第25話
静かな勝者、選んだ者
夜。
安宿の天井は、シミだらけだった。
でも、柔らかい布団があるだけで泣きそうになる。
「……死ぬほど寝たい」
レナがベッドに突っ伏す。
「寝たら起きないぞ」
カイが言う。
「起きないなら起こせばいい」
レナは顔も上げずに言った。
「起こしたら殺されそう」
俺が言うと、
「殺さない」
レナが言う。
「多分」
「多分って言うな」
ユウは椅子に座り、地図を広げる。フェリスは窓際で外を見ている。俺は剣を膝に置いた。
静かだ。
でも、昨日までの静かさとは違う。
“何もしない時間”が、武器になる。
踏み込みは攻撃じゃなく、世界の取り合いになる。
俺はぽつりと言った。
「……戦争、帝国の勝ちだよね」
フェリスが振り返らずに言う。
「局所は拮抗」
「戦線は帝国が前に出た」
「つまり、帝国が“次に進む条件”を満たした」
「……ヴァンの勝ち」
俺が言うと、
「ヴァンの勝ちというより」
ユウが言う。
「帝国の勝ち方が、ヴァンに適していた」
「最悪」
カイがぼそっと言う。
「ヴァンがいる限り、帝国は勝ちやすいってことだろ」
「そうだ」
フェリスは短く言った。
「だから、次は勝たせない」
レナがベッドから顔だけ上げる。
「ねえ」
「戦争編終わったら何するの」
「旅」
カイが即答する。
「寄り道」
「ふざけてる?」
レナが眉をひそめる。
「ふざけてない」
カイは真顔だ。
「受け身で生きたいんだろ、俺ら」
「でも向こうが勝手に寄ってくる」
「じゃあこっちも勝手に寄り道するしかねえ」
「理屈が雑すぎる」
俺が言うと、
「雑でいい」
カイが笑う。
「俺たちはノイズだ」
その瞬間、フェリスが小さく息を吐いた。笑った――ように見えた。
「明日」
フェリスが言う。
「軍とギルドに最低限の報告をする」
「それが終われば一区切りだ」
俺は剣を撫でた。
静かだ。
でも、確かに――一段重い。
その夜、帝国側でも同じ“静けさ”があった。
⸻
ヴァルグラント帝国、首都ヴァル・エルディア。
皇城の高窓から見える街は、整然として静かだった。皇帝は書類の山に手を置いたまま外を見ている。
「……また前に出たのか」
独り言みたいな声に、部屋の隅の男が答える。
「必要だった」
ヴァンの声は淡い。
「戦争が、予定から外れかけた」
皇帝は振り返らない。
「君が動くと予定は戻る」
「だが、君が動けば動くほど」
「君という存在が、予定を壊す」
「矛盾だな」
ヴァンが言う。
「矛盾は国家だ」
皇帝は笑わずに言う。
「国家は矛盾を抱えて生きる」
ヴァンが珍しく言葉を増やす。
「……見つけた」
「妙な五人組」
「中心の男が、境界に触れた」
皇帝の指が止まった。
「触れた?」
「指がかかった程度だ」
ヴァンは淡々と言う。
「だが、伸びる」
皇帝は静かに息を吐いた。
「君がそう言うなら、伸びるのだろう」
ヴァンが一歩だけ近づく。
「私は壊さない」
「お前の戦争を、成立させる」
皇帝は、ようやく振り返った。
「……友よ」
声は低く、疲れていた。
「成立させるだけでは、誰も救われない」
ヴァンは目を細める。
「救うのは、お前の役目だ」
「国を救うのは私の役目だ」
皇帝は言い直す。
「人を救うのは――」
言葉が途切れる。
ヴァンはそれ以上踏み込まない。旧友の距離だった。
「次は」
ヴァンが言う。
「私が時間を奪う前に、奪い返そうとするだろう」
「止めるか?」
皇帝が聞く。
「止めない」
ヴァンは即答した。
「止めれば壊れる」
「壊れれば、戦争は別の形で暴れる」
皇帝は短く頷いた。
「なら、進めるしかない」
ヴァンは一礼もせずに部屋を出た。皇帝は窓の外を見たまま呟く。
「……選ばされる者が、また増えたな」
⸻
翌朝。
軍とギルドへの最終報告は、想像通り“書類の戦争”だった。
「ここ、押印」
「ここ、書き直し」
「ここ、協力内容の詳細」
受付嬢が完全に機械になっている。
「次の方……次の方……」
「受付嬢が完全に壊れた」
カイが言う。
「言うな」
レナが睨む。
「私も壊れてる」
フェリスが淡々と処理し、ユウが矛盾を直し、レナが疲れた目で署名し、カイが落書きしそうになるのを俺が止めた。
「やめろ!」
「戦争で死ななかったのに書類で死ぬ!」
「書類は強いからな」
カイが真顔で言う。
最後に軍の将校が頭を下げた。
「助かった」
「今後も協力を――」
フェリスは静かに首を振る。
「我々は傭兵ではない」
「旅団だ」
「……異端旅団か」
将校が渋い顔をする。
「そう呼びたければ呼べ」
フェリスは言った。
「だが、縛るな」
将校は諦めたように頷いた。
街を出る時、門番が俺たちに言った。
「……また来るのか?」
俺は笑って答える。
「できれば来たくないです」
「でも、寄り道は好きなんで」
「意味が分からん」
「俺もです」
街道へ出る。風が少しだけ軽い。
戦争編は一区切りだ。
でも、戦争は終わらない。
ヴァンが時間を奪うなら、俺たちは奪い返す。
それだけ。
「隊長」
俺は言った。
「次、どこ行きます?」
フェリスは地図を見て、短く言った。
「寄り道」
「……そして、旅を続ける」
「うん」
カイが笑う。
「そうこなくちゃ」
レナが手を上げる。
「戦争編おわり!」
「言うな」
ユウが即座に突っ込む。
俺は笑いながら剣の柄を握った。
静かだ。
でも確かに、次の一歩を踏み出せる重さになっている。
異端は今日も受け身だ。
だが、受け身でも。
境界線に触れる準備だけは、できている。




