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たとえそれが――

 それは、ある日の出来事――。

 ()()()()()が見つめていた、ある人類たちの生きた証。



 先のスクリタ――、天魔竜姫の再誕からはや数カ月が過ぎた。

 それ以降、幻竜八姫将の活動は全くと行っていいほど見られなくなり、彼女らはもはや存在しないのではないかと、そう錯覚するほど平和な日々が続いていた。

 そして、その日、キルケ研究室室長【キルケ・アスモダイオス】は十年ぶりにある街へと足を運んでいた。

 その街は、領域国家・カラード王国の統治下にあるダレス・ガリアード伯爵の領地であり、彼の善政によって王国でも十二を争う繁栄を誇る、比較的小さくも人々の笑顔に満ちた街であった。


「ふむ……、やはり十年前に来た時とは、町並みが大きく変わっているな……」


 そう呟きながら、キルケは馬に乗って町中を進んでゆく。

 ――と、不意に近くの若い女性が、なにかに足を取られたらしく、腕に抱えた大荷物を地面にぶちまけた。

 いきなりのことに少し驚く目の前で、女性の周りに街の人々が集まって、転がったものを集めだした。それを見たキルケも、馬から降りて足元まで転がってきていた、糸で縛られた肉を手にしてその女性の元へと歩いていった。


「す、すみません。皆さん……。有難うございます……」


 女性は慌てた様子で周りに謝りながら荷物を集めてゆく。集まってきていた人々は微笑みながら彼女に荷物を手渡していった。


「ほら……、これも君のだろ?」

「え? あ……、有難うございます! 旅の御方……」

「ふむ……」


 その女性――といってもおそらく年齢は十四歳ぐらいの金髪碧眼少女――に、自分が旅の者だと見破られて少し驚くキルケ。

 そんな様子の彼女に、少女は微笑みながら言った。


「この街……、ほぼ人の出入りがなくて……、顔見知りばかりですからね……。驚かせてごめんなさい」

「いや……そうか……。そうだったな……。懐かしい話だ……」


 そう言って静かに笑うキルケに、少女は不思議そうな目で問うてきた。


「すみません、失礼な質問かも知れませんが……。以前、この街にいらっしゃったのですか?」

「ああ、十年前にね……、その前はさらに十年前だね……」

「え?」


 そのキルケの言葉に怪訝そうな表情を浮かべる少女。

 それもそのハズ……、キルケは見た目二十代ほどにしか見えない。それが、二十年前にも――などと語れば、普通の魔人族は驚くのだ。


「あの……えっと」

「む? おっと……これは」


 首を傾げて言葉を詰まらせる少女に、キルケは苦笑いしながら言った。


「その……ワタシは」


 ――キルケ様!


