせいだろうと言われた。
心配でその晩は看病したが、次の日も一人にするのは心配だった。
——私の伯爵家に帰り辛いという事情もあったけど。
ローレンスおじいさんには、ヴィクトルとの経緯を話した。
「あの子ならそうだろうなぁ」
分かっていたような言い方に、ムッとしつつも納得してしまった。
ヴィクトルと私が一緒に店を訪れていた頃から、ローレンスおじいさんには、私がヴィクトルのことを追いかけて、ヴィクトルがそれを気にも止めていない様子がよく見えていたんだろう。
どうすることも出来ない事だったんだと思う。
私がヴィクトルを追いかけていたのが間違いで、何かが違えばヴィクトルと上手くいくこともあったなんて事はないんだ。
ヴィクトルのことを完全に自分の心から追い出せた。
ただ、自分の間違いだけは、ずっと後悔している。
私がローレンスおじいさんを心配で、伯爵家に戻らなかった日——。
伯爵家では大騒ぎだったらしい。
翌日に武器屋で私を発見したお母様は、「みんな口に出さなかったけれど、あなたが身投げしたと思っていたのよ」と、言った。
昨日なら、私も家を出た時からそう思われていた気がして納得したけど、
「ヴィクトルのことぐらいで死んだりしないわ。そんなことより、やりたいことを見つけたから、私は家に帰りませんから」
ローレンスおじいさんには身寄りがいないというから、次に倒れた時には発見が遅れるかもしれないし、屋敷に帰れば私はずっと憐れまれるだけだった。
やりたいことではなくて、都合のいい居場所を見つけただけだったが、ローレンス武器店は居心地が良かった。
家族は呆れていたが、徐々に認めてくれて、武器を大量購入してくれたり、質のいい中古の武器を売ってくれた。
店の管理や商品や付属品の在庫管理に慣れた頃、買い取った武器をバーナードのところに持っていく。
バーナードは武器職人で、新しい武器を作ったり、中古の武器の修理もしてくれた。
「私にも修理できる武器が混じっていますよね?」
バーナードに言うと、驚かせてしまった。
「伯爵令嬢が武器の修理!?」
無口な職人のバーナードがこんなに驚くなんて……。
「私はもう伯爵令嬢じゃなくて武器屋になったんだから、自分で修理できるものは修理したいんです」
最初こそ驚いたもののバーナードはよく教えてくれて、店番の合間に修理や手入れが出来るようになった。
バーナードに頼む修理のやり方や工程も覚えた。
ローレンスおじいさんにも認められるくらい武器に詳しくなった頃に、おじいさんが亡くなった——。
私が武器屋になって、三年目のことだった。
おじいさんに認められたとはいえ、私は武器屋として独り立ちするにはまだまだだった。
それでも、武器屋になると決めたからには、店を続けていかなければならなかった。
『マルティナ武器店』と名を変えた店を、職人のバーナードや実家の伯爵家に助けられながら、必死に盛り立てていった。
ここ数年、やっと自分の誕生日を思い出せるような心の余裕ができて来たのだった。
◆◇◆
「いらっしゃいませ」
二十二歳の誕生日に婚約破棄されて以来、
十年ぶりに会うヴィクトルに、他のお客様と同じように声をかけた。
十年前にヴィクトルと会った時に一緒だった魔法使いのクラリッサ・フェインも今は一緒ではない。
……その十年前に一度しか会っていない魔法使いの女の名前を覚えている自分が少し嫌になる。
「マルティナ……どうしてここに……」
ヴィクトルは私に気づいて驚く。
「『マルティナ武器店』と書いてあったでしょう」
私は淡々と言う。
「……まさか、あ のマルティナの店とは思わないだろう……」
ヴィクトルは心底驚いている様子だ。
伯爵令嬢が武器屋の女店主になってるなんて思いもよらないとは思うけど。
「それで、どんなご用件ですか?」
私は事務的に聞く。
「……っ」
ヴィクトルが一瞬ためらったが、すぐに私とヴィクトルを隔てる店のカウンターに剣を置いた。
「勇者は引退したんだ。しばらくは持っていたが、剣を売りに来た」
