表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

異世界ファンタジー/異世界恋愛/現代ファンタジー集

その切っ先が、この胸を貫くまでは。 ~敵として再会したその日まで、俺は君を忘れていた~

作者: すっとぼけん太
掲載日:2026/06/05

――北方戦線・グレイヴァルト城塞跡。


雪が降っていた。


焼け落ちる城にも。

死体が積み上がる城壁にも。

血に濡れた剣にも。

灰と血臭が染みついた戦場へ、雪だけが無関心な顔をして降り続けている。


俺は崩れた石畳へ膝をつき、込み上げてきた血を吐いた。


熱い。

肺が焼ける。

左腕は、もうほとんど感覚がない。


鎧の隙間から流れ込んだ血は、とっくに冷え切っているはずなのに、身体の芯だけが異様に熱かった。


立っているだけで精一杯。

それでも。

目だけは逸らせなかった。


十歩先。

崩れた城門の前。


そこに、一人の女が立っていた。

銀の長剣。白銀の長髪。黒い軍装。


そして――

たった今、残っていた味方兵全員を斬り伏せた女。


吹き荒れる北風と雪を浴びながら立つその姿は、まるで北境(ほっきょう)そのものが人の形を取ったみたいだった。


北境反乱軍第一軍・総軍長。

――《蒼い瞳の白狼》。


王都軍が長年追い続けた反乱軍の象徴。

――そう教えられてきた。


だが、初めて見るはずのその顔を、俺は知っている気がした。

いや、違う。顔じゃない。

もっと奥だ。


蒼い瞳。

雪へ落ちた白いマフラー。

雪道へ残った、二人分の小さな足跡。


幼い頃から、いつも隣にいた。

雪玉を投げ合い、川へ落ち、山を転がり、怒られ、腹が減ればどちらかの家へ勝手に入り込んでいた。家族みたいなものだった。

朝から日が暮れるまで一緒にいて、それが当たり前だった。

だから、離れるなんて考えたこともなかった。ずっとこのままだと思っていた。


重たい荷車。


父親の背中。


「もう行くぞ」


あの日も雪が降っていた。

父に連れられて村を離れる日、荷車が動き出した時、彼女は転びそうになりながら雪道を走ってきた。


「行きたくない!」


泣きそうな顔、白い吐息、差し伸べられる小さな手。

俺も必死に手を伸ばした。

指先が触れる。冷たい。

その瞬間だった。


「もう時間だ」

父に腕を掴まれる。


声を上げて泣き出した彼女。

彼女も手を必死に握り返してくる。


だが、大人たちは俺たちを無理やり引き剥がした。


指先だけが滑る。

冷たい。

小さな手の感触だけが、するりと消えた。


俺は泣きそうなのを隠すみたいに笑った。


――泣くな。大丈夫だから。

――またきっと会える。


そう言った自分の声だけが、なぜか耳の奥へ残っている。


割れた鏡の破片みたいな記憶。

繋がらない。掴めない。

思い出そうとすると、胸の奥が鈍く痛んだ。


いや、違う。

思い出せなかったんじゃない。


――思い出したくなかったんだ。


俺はいつだって、ヒーローでいたかった。

だけどあの日。

泣いている彼女を前にしても、俺はただの子どもだった。

何一つ守れなかった。


だから蓋をした。


王都軍へ入り、剣を握って、戦場を駆けた。

強くなれば、

あの日の無力な自分も許せる気がした。


けれど。

思い出した瞬間。

積み上げてきたものの下に埋めていた後悔が、無理やり掘り返される気がした。


女が静かに剣を抜く。

銀色の切っ先が真っ直ぐこちらを向いた。

その瞬間、蓋をしていたはずの何かが、胸の奥で疼いた。


「……ようやく、会えましたね」


その声は、再会を喜ぶ声じゃなかった。

長い時間をかけて辿り着いた答えが、

最悪だった――そんな声だった。


「忘れてしまったのですね……」


雪が降る。


積み上がる死体の上にも、

王都軍にも、反乱軍にも、互いに向けた剣にも。


生まれた時代も。

生まれた場所も。

幼かったあの日も。

笑った時間も――たぶん、同じだった。


ただ、育った時間だけが違った。


それだけで。

俺たちは敵になった。


女が雪を踏む。

キュッ――

小さな音。

次の瞬間、姿が消えた。


速い。

反射だけで剣を持ち上げる。


ギィィィン――ッ!!


