第十九話 ――さよなら総司
その時、スクリタは自分が幻竜八姫将として致命的な間違いを犯したことを理解していた。
自身の竜性の具現である【機竜】を魔力に逆変換して行った高等術式によって、【ワシュキ】の侵食定理である【位相崩壊】を並行空間である無限異界に飛ばして、総司や天魔族たちを救ってしまったからである。終末を望み、世界を無へと返す使命を持つ彼女にとっては、明確な自身の存在意義からの誤りであった。
しかし――、それでもスクリタは後悔しなかった。正しく自身の想いを貫けたからである。もちろん、こうなった以上は自身は生み直しされるべきとも考えた。それは、正しくその本性である【幻魔】としての思想から来る考えであり、――幻魔として終末こそが正しいが、それでも間違っていたとしても救いたかった、という【彼らを救ったことは正しく間違いである】というその生命核の根源からくる思考であった。
結局、スクリタは幻魔としての思考から逃れることは出来なかった。ただ、個人的に想いが募って咄嗟に助けてしまった……、という話でしか無かった。それが、幻魔として生まれ幻魔として生きるスクリタの性質であった。
そして、高等術式の範囲に巻き込まれた総司とスクリタは、再び現空間へと転移して鬱蒼とした森の上空に現れた。そのままスクリタは落下して、森の木々をクッションにして草の中にその身を預けたのである。
「う、ぐ……、からだ……」
その時のスクリタは先程までの戦いと、今の落下によってその身を起こすことも出来なくなっていた。
しばらく呻いた後、その身を動かすのを諦めてそして術式を使用した。
「……ここは、なるほど……。さっきの村から十数キロ離れた森の中……か。無駄に異世界に転移しなかっただけでも儲けものね……」
そのまま静かに草に身を預けているスクリタに、何者かが近づいてくるのを彼女は感じた。
「これは……、多分」
「大丈夫ですか!! スクリタさん!!」
そう言って、スクリタの傍に跪くのは先程まで気絶していたはずの総司であった。
「アンタ、思った以上に頑丈ね……」
「え? ……あ、はい……」
そう言って苦笑いする総司に、小さくため息を付いてスクリタは言った。
「じゃあ……、いいわよ……。とどめを刺しな……」
「……?!」
そのスクリタの言葉に総司は困惑の表情を浮かべる。
「先程、スクリタさんに救われたばかりで……そんな事出来るわけが……」
「……総司、私はあれを私として間違った行為だと自覚してるし……、もう二度とするつもりはない……」
その突き放すような言葉に、総司は表情を暗く沈ませた。
その総司の表情にスクリタは、ため息を付いてから首を横に振って言う。
「……総司、私は……、今あなた達のこの世界を守りたいという想いが理解できる……」
「え? だったら……」
「だったらじゃない……、だからこそ……よ。さっき話したように、私の根源は【幻魔】なの……、今の私はあなた達と共に歩めても……、なにかの拍子で反転しないとも限らない……。ついさっき貴方を助けてしまったという、ある意味での反転そのものが、再び私に起こる可能性はなくならないのよ?」
そうしてスクリタは哀しげな表情で総司を見つめる。
「……だから、今、あなた達をなるべく傷つけたくない……。そんな私である今のうちに、私を……」
「スクリタさん……」
それはスクリタの切実なる願いであるのだろう。
突き放すような言葉も、そしてその後の願いの言葉も――、今ならばいつかの未来に【総司たちを苦しめる存在】となるかも知れない自分を消して欲しいという願いなのだ。
そのまま黙って考えていた総司だが――、その目を真剣な表情に変えて答えた。
「……貴方を魔王城に連れ帰ります」
「は?! 貴方私の話を……」
「貴方は今……、僕が生殺与奪権を握ってるんで、僕の言葉に従ってください……」
その強気な言葉に一瞬スクリタは驚いた表情をして……、そして笑った。
「アンタって……、ほんとお人好しな上に、頑固なのね……」
「文句は言わせませんよ? 貴方は僕に負けて捕虜になったんです。だから……、僕が……貴方を守ります」
その言葉をスクリタは静かに聞いて……、小さくため息をついてから頷いた。
「ああ……わかった。勝手にしな……、後で後悔しても知らないよ?」
「もちろん、後悔などするもんですか……」
そうして総司とスクリタは、あの日に別れた後初めてその心の底から笑いあったのである。
――しかし、そんな彼らに悲劇へと進む運命は近づいていた。
「……それが貴様の答えかサーガラ……」
「「……!!」」
不意に何処からか女性の言葉が響き、その闇から竜骨の刀を手にした【征天のナンダ】が現れたのである。
その姿と、余りにタイミングの良い出現に驚きを隠せないスクリタ。
「あんた……なんで? まさかワシュキ?!」
「……お前がこうして、こともあろうに天魔族の王を助けることは……、ワシュキの想定内だった……。そして、この場に転移してくることも……な」
「……」
そのナンダの言葉に絶句するスクリタ。
あのワシュキはそこまで読んで――、この状況を作り出したというのか?