 不意に何処からか男性の声が響いた。振り返って見るとそこに白髪の老人が立っていた。


「おお! これは、キルケ様!! 約束通り、十年ぶりでございますね!!」

「え? あ……君は……」


 そう言ってその老人に笑顔を向けると、そばの少女が驚きの表情で老人に言った。


「おじいちゃん?! この旅人の方……、知っている人なの?」

「ふふふ……、そうか。前回はリリはまだ四歳だったね……。キルケ様のことは覚えていないか……」

「え?」


 その言葉に少女――リリアーヌは首を傾げ、二人のやり取りを聴いていたキルケは笑顔で老人に言った。


「ははは……、そうか……この娘が、君の息子さんの……あの時の子ども。大きくなったものだ……」

「はい……、元気すぎて困ってしまうほどです」

「そうか……。それは良かった……」


 そう言って笑顔を浮かべるキルケと自分の祖父の顔を見比べて、不意に頬を膨らませるリリアーヌ。


「おじいちゃん!! 事情の説明をして! 二人だけで分かったような話をして、私を無視しないで!!」

「はは……、無視などしておらんだろう? 余りに懐かしくてつい……」

「むう……」


 プリプリ怒る少女に優しげな笑顔を向けて、キルケは自分が誰であるのか答えた。


「ワタシの名はキルケ・アスモダイオス。天魔族だよ……」

「てん、まぞく?」

「そうだ……」

「え?! 天魔族?!」


 素っ頓狂な声を上げて少女は後退る。その彼女の様子に苦笑いを向けてキルケは更に続けた。


「君の事を獲って食べたりしないから安心したまえよ……」


 そうして笑うキルケの様子をしばらく見てから、少女は少し頬を膨らませて抗議の声をあげた。


「そ、そんな事思ってません!!」


 そうして、その町中に三人の笑顔が生まれた。



◆◇◆



「あ、有難うございますキルケ様……、まさか荷物持ちさせてしまうなんて恐れ多い……」


 そう言って恐縮しながらキルケの隣を歩くリリアーヌ。キルケを挟んで反対にはその祖父であるセルジル翁が優しく微笑みながら歩いていた。

 キルケは笑いながら少女に言う。


「気にすることはない……、別にワタシがしたくてしてることだよ」

「そう、ですか……」


 少女はキルケを見つめながら思う。


(天魔族って……世界の守護女神さまたちだから……、もっと怖くて威厳がある感じだと予想してたけど……。なんか……普通のお姉さんみたいだ……)