勇者がまた魔王を倒した話は聞いているけど、それはヴィクトルではなかった。
私と別れてから二度ほど魔王が復活したが、ヴィクトルはどちらも倒せなかった。
結局、仲間とも別れて勇者を引退して食い詰めて剣を売りにくる。
何人ものそういう勇者を見て来たけど、ヴィクトルも同じだというだけだ。
ズキっと胸が痛む。
『魔王なんて倒せるわけがない』
ヴィクトルが、きっと惨めに引退していくだろうという予感はあった。
武器を売りに来る引退した勇者にヴィクトルを重ねて、スッと気分が晴れるように感じたこともあった。
でも、実際に本人を目の前にするとただ胸が痛む。
私を捨ててまで選んだ道で、何も残せず、魔法使いのクラリッサとも別れて、剣を売りに来る。
こんなヴィクトルを見たくはなかった……。
私まで惨めな気分になる——。
「はじめて剣を買った店で、最後の剣を買い取ってもらいたかったんだが、じいさんは亡くなったのか」
「七年も前にね」
ヴィクトルが過ぎ去った年月の重みに自虐的な笑みを浮かべた。
「それからマルティナが継いで一人で店をやってるのか……まあ、ずっと俺と一緒に店に通ってたお前に買い取ってもらうのも悪くないか」
ニヤッと、ヴィクトルが一瞬笑みを見せた。
武器の手入れで荒れた私の手にヴィクトルの視線を感じた。
今度の彼の笑みは自虐じゃなくて嘲笑だった。
自分より、惨めな女がいたと思ったのだろう。
カッと一瞬、身体が怒りで熱くなる。
誰のせいで、なりたいとも思っていなかった武器屋になったと思うの!
そんな言葉が喉の奥まで競り上がってくる。
けど、もう言っても仕方がないこと。
「……おかげさまで」
そう冷たく皮肉を言った……のに……。
キラッとカウンターの上で夕日を反射する光があった。
飴が一つあった。
朝に掃除をした時にはなかったけど……。
『ありがとう! おばちゃん! お父さんを説得して、今度は一緒に剣を買いに来るよ!』
勇者になりたいと、最初の武器の相談に来た少年がいた。
あの子が忘れて行った飴だろう……。
『おばちゃん』と言われて、心の中で『お姉さんっ!!!』と訂正しなくなってどれくらいの日々が経ったのだろう。
カウンターを挟んで少年と話しをして、キラキラした瞳にヴィクトルを思い出した。
この少年の旅に私の勧めた剣が役に立つならどんなに嬉しいことだろうと思った。
魔王を倒せなくても、剣と共に少年が冒険する日々は永遠に輝くだろう。
あなたのその剣のために、私は毎日店を開けて、職人に注文を出して、剣を磨き、待っている。
武器屋になってからずっと——。
この繰り返しの日々を、私は愛してる。
……ヴィクトルに皮肉を言うことすらできない。
私の怒りや悲しみは、もうここにはないから。
「ヴィクトル、本当にありがとう。私が知ることのなかった場所に連れて来てくれて!」
私が微笑んで言うとヴィクトルはたじろいだ。
「……っ!」
そして、ヴィクトルは私から目を逸らす。
私はヴィクトルの様子も気にせず剣に見入った。
ハッと息を呑む。
刃こぼれこそしているが、ヴィクトルが持って来た剣はかなりいいものだった。
伝説級の剣には及ばないけれど、ほとんど遜色のないものだった。
……私はヴィクトルの評価を変えなければいけないと思った。
情けなく、何も成せなかった人ではない……魔王を倒して英雄になる一歩手前までは近づいていたんだ。
——私を捨ててまで、選んだ道で……。
その後も、刃の曲がり具合や、柄の歪み、修理後などを確認する。
使い込まれて状態は悪いが、修理すればまだ使える。
うちと契約している職人——バーナードは修理技術も確かで、新品以上のものに仕上げてくれるだろう。
ヴィクトルの剣を査定して、買取金額を弾き出す。
私を武器屋にしてくれた人だ……買取金額に少しだけ上乗せした。
——金額を伝えるために顔を上げると、ヴィクトルが目を見開いて私を見ていた。
「……なに……?」
私は驚いてヴィクトルに尋ねた。