そのナンダの姿に、総司は立ち上がってその魔王剣を構える。
「サーガラ……、お前は今までは言動に問題はあれ、天魔族を殺す使命にそって動いていた。しかし……、ここに来て貴様は天魔族の王を助けた……」
――それは正しく我が竜性を否定する行為。
「……お前はまさしく我にとっての排除対象になった。その天魔族の王とともにここで死ね……」
「そんな事……させない!!」
倒れて動けないスクリタを庇うように前に進む総司。それをナンダは嘲笑を浮かべて見て――、そしてその身を奔らせた。
ガキン!
その神速の剣閃を何とか打ち払う総司。
「ヌルい動きだな魔王よ……。まさか自分が魔王種だとは言え、覚醒前で我に対抗できると思っているのか?」
「……そんな事、……僕は負けない!!」
ナンダの刀が押して、総司のその身が後退を始める。総司は歯を食いしばって何とか耐えていたが、その必死な姿にナンダは嘲笑を深めて言った。
「今の貴様の実力はこれまで得ている情報から……、あのメイド、オラージュ・ヴェルゼビュートとやらと、運動能力と戦闘技術をあわせた総合力においてほぼ互角……。しかし、我はそれを遥かに超えている……」
「く……」
「かつてあのメイドが我を追い詰めたのは、主力であるルーチェ・イブリースがいたからこそ……。それのない貴様が我に勝てる道理などない……」
それは、たしかにそのとおりなのかも知れない、そう総司は思うが……、それでも立ち向かう意志は消えなかった。
ガキン!
ナンダの刃が跳ね上がって、総司の魔王剣が上空に跳ね飛ばされかける。総司は何とかそれに耐えて踏みとどまるものの、その無防備になった胴にナンダの刃が横薙ぎに振るわれた。
ザク!!
「ぐあああああ!」
「総司!! ダメ!!」
総司の胴から血しぶきが舞い、その光景を涙目でスクリタは見て叫ぶ。
「……私はいいから逃げて!!」
「いや……だ」
「そんな事言ってる場合じゃ……」
――いやだ!!
そう咆哮するように叫ぶ総司に、スクリタは言葉を失った。
「……これは僕のワガママ……なのかもしれない。でも……、勝てないとしても、スクリタさんを助ける……」
「貴方が死んだら……天魔族は……」
「負けません!! 僕は……ここで死ぬつもりもない!!」
そうして不屈の闘志でナンダを睨む総司。再び魔王剣を構えてナンダに相対した。
「……なんと愚かな。あの村からかなりの距離があって、お前の召喚でも仲間を呼べまい? そして、貴様の魔王権能には自分への強化はほぼ存在しない。さらに言えば貴様には攻撃的な固有権能もない……。勝てる要素が何処にある?」
「それでも……負けない!!」
そんな事は……、自分の置かれた状況は自分自身がよく知っている。でも、このワガママだけは押し通したかった。
(母さん……、どうか僕に……、僕に救いたい人を救える力を……)
――ジード。
その時、不意にその魔王剣から、老年の女性の声が聞こえてきた。
――大丈夫よ……、皆も……、そして私も……見守っているから。
その瞬間、魔王剣から魔力の奔流が吹き出し始めた。
「な?!」
この事態に驚きを隠せないナンダ。総司はその時正しくその現象の正体を理解した。
(……母さん……。この魔王剣に……、魂を保存できる古式機剣に……、自分の魂の欠片を……)
その瞬間、まさしく一瞬だけ総司の神核が覚醒状態へと転じた。
その動きがもはやナンダをしても視認できない動きで奔る。
グシャ!
