羊が1匹、羊が2匹、全員死んで肉塊だ
ドン。ドンドン。ドン。
「開けろよォ! オイ! 分かってんだぞコラァ!」
男の怒鳴り声。
アルコールで脳の前頭葉が溶け出し、代わりに安っぽい万能感が詰まっているのが声色だけでわかる。
「きゃはは! 拓也やめなって〜! 人出てくるって〜!」
女の甲高い笑い声。
黒板を爪で引っ掻く音をサンプリングして、ヘリウムガスで煮込んだような不快な周波数。
私の血管の中で、何かが「プツン」と音を立てた。
いや、それは血管ではない。理性の安全装置だ。
素晴らしい。実に素晴らしい夜だ。
そうだ……今日あの子達を……仕上げてしまおう。
私はそう思いニヤける口角を最大限に引きつらせ、いそいそと準備を始めるのであった。
***
丑三つ時。深夜3時33分。
不吉な数字が並ぶこの時刻、廊下の空気は澱んでいる。
彼らの部屋、205号室のドアの前。
かつては私の鼓膜をレイプし続けたこの鉄の扉も、今は死んだように静まり返っている。
「ふふ、静かだねぇ。まるで嵐の前の静けさ……いや、挽肉になる前の牛舎かな?」
私はポケットから針金を取り出す。鍵を開ける? まさか。そんな泥棒みたいなことはしない。
私は合鍵を持っているんだ。いつ作ったかって?
君が酔っ払って玄関で寝ていたあの日、君のポケットから借りて、3分でコピーして、また戻しておいたのさ。
備えあれば憂いなし。
この言葉を作った人は、きっと私のような善良な殺人鬼だったに違いない。
カチャリ。
あまりにも呆気ない音と共に、禁断の果実は開かれた。
玄関に踏み入ると、安っぽいフローリングがきしむ音すら愛おしい。
空気中には、コンビニ弁当の臭いと、アルコールの残り香、そして「平和ボケ」という名の悪臭が漂っている。
靴がある。
男の脱ぎ散らかしたスニーカー。女のヒールの折れそうなパンプス。
お行儀が悪いねぇ。靴を揃えられない大人は、手足も揃わなくなるって教わらなかったのかい?
私は丁寧に彼らの靴を拾い上げ――そして、持参した強力瞬間接着剤で床に固定した。
もし奇跡的に逃げ出そうとしても、玄関で盛大にコケる。
その様を想像するだけで、ドーパミンが脳内でサンバを踊りだすよ。
リビングを抜けて寝室へ。
ドアノブを回す音すらさせない。私は空気だ。私は闇だ。私は君たちの寿命のカウントダウンだ。
ベッドの上には、二つの肉塊が転がっている。
男は口を開けてイビキをかいている。「グゴー、グゴー」。まるで壊れた排水溝だ。
女は男の腕に絡みついている。寄生虫のような愛らしさだね。
私はベッドの脇に立つ。
しゃがみ込み、男の顔を覗き込む。距離、わずか5センチ。
酒焼けした肌。毛穴の開き具合。鼻毛の飛び出し具合。
「あーあ。こんな無防備な顔しちゃって。この首筋、カッターナイフでなぞったらどんな反応するかな?」
私は持参したツールバッグを開く。
中には、金槌、ペンチ、剪定バサミ、そして私のとっておき、電動ドリル。
まずは、小さな悪戯から始めよう。
私はガムテープを取り出す。
男の手首を、ベッドのヘッドボードにそっと固定する。
女の手首も同様に。
彼らは泥酔している。少々のことじゃ起きない。この「信頼」関係が美しいね!
彼らは世界を信じている。自分たちが安全だと信じている。
その信仰心を、これから私が粉々に打ち砕くわけだ。神父になった気分だよ!
準備完了。
私は部屋の電気を一斉につけた。
パッ!
蛍光灯の白い光が、薄汚れた部屋の隅々まで暴き出す。
「う……ん……?」
男が眉をひそめる。
「まぶし……なに……?」
女が身じろぎする。
私はベッドの足元に仁王立ちし、満面の笑みで叫んだ。
「おっはよーーーーーーございまーーーーーーす!!!!!!」
その声量は、目覚まし時計500個分。
「うわっ!? なんだ!?」
男が飛び起きようとする。しかし、手は固定されている。
ガチャン!
「痛っ! なに!? 動かねぇ!」
「きゃあああああ! 誰!? 泥棒!?」
女が悲鳴を上げる。
私は拍手をした。パチパチパチパチ。
「素晴らしいリアクションだ! おはよう、隣人の諸君! 今日の天気は血の雨、降水確率は100%だよ!」
男が私を睨む。焦点が合い、恐怖と怒りが混ざった顔になる。
「テメェ……隣の……! 何してんだ! 警察呼ぶぞぶっ殺すぞ!」
「またそれ? 君の語彙力は『警察』と『殺す』しかないのかい? 辞書を食べて勉強し直すかい? 物理的に」
私は電動ドリルのスイッチを入れる。
ヴィィィィィィィン!!!!!