「……お前が、立派な武器屋になっていて驚いたんだ……」
素直な言葉だと思った。
嫌味も皮肉もない素直な言葉。
「あなたも、すごい勇者だったのね」
私からも素直な言葉が自然に出て来た。
私たちは、ただ事実だけを認め合った——。
買取が済んで、ヴィクトルにお金を払う。
「ありがとうございました」
背を向けて店を出て行くヴィクトルに向かって頭を下げた。
買い取った剣を大事に梱包する——。
「待っていてくれと……十年でも二十年でも……待っていてくれと、言えばよかった……」
声が聞こえた気がして上を向く。
カラン……
ドアの閉まる音だけが店に響いた。
私は少年の忘れて行った飴に手を伸ばした。
きっとどこに忘れたかも覚えていないだろう。
だから、三十二歳になったプレゼントに、もらってしまうことにした。
「甘い……」
今日から、私は三十二歳になった。
後日談——。
◆◇◆
最後の客が遅くに来たから、店を閉めるのが遅くなった。
三十二歳の誕生日に急ぐ予定もないのに、私は急いでいた。
ヴィクトルが置いて行った剣を、早く修理して欲しいと思ってしまったから、職人のバーナードのところに向かってる。
バーナードは独り身で、その日によって遅くまで工房で仕事をしている日もあれば、早めに切り上げて自宅に戻っていることもあった。
私が剣を持って行っても今日修理をはじめてくれるわけでもないし、明日の午前中にはバーナードの方から店に納品に来てくれる。
でも、今日、渡したくなった。
工房が閉まっていて、バーナードに会えなかったら自宅に剣を持ち帰ればいいだけだし。
日も沈んで暗く人通りも少なくなった道を歩いて行くと、バーナードの工房には明かりがついていた。
私は嬉しくなって走って行く。
「いてくれて良かった!」
私がそう言いながら工房に入って行くと、バーナードが驚いた顔を向けた。
バーナードは集中して仕事をする人だから、あまり驚かせないようにといつもは気を使って声をかけるんだけど、今日は忘れてしまった。
でも、明かりはついていたけど、工房の中では作業は行われていなかった。
片付いた作業台に向かって、バーナードが座っているだけだった。
「ちょうど、今日の作業が終わったところだった?」
それにしてはバーナードの驚き方がおかしいと思った。
幽霊にでも会ったみたいだ……。
店が閉店してから、工房に訪ねて行く事なんて滅多にはないけど……稀に急ぎの依頼を頼むことだってあった。
その時だってこんなに驚かなかったと思う。
沈黙があった。
「……アイツと……出かけたのかと思った……」
バーナードがやっと口を開く。
「アイツって……?」
私に思い当たることがなくて聞くと、バーナードが私の持っている剣を指差した。
「ヴィクトル……? ヴィクトルが店に来たことを知ってるの……それより、バーナードはヴィクトル知っていたの!?」
思いがけないことに驚く。
「……俺は十歳から職人見習いとして、ローレンス武器店の仕事もしていたから、勇者になりたいって子供のことならみんな知ってる。……そのアイツが、君の店に夕方に行ったら、ちょうど店に入って行くところだった……」
私は、ローレンス武器店で働き出した十年前からしかバーナードを知らないけど、バーナードはずっとここで働いていたんだ……。
「……もしかして、私のことも、知ってたの……?」
バーナードはうなずく。
「……だからって、ヴィクトルと私がどうして一緒に出かけることになるのよ……婚約破棄されて、十年も会ってなかったのに……」
ずっと一緒だったからって……まだ、ヴィクトルと私を結びつける人がいることに、少しだけ怒りが湧いた。
「……それは……」
バーナードは言い淀む。
言葉に詰まるくらいなら、変な想像はしないで欲しいわ。
ヴィクトルには感じなかった怒りを感じてしまう。
「だいたい、どうしてあなたが夕方に店の方に来たのよ……」
今朝も店に来て、用事は済ませた後で、明日もまた納品に来るのに……。
