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越路秋葉短編集

【短編小説】実家のクルマが盗まれた

作者: 越路 秋葉
掲載日:2026/04/16

 電話が鳴ったのは、昼下がりのことだった。

「はい、もしもし――」

「山手中央警察署、刑事課の安浦です」

 母は一瞬、受話器を持つ手を止めた。

(来たな……特殊詐欺の“役職盛り”タイプ)

 静かに息を吸い込む。

「はいはい、“刑事課”ね。で、“安浦さん”。次は“口座が危ない”とか言うんでしょ?」

「いえ、言いませんが……」

 安浦、いきなり困惑。

「渋谷区内の山手中央駅前で、お宅のアルトが路上駐車されているんですが」

「出た。“アルト”って具体的な車種で信用させるやつ」

「実際アルトなんですが」

「じゃあナンバーは?」

「松5あ32です」

「……あってる」

 一瞬、母の中で警戒が揺らぐ。

 だがすぐに立て直す。

「でもね、うちは長野県白馬村ですよ。アルトが単独で上京するわけないでしょ」

「ですので、どなたかが――」

「あとね、うちのアルト、農機具小屋にしまってあるんですよ」

「……農機具小屋」

「そう。ちゃんと中に入れてあるんで、勝手に出ていくわけないんです」

「……」

 安浦、想定外の“保管状況”に一瞬言葉を失う。

「だからこれはあれですよ。新手のやつ」

「……一度、現物をご確認いただけますか」

「確認って、詐欺じゃない証拠に?」

「いえ、純粋に車の有無を」

「分かりました。一旦切りますね。逃げませんよね?」

「逃げません」

 母は長靴を履き、農機具小屋へ向かった。

 扉を開ける。

 見慣れた農機具。

 その奥――

「……ない」

 一歩入る。

「……ない」

 二歩入る。

「……やっぱりない!」

 母は外に出て、周囲を見回した。

「……歩いて行った?」

 納得しかけて、やめた。

 家に戻り、電話をかけ直す。

「すみません、さっきの安浦さん?」

「はい」

「盗まれてました!」

「……ですよね」

 安浦、やはり落ち着いている。

 母は続けて言った。

「じゃあ、いらないので捨ててください」

「いや、それは――」

 即座に否定が入る。

「こちらで勝手に処分するわけにはいきませんので、持ち主の方に引き取っていただかないと困ります」

「えー……」

 母、露骨に嫌そうな声を出す。

「だって、もう使ってないし……」

「お気持ちは分かりますが、手続き上どうしても必要になりますので」

「手続きって強いですね」

「はい、強いです」

 妙なところで納得した。

 数日後。

 父は渋々、東京へ向かうことになった。

 ――その前に。

「……これ車検切れてるじゃねえか。ただ、税金払ってただけかよ!」

 書類を見て固まる。

 完全に切れている。しかも結構前から。

「なんで黙ってたんだよ……」

「だって小屋に入ってたし」

 理屈としては成立していた。

 結果、父は 白馬村役場 へ向かった。

 役場の窓口。

「仮ナンバーですね」

 慣れた調子で書類が出てくる。

「東京に盗まれた車を取りに行くんですけど」

「はい」

「農機具小屋から消えてて」

「はい」

「車検切れてて」

「はい」

「これで東京から帰ってくるんですけど」

「はい」

「大丈夫ですかね?」

 職員は一拍も置かず言った。

「お気をつけて」

「それは分かってる!」

 安心材料ゼロだった。

 父は赤い仮ナンバーを受け取った。

 どう見ても“事情あり”である。

 山手中央警察署。

 手続きを終え、父は外へ案内された。

 そこに――アルト。

 間違いなく、うちのだ。

 だが、どこか顔つきが違う。

「……お前、外の世界知ったな?」

 父がぼそりと呟く。

 アルトは何も答えないが、妙に堂々としている。

「では、お気をつけて」

 警官が言った、そのとき。

「あ、そうだ」

 嫌な予感しかしない。

「フェンダーミラー、折れてますね」

「……え?」

 父は初めてミラーを見た。

 見事に、ありえない角度で曲がっている。

「これ、いつから!?」

「盗難中に、ですかね」

 万能ワードだった。

 父は真顔で聞いた。

「これで走ってて、整備不良で罰金とか……」

 警官は少し考えて、

「止められたら事情を話してみてください」

「……みてください?」

「見逃してもらえるかは、知らんけど」

 父は静かにうなずいた。

(運だな)

 帰り道。

 赤い仮ナンバー。

 曲がったミラー。

 そして、農機具小屋から忽然と消えたアルト。

 サービスエリアに入るたび、視線が刺さる。

(絶対“何かあった車”だと思われてる……)

 父はミラーを直そうとする。

 ――直らない。

「お前、どうやって出たんだよ……」

 アルトは沈黙。

 ただ、“語らない事情”だけはある。

 再び走り出しながら、父は思った。

(これ、また盗まれたら……)

 一瞬だけ考える。

(いや、役場もう一回は無理だ)

 現実的な理由で却下した。

 白馬へ続く道。

 気合いと仮ナンバーと、少しだけ外の世界を知ってしまったアルトに乗せて、父は静かにアクセルを踏み込んだ。

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