 そうして、少し頬を赤らめながらキルケを見つめる少女に、キルケは優しく笑顔を返した。

 ――そして、キルケはセルジル翁の方に顔を向けて言う。


「ふふふ……、この街の雰囲気。あの時の少年は上手く統治しているようだね」

「え? 少年? って、もしかして領主様の事ですか?」

「ああ、そうだ……。この土地の領主ダレス・ガリアード伯爵。彼は昔、色々あったからね、こうして平和に統治出来ている事は嬉しい限りだ」


 少女は少し考えてからキルケに問う。


「領主様の事……、昔のことをご存知なのですか? それってやっぱり二十年前から……」

「そうだね……、正しくは彼が十に満たない頃から知っている……」

「あ……それって……」


 不意にその会話にセルジル翁が加わる。その笑顔を消して言った。


「……そうだ、あの先代領主様の事件……。無差別辻斬り事件の時、偶然いらして助けてくださったのがこのキルケ様だよ」

「ああ、あの……」


 先代領主――、レバス・ガリアード伯爵。

 彼は晩年、剣術とそれによる殺人行為に喜びを見出して、夜な夜な街の人々を斬り殺し――自分の剣の試し切りの相手としていたのである。

 その時期に偶然この街を訪れたキルケは、辻斬りから人を救った事を切っ掛けに事件に関わり、そしてその領主は王国軍に逮捕されるに至った。

 一度は王国預かりで領地を失ったガリアード伯爵家は、その息子であるダレス・ガリアード伯爵の努力によって再びこの地の領主となっていた。


「とても痛ましい事件でした。当時の……司祭様の娘もその犠牲になって……」

「司祭様……か、あのバルナール司祭は今も息災か?」

「ええ、一ヶ月ほど前に足を怪我して、それ以降杖を使っていますが。……まだまだ元気な様子です」


 そう言って笑うセルジル翁が、不意に前方に驚きの目を向ける。それに気付いてキルケが顔をそちらに向けると、温和な表情の司祭服を来た長髪の老人が立っていた。

 杖を手に……歩きにくそうにその老人は三人のもとへと歩いてくる。


「はは……噂をすればなんとやらですかな?」

「ふふふ……、これはセルジル。この御方は旅の方ですかな?」

「ふむ? 司祭様? この方はキルケ様ですよ? 十年ぶりにいらしたのです」


 そのセルジルの言葉に司祭は少し驚いて、そして微笑んでいった。


「ああ! そうでしたな……、キルケ様ですか……。お久しぶりでございます」

「ふむ……ああ、息災で何よりだバルナール司祭」


 そう答えるキルケを静かに見つめたあと、バルナール司祭はセルジル翁に向かって言った。


「例の件……、もはや対外的にも隠しきれぬと思うのじゃが……」

「そ、それは……」


 その不穏なやり取りを見てキルケは笑顔を消す。


「と、とりあえずその話は後でお願いします」

「そう、か……。おぬしも信じられぬ、と?」

「……」


 静かに……そして寂しげな表情で言葉を詰まらせるセルジル翁。その様子をリリアーヌも心配そうに見つめていた。


「まあいい……、その話はまた後じゃな……」


 そういって静かに頷いてバルナール司祭は踵を返す。そのまま振り返らずに――杖を支えにその場を去っていった。


「セルジル……」

「は、はい……」

「何かあったのか?」


 そのキルケの言葉に言葉を失うセルジル翁。心配そうな目で祖父を見つめていたリリアーヌは、決意の表情を浮かべてキルケに言った。


「キルケ様!! どうか領主様をお救いください!!」


 そう云う少女の瞳をキルケは見つめる。

 ――そうしてキルケは――、かつての事件を切っ掛けとする――


 ――()()()()()()()()に関わることになった。



◆◇◆



 人が少ない広場のベンチに腰掛けてセルジル翁の話を聞いたキルケは眉を歪めていた。


「……辻斬り事件の再来……だと?」

「はい……、今月になって既に六人犠牲になっております」

「ふむ……。それは、全て……現領主であるダレス・ガリアード伯爵に少なからず不満があって、その事に関する話し合いを領主としたことのある者たちである……と?」


 キルケの言葉に静かに頷くセルジル翁。リリアーヌは目を怒らせて言う。


「領主様は! あの御方はそんな事をする人ではありません!! 私が困ってた時助けていただいたこともあるのです!!」

「ふむ……」


 その言葉を静かに聞くキルケ。――セルジル翁は静かに語る。


「先代領主を知らない世代は、まさか領主様がそんな事をする訳が無い……と言っております。かつてを知るものの大半も、私を含めて今の領主様がそのような真似をするはずはないと考えております……。しかし……」

「そうだな……、全員が全員信じるわけもない。……それに目撃者もいる?」


 そのキルケの答えにセルジル翁は頷く。


「被害者が切り捨てられる瞬間を目撃した者は、確かにあの顔は領主様であった……と」

「……」


 目撃者もいる以上、その可能性は大いにある――とはならない。

 そう、この世界には【魔法】というものがある。姿を変化させることも普通にできる話だ。


「領主様を追い込もうとしている誰かの仕業です!!」

「……だとしたら誰だと?」


 リリアーヌの言葉にセルジル翁が答える。その問いに言葉を失うリリアーヌ。


「領主様には……、街の多くのものが助けていただいている。アレほど善政を敷いている領主も珍しい……と、周囲からも羨ましがられるほどだ……。だから、昔から街にいる者は、多少の不満があっても、正しく対処してくださると信頼している」

「む、う……」

「だから、おそらくは昔から居る者の仕業ではありえないだろう? ならば外部? と思っても、最近ここに渡ってきたものは数日滞在の旅人が居るくらいで、ここ一ヶ月長期滞在している者はいない……」


 セルジル翁の言葉をキルケは心のなかでまとめる。


(かつての事件のように辻斬りが起こって、目撃者は確かに現領主であったと言っている。魔法がある以上、それは本人であるとは断定できないが、昔からの街の住人は生まれてくる不満を改善する領主の姿を見て信頼しており、そして外部から何者かが移住してきた形跡も見られない……)


