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異端(仮)  作者: vastum
戦争編
30/103

第23話

三十秒の代償


 撤退の合図が鳴った瞬間、世界の音が戻った。


 さっきまで、耳栓でもしていたみたいに薄かった剣戟の音が、急に現実の厚みで押し寄せてくる。叫び声、鎧の擦れる音、遠くの魔術の爆ぜる音――全部が「戦場」の音だ。


「……はぁ、やっと戻ったな」


 カイがそう言って、どさっと尻をついた。笑い方はいつも通りなのに、声が妙に軽い。軽すぎて、逆に怖い。


「戻ったんじゃないよ」

 レナが膝を抱えたまま言う。

「私たちが、戻ってきただけ。……まだ耳が痛い」


「耳が痛いって言うな」

 俺は笑おうとして、喉がひゅっと鳴った。息が上手く吸えない。


 膝に力が入らず、視界が一瞬ぐらりと揺れる。


「おい」

 カイが立ち上がり、俺の肩を掴む。

「座れ、シオン」


「大丈夫」

 と言ったつもりだったけど、音になってなかったらしい。


「大丈夫じゃねえ」

 カイは迷いなく肩を貸してくる。

「お前、今のままだと“風に負ける”」


「風に負けるは言いすぎだろ」


「負ける」

 ユウが淡々と言った。

「今のシオンは、姿勢が崩れると戻せない」


 刺さる。的確すぎる。


 俺は、ちょっと情けない気持ちで地面に腰を下ろした。土の冷たさが、逆にありがたい。


「……撤退路は?」

 俺が息を整えながら言うと、


「できてる」

 フェリスが短く答えた。


 フェリスは相変わらず、立っている。顔色は変わっていないけど、目の奥が少しだけ硬い。さっきまでの“静かな場所”が、まだ瞳の裏に残ってるように見えた。


「撤退は成立した」

 フェリスが続ける。

「生存者も、予定より多い」


「予定より多いって何」

 カイが文句を言う。


「予定を立ててないと、守れない」

 フェリスは言い切った。


 俺は、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。フェリスの言葉は冷たいんじゃない。責任の言葉だ。責任を引き受けるって、こういうことだ。


「……隊長」

 俺は口を開いた。

「俺、あの時……」


「話は後だ」

 フェリスは即答する。

「今は、動ける者が動く」


 レナがふっと息を吐く。


「ねえ、シオン」

 レナが言う。

「あなた、最後の方……“音”聞こえた?」


 俺は一瞬、言葉に詰まった。


「……うん」

「聞こえた」

「剣が鳴った」


 ユウの視線がわずかに鋭くなる。


「それは、ヴァンが“動いた”ということだ」


「だよね」

 レナは苦々しそうに頷いた。

「私、魔力の流れが一段変わったのを感じた」

「“このままだと事故る”って分かった」


「事故?」


 カイが眉をひそめる。俺も同じ顔をした。


「魔術事故」

 レナは淡々と答える。

「ヴァンの“整理”って、魔力の流れを壊すの」

「暴走が起きたら、味方が勝手に死ぬ」


 背筋が冷えた。


「……そんなの、俺見えてなかった」


「見えなくていい」

 レナが言う。

「見えると、あなたは前に出る」


「出るな、って言うところじゃない?」

 カイが突っ込む。


「違う」

 レナは真顔で言った。

「出るなら出るで、出る場所を作るのが私の仕事」

「……今日の私は、それをやった」


 レナの声は平坦だけど、指先が微かに震えている。限界近かったんだ。俺はそれが分かって、胸が痛くなった。


「ユウは?」

 俺が聞くと、


「外側を測っていた」

 ユウが短く言う。

「ヴァンの干渉範囲の“外側”なら、分かる」


「測れないのに?」


「測れないから、外側」

 ユウは当たり前みたいに言う。

「内側は死ぬ。外側は生きる」


 カイが鼻で笑った。


「お前の理屈、たまに怖い」


「生きるための理屈だ」

 ユウは表情を変えない。


 フェリスが俺を見る。


「シオン」


「はい」


「三十秒」

 フェリスは言った。

「お前が前に出た時間だ」


「守りました」

 俺は言う。


「守った」

 フェリスは頷いた。

「だが、守らせたのは私だ」


 刺さる。刺さり方がえぐい。


「……隊長」

 俺は正直に言った。

「俺、一人でやった気がしない」


 カイが肩をすくめる。


「当たり前だろ」

「お前一人なら、あの“静かな場所”で溶けてた」


「一人でやってたら死んでいる」

 フェリスが即答した。


 俺は息を吐いて笑った。


「はい」


 それでいい。心底そう思った。


 フェリスが続ける。


「お前が“境界”に触れた瞬間」

「ヴァンの視線は、お前に固定された」


「だから、俺が前に出た」


「そうだ」

 フェリスは淡々と頷く。

「その瞬間が、唯一の隙だ」

「私たちは、そこに全てを賭けた」


 レナがふっと目を閉じた。


「……賭けに勝った、のかな」


「勝ってない」

 ユウが言う。

「生き残っただけだ」


「十分だ」

 カイが言った。

「生きてないと、次がない」


 俺は剣の柄を握った。静かだ。なのに、あの瞬間の“音”がまだ指先に残ってる。


 あの音は、俺の中で何かを変えた。


 フェリスが空を見上げる。


「撤収する」

「街へ戻る」


「隊長」

 俺は言う。

「……次は、奪い返せますか」


 フェリスは即答しなかった。ほんの一拍だけ、目を細めてから言った。


「奪い返す」

「そのために、今日の三十秒がある」


 その言葉で、体の震えが少しだけ止まった。


 俺たちは歩き出す。


 戦争の後始末の始まりだ。


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