色んな意味でマズい飲食店
―カランカランカラン…
ドアを開けると心地良いドアベルの音が店内に鳴り渡る。
「いらっしゃませ~」
豆を挽く店主の声がカウンターから届く。
「これがいわゆるレトロってやつか~」
「雰囲気あるね~」
二人のカップルがテーブルを挟んで木製の椅子に座る。
「お客さま~当店のご来店は初めてですね~。」
黒いエプロンを身に着けたニコニコ笑顔の店主がお冷を持ってやってくる。
「はい。そうです。」
カップルの彼女・夜音子が答えた。
「やはり~初めて見る顔ですからね~」
クシャリと笑うことで出来た糸目、口から覗く透き通った白い歯…全てが店主の穏やかさを表している。
「お客さんのこと、すごく大事にしてるんですね。」
カップルの彼氏・矛佐士も温かみのある店主に親しみを覚える。
「お客さんありきの商売ですから~。あ、こちらオススメ置いておきますね~」
「あ、どうも。うわーこれ美味しそう! 矛佐士くん、私これにする。」
ラミネートされた紙に印刷されているクリームの乗ったホットケーキに一目ぼれする夜音子。
「そうか。じゃ、僕もこれにしようかな。」
「お二人とも、『凸型パンケーキ』ですね~。」
「はい。あと、ココアを二つお願いしいます。」
「かしこまりました~」
お盆を手にカウンターへと戻っていく店主。
―バキッ!
何かが折れる音が響く。不意に音の方向へ顔を向ける矛佐士と夜音子。視線の先にいる店主は、右足を一段高いキッチンの床にめり込ませていた。
「だ、大丈夫ですか?」
目を見開いて驚いている矛佐士。
「危な…いえいえ~大丈夫です~。」
涼しい笑顔を保っている店主。革靴は木くずにまみれている。
「このお店結構古いのかな?」
「店主の年代からしてそんなに長くはない気がするけど…」
―パキッ、ドガッ、ドシャーン!
カウンターの奥から轟音が響く。思わず身をすくめる夜音子と水を吹き出す矛佐士。
「あちゃー…あ、失礼しました~」
店主の背後にある食器棚からは扉が一枚消えている。カウンターに隠れて矛佐士たちからは見えないが何か大きなものを店主が隅へ運んでいるのはわかった。
「店主さん、お店の設備大丈夫ですか?」
矛佐士がレトロな内装の店内を見渡す。
「ご心配いりません~客席の方は大丈夫です~」
糸目の笑顔のまま扉を失った棚からカップを取り出す店主。
「客席は大丈夫って…キッチンの方も大丈夫じゃないと…」
店主の笑顔が逆に心配になってきた夜音子。
「この椅子は大丈夫でしょうね?」
自分が腰かける椅子を軽く叩いてみる矛佐士。
「そちらの椅子は問題ありません~中古ですけども~」
「中古で買ってるんだ…こっちの椅子も大丈夫でしょ…」
―パキッ!ズザザザ!