 しばらく考えたキルケは不意に立ち上がって領主が住まう丘の上の屋敷を見つめる。


「すこし……話をしてくる」


 そう言って、その場に二人をおいて歩き始めるキルケ。それを二人は心配そうな表情で見送った。



◆◇◆



 屋敷の門前まで来た時、その門番である衛兵に呼び止められた。


「ふむ? 君は領主様への面会希望かな?」 

「ああ……そのとおりだ」

「そうか、しかし申し訳ないがもうすぐ日が落ちる。明日の朝に再度来て欲しい……」

「ふむ……」


 少し困った表情で屋敷を眺めるキルケ。――と、不意に屋敷の扉が開いて初老の男性が表に出てきた。


「キルケ様! キルケ様ですね?!」

「む? あ……」

「道をいらっしゃる姿を屋敷から眺めていました。……お迎えする準備が遅れて申し訳ない」


 そう言って温和な表情で頭を下げる領主ダレス・ガリアード伯爵。その様子をしばらく見つめてからキルケは静かに微笑んだ。


「ふむ……君は、あの時と変わっていないようだね」

「え? あははは……、もういい歳ですがね……。今だ妻も迎えていませんし……」


 そう言って、優しげな表情で苦笑いするその男に、かつての若者の表情を重ねてそしてキルケは目を瞑った。


(……やはり、ヒトはすぐに歳をとってゆくものだな……)


 ダレスは直ぐにキルケを屋敷内に案内する。

 そのまま応接間に通されて、……そこで話を始めた。


「……ダレス。いきなりですまないが……、今町で起こっている辻斬り事件は知っているか?」

「……ええ、無論です……。それも、私の姿を……そして、かつての父の所業を模倣している、ということも分かっています」

「そうか、ならば捜査は……」

「はい、慎重に進めております。何よりとても嫌な可能性が示されていますので……」


 そのダレスの言葉にキルケは言葉を返す。


「嫌な可能性?」

「……犯人と目される者は……、辻斬り犯は……、これまでの被害者の日頃の行動を把握している……、昔からの街の住人である可能性があります」

「……そう、か……」

「私は……」


 ダレスは顔を歪めて言う。


「私は街の人々を……領民を疑いたくない。でも……領主として疑わざるおえない」

「ダレス……」

「もし、本当に街の誰かならば……、何故、そのような凶行をしなければならなかったのか。もしかして……、いや、やはり私の何かが原因でこのような事になったのではないかと……、私は……」


 苦しげに……哀しげに……、俯いて呟くダレス。


「やはり私は……、あの父の息子――。領主としてふさわしくない、血の汚れた……血に濡れた者なのでは……と、感じずにはいられません」

「……ダレス」


 そんな様子のダレスにキルケが睨んで言う。


「あの時の約束はどうした……、(ちかい)を忘れたのか?」

「……!!」

「領主であるお前が気弱でどうする! こんな時ほど顔を上げて前を向け! お前はそれができる子だろう?!」


 そのキルケの言葉に目の奥に光が宿るダレス。


「でもまあ……、どうやら、というか……。お前が辻斬り犯という線はないようだな?」

「ふふふ……疑われていましたか?」

「まあ、ワタシはそういった性分だしな……」


 ――ならば、誰が?


 しばらく思考を初めたキルケが、ここまでの街で見た光景の中に違和感を感じて顔を上げた。


「ダレス……、最近誰と会ったか記録は残っているか?」

「は、はあ……、街に出た時に誰に会ったかまでは記録しておりませんが……」

「……ふむ、ならばできる限りの記録をここに……。そして、街に出た時に出会った者を思い出せるだけ思い出して、書き出して欲しい……」


 ダレスは困惑の表情を浮かべながらも、キルケの指示道理にする。そしてしばらく後――


(……これは、ある意味あり得ない結論ではある……。しかし、ある条件をクリアーすれば、事件の真相に最も近いであろう結論となる……)


