第52話
準備という名の、立ち止まる時間
夜明け前の空気は、ひどく澄んでいた。
焚き火はまだ熾きている。
灰の奥で、赤い光が微かに揺れているのが分かる。
「……起きろ」
フェリスの声は低く、しかしはっきりしていた。
号令というほど強くはない。
だが、ノイズの全員が反応するには十分だ。
「……うう」
カイが寝返りを打ちながら唸る。
「もう朝か……」
「朝だ」
レナが容赦なく言う。
「太陽が仕事を始めている」
「太陽を擬人化するな……」
ユウはすでに起きていて、周囲を一周して戻ってきたところだった。
足音はない。
だが、彼が動いていた痕跡は、空気に残っている。
「異常なし」
短く、それだけ。
エッグは――起きていた。
というより、ほとんど寝ていない顔をしている。
「……おはよう」
声が若干かすれている。
「寝てないだろ」
俺は言った。
「……ちょっとだけ」
エッグは視線を逸らす。
「嘘だな」
カイ。
「嘘だ」
レナ。
「嘘だ」
ユウ。
「全方向から否定されるの辛い!!」
フェリスは、そんなやり取りを無視して言った。
「今日は、進む」
「ただし、慎重にだ」
誰も異論はない。
昨日の時点で、全員が分かっている。
遺跡は近い。
行くかどうかは決まっていない。
だが、「近づかない」という選択肢も、もう現実的ではない。
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■ 朝の準備
食事は簡素だった。
乾燥肉。
固めのパン。
湯で戻した豆。
「……噛めば噛むほど、味がなくなるな」
カイが真顔で言う。
「味はある」
レナ。
「期待するな」
「期待しなければ文句も言わない」
カイ。
「黙って食べろ」
フェリス。
俺は黙ってパンを噛みながら、剣を膝の上に置いた。
自分の剣。
王都で鍛冶屋から受け取ったものだ。
特別な銘はない。
魔剣でも、伝説の逸品でもない。
だが――
(……悪くない)
重心。
柄の太さ。
刃の反り。
どれも“俺向き”だ。
レナが視線を向ける。
「……その剣」
「最近、構えが変わった」
「分かる?」
俺は少し驚いた。
「分かる」
レナ。
「前より、無駄が減った」
「いい変化?」
カイが割り込む。
「悪くはない」
レナ。
「ただし――」
「ただし?」
俺。
「剣に合わせている」
「自分を削って」
俺は、少しだけ考えた。
(……鋭いな)
アリスが、焚き火の外から言った。
「それは、悪いことではない」
「今は」
「今は?」
俺が聞く。
「剣が“基準”になる時期」
アリス。
「いずれ、剣があなたに合わせる」
「……そうなるもんか?」
「なる」
即答だった。
理由は言わない。
でも、妙に納得できた。
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■ 消耗品と役割
朝食後、フェリスが確認を始める。
「包帯」
「水」
「火種」
ユウが淡々と応じる。
「十分」
「だが予備は少ない」
「街で補給する」
フェリス。
エッグが、手を挙げた。
「……俺、役割ある?」
一瞬、空気が止まる。
「ある」
カイが即答。
「あるのか!?」
エッグ。
「反面教師」
カイ。
「それ役割なの!?」
エッグ。
「大事」
ユウ。
「大事!?」
レナが冷静に言う。
「あなたは“危険側の判断基準”」
「それ以上でも以下でもない」
「……なんか納得できるような、できないような」
フェリスは結論を出す。
「勝手な行動をしない」
「それが役割だ」
「……はい」
エッグは素直に頷いた。
(……ちゃんと聞くようになったな)
つい数日前までなら、
「でも!」
が先に出ていたはずだ。
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■ 進路確認
午前中、少し進んだところで休憩を挟む。
エッグが、地図を覗き込む。
「この辺り……」
「確かに、遺跡があるはずなんだ」
「“はず”?」
カイ。
「古い記録だ」
エッグ。
「でも、話は残ってる」
アリスが地面を見る。
「……足跡」
「数は少ない」
「だが、新しい」
フェリスが頷く。
「先客がいる」
「冒険者?」
俺。
「分からない」
フェリス。
「だが、遺跡目当てだろう」
エッグが拳を握る。
「……」
何も言わない。
それが、昨日までと違う。
「今日は、行かない」
フェリスが言った。
「位置確認までだ」
「……分かりました」
エッグは、きちんと答えた。
無理を言わない。
焦っても、飛び出さない。
それだけで、十分だ。
⸻
■ 夕方、野営
日が傾き、野営の準備をする。
焚き火。
見張り。
簡単な食事。
いつもの流れ。
だが、全員が感じている。
これは、嵐の前だ。
「なあ」
カイが言う。
「なんかさ」
「なんだ」
俺。
「こういう“何も起きない日”って」
「逆に怖くね?」
「言うな」
レナ。
「言ったな!?」
カイ。
エッグは、焚き火を見つめていた。
何かを考えている顔だ。
でも、口には出さない。
アリスは、少し離れたところで本を閉じる。
「……準備は整っている」
独り言のように。
「準備?」
俺が聞く。
「心の」
アリス。
それ以上は言わなかった。
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夜が深くなる。
誰も騒がない。
誰も結論を出さない。
ただ、進む準備だけをする。
それが、今のノイズだ。
明日、何が起きるかは分からない。
でも――
逃げないことだけは、全員が共有している。
それで、十分だった。