「あぁっ!」
矛佐士が近くの別の椅子に腰かけると、木製の座面が真っ二つに割れ、矛佐士の体が沈む。
「矛佐士くーん!」
「お客さまー!」
面食らった表情の矛佐士に駆け寄る夜音子と店主。
「店主! ダメだよこれは!」
「申し訳ありません~祖父の家から譲ってもらったものなのですが~古すぎたみたいですねぇ~」
「新品買いなよ店主さん…その手に持っているのは?」
店主の手には何かの持ち手のようなものが握られている。
「あれれ~? あ~ミルのハンドルだ~。」
キッチンに置かれたコーヒー豆を挽くミルからはハンドルが消えている。
「店主さん、経営者として設備の点検と維持はしっかりしないと。そんな呑気に『あれれ~?』なんて言ってないで。」
椅子を叩いて安全を確認しながらゆっくりと元の椅子に座る矛佐士。
「すみません~以後、改善していきます~。」
白い歯をむき出しに屈託のない笑顔で頭を下げる店主。矛佐士と夜音子は困惑しながら店主の笑顔と向き合う。
「では~『凸型パンケーキ』すぐにお作りしますね~」
危険地帯ともいえるキッチンへと戻っていく店主。
「ねぇ、矛佐士くん…」
夜音子は店主の背中を指さす。カップルの視線の先には店主のエプロンが紐を失い、代わりにガムテープで固定されている様だった。
「お客さま~ココアを注文していただいて丁度良かったです~ミルがこんななので豆を挽く工程が省けて丁度良かったです~」
キッチンでは微笑ましく店主がココアを作っている。
「そうですかーそれは良かったですー…」
矛佐士は店主の曇りの無い笑顔に哀愁を感じ始めた。
「店主さん、だいぶ無理してんじゃないの?」
夜音子は、店主の笑顔と悲惨な店内のギャップが気がかりで仕方がない。
「よくこんな状態で続けられるよね…崩壊するかもしれないし…」
カップルは同時に店の天井を見上げる。白い天井にわずかにヒビが見えた。
「お待たせしました~ココアになります~ご安心くださいカップは問題無く使えます~」
トレイに乗った二つのカップを運ぶ店主の笑顔はもはや不気味にも見える。
「あ…どうも…」
「いただきます…」
ゆらゆらと湯気を立たせるココアに恐る恐る口を付ける二人。
「店主さん、これブラックコーヒーでは?」
矛佐士の口に広がる強い苦み。夜音子の口も底知れない渋みに支配される。二人にとっての舌の天敵が突如として襲撃してきた。
「そんな筈はありません~見た目はしっかりココアですし~コーヒー豆は使っていませんよ~?」
「物凄く苦いです…息が止まりそうなくらいに苦いです…。」
「そんなにですか~?」
店主はガムテープ付きのエプロンをなびかせながらキッチンへと駆けこんでいく。ココアパウダーの箱を見て、糸目が開眼する。
「ありゃ~こりゃ賞味期限切れだ~」
歪めた顔をキッチンの店主に向けるカップル。
「三年前のやつだ~」
店主の言葉を聞いてお冷を飲み干すカップル。
「夜音子帰ろう。」
「うん、帰ろう。」
席を立つカップル。
「お客様~?『凸型パンケーキ』、『凸型パンケーキ』がまだ~…」
「もう結構です。」
早くこの場を立ち去りたい矛佐士。
「そんな~まだ生地のもとも作れてないのに~」
「多分その材料は消費期限切れでしょ。」
「冷蔵してありますから~」
「そういう問題じゃなくて…」
金魚のフンのように後ろをついてくる店主を尻目に入口へと急ぐ矛佐士と夜音子。ドアを開けようとすると、新たな客が押し入るようにして現れた。
「邪魔するよォ。おっとォ。お客さんがいたかァ。こりゃ失礼。」
オールバックの髪型、細長い薄茶色のレンズのサングラス、派手な柄のシャツ、金色のネックレス…あからさまなガラの悪さの男がカップルと店主の前に立ちはだかる。ガラ悪男の狙いは店主のようだ。
「よォ、星野さん。俺、今日で十回目の来店なんだよねェ。なんか記念品ないのかなァ?」
右手の人差し指と親指で輪っかを作るガラ悪男。
「ど、ど、どうも~よ、よくいらっしゃいました~」
ガラ悪男が星野店主の肩に腕を回す。どもる店主はまだ笑顔だ。
「『いらっしゃいました~』じゃないよねェ。挨拶より先に出すものがあるよねェ?」
「す、す、すいません~。ブフッw 来月は~ガハッw 来月には必ず返しますから(笑)」
「なにニヤニヤ笑ってんじゃゴラァ!」
店主が何を思っているのかはわからないが、極限まで緊張状態にあることは呆然と様子を伺っている矛佐士と夜音子にもわかる。
「あーごめんねェ、お二人ィ、こんなしょーもないことに巻き込んでねェ。」
「ひっ、あっ、いえいえいえいえい、全然大丈夫なんで。ねぇ?」
「う、うん! わ、私たちもうここから出るんで!」
早くここを去りたい矛佐士と夜音子、去り行く二人に目を見開く星野店主。
「二人はこの人みたいになっちゃだめだよォ? 金で夢は買えないからねェ。」
この店の惨状の理由をすっかり理解したカップル。
「ど、どうも。それじゃ僕たち帰ります…。」
ドアを開けるカップル。その背中に店主は呼びかける。
「お客様~! 『凸型パンケーキ』まだご提供してないのですが~!」
「ゴルァ! 無駄口叩いてんじゃねェぞオイィ!」
表ではない社会の人がカウンターを叩く。
―ドシャーン!