「……今日は、君の誕生日だったから——」
「……え」
——私の誕生日を知ってた人がいたの——。
「……教えたの? 私が……? あなたに……?」
覚えがなかった。
ここ十年は誕生日なんて気にする生活をしていないのに……。
「……去年の今日……君がケーキを買うのを見たから、誕生日なんだと思ったんだ……」
……あの、一人で食べて虚しくなったケーキが……。
「……それで、どうしてバーナードが夕方に店に来ることになるのよ……」
バーナードが言いにくそうに話す。
「もう一度……誘おうと思って……」
「誘う……?」
「……誕生日に俺と夕食を食べに行かないか……朝の納品の時に誘えなかったから、もう一度……誘いに行こうと……」
だんだんバーナードの声が小さくなっていく。
「……私の誕生日を祝ってくれようとしていたの……」
間があってから、小さくうなずいたバーナードの後ろで、キラッと光るものがあった。
店のカウンターで見つけた飴だった——。
誕生日の唯一のプレゼントにした、あの飴。
……あの男の子じゃない……バーナードが置いて行ったの……?
バーナードが置いて、コロンとカウンターの上で転がって見えない位置に隠れた飴が脳裏に浮かぶ。
でも、
「ふふふ、三十二歳の女の誕生日のプレゼントが飴一つ……あはは」
私は笑いが込み上げて止まらなくなった。
男の子じゃなくて、くれたのが大人の男性なら、飴一つなんて……!
「……誘えなかったから、せめて飴か何か甘いものをと思っただけで、プレゼントってわけじゃ……」
バーナードが慌てて言うけど、本当に私のために置かれていたものだったんだ。
カウンターに置かれた飴……。
「ありがとう……」
私は笑うのをやめた。
きっと笑いすぎて、涙が頬を伝ったと思う。
バーナードが私を見つめている。
「……マルティナ……俺と食事に……」
多分、バーナードが誘ってくれているのは街のレストランだと思うけど……、
「もう、遅いと思う……」
私が言うとバーナードは、「そうだな」と肩を落とした。
一つだけ、私は嘘をついていた。
誕生日だからって、『今年は何の用意もしていなかった』と言ったけど、あれは嘘だ。
実は用意している。
特別なものじゃないけど、今夜は家で一人でやけ食いしたくなる気がして、朝から夕食をたくさん仕込んでいた。
多分、二人分……三人分はあると思う。
やけ食いなら、また後でも出来るから。
「バーナード、夕食なら、私の家に食べに来ない?」
また、バーナードの後ろで飴がキラッと光る。
私は、今までで一番嬉しいプレゼントのお礼をしようと思う。
番外編——。
◆◇◆
「一週間後に十歳になるから、お父様に本物の剣を買ってもらえるか頼んでみる!」
男の子が店主のローレンスじいさんに言って店を出て行くところだった。
男の子の後を女の子がついて行く。
貴族の子供たちだった。
俺はちょうど二週間前に十歳になったばかりで、誕生日プレゼントは頼んでもいないのに親父の弟子になることだった。
平民の職人の子供なら普通のことで、もっと早くから手伝いをしている子供も珍しくない。
自分の境遇を不幸だとも思ったことはないけど、貴族の子供は呑気だと思った。
「バーナード、よく来たね。重かっただろう」
『ローレンス武器店』のローレンスじいさんは見習いになったばかりの俺を、まだ子供扱いして目をかけてくれる。
「あれはハーグレイヴ伯爵家のヴィクトル様じゃよ。バーナードと同じ歳で勇者になりたいそうじゃから、バーナードが一人前の武器職人になる頃に勇者として旅立つかもしれないのう。その時はバーナードの作った剣を持って行くかもしれないの」
俺が複雑な気持ちで男の子の後ろ姿を眺めていたから、ローレンスじいさんが教えて慰めるように言った。
別に羨ましいわけじゃない。
勇者なら平民でもなろうと思えばなれる。
武器や防具を買うのは大変だが、冒険をしていれば自然と金は手に入るから、むしろ平民の貧困の子供の方が冒険者にはなっている。
