第38話
焚き火の前で
夜。
野営地の火は、小さくていい。
この国の規律は、炎にも及ぶ。
派手に燃やせば目立つ。目立てば線を疑われる。
焚き火は低く、赤い。
炎の周りで、俺たちは輪になった。
輪といっても密着はしない。距離は少し離れ気味。
ヴァル=カディアの空気に、身体が勝手に合わせている。
リィナは火を見ていた。
目が合っても、笑わない。
最初に口を開いたのはカイだった。
「で」
前置きなし。
「戻るの?」
直球すぎる。
普通なら殴られてもおかしくない。
でも、リィナは怒らなかった。
「……分かんない」
答えた声が、意外と小さかった。
「正直」
カイは頷いた。
「いいね、そういうの」
「“分かんない”って言えるやつは、ちゃんと考えてる」
「告白?」
レナが冷たく言う。
「違うわ!」
軽口が一瞬、空気を薄くする。
薄くなった分、また重さが戻ってくる。
リィナは火に小枝を放り込んだ。
ぱち、と小さく弾ける音。
「逃げたまま戻るのは嫌」
リィナは言った。
「でも、戻らないままも嫌」
「面倒な性格」
ユウが淡々と言う。
「自覚はある!」
即反論して、リィナは少し肩を落とした。
「……でも、そうなの」
「戻る道があるって言われた瞬間」
「ほっとした」
ほっとした。
その言葉は優しいのに、残酷だった。
安心は、帰る場所を認めることだ。
認めた瞬間、今の場所は“仮”になる。
フェリスが言う。
「戻るなら、逃げるな」
「うん」
「戻らないなら、覚悟を持て」
「……うん」
簡潔な言葉が、深く刺さる。
リィナは顔を上げた。
「……ねえ」
「みんな、わたしが戻ったら、困る?」
レナが即答する。
「困らない」
「寂しいだけ」
「寂しい、は困るに入らない?」
「入らない」
レナは真顔。
「困るのは生活」
「寂しいのは感情」
「この国の人みたい」
カイが笑う。
「褒めてない」
レナは冷たい。
ユウがぽつり。
「欠ける」
「だが、崩れない」
リィナが目を瞬く。
「……それ、慰め?」
「事実」
ユウは淡々と答えた。
「ノイズは、そう作った」
「作った?」
リィナが首を傾げる。
「最初から欠ける前提で、形を作った」
ユウは言う。
「欠けても形が残るように」
「それが、生き残り」
リィナは火を見つめた。
そして、少しだけ笑った。
「……優しいね」
「優しくない」
ユウは即否定。
「合理」
「合理、便利すぎない?」
リィナが呆れる。
「便利だ」
ユウが即答。
カイが両手を頭の後ろで組む。
「俺らさ」
「誰かがいなくなるのに慣れてる」
「慣れたくなかったけど」
その言葉に、リィナの目が揺れる。
「……カイも?」
「俺も」
カイは軽い声で言った。
「俺なんて、慣れてるレベルじゃない」
「逃げるのも逃げられるのも、専門分野だ」
「専門分野で自慢しないで」
レナが刺す。
「でもさ」
カイは続けた。
「逃げるってのは悪いことじゃない」
「生きるための選択だ」
「うん」
リィナが頷く。
「ただ」
カイが少しだけ真面目になる。
「逃げっぱなしは、しんどい」
「いつか、足が止まる」
リィナは黙った。
俺は剣を磨いていた。
磨く手を止めたら、何かがこぼれる気がして。
「シオンは?」
リィナが俺に聞く。
「……俺?」
予想してなくて、少し間が空く。
「どう思う?」
俺は正直に言う。
「戻るなら、戻ればいい」
「でも、戻った先で負けんな」
「負けないよ」
リィナは笑う。
「……たぶん」
「たぶんは負けるやつの言い方」
カイが即ツッコミ。
「うるさい!」
笑いが起きる。
小さい笑い。
それが逆に、寂しさを増やした。
⸻
しばらく、火の音だけが続いた。
リィナがぽつりと呟く。
「……わたしね」
「この旅、好きだった」
誰もすぐに返さない。
好きだった。
過去形が混ざった瞬間、もう別れは始まっている。
「好きだった、じゃなくて好きだろ」
カイがわざと軽く言う。
「まだ終わってない」
「……うん」
リィナは小さく笑った。
「好き」
「でも、好きだからこそ……」
「ずるずるしちゃう」
レナが言う。
「ずるずるするのも選択」
「ただ、後悔するならやめた方がいい」
「後悔しない選択ってあるの?」
リィナが聞く。
「ない」
レナは即答した。
「だから、後悔しても歩ける方を選ぶ」
リィナは目を見開いた。
レナは感情をあまり出さない。だからこそ、その言葉が重い。
フェリスが言った。
「お前が戻るなら」
「戻った場所でも、お前でいろ」
「……できるかな」
「できる」
フェリスは短く言う。
「できないなら、壊れる」
「怖い言い方」
リィナが苦笑する。
「現実だ」
フェリスは淡々と返す。
「王府は優しくない」
リィナの肩がわずかに跳ねる。
王府。
その単語をフェリスが自然に言ったことで、リィナの立場が輪郭を持ってしまう。
カイがすぐ割り込んだ。
「まあまあ」
「王府でもどこでも、飯はうまいだろ」
「何の慰め?」
レナが冷たく聞く。
「飯は大事だろ」
カイは真顔。
「飯がまずいと国は滅ぶ」
「雑学で誤魔化すな」
リィナが笑った。
今度は、少し長く。
「……ありがとう」
小さな声。
「何が?」
カイが聞く。
「重くしないでいてくれて」
カイは一瞬だけ黙って、いつもの顔に戻す。
「俺はいつも軽い」
「軽さが売りだ」
「売り物の品質が不安」
ユウが即答。
「ひどい!」
火が弾ける。
リィナは火を見つめたまま、最後に言った。
「……決める」
「ちゃんと」
その声は、もう迷っていない。
答えは出ていない。
でも、方向は決まった。




