第22話
境界線を、越える音
最初に壊れたのは、音だった。
剣がぶつかるはずの場所で、
音が生まれない。
怒号が上がるはずの距離で、
声が削られる。
「……なあ」
カイが笑っている。
だが、声が少し震えている。
「これ、笑っていいやつか?」
「よくない」
レナが即答する。
「魔力の流れが、全部“整えられてる”」
「整えられてる、じゃない」
ユウが訂正する。
「消されてる」
その中心に、ヴァンがいた。
剣を構えない。
殺気もない。
ただ――そこに立っている。
なのに、
誰も近づけない。
「……邪魔だな」
俺は、率直に言った。
「褒め言葉だ」
ヴァンは淡々と返す。
フェリスが即座に判断を下す。
「散開」
「近づくな、触れるな」
正しい。
だが、それでも――
時間が、削られていく。
遠くで鐘が鳴る。
撤退準備。
「……隊長」
俺は言った。
「このままだと、何もできない」
「分かっている」
フェリスは即答する。
「……一個、無茶します」
「俺が、前に出る」
カイが即座に叫ぶ。
「は!?」
「正気か!」
「正気じゃない」
俺は笑った。
「でも、分かっちゃったんだ」
フェリスが、俺を見る。
「理由」
「この人」
視線をヴァンから外さない。
「複数を相手にしてない」
空気が、張り詰める。
「全体を見てる」
「だから――」
一歩、前に出る。
「一対一なら、境界に触れる」
フェリスは、ほんの数秒だけ考えた。
「三十秒」
「それ以上は切り捨てる」
「了解です」
「死ぬな」
それだけ。
カイが歯を見せて笑う。
「帰ってこいよ」
「続き、奢らせるからな」
「高い店で」
「当たり前だ!」
一歩、踏み出す。
その瞬間――
世界が変わった。
音が、完全に消える。
ヴァンの視線が、
初めて“俺だけ”を捉える。
「……来たか」
剣を振る。
当たらない。
だが、今までと違う。
弾かれない。
位置が噛み合う。
心臓が跳ねる。
「――!」
重心。
間合い。
“何もしない時間”。
そこに――
割り込めた。
一瞬。
本当に、一瞬だけ。
ヴァンの重心が、遅れた。
世界が、軋む。
ヴァンの目が、わずかに見開かれる。
「……なるほど」
次の瞬間。
圧が変わった。
今まで“立っていただけ”の男が、
本気で“止めに来る”。
剣が、鳴った。
初めて、
音がした。
身体が悲鳴を上げる。
前任者の記憶が、警告を叩きつける。
――死ぬ。
でも、目を逸らさない。
見る。
刻む。
盗む。
ヴァンの剣は、
“勝つ剣”じゃない。
“終わらせる剣”だ。
鐘の音。
――撤退完了。
フェリスの声が、遠くから聞こえる。
「戻れ!」
俺は、最後に一歩だけ踏み込む。
刃が触れる――
寸前。
ヴァンが、一歩引いた。
「……三十秒」
静かに言う。
「十分だ」
背を向ける。
「境界線に、指がかかったな」
風が吹き、
ヴァンは戦場に溶けた。
膝をつく。
息が、荒い。
「……やば」
思わず笑う。
「これは、クセになる」
カイが殴る。
「なるか!」
「生きてるだけで勝ちだよ」
レナが深く息を吐く。
フェリスが、俺を見下ろす。
「命令違反だ」
「三十秒は守りました」
「……そうだな」
一拍。
「次は」
「命令する前に、前に出ろ」
剣を見る。
静かだ。
だが――
もう、同じ剣じゃない。
戦争は終わらない。
でも、この夜で確かに――
俺は、Sの領域に触れた。