そういう子供からは、職人見習いになれる方が羨ましがられることもある。
ただ、やはり同じ歳の貴族の子をこんなに近くで見ると複雑だった。
……呑気なやつだ。
◇
俺は十五歳になっていた。
武器の修理は任せてもらえているが、まだ見習いだった。
『ローレンス武器店』に新しい武器や修理した武器を届けに行くのは俺の仕事で、ローレンスじいさんから子供扱いされることはなくなった。
たまにヴィクトルを見かけることがあった。
今も、ローレンス武器店から出るとヴィクトルがいた。
「大丈夫? 飴があるけど食べる?」
ヴィクトルといつも一緒にいる貴族の女の子が小さい子にしゃがんで話しかけていた。
小さな子は飴を貰うと笑顔でどこかに駆けて行った。
「ぶつかったくらいで泣くなんて……! お前はなんで飴なんて持っていたんだ」
「家を出る時に妹に貰ったのよ。ヴィクトルもいる?」
「俺、飴嫌い。ケーキが食いたい」
「明日は、ヴィクトルの誕生日だから苺のケーキが食べられるでしょう」
「なんで誕生日は苺のケーキなんだ。チョコの方がいいのに」
二人は、話しながら俺の前を通り過ぎて行った。
勇者になる夢はまだ諦めてないらしいが、アイツはずっとあの女の子と一緒にいるのか……。
俺の周りでも幼なじみの女の子や取引のある店の娘の様子が変わって来ている。
貴族の家とは違う事情があるから、俺の方も面倒だった。
◇
「バーナードの初めて一人で完成させた剣が売れたぞ。ヴィクトル様が、勇者として旅立つ時の最初の剣に選ばれたんじゃ」
「え……?」
ローレンスじいさんに言われて驚いた。
俺は十七歳になっていた。
七年越しで、十歳の頃に言われた通りになるなんて……。
「本当に勇者になったのか……じゃあ……あの子はどうなるんだ……」
俺はヴィクトルといつも一緒にいた貴族の女の子を思った。
ずっと一緒にいるのが当たり前のように思っていたのに、離れ離れになるのか。
「マルティナ様か……ヴィクトル様はプロポーズして待っていてもらうと言っていたが……どうじゃろうなぁ」
ローレンスじいさんの言い方には含みがあったが、俺はあの子がヴィクトルに忘れられているわけじゃなくてホッとした。
彼女はヴィクトルが本当に好きなんだと思う。
平民の女の子と比べてはいけないが、俺が付き合う女の子はすぐに別の男のところに行ったり実利で男を選んでいるから、貴族の女の子の一途さが眩しく見えた。
ヴィクトルと彼女がずっと一緒ならいいと思う。
ああ、彼女は、マルティナという名前なのか……。
◇
ヴィクトルが勇者として旅立ってから、マルティナを見かけることもなくなった。
ただ、有力な勇者の情報は武器屋や武器職人の間では噂が聞こえてくることがあり、ヴィクトルの活躍は時々聞こえて来た。
マルティナにも当然聞こえていてホッとしているのだろうと思っていた。
俺もヴィクトルも二十二歳で、結婚を周りに急かされる歳になっていた。
マルティナも多分同じ歳くらいのはずで、女性なら尚更結婚を急かされて、婚約者の様子が分からないと不安だろうけど、きっと手紙や報告がヴィクトルから届いているのだろう。
——だから、いきなりマルティナが『ローレンス武器店』で働き出して驚いた。
「いらっしゃいませ」
俺がいつもと同じようにドアを開けて『ローレンス武器店』に入ると、マルティナがいた。
「…………………………」
長い沈黙の後、
「…………………………」
やっぱり俺は言葉が出て来なかった。
「あの……店主のローレンスおじいさんが倒れられて、今は奥で休んでいるんです」
あのじいさんなら歳だから倒れることもあるだろう。
だが、それとマルティナがここにいることとは話が別だ。
「あの……お客様じゃないんですか?」
マルティナの方も俺のことを知らないから、俺の態度を不審に思ったのだろう。
俺は手に持っていた梱包した剣を少し掲げて見せた。
「俺は、武器職人で依頼されて修理した剣を届けに来た……」