 キルケはダレスを見つめて言う。


「これまで辻斬り事件は数日を挟んで行われていたな? おそらくはここ数日……再び行われる可能性があるな?」

「はい……ですから、兵士を街に潜ませています。しかし、これまでも裏をかかれることが多く……」

「ふむ……、ならば耳をかせ……」


 キルケの言葉に困惑しながらも顔を寄せるダレス。その耳にキルケは耳打ちした。


「……それは、しかし……」

「大丈夫……、ワタシに任せろ……」


 ダレスの困った表情に、キルケは優しげな笑顔を向けた。

 ――そして、全ての決着は起こる。



◆◇◆



 キルケはこの街に来てから、リリアーヌとセルジル翁が住む家に滞在していた。

 そして、三日目の夜――、キルケはリリアーヌとセルジル翁を連れて夜の散歩に出ていた。


「あれからしばらく、辻斬りは起こってはいないな……」

「そうだね……、このまま何もなく、そもそも夢だったらいいのに」


 キルケの言葉にリリアーヌが答える。セルジル翁は静かに呟く。


「本当に……夢ならばどれだけよいか……。でも犠牲者は既にあって、このまま放置すれば……」

「領主様が……何とかしてくれる」


 そう言って頷くリリアーヌにセルジル翁は、少し困惑の表情で言葉を返す。


「何故そこまで領主様を……」

「おじいちゃん? それは……」

 

 セルジル翁に問われて、何故かリリアーヌは顔を真赤にして俯く。セルジル翁は困惑して首を傾げ、キルケはすべてを察して苦笑いをした。


「いいでしょ、そんな事!! ……もう!!」


 頬を赤く染めながらリリアーヌは先に歩いていった。と――


「リリアーヌ!」


 不意にセルジル翁が強い声で叫ぶ。その声に驚くリリアーヌがキルケとセルジル翁の方を向く。

 その背後でニヤけた笑いを浮かべたダレス伯爵が剣を片手に立っていた。


「え?」


 驚く二人の視線を追って振り返るリリアーヌ。ダレスと視線があってそして驚きの表情になる。


「ダレス!!」


 キルケがダレスを追って走り始めて、セルジル翁はリリアーヌの元へと駆け寄った。


「え? 領主様? なんで……」

「リリアーヌ……」


 涙目で呟くリリアーヌを心配そうに見つめるセルジル翁。

 キルケの方は、追うダレスがそのまま逃走したために、それを追いかけて夜の闇へと消えた。


「キルケ様……大丈夫かな?」

「大丈夫だ……天魔族じゃからな」


 そう言って寄り添う二人のそばに、静かに近づく者がいた。

 不意になにか嫌な予感を感じてリリアーヌが振り向いて、その誰かと目があった。


「え? 領主様?」


 そこにいたのはニヤけた笑顔を貼り付けたダレスであった。


「え? なんで……さっきは……」


 そう言って驚くリリアーヌを見つめながら、その腰の剣を引き抜いて振り上げるダレス。

 リリアーヌの悲しげな表情がダレスを見つめ、そして――


 ガキン!


 振り下ろしたダレスの剣が、セルジル翁の剣で受け止められた。


「お、おじいちゃん?! 剣? 使えたの?!」

「……お前は、誰だ……」


 リリアーヌの問いには答えず、セルジル翁がそれまでとは違う声音で問う。

 明らかに祖父とは違う声音に驚きを隠せないリリアーヌ。


「おまえ……」

「お前は誰だ!! 正体を表せ!」


 ダレスが呻くようにつぶやき、それにセルジル翁が強い口調で返した。そして――


「わからないか辻斬り犯……、私は……、私こそがダレスだ……」

「――!!」


 セルジル翁がまとっていた幻術が解けてダレス伯爵に変わる。それを偽ダレスは驚愕の表情で見た。


「く……」


 偽ダレスは急いでその場から逃走を図る。しかし、その前に立ちはだかる者がいた。


「ふふ……、まさか天魔族であるワタシが、あの程度の幻術に引っかかると思ったのか?」


 それは先程、ダレスを追って行ったキルケであった。

 通りの騒ぎを聞きつけて、街の人々が表に出てくる。そして――


「え? ダレス様が二人?! って……偽物か!!」


 周囲を囲まれて偽ダレスは苦渋の表情を浮かべる。そして――静かにその身にまとう幻術を解いた。

 その姿を見て、とうのダレスが何よりも驚愕の表情を浮かべた。


「バルナール司祭……」

「く、う……」


 悔しそうにダレスを睨む司祭。それを絶望に満ちた表情で見つめるダレス。


(キルケ様は……、犯人が誰か分かってらっしゃった、それでも私にあらかじめ話してくださらなかったのは……)