甲高いモーター音が、彼らの眠気を完全に吹き飛ばす。
「ひっ……!」
女が青ざめる。
「さて、授業を始めよう。テーマは『因果応報』と『人体構造の脆弱性』についてだ」
――肉と鉄のシンフォニー
「まずは君だ、騒音マシーン」
私は男に近づく。
「君のその足。床を蹴るためのその足。振動を伝える機能は優秀だったよ。でも、もう必要ないね」
「や、やめろ! 近寄んな!」
「遠慮するなよ、断捨離だ」
私はドリルの先端を、男の右足の甲に押し当てた。
「アッハ!!!」
まだ回していない。押し当てただけだ。
「冗談だよ、そんなビビるなよ。……なんて言うと思った?」
ギュイイイイイイイイイイイン!!!!
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
回転する金属が、皮膚を食い破り、肉を巻き込み、骨を粉砕する音。
それはまるで、凍った肉をミキサーにかけたような、ゴリゴリという不快な音。
血飛沫が私の顔にかかる。温かい。鉄の味。
「痛い? 痛いよねぇ! でも君が人の家の扉を蹴った時、私の平穏な心もこれくらい痛かったんだよ! 心の痛みはドリルじゃ治せないけど、足の痛みは切断すれば治るかもね!」
「いやあああ! 拓也! 拓也あああ!」
女が泣き叫ぶ。
「うるさいなぁ。君の番はまだだよ。デザートは最後にとっておく派なんだ」
私はドリルを抜く。穴の空いた足から、鮮血が泉のように湧き出る。
「う……あ……ああ……」
男は白目を剥いて痙攣している。
「まだ気絶するなよ! メインディッシュはこれからだ!」
私は次に、剪定バサミを取り出した。
「君のその、悪態をつく舌。あれも長すぎて邪魔そうだったね。剪定してあげようか」
男の口を無理やりこじ開ける。
「や、やめ……ごめんな……ゆる……」
「謝罪? 聞こえないなぁ! 君の悲鳴がうるさすぎて!」
ジョキン。
湿った音が一つ。
男の口から、赤い塊がポロリと落ちる。
「ゴボッ……ガハッ……!」
血の泡を吹く男。
「おーっと、これで君は一生『聞き役』だね! 素晴らしい傾聴スキルの獲得だ! おめでとう!」
さて、次は君だ。
私は震える女の方を向く。
失禁している。ベッドシーツに広がるシミ。
「汚いなぁ。大人のマナーとして、トイレは済ませておくべきだよ」
女は狂ったように首を振る。
「たすけて、たすけて、なんでもします、ごめんなさい、ゆるして」
「『なんでもします』? それは危険な契約だねぇ。悪魔でもそんな雑な契約書は作らないよ」
私は金槌を手に取る。
「君、男が蹴ってる時、笑ってたよね? 甲高い声で」
「わ、わらってない……とめてた……」
「嘘つきには、お仕置きが必要だ」
私は女の顔の横、枕にハンマーを振り下ろした。
ドォン!
「ひぃッ!」
「外した! 次は当たるかな? ロシアンルーレット・ハンマーバージョンだ!」
ドォン! ドォン!
少しずつ、狙いを顔に近づけていく。
「きゃあああ! やだやだ!」
「ハハハ! その顔! その絶望に歪んだ表情! どんな名画よりも美しいよ! ルーブル美術館に飾りたい! タイトルは『豚の末路』!」
そして。
「大当たり!」
ゴシャッ。
鈍い音。骨が砕ける感触が手に伝わる。
女の鼻が陥没し、顔面が赤く染まる。
「痛いかい? でも、君たちの騒音で眠れなかった私の夜に比べれば、一瞬の出来事だろう?」
私は立ち上がる。
ベッドの上は、もはや人間の寝床ではない。
赤とピンクと白が混ざり合った、前衛的なオブジェの展示場だ。
男は喉から血を吹き出しながら痙攣し、女はのたうち回っている。
「さて、そろそろお暇しようかな。君たちも忙しいだろうしね。主に輸血とか、救急車とか、葬儀屋の手配とかで」
私は血まみれの手で、部屋の壁に大きく文字を書いた。
彼らの血で。
『静寂を愛せよ。さもなくば、静寂がお前を愛しに来る』
「それじゃあ、おやすみ! 永遠にね!」
私は玄関へと向かう。
背後で響く、うめき声と死臭をBGMに、私はスキップで部屋を出た。
もちろん、玄関で彼らの靴を接着剤で止めたことを思い出し、一人でクスクスと笑いながら。