「ああ、そうなの? どうしよう、私は店番してるつもりだったけど何も知らないから……! ローレンスおじいさんはまだ休ませてあげたいし……!」
マルティナが俺のせいで取り乱した。
「い、いや、君は居てくれるだけでいい! 事情がわかれば、みんな安心するから、ここで来た人に伝えてくれ! 俺の修理した剣は、また後で持ってくればいいだけだ」
「……ああ、そうよね……ありがとう」
マルティナが落ち着きを取り戻して微笑んだ。
俺の胸の奥で何かが疼いた。
貴族の令嬢だったマルティナが、いきなり武器屋の店番なんてすることになって不安だったんだと思う。
俺は、少しでも役に立っただろうか。
俺が工房に着くと親方……父が仕事をしていた。
「……どうした」
俺が『ローレンス武器店』に届けた剣を持ち帰って来たのを横目で見て聞く。
俺はローレンスじいさんが倒れて貴族令嬢が店番をしていたことを話した。
「それは大変じゃないの!? ローレンスじいさんも心配だけど、貴族令嬢が店番なんかして昼ごはんはどうしてるんだろうね? 朝は食べられたのかしら?」
ちょうど昼食の弁当を届けに来た母が話を聞くと、『ローレンス武器店』に食事を持って飛んで行った。
俺は気が付かなかったことで、ハッとするが母さんに任せておけば大丈夫だろう。
修理した剣を届けに行って次の仕事のことをローレンスじいさんに聞く必要があったから、午後に『ローレンス武器店』にもう一度行く。
夕方でもよかったはずだが、気になって午後の早い時間になってしまう。
俺の母は帰ったようだが、店の中には別の女性がいた。
「みんな口に出さなかったけれど、あなたが身投げしたと思っていたのよ」
華やかな格好の武器屋には似合わない女性がマルティナに向かって言う。
身投げ……? マルティナが……?
「ヴィクトルのことぐらいで死んだりしないわ。そんなことより、やりたいことを見つけたから、私は家に帰りませんから」
マルティナが言い返しているが、ヴィクトルとなにかはあったのだ。
華やかな女性——たぶんマルティナの母——が店を出て行くと、俺が入れ替わりで店に入る。
さっきまで怒ったように話していたマルティナの表情が柔らかくなっていた。
「バーナード、ありがとう。あなたのお母様が食事を届けてくれて、ローレンスおじいさんのことも色々としてくれたのよ。あなたが頼んでくれたおかげよ」
俺と親方の話を聞いて勝手に出て行ったんだが……それより……バーナードって。
俺の名前……名乗っていないのに……。
「バーナード、ローレンスおじいさんはまだ休んで貰ってるけど話しても大丈夫よ! それから、修理した後の剣のことは聞いておいたの、今度はちゃんと私が預かれるわ」
そういうとマルティナは俺から剣を受け取って、ローレンスじいさんがやるように、棚にしまった。
俺は、マルティナに名前を呼ばれただけで何も考えられなくなる。
何を聞きたいのかも整理できないままにローレンスじいさんのところに行った。
「マルティナに会ったか」
ローレンスじいさんは浮かれていた俺を現実に戻すように、マルティナの置かれた状況を教えてくれた。
ヴィクトルに婚約破棄されて実家の伯爵家にも居づらくなっているのだという。
ずっとヴィクトルと一緒にいるものだと思っていたのに……何があったんだ……。
貴族の事情は分からないが、俺自身が婚約破棄されたようなショックを感じた。
「気の済むまで居てもらうつもりじゃから、バーナードもマルティナの事を気にかけてやっておくれ」
とっくに気にかけているから、俺の方がローレンスじいさんの言葉にホッとしたくらいだった。
『ローレンス武器店』を出る時に、マルティナが俺に頭を下げた。
「バーナード、明日からもよろしくお願いします」
「ああ……」
俺は、彼女を受け入れているのに受け入れられないような複雑な気持ちで店を後にした。
彼女は貴族令嬢で俺とは住む世界が違う人だ……。
でも、今は同じ剣を扱って、同じように腹が減る……そういえば、夕食はどうするんだ?