カウンターテーブルの板が根本から折れて床に急降下し、轟音を響かせる。それと同時に矛佐士が持つドアも外れる。
「逃げよ?」
「うん。」
二人はそそくさと店の敷居をまたいで小走りで去っていった。
「危なかったね~」
「うん、危なかったね~」
互いの腕を組みながら歩く矛佐士と夜音子。
「『凸型パンケーキ』ってどんな感じだったんだろうね~」
「油の浮いた生クリームが乗ってたんじゃないの?」
未知のパンケーキに思いを馳せる夜音子。それに対し、矛佐士は悲惨なパンケーキの様相をイメージしていた。
「まだ何も食べてないし、ここ寄らない?」
夜音子の一声で止まった二人の前には古びた外観の定食屋。
「ここは大丈夫だよね? レトロなだけだよね?」
先ほどのカフェがトラウマのように頭を過る矛佐士。
「もう、あんな滅茶苦茶な店が同じ町に二軒も三軒もあるわけないでしょ! 行くよ!」
そうして夜音子が矛佐士を引っ張るようにして二人は店の中へと入っていった。
「いらっしゃいませー。お好きな席どうぞー。」
黒縁眼鏡をかけた調理服姿の男性店主が二人を迎える。店内には他の客はいない。矛佐士たちは奥のテーブル席に座る。
「さ、お水どうぞ。お決まりになったら呼んでくださいね~」
先ほどのカフェの店主とは違い、こちらは本当の意味で晴れやかな表情の店主だった。
「ね。大丈夫だったでしょ?」
警戒心丸出しで椅子と机を触り、天井を見上げていた矛佐士に顔を近づける夜音子。
「ちょっと神経質になりすぎてたかも。とりあえず選ぼうか。」
壁際に立てかけられたラミネート加工のメニューを取り出す矛佐士。「唐揚げ定食」「豚カツ定食」「生姜焼き定食」…等々、少なくとも「凸型パンケーキ」みたいなネーミングセンスのメニューは無い。
「私、生姜焼き」
「俺、唐揚げ」
空腹の二人はメニューの文字を見て即決した。
「すいませーん。」
手を上げる矛佐士。しかし、厨房には誰もいない。
「~んだよ。」「~でしょ!」「~から!」
居住スペースに繋がっているであろう厨房の奥の出入り口から、男女の言い合う声が聞こえる。
「はい! お待たせしましたー!」
眼鏡のレンズを突き破るような真ん丸と見開かれた目で現れた店主。
「お決まりですか?」
「あ、はい。唐揚げ定食と生姜焼き定食を一つずつお願いします。」
「はい、唐揚げと生姜! かしこまりましたー! 少々お待ちください!」
目を見開きながら表情を変えない威勢の良い声の店主。
「夜音子、大丈夫かな?」
「もう考え過ぎない!」
矛佐士が不安を抱いていると、厨房の奥の出入り口からロングヘアーの女性がエプロンの紐を結びながら現れた。
「はぁ…」
狭い厨房の中、棚から材料を取り出す店主を不機嫌そうな顔で避ける女性。
「髪。」
「はぁ…」
店主が呟くと、ヘアゴムでロングヘアーを縛るエプロン姿の女性。
「あっ、いらっしゃいませ~」
厨房から客席に出て来た瞬間、女性は笑顔で二人に挨拶する。
「あっ、どうも…」
笑顔の女性の糸目に既視感がある二人は肩をすくめる。
「お二人はカップル?」
「あっ、はい。そうです。」
「デートですか~いいですね~」
口角を上げ、白い歯を見せる女性。それが二人には不気味に見えた。
「えへへ…どうも…。あっ、お二人は、ご夫婦で?」
矛佐士がそう言うと、女性は急に真顔になる。
「ええ。そうです。」
横目でお互いを見合わせる矛佐士と夜音子。確定演出ともいえる状況に二人は茫然とした空気に包まれる。
