第21話
触れてはいけない場所
砦を離れた直後、戦場は再び動き始めた。
帝国軍は下がった。
だが、それは敗走じゃない。
「……綺麗すぎるな」
カイが吐き捨てる。
「やられた感じがしねえ」
「やられてるよ」
レナが淡々と言った。
「ただ、壊されてないだけ」
その違和感は、全員が共有していた。
混成国家側は持ちこたえた。
戦線は保たれている。
だが、何かが“足りていない”。
「隊長」
俺はフェリスに声をかける。
「このまま追撃すると、危ない」
「理由は?」
フェリスは即座に聞き返す。
「……追っていい場所じゃない」
自分でも曖昧な言い方だと思う。
「向こうが、準備してます」
フェリスは一拍だけ考え、頷いた。
「追撃中止」
「陣形を保て」
その判断は、早かった。
もし追っていたら――
俺は確信している。
何かが起きていた。
丘陵地帯に差し掛かった時だった。
前線の騒音が、急に薄くなる。
完全に静かになるわけじゃない。
だが、音が“逃げていく”。
「……まただ」
ユウが低く言う。
俺は、自然と視線を上げていた。
丘の上。
戦場を見下ろす位置に、
一人、立っている。
鎧は地味だ。
旗も、紋章もない。
戦場に立つ人間としては、
驚くほど“普通”に見える。
なのに――
「……あれ」
喉が、無意識に鳴った。
分かる。
あそこだけ、戦争の外だ。
兵が近づかない。
魔術が飛ばない。
矢も、剣も、そこを避けている。
いや――
避けているんじゃない。
成立しない。
「……ランクS」
レナが、確信を込めて言った。
フェリスは否定しなかった。
「ああ」
「帝国のな」
その人物が、歩き出す。
走らない。
急がない。
だが、彼が動いた瞬間、
帝国軍の動きが“揃う”。
無線も、号令もない。
それでも、前線が滑らかに動く。
「……指揮してない」
カイが呟く。
「なのに、全員分かってる」
「指揮じゃない」
ユウが修正する。
「前提を作っている」
俺の背中に、冷たいものが走る。
あれは、強いから怖いんじゃない。
間違えたら終わると、
身体が理解している。
丘の上の男が、こちらを見た。
距離はある。
声は届かない。
それでも――
確かに、目が合った。
殺意はない。
敵意もない。
あるのは、
**「確認」**だけ。
――いるな。
――見えるな。
そんな感覚。
男の口が、わずかに動く。
声は聞こえない。
だが、意味だけが、落ちてくる。
「……ここか」
その一言で、全身が強張った。
次の瞬間、
男は戦場の向こうへ歩き出す。
止める理由も、口実もない。
追うのは、論外だ。
「……隊長」
俺は、目を離さずに言った。
「次、来ます」
「分かっている」
フェリスは即答した。
「ここを避けては、通れない」
丘の向こうで、
帝国軍の撤退合図が鳴る。
また、間に合わなかった。
だが――
壊滅でもない。
計算された後退。
俺は、剣の柄を強く握る。
あの男は、
俺を“敵”として見ていない。
それが、何より厄介だ。
「……触れてはいけない場所だ」
小さく、呟く。
フェリスが、静かに言った。
「触れる」
「だが、準備してからだ」
その言葉で、腹が据わった。
次は――
逃げない。
だが、踏み込みもしない。
時間を奪い合う戦いになる。
俺は、確信していた。
あの男――
ヴァンは。
戦争の中で、
一番静かで、一番危険な場所に立っている。




