嫉妬する令嬢
「この性悪女!! よくも私のリュカ様に手を出したわね!!」
バシッと左頬を打たれ、強い痛みで足がふらつく。
「アメーリア様!」と叫んで駆け寄ろうとするメイドを手で制止して、私は目の前で怒りに震えているご令嬢──ナディア様をまっすぐに見つめた。
彼女に暴力を振るわれるのは、これが初めてではない。
「ナディア様。手を出したというのは……」
「あんたがリュカ様と旅行に行ったって、調べはついてるのよ! よくもそんな真似を……!」
「……あれは、旅行ではなく遠出をした際に大雨で帰れなくなって……」
「黙りなさい!! 結婚前なのに、なんてふしだらな!!」
バシッ
2度目の平手打ちは、サッと顔をガードした腕に直撃する。
激昂しているナディア様はそのまま何度か殴打を続け、私は無言のままそれに耐えた。
少し我慢すれば、すぐに殴打が止まりこの腕の痛みもなくなることを知っているからだ。
痛い……でも、もう少し……かしら?
打つ力が弱くなってきたと感じたとき、ナディア様の手がピタリと止まった。
予想通り、手が限界を迎えたのだろう。
息切れをした彼女は、自分の真っ赤になった手を見つめてから静かに命令してきた。
「はぁ……はぁ……。……早く手を治しなさい」
「……はい」
スッと差し出されたナディア様の手を、いつものように治癒の魔法で治す。
このあとに続く言葉も、もうわかっている。
「自分の傷も治しなさい。私に叩かれたなんて、変な噂を流されたら困るもの。さあ、早く!」
「はい……」
叩いたのは事実なのだから、変な噂とは言わないのでは……?
そんなことを考えながら、言われるがままに自分にできた傷も治す。
好き勝手暴力を振るったのち、何事もなかったかのように傷を消させて帰っていく……ナディア様が私の家を訪ねてきたときは、この繰り返しだ。
今日も傷が綺麗に治ったのを確認してから、ナディア様は「フンッ!」と鼻を鳴らして帰っていった。
ふぅ……やっと帰ってくれたわ。今日は一段と激しかったわね。
ナディア様が帰るなり、すぐにメイドのニコラが走り寄ってきた。
もう傷のない私の頬や腕にペタペタ触れながら、いつものように眉を吊り上げて怒っている。
「まったく、もう! こっちがやり返せないのをいいことに、いつもやりたい放題! リュカ様のことだって、いい加減諦めてくれたらいいのに!」
「まあまあ。ニコラ、落ち着いて」
「これが落ち着いていられますか! アミーリア様のこと、何度も叩いたんですよ!? もう、私、我慢するので精一杯で……!」
興奮気味のニコラの背中を撫でながら、あははと軽く流す。
こうして代わりに怒ってくれる人がいるおかげで、私は落ち着いていられるのかもしれない。
ナディア様に逆らったらあとが大変だもの。
我慢するしかないのよね……。
「それに、リュカ様のことを『私のリュカ様』だなんて。リュカ様は、アミーリア様の婚約者なのに!」
「……今に始まったことじゃないわ」
私、アミーリアは、魔術師の家系であるシュラール男爵家の1人娘だ。
魔力があまり高くないシュラール家は、魔術師としてのレベルも低く、主に簡単な治癒や薬の調合をメインにやっている。
父親が宰相である公爵令嬢のナディア様とは、同じ貴族とはいえ比べものにならないほど身分が違う。
そんなナディア様が私に執着して嫌がらせをしてくるのは、私の婚約者が彼女の想い人であるリュカ・クラヴェル様だからだ。
リュカ様がナディア様からの婚約申し込みを断り、男爵家の私と婚約したことが気に入らないのだ。
「ほんっとにしつこい女ですね! もう婚約して半年が経ったというのに、まだ諦めないなんて! 裏で彼女の父親も動いているみたいですし!」
「なんとかして私とリュカ様の婚約を破棄させようと必死なのよ……」
「あんな女をリュカ様が選ぶわけないじゃないですか!!」
「ちょ、ちょっとニコラ!」
あんな女だなんて、ナディア様に聞かれたら大変よ!?
ニコラは元々幼なじみということもあり、2人きりになると遠慮なく言いたいことをズバズバ口に出してくる。
毒舌でたまに暴走してしまうこともあるけど、私にとっては気を許せる親友のような存在だ。
「あの女が何をしようが、リュカ様が振り向くはずないのに。リュカ様がどれだけアミーリア様を好いているのか、一目見たら誰だってわかるのに!」
「! 二、ニコラ! 何を……!」
カァッと顔が赤くなったであろう私に、ニコラがニヤッと怪しい笑みを向けてくる。
鼻がくっつくんじゃないかという至近距離にまで近づいてきたニコラは、周りに聞こえないくらいの小声で囁いた。
「あら。使用人の間でも有名ですよ。リュカ様は小さい頃からアミーリア様のことが大好きで、何度も婚約を申し込んできてたって」
「!」
「私じゃ釣り合わないからって断ったアミーリア様を何度も何度も説得して、やっと婚約を結べたって喜んでたんですよね?」
「それは……そう、だけど……」
改めて口に出されると恥ずかしくて、目をそらすように視線を斜め下に向ける。
視界の片隅で、ニコラがさらにニヤ〜と口角を上げたのが見えた。
ニコラってば、私をからかって楽しんでるわね……! もう!
ニコラの言うとおり、私たちの婚約を最初に求めてきたのはリュカ様だった。
リュカ・クラヴェル──魔術師の家系の中でも、王宮での仕事を任されているエリートな家系……クラヴェル公爵家の長男だ。
文句なしの家柄に、若い頃から認められた魔術師の腕。
さらにはひと目見ただけで心を奪われるほどの美しい顔に、優しく穏やかな性格。
誰からも慕われるリュカ様は、貴族令嬢たちにとって理想の結婚相手だ。
そんな方が、男爵家の私と婚約したんだもの……恨まれて当然だわ。
ナディア様ほど堂々と嫌がらせをしてくる方はいないけど、ご令嬢たちから送られてくる視線は冷たいものばかりだ。
送り主のわからない恨みの手紙は、何枚届いたか覚えていない。
そんな状況でも、彼と婚約したことは後悔していない。
はじめはクラヴェル公爵家長男という立場に遠慮してお断りしたけど、彼の私を懇願する想いに心を打たれ、リュカ様のご両親が許可されるならとお受けすることにしたのだ。
本当は……私もずっとリュカ様のことが好きだったから。
「あのリュカ様が私のことを好きだなんて、今でも夢みたいだわ。小さい頃だって、ただ一緒に魔術の勉強をしていただけなのに。……リュカ様って、趣味が悪いのかしら?」
「何言ってるんですか! あれだけたくさんのご令嬢に囲まれる中でアミーリア様を好きになるなんて、最高に素晴らしい目をお持ちですよ!」
「え……」
「真摯に薬剤の研究に取り組む真面目さ! 自分の魔力が枯渇しても他人の怪我を治し続ける優しさ! 図々しくなく一歩後ろから見守る可憐で清楚なその美しいお姿! あのリュカ様が虜になっても何もおかしくありません!」
「二、ニコラ、もうそのへんで……!」
力強く熱弁するニコラにやめるよう促していると、玄関ホールの床に突如魔法陣が浮かび上がった。
「!」
あれは……転移魔法の……!
そう思った瞬間、パッと長身の男性が現れる。
サラサラの銀髪に薄いブルーの瞳を持った美麗すぎる青年──リュカ様だ。




