第70話
それは、交渉ではない
街は、いつも通りの顔をしていた。
昨日の事件が、まるで無かったかのように。
露店は並び、子どもは走り、酒場は昼から騒がしい。
「……早すぎるな」
カイが、低く言った。
「人は、慣れる」
レナ。
「慣れなきゃ、生きられない」
宿の二階。
窓際の席。
フェリスは、街を見下ろしていた。
「……来る」
短く。
その言葉通りだった。
階段を上がる、足音が一つ。
重くない。
焦ってもいない。
扉の前で止まり、
ノックが一度。
「――失礼」
声は、穏やかだった。
フェリスが、視線だけで合図する。
俺が扉を開けた。
立っていたのは、一人。
武器はない。
鎧もない。
だが――
妙に整っている。
服装、姿勢、視線。
全てが「無駄を排した人間」のそれだった。
「初めまして」
男は言った。
「……と言うべきでしょうか」
カイが、椅子を蹴って立ち上がる。
「用件は?」
「簡単です」
男。
「“確認”に来ました」
「何を」
フェリス。
男は、ゆっくりと部屋を見渡した。
五人。
そして――
一人分、空いた椅子。
「……やはり」
小さく頷く。
「一人、欠けていますね」
その一言で、
空気が張り詰めた。
「誰だ」
カイが、低く言う。
「ご安心を」
男は即答する。
「彼に、直接の接触はしていません」
「……“彼”?」
俺。
男は、少しだけ笑った。
「察しがいい」
「では、本題に入りましょう」
男は、名乗らなかった。
だが、立ち位置で分かる。
管理者勢力の“窓口”。
「あなた方」
男。
「遺跡に入りましたね」
否定する意味はない。
「外郭拠点を無力化しました」
「街での件にも、関与しています」
「それが?」
カイ。
「評価しています」
男は、淡々と言った。
その言葉に、
全員が一瞬、言葉を失った。
「……評価?」
レナ。
「ええ」
男。
「破壊ではなく、選択をした」
「何様だ」
カイ。
「管理者です」
男。
「世界の“歪み”を、調整する側の」
フェリスが、静かに言う。
「人を攫ってか?」
男は、否定しなかった。
「必要な行為です」
「誰にとって」
俺。
「世界にとって」
その言い方が、
あまりに自然で。
背筋が、冷えた。
「……用件を言え」
フェリス。
男は、頷いた。
「これ以上、踏み込まないでください」
それは、命令ではない。
勧告だ。
「遺跡は、あなた方が扱えるものではない」
「扱ってるつもりはない」
カイ。
「壊すつもりだ」
「不可能です」
男は、即答した。
「少なくとも、今は」
「今は?」
レナ。
「完成が近い」
男。
「だからこそ――」
一拍。
「……余計なノイズは、不要だ」
その言葉で、
全員が理解した。
「……俺たちを」
俺。
「“騒音”扱いか」
「ええ」
男。
「的確な表現です」
カイの魔力が、わずかに揺れた。
だが、フェリスが手で制した。
「……条件は?」
「簡単です」
男。
「街を離れる」
「遺跡に近づかない」
「拒否したら?」
俺。
男は、少しだけ首を傾げた。
「その場合」
「街で起きる“事故”が、増えるでしょう」
脅しでも、予告でもない。
事実の提示。
レナが、低く言う。
「……人質だ」
「違います」
男。
「“選別”です」
アリスが、初めて口を開いた。
「……完成とは、何ですか」
男は、アリスを見た。
そして――
初めて、ほんの僅かに表情を変えた。
「……それは」
慎重に。
「あなたが、最も知るべきでないことだ」
沈黙。
男は、踵を返した。
「これで用件は終わりです」
「返答は、不要」
扉の前で、立ち止まる。
「一つだけ」
振り返らずに言った。
「あなた方は」
「まだ、“敵”ではありません」
そして。
「……ですが」
「境界を越えれば、話は変わる」
扉が閉まる。
足音が、遠ざかる。
誰も、すぐには動けなかった。
カイが、ようやく息を吐く。
「……クソ野郎」
「同意」
ユウ。
フェリスは、窓の外を見たまま言った。
「……選択を迫られたな」
「選択?」
俺。
「従うか」
「越えるか」
全員が、同じ答えを持っている。
だが。
「……エッグ」
俺は、呟いた。
今、
境界の向こうにいる仲間。
その選択が、
もうすぐ、全てを繋げる。




