閑話
王は、待つことを選んだ
玉座の間は、静かだった。
広い。
広すぎる、と王は思う。
竜人王国ヴァル=カディア。
この国を治める王として座るには、慣れたはずの場所だ。
だが今日は――
ただの父として、この空間が重い。
「……まだ、見つからぬか」
王の声は低い。
怒りではない。焦りでもない。
抑えられた不安だ。
「はい」
玉座の下で跪くのは、王府補佐官ミラ。
「確定情報はありません。ただし――」
「ただし」
「人族圏を抜け、国境付近で“似た気配”が確認されています」
王は目を閉じた。
――やはり、か。
「転移か」
独り言のように呟く。
「可能性が高いかと」
ミラは慎重に言葉を選ぶ。
「ダンジョン由来の、不完全な暴走」
「……あの子らしい」
王は苦く笑った。
好奇心。
探究心。
危険への距離感の薄さ。
すべて、王自身から受け継いだものだ。
「追うか」
王は問う。
それは、命令でも確認でもない。
選択肢だ。
ミラは即答しなかった。
「……追えば、連れ戻せます」
「ですが」
「だが?」
「殿下は」
ミラは静かに続ける。
「“逃げた”ままになります」
王の指が、玉座の肘掛けを叩いた。
――それだ。
それが、王が一番恐れていること。
「……逃げたままでは」
王は低く言う。
「戻ってきても、王になれぬ」
「はい」
ミラは知っている。
王が、娘に王座を望んでいることを。
だが同時に――
「殿下は、まだ“選んで”いません」
ミラは言った。
「王女であることも」
「国に戻ることも」
沈黙。
王は立ち上がり、玉座の間を歩いた。
大きな窓。
外には、ヴァル=カディアの街。
魔人も、竜人も、亜人も。
この国は混ざり合っている。
「……わしはな」
王は背を向けたまま言った。
「この国を、力で縛った覚えはない」
「存じております」
「ならば」
王は振り返る。
「娘も、縛らぬ」
ミラは小さく息を吐いた。
「では、追わずに?」
「追う」
王は即答した。
ミラが顔を上げる。
「……矛盾しております」
「違う」
王は静かに言った。
「“見失わぬ”だけだ」
追いつかない。
捕まえない。
だが、見ている。
それが王の選んだ答えだった。
「……ノイズ、という旅団」
ミラが言う。
「殿下は、その者たちと行動を共にしている可能性が高い」
王は目を細める。
「異端旅団か」
最近、報告書に頻繁に出てくる名だ。
国にも属さず、だが破壊もしない。
「厄介だな」
王は言った。
「……だが、悪くない」
「そう思われますか」
「わしはな」
王はゆっくり言葉を選ぶ。
「娘に“安全な檻”を与えたいわけではない」
ミラは黙って聞く。
「世界を見て」
「選び」
「それでも戻るなら」
王は拳を握った。
「――その時こそ、王として迎える」
ミラは深く頭を下げた。
「では、どう動きましょう」
王は即答する。
「静かに」
「そして、必要以上に近づくな」
「……もし」
ミラは躊躇いながら言う。
「殿下が、“戻らない”選択をした場合は」
王は、一瞬だけ目を伏せた。
だが、すぐに顔を上げる。
「それも選択だ」
「……その時は」
言葉が、少しだけ詰まる。
「その時は、父として」
「ただ、生きていろと願う」
王は、再び窓の外を見た。
玉座は、空いている。
だがそれは、失ったからではない。
まだ、座る時ではないからだ。
「次に会う時までに」
王は、誰にともなく呟く。
「立派になってこい」
その声は、命令ではない。
ただの、祈りだった。