俺の母もそこまでは面倒をみていないだろう。
……。
食事に誘えばよかっただろうか——?
◆◇◆
簡単な武器の修理の仕方を覚えたいとマルティナが言い出した。
「私はもう伯爵令嬢じゃなくて武器屋になったんだから、自分で修理できるものは修理したいんです」
いつ気が済んで伯爵家に戻るのかと思っていたが、まだ戻る気はないようだった。
マルティナは、俺の工房に時間を見つけては顔を出して、修理の仕方を覚えていった。
ある時にマルティナが変わった武器を持って来た。
「西の方に出没する魔物に有効な専用の武器だな。この辺に持ち込まれるなんて珍しい」
「なんだ……バーナードも知らない武器かもしれないってローレンスおじいさんが言っていたのに……」
マルティナががっかりしていた。
「……聞いたことがあっただけで見るのは初めてだし、修理の仕方は分からない」
俺が正直に答えると、マルティナが明るい顔になった。
「バーナードにも分からないことがあって安心したわ」
武器職人の知識不足を安心されたら困るが。
「俺だって君と歳はそう変わらないから、滅多に持ち込まれない見たことがない武器も多い」
「そっか、そうよね。私は二十三歳だけどバーナードは?」
「俺も二十三歳だ……」
多分、マルティナもヴィクトルと同じ歳だと思っていたが、やっぱり俺とも同じ歳だったのか。
親方がこの武器の修理をした事があるというから、修理の仕方を聞いて、その日は工房でマルティナと二人で遅くまで作業していた。
「バーナード……」
夜の工房の入り口に女性が立っていた。
すぐに走って行ってしまう。
「ここに用があったんじゃないの?」
マルティナが俺に向かって言う。
俺に用があったんだと思うが、何を誤解したのか行ってしまった。
——マルティナに武器の修理を教えるようのなって、周りから俺がマルティナを好きだと噂されるようになっている。
周りの結婚しろの声に、さっきの女性と結婚を決めたばかりだというのに——勝手な事ばかり言う。
しかし、結局はこの女性からはマルティナのことを誤解されて結婚を断られてしまう。
誤解を解こうとしても話も出来なかったから、彼女も婚約解消の理由を探してたのかもしれない。
マルティナの方も、一通りの修理を覚えたら俺の工房に来ることはなくなって、噂はなくなった。
マルティナは『ローレンス武器店』の別の職人の所にも仕事の勉強に出入りしていて、武器への興味以外の感情がないことは彼女を知る人には分かっていたことだった。
俺は、その後は誤解で女性に振られたことを逆に同情されたが、結婚しなくて良かったとホッとした。
それから、ローレンスじいさんが亡くなり、俺の両親も俺に工房を任せて田舎で好きな武器だけ作るようになり、周りが少しづつ変わっていく——。
◇
二十八歳になった俺は、『マルティナ武器店』となった武器屋に相変わらず仕事で通っていた。
その日は、マルティナの実家のローデン伯爵家から武器の大量注文が入ったらしい。
「バーナード、剣を作る余裕ある?」
注文に来た見なりの良い男の前で、マルティナが俺に武器の発注をする。
男は俺を値踏みするように見て武器屋を出て行った。
俺は、男がマルティナの妹の旦那なのかもしれないと思った。
マルティナも二十八歳になっていたが、実家からの縁談の話は全くないようで、本当に武器屋の女店主になってしまったように見えた。
俺の方は、昔より少なくなったが細々と縁談の話はあって、何回目かの「これが本当に最後だ」という縁談が持ち込まれたばかりだった。
いつかは結婚しなければと思っていたから、もう決めなければいけないと思うのに、マルティナの店に来ると迷ってしまう。
今日はマルティナの店で、俺とは別の取引先の職人が来た。
剣の鞘を作っていて、俺より三歳年下で、俺とも昔からの知り合いだった。
「俺も、結婚することになったんです」
納品を済ませて彼が嬉しそうに報告した。
「バーナードも早く結婚した方がいいよ。道具屋の娘との縁談があるんだろう?」
彼に縁談を持ち込んだのは俺に縁談を持ってくるのと同じ人か?
