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異端(仮)  作者: vastum
アリス編
89/103

閑話

境界の向こうで


 最初に気づいたのは、匂いだった。


 鉄と、薬品と、

 それから――生き物の匂い。


「……ここか」


 夜明け前。

 遺跡から少し離れた、岩場の奥。


 地図には載っていない。

 だが、人の手が入っているのは一目で分かる。


 簡易的な結界。

 魔力の流れを、意図的に歪めている。


(……ノイズが来てたら、ぶっ壊してただろうな)


 そんなことを考えて、苦笑する。


 俺は、壊しに来たんじゃない。

 確かめに来た。


 結界を抜けると、

 地面が不自然に均されていた。


 足跡。

 多い。


「……運んでるな」


 担架。

 檻。

 あるいは――そのまま。


 奥へ進む。


 見張りはいない。

 代わりに、“気配”がある。


 人間じゃない。

 でも、魔獣とも違う。


(……またかよ)


 遺跡で感じたものと、同じ。

 未完成の匂い。


 岩陰から、様子を窺う。


 そこには、小さな施設があった。

 外郭拠点よりも、さらに簡素。


 だが――

 中から聞こえる音が、違う。


「……っ」


 低い、呻き声。


 人の声だ。


 俺は、思わず一歩踏み出した。


(……待て)


 自分に言い聞かせる。

 突っ込むな。

 今は、見るだけだ。


 壁の隙間から、中を覗く。


 薄暗い室内。

 拘束具。

 魔術陣。


 そして。


「……あ」


 人影。


 いや、人だったもの。


 腕が、歪に太い。

 皮膚に走る魔力の痕。

 だが――顔は、人だ。


 目が、合った。


「……だれ……」


 声が、掠れている。


 心臓が、跳ねる。


「……静かに」

 俺は、思わず囁いた。


 意味が通じたのか、

 その人影は、ゆっくり口を閉じた。


「……にげ……ろ……」


 遺跡で聞いた言葉と、同じ。


「……何されてる」

 俺は、歯を食いしばって問う。


 返事は、すぐには来なかった。


 代わりに、

 奥から足音。


(……っ)


 俺は、反射的に身を引いた。


 数人。

 武装しているが、冒険者ではない。


「……また失敗だな」

「次は、もっと深くやる」


「境界を越えさせろ」

「適応しないやつは、素材でいい」


 淡々とした声。


 感情が、ない。


 俺は、拳を握った。


(……素材)


 人を、素材と呼ぶ。


 その瞬間、

 はっきり分かった。


 遺跡だけじゃない。

 ここも、同じ穴の中だ。


 連れて行かれた先が、遺跡。

 遺跡で壊れなかったやつが、ここに来る。


 そして。


(……“完成”に近いのだけが、奥へ)


 背中に、冷たい汗が流れる。


 ここは、境界だ。


 人でいられるか。

 化け物になるか。


 その、分かれ目。


 足音が遠ざかる。


 俺は、もう一度だけ、中を見た。


 拘束された人影が、

 かすかに首を振る。


「……くる……な……」


 その言葉で、

 俺は完全に理解した。


(……今、俺が助けられる場所じゃない)


 悔しさで、奥歯が軋む。


 だが。


(……だからこそ)


 俺は、引く。


 戻るために。

 壊すために。


 静かに、結界の外へ。


 夜明けの空が、白み始めていた。


「……待ってろ」


 誰に向けた言葉かは、分からない。


 でも、確かだ。


 この情報は、

 ノイズに渡さなきゃいけない。


 今は、まだ。


 合流する時じゃない。


 ――だが、時間は、もう多くない。


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