 ――キルケの方は、司祭の姿を見て心のなかで思う。


(こういう結論に至ってほしくはなかった……。正直、この結論を否定したくてあえてオトリ作戦を仕掛けたが……。嫌な結論ほどよく当たるものだな)


 この街に来て二日目の昼、セルジル翁に頼んでおそらく本命と思われるバルナール司祭に対して強めの意見をしてもらっていた。

 バルナール司祭は最近とみに領主への不満を漏らしており、それを煽ってあえてセルジル翁を狙うように仕組んだのである。

 そして、魔王城から取り寄せた幻術の護符によって、ダレスをセルジル翁に変身させて彼の襲撃を待ったのである。

 そして――


「バルナール司祭……、何故ですか? 何故このような……」

「貴様……ダレス……。分からぬのか? わしの憎悪が……」


 困惑の表情で言うダレスに、バルナール司祭は憎悪に満ちた表情を向ける。


「一ヶ月前!! 貴様は、わしの娘の墓で祈りながら言ったろうが!!」

「え?」

「覚えておらんのか!! お前はこういったのじゃ!!」


 ――あの時、私が父の凶行を止められていれば。


「貴様はそういったろうが!!」


 その言葉にダレスは目を見開きながらも困惑の表情を強くする。

 周囲の皆も、そしてリリアーヌも困惑の表情をバルナール司祭に向けた。


「え? 司祭様? なにを言って……」


 周囲の若者のそのつぶやきにバルナール司祭は激昂する。


「貴様らも貴様らじゃ!! この……父親の凶行を止めることもなく放置して……、わしの娘を死なせたクズと楽しげに話して……、クズを領主として頂くとは……」

「いや……まてよ司祭様……」


 それでも反論しようとする者たちに、バルナール司祭は憎悪と怒りに満ちた表情を見せる。


「貴様ら……何故、忘れたのじゃ!! この恨みを!! 大事なものが無惨に殺された時のことを!!」


 そう言って周囲に怒りに満ちた叫びを撒き散らすバルナール司祭を、その場の全ての人々が見つめていた。


「……ああ、なんということ……。そう言うことでしたか」


 不意にその場にセルジル翁が現れてバルナール司祭を哀しげな表情で見つめた。


「貴様……セルジル!! 貴様は身内を殺されながら!! 何故!!」

「バルナール司祭……、その事件が起こったのが何年前か覚えてらっしゃいますか?」

「馬鹿が!! 忘れるわけがなかろう!! あれは!! ……あれは。……あれ、は?」


 バルナール司祭がそうして黙り込むと、セルジル翁は静かに答えた。


「ちょうど今年で三十年になります……」

「――!!」


 バルナール司祭は驚きの目でセルジル翁を見つめ。それを聴いたリリアーヌも驚きの表情でキルケに問うた。


「え? どういう事? なにが起こって……」

「認知症……、老化による記憶障害……」

「にんち、しょう……」

「そして……、ダレスの年齢は今年36歳……、当時は6歳の子どもだった……。当時6歳の子どもがどうやって、父親とは言え大人の凶行を止められる?」


 静かに哀しげな表情でキルケが呟く。それをリリアーヌもそしてダレスも哀しげな表情で見つめた。


 全てはバルナール司祭に、老いによる記憶障害が起こったのが切っ掛けであった。

 娘が死んだかつての事件――、それが何年前であるかも忘れ、当時のダレスの年齢も忘れ、かつて先代領主へ抱いた憎しみだけがありありと蘇っていた。

 そして――、その憎しみと記憶の齟齬が、若いが大人であるダレスが父親の凶行を止めずに放置した――そう、記憶違いを起こしていたのだ。

 そして、ダレスの一つの言葉を切っ掛けに、復讐を考えて――様々な工作をしていた。

 彼が一ヶ月前から脚を悪くした、というのも工作の一つだった。