そうじゃなくても情報は共有されてそうだが。
「ああ……」
俺は曖昧に返事をした。
「おめでとう! バーナードも」
マルティナは喜んでいたが、彼が店を出て、俺も帰ろうと背中を向けた時に、「はぁ……」と小さなため息が聞こえた気がした。
店の外に出てマルティナを振り返ると、いつもと変わらず店の手入れをしながら店番をしていた。
それが、いつもより寂しそうに見えた——。
いつも、寂しそうなのは知っていたが……俺たちの結婚でも、寂しさを感じるのか……。
——マルティナは、本当に武器屋になったんだ。
ヴィクトルの後をついてずっと一緒にいたマルティナにはもう戻らない——。
彼女は、これからずっと武器屋で一人、ため息をつくのか。
俺が結婚して、子供が産まれて、それでも、武器屋には通い続ける。
「おめでとう」
マルティナはそう言って笑顔で迎えてくれるだろう。
俺に、ため息を隠して。
ゾッとする。
そんな未来で俺は幸せじゃない。
一人でいい。
俺もずっと一人で、孤独でいい。
マルティナを、一人にさせたくなかった。
俺は、君と同じ側にいられる方がいい。
君と同じものを感じていたい。
……手の届かない人なら、諦められた。
でも、今のマルティナは俺と同じ場所にいる——。
だったら、もう、自分の気持ちを見ないふりは出来ない……。
……そうか。
俺はマルティナがずっと好きだったのか——。
◇
強く断ると、縁談はもう来なくなった。
マルティナは武器屋として生きていくと決めた日から、とっくに結婚は諦めていたんだ。
だったら、俺も同じでよかった。
俺がいつものようにマルティナの店に行くと、鞘職人が結婚して子供が産まれたと報告に来ていた。
「おめでとう! 女の子なの!」
マルティナは心から喜んでいたと思う。
「そう言えば、バーナードも、同じ頃に縁談があって結婚するって言ってたのに……」
鞘職人が帰った後で、思い出したようにマルティナが俺に尋ねる。
「その話はなくなったんだ。もう俺に縁談は来ない」
「……そうなの……」
マルティナはそれ以上は詮索しなかった。
俺に問題があったんだと思ったようだった。
でも、気のせいか、それから少しだけマルティナの態度が柔らかくなった気がした。
◇
俺は、三十一歳になっていた。
時折、寂しそうにしているマルティナを元気づけることは出来ないけど、俺はマルティナと孤独を共有できる日々に満足していた。
でも、ある日。
ケーキを買うマルティナを見つけてしまう。
——苺のケーキは誕生日のケーキ。
何故かそう思った。
今日はマルティナの誕生日だったのか……。
俺の誕生日の四ヶ月後だった。
マルティナの背中が寂しそうだった。
いつも、マルティナは寂しそうじゃないか。
でも、誕生日には誰かに祝ってもらいたいのかもしれない。
ケーキを一人で買うくらいだ。
……来年は俺が一緒に過ごしたら、マルティナは喜ぶだろうか?
それはただの思いつきだった。
けど——。
「おはよう、バーナード」
カラン
扉を開けていつものようにマルティナの店に行く。
いつものように武器の納品に行っただけなのに……、
ドキッと胸が高鳴る。
店を後にすると顔が自然と綻んだ。
——マルティナの店を覗くと、マルティナは俺が届けた武器を検品していた。
マルティナは何も知らない。
きっと俺が思っているよりも一年後には何も変わらないのだろう。
それでも、一年後のマルティナの誕生日の事を考えただけで、俺の日々が騒がしくなる。
一年後には、まだ早い日々が。