火花が散る。腕が痺れる。

重い。細身の剣とは思えない。


二撃。


三撃。


遠くで怒号や、反乱軍の雄叫びが聞こえる。

だが、俺たちの周囲だけは、まるで切り取られたかのように静かだった。


――その静寂を切り裂き、銀の斬撃が雪を裂く。


見えない。

いや、見えている。

なのに身体が追いつかない。

踏み込み。肩の捻り。剣筋。身体だけが先に覚えていた。


なんでだ。

この気配も。

雪の向こうから届く微かな髪の匂いも。

俺は知っている気がした。


女が踏み込むたび、距離が消える。

吐く息が混ざる。

目が合う。

近すぎた。

敵を斬る距離じゃない。

それは、昔から知っている誰かと殺し合う距離だった。


だから。

俺も剣を振った。


首、胴、脚。

躊躇を殺す。

感情を押し潰す。

ただ生き残るためだけに、剣を振るう。


血が散る。


その最中、蒼い瞳が揺れた。

ほんの一瞬、悲しそうに。


彼女の視線が背後へ流れる。

守る者たち。

彼女の背負うものが、一瞬だけ見えた。


女は踏み込んだ。


俺の足が滑る。

砕けた石。

崩れる体勢。

しまった、と思った時には、

銀の切っ先が喉元へ届いていた。


あと数寸。

それだけで終わる距離。


だが、女は止めた。

白い吐息が揺れる。


「……どうして」


切っ先が震える。


「私は……忘れられなかったのに」


雪へ溶けるような小さな声。

けれどその言葉だけは、なぜかはっきり聞こえた。


「私には守るものがあるけど……どうして」


小さな声。

怒りじゃない。

憎しみでもない。

運命に向けた張り裂けそうな悲鳴だった。


切っ先が僅かに下がる。


その瞬間、見えた。


彼女の背後、崩れた城壁の陰。

さっきから何度か動いていた影。


王都軍の槍兵。

腕が振り抜かれる。

次の瞬間、一本の槍が放たれていた。


狙いは――反乱軍総軍長。


雪を裂く必殺の投擲。


俺たちは敵。


……なのに。


失いたくないと思ってしまった人。

彼女はまだ気付いていないようだった。


「――っ」


限界だった身体が、思考を置き去りにして動いた。

肺が焼ける。

左腕は死んでいる。

足も、まともに動かない。

それでも、身体のどこかが叫んでいた。


――行け、と。


遠い雪の日。

凍えた手。

転びそうになって握った指。


あの時、失ったはずの温もり。

今度こそ。絶対に離したくなかった。


石畳を蹴る。

考えるより先に、俺は彼女の横をすり抜け、飛び込んだ。


その瞬間――

彼女が敵の急襲と判断して放った銀閃が、俺の右脇腹を斬り裂いた。


熱が走る。


右脇腹。


遅れて、焼けるような痛み。

彼女の長剣が、浅く俺の身体を裂いていた。


「なっ――」


蒼い瞳が見開かれる。


自分の剣。

裂けた軍服。

飛び込んだ男。

彼女の身体が、一瞬だけ止まった。


その隙に、俺は彼女の背後へ回り込む。

迫る穂先。両手を広げる。


せめて。


今度こそ。守りたかった。


次の瞬間、鈍い音。

背中を襲う凄まじい衝撃。


遅れてやってくる圧倒的な熱。


視線を落とす。


胸から、


冷たい穂先が、生えていた。


溢れ出した紅が、

純白の雪を容赦なく染めていく。


「……いや……っ」


崩れ落ちる俺を、彼女が抱き止める。


乱れた吐息。

震える腕。

熱い血で濡れていく黒い軍装。


ああ。




……そうか。


俺はずっと怖かった。


この戦いの最後は、

彼女のその切っ先が、この胸を貫くことを。


だけど。


違った。


まだ。


彼女の切っ先は、俺を貫いていない。


彼女はまだ、俺を敵として殺していない。


だからもう少しだけ。


もう少しだけ、このままで。


そう思った瞬間、ようやく分かった。


俺は、死ぬのが怖かったんじゃない。


ずっと。


あの日、離してしまったその手を、


今度こそ、離したくなかった。


「……だい、じょうぶ……だから」


涙で滲んだ蒼い瞳が、すぐ近くにあった。

あの日離してしまった小さな手が、今は血に染まりながらも、しっかりと自分を握り返してくれている。


震える腕が、俺を強く抱き寄せる。


雪だけは――


二人がまだ幼く、


無邪気に笑い合っていた、


あの日と同じように。


ただ平等に降り続いていた。


【了】

お読みいただき、ありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