「バルナール司祭……貴方自身が仰ったんじゃないですか……。父親の罪を理解して、泣きじゃくって……、謝り続ける彼のその頭を撫でて……」


 ――君のせいじゃないよ。


「そう仰ったのはバルナール司祭……、貴方のはずだ」


 その言葉に、バルナール司祭は首を横に振りながら後退る。


「ち、がう……、そいつは、父親の……凶行を……放置……」


 ――あれ?


 ――あの時、泣きじゃくって、謝っていた子どもは……誰だったか?


 ――あの時、頭を撫でてあげた子どもは……誰だったか?


 ――あの時、わしはあの時――


 ――あの時、何を言った?


 ――思い出せない、何も……。


 そのままバルナール司祭はその場に座り込んで動かなくなる。ダレスも、リリアーヌも、セルジル翁も、周囲の誰もがその姿を哀しげな目で見つめた。


「……悲劇、か……」


 キルケは静かに目を瞑った。



◆◇◆



 2日後――、キルケは研究室への帰路につこうとしていた。――それをダレスが見送る。


「またご迷惑をおかけしました……」

「いいや、いいさ、ワタシが役に立ってよかった」

「……私は……」


 ダレスが俯いて苦しい表情を作る。


「結局私はあの父親の子でしかないのでしょうか……。私が不用意に放った一言が、このような事に繋がって、多くの犠牲が出た……」

「ダレス……。もう一度言うぞ。前を向け……」

「キルケ様……」


 キルケは優しく微笑みながらダレスに言う。


「お前は私の前で誓ったよな? 父のような者にはならない……、貴族として……領主として、皆を幸福に導く……と」


 ――そして、何より、いかに言われようが負けない、……と。

 

「ダレス……、お前は大丈夫だ……、誰でもない領民たちがお前を理解してる……。皆が今回の件でお前を疑わなかったのも、お前の背中を見ているからだ……。だから信じて進め……。歩みを止めるな……そして……」


 ――と、不意にそこに街の人々を引き連れて、リリアーヌとセルジル翁が現れた。

 皆、口々にキルケに感謝を述べる。


「本当に……、領主様をお救いくださって有難うございます! またいらしてくださいキルケ様!!」


 リリアーヌがキルケの手を取ってそう云う。キルケは笑いながら皆を見回してそして言った。


「そうだな……、また十年後にでも見に来るさ……」


 そしてキルケは少し意地悪そうな笑顔でダレスに言った。


「ダレス……、この次に来た時には、必ずお前の子どもを見せてくれ……」

「え? あ……でも私には……」

「ふふふ……お前の王国では、貴族と平民の結婚も可能だよな?」


 そう言ってリリアーヌの頭を撫でるキルケ。リリアーヌは顔を真赤にして狼狽える。


「な! なにを言ってるんですか!! 私が……そんな!! 恐れ多い!! それに年齢差も……」

「別にお前がダレスと結婚しろとは言ってないが……」


 そう意地悪に笑うキルケに、リリアーヌは頬を膨らませた。


 ――キルケは心の中で想う。


(人の寿命は短い……、君たちは、私がほんの僅かに感じる時間で生きて……そして死ぬ……)


 目の前で笑顔を向ける皆の、一人一人の表情を心に刻みながら――キルケは想う。


(今生の別れになるかも知れない……、人生を踏み外して間違ってしまうかも知れない……。でも……)


 ――たとえそれが、無意味にも見える刹那の生涯でも……。


 ――君たちに――


 ――君たちの生涯に沢山の幸福があることを……、ワタシは祈っているよ。

 

 ――それこそが、ワタシたち天魔族の――、ワタシたちの生まれた意味だからね。

 

 そうして、キルケ・アスモダイオスはその街を後にした。

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