淡々といくつかのテーブルを拭いた後、スタスタと厨房へ入っていく店主の妻。厨房では店主がコンロの火を点け、フライパンの上に生姜焼き用の豚肉を乗せる。肉の焼ける音が静かな店内に響き渡る。
コンロの前で調理する夫とシンクの前でふきんを洗う妻の背中が横に並び立つ。尋常ではない負のオーラが客席へと蔓延する。
「絶対仲悪いよね…」
小声で夜音子に問う矛佐士。
「平和に食事は出来ないだろうね…」
ため息を吐いて失望する二人。
しばらくして料理が完成し、二人のもとに運ばれてくる。
「お待たせしましたー。生姜焼き定食と唐揚げ定食でーす。」
相変わらず無機質な目でやってくる店主。
「「いただきまーす。」」
素早く箸を取り、肉や米を頬張っていく。
「あぁ~」
「はぁ~」
厨房では店主夫妻がすれ違う度に言葉にならない不満を漏らす。
「すぐ食べてすぐ出よう。」
矛佐士の言葉に夜音子は生姜焼きを口いっぱいに頬張りながら頷いた。
厨房側に体の正面が向いている矛佐士は、夫婦の動きが出来る限り視界に入らないように下を向きながら食事を続ける。
「お客さ~ん、ごはんおかわり出来ますからね~」
店主妻の声が届く。
「あ、ど~もありがとうございます~。」
矛佐士は瞬時に笑顔を向け、瞬時に顔を戻す。唐揚げをまともに味わうことも出来ない。
「邪魔だよ…」
「あ~もう…!」
居住スペースへの出入口をすれ違う夫婦の声につい矛佐士の目が動いてしまう。この空気感で食事をさせられる重圧は半端ではない。店主は喉が渇いていたのだろうかカウンターに湯気が立つ湯呑を置いていた。
「出れる?」
先に間食していた夜音子が呟く。
「もう少し…」
矛佐士は味噌汁を飲み干す。顔が上を向く。カウンターの湯呑に何かをスポイトで入れている店主妻が視界に入る。
「ん゛~~~っ゛‼」
味噌汁を吹き出す矛佐士。驚きのあまり身を引く夜音子。
「どうしたの⁉ どうしたの⁉」
「なんでもない! なんでもない! さ、食べ終わったよ!」
今見たものを夜音子に言いたくはない。愛する夜音子をあんな野蛮な夫婦のいさかいに巻き込ませたくない。
「お客さ~ん、どうしたの~」
そう呼びかけてくる店主妻の声と目は不気味だ。そしてコンロの前に立ちながらこちらに振り向いている真ん丸い目の何も知らない夫。
「すいません! ちょっとむせちゃいました! でも大丈夫です! 美味しかったです! お会計お願いします!」
焦りと恐怖を隠し、元気よく答える矛佐士。
「うちは現金しか取り扱ってないけど大丈夫?」
「ぜんぜん大丈夫ですよ!」
レジにて現金を渡す手も震えている矛佐士。
「ありがとうございました~またお待ちしてま~す。」
笑顔で二人を見送る店主妻。その笑顔はまるで「さあ、早くお行き。」と不気味に伝えているように見えた。
「もう、急ぐとはいえ、急すぎるでしょ…何があったの?」
「何もない。キャパシティ超えただけ。」
互いの腕を組み、定食屋から遠ざかっていく矛佐士と夜音子。夜音子という安心感が密着してもなお、矛佐士の虚無感は取り払えるものではない。
「どうだった? 今のカップル?」
厨房の店主がカウンター越しに妻に話しかける。その顔はごく普通の冴えない夫の顔だ。
「二人とも察し良すぎてビビり過ぎちゃったみたい。特に男の子の方、震えてたし。」
カップルが食べ終えた食器を片付ける店主妻。
「やっぱりこういうコンセプトやめようか。『日本一店主夫婦仲の悪い店』。」
「結構手応えあったんだけどね~演技も自信あったし。」
「こういう店じゃリアル過ぎたか…」
店主は妻が甘いシロップを入れた湯呑の中のコーヒーをすすった。