その神速の剣閃がナンダに到達しかけてその防御シールドが展開された。しかし、そのシールドをも砕いて、ナンダの身に小さくない切り傷を与える。
さらに二撃その剣閃が閃き――、その刃を受けて鮮血を舞い散らせながらナンダは飛ぶように後退した。
「クソが!! ここに来て隠し玉か……。ならば!!」
更に追撃しようと奔る総司を迂回して、ナンダはスクリタめがけて奔る。その怪しい動きに気付いてそれを追い詰めてゆく総司。
必死に追いすがろうと奔る総司の周囲に、ふいに旋風が起こってそれが吹き上げる土煙にその動きが止められる。
「スクリタさん!!」
それでもその妨害を突き抜けてスクリタの元へと走った総司だが、そこにナンダの姿はなかった。
「?」
驚きながらスクリタの安否を確認する総司だったが、そのスクリタが必死の様子で叫んだのである。
「総司!! 後ろ!!」
「え?」
そうして驚きを得た総司の耳にその声が聞こえてきた。
「仮想魔源核――開放」
【system ALAYA:――分割竜核機能・世界律への強制干渉――、侵食を開始致します】
【system ALAYA:――個体識別符名・幻竜八姫将、ナンダ】
「侵食定理行使」
【system ALAYA:――侵食定理・終末竜剣(Doomsday Slash)】
その瞬間、【征天のナンダ】の竜骨の刀に凄まじいエネルギーの奔流が生まれた。
その奔流が生み出す衝撃波を受けてその場に跪く総司。そのまま魔王剣による強化は消えてしまった。
「く……」
それでも歯を食いしばって立ち上がろうとする総司だが、そこに【征天のナンダ】の嘲笑の声が届いた。
「ははははははははははは!! 惜しかったな!! 愚かな魔王よ!! このまま我が侵食定理で、そこにいるサーガラ諸共死ね!!」
その嘲笑を受けてもなお立ち上がった総司だが、吹き出すエネルギーの奔流にその場から動けない。
(……まずい……このままじゃ)
流石の総司も諦めの気持ちが首をもたげてきた。……が、
「仮想魔源核――開放!!」
不意に背後からそう声が聞こえてきた。
振り返ると、その身を起こしたスクリタが、その背後に薄い影として現れた【機竜】とともにその手のひらを【ナンダ】に向けていたのである。
【system ALAYA:――分割竜核機能・世界律への強制干渉――、侵食を開始致します】
【system ALAYA:――個体識別符名・幻竜八姫将、サーガラ】
「侵食定理行使!!」
その瞬間、【征天のナンダ】の目が驚愕で見開かれる。
【system ALAYA:――侵食定理・竜雷轟掌(Thunder of the End Times)】
――その瞬間、【征天のナンダ】は発動しそうになっている侵食定理ごと、その捕縛結界に閉じ込められたのである。
「スクリタさん?!」
「サーガラあああああああああああ!! きさまあああああああああああ!!」
捕縛結界内、自身の侵食定理による反動を受けながら、【征天のナンダ】は怒りの表情で叫んだ。
スクリタは歯を食いしばって、その捕縛結界に全ての魔力を注ぎ込んだ。
(ダメージは与えなくていい!! その魔力を全て捕縛結界の強化に回して……、このままアイツの侵食定理をキャンセルさせる!!)
内側から広がろうとする力の奔流に、その結界自体が異様な明滅を初めて、そしてスクリタのその手に無数の血の筋がはしり始める。
(くそ……、力が足りない。このままじゃ捕縛結界が解けて、暴走した侵食定理で諸共……)
その光景を見て総司は慌ててスクリタの元へと駆け寄った。
それも当然、捕縛結界内にいるナンダに対しては現状何も出来ない。下手に何かをすればスクリタが張る捕縛結界を壊しかねないからだ。
だからこそ、総司はあえてスクリタの元へと向かい、その捕縛結界の維持の助けをしようと考えた。
(頼む! 魔王権能!! スクリタさんに力を……!!)
そして、総司はその身のうちにある結晶体を砕いた。
「魔源核――開放!!」
【system LOGOS:――中枢神核機能・世界律管理者権限をもって従神核への拡張機能を実行致します】
【system LOGOS:指示をどうぞ:▶】
「総司として……願う!! スクリタさんに僕の魔力を届けてくれ!!」
そうして、総司の纏う魔力がスクリタへと向かう。が……
それはスクリタに届く寸前でなにかに打ち消されてしまった。
「そんな……僕の力は……」
呆然として呻く総司。そんな様子の総司を一瞬見たスクリタは……、静かに微笑んだ。
(そうか……総司。私を助けるために……、その行動の意味も知らず……)
総司のその想いを受け取って静かに頷くスクリタ。
そして、決意のままにその心のなかで思考した。
(……私の竜性……、生誕のサーガラよ……、今一度貴方の力を借り受ける……)
その瞬間、総司から流れる魔力の奔流が、そのままスクリタへと届いたのである。
それを理解して総司は表情を明るくする。
しかし……、スクリタはその瞬間からその額に大粒の汗を吹き出し始めた。
――スクリタの味覚が消失する。
「くは……」
それでもなおスクリタはその捕縛結界を維持し続ける。ナンダの侵食定理はそれによって完全に封じられていた。
そのとうのナンダは、そのスクリタと総司の姿に眉を歪めて考える。
(なんと……愚かな!! サーガラ貴様!! その意味を……!!)
――スクリタの嗅覚が消失する。
「かは……、まだ……まだ」
スクリタはただ一つの思いに突き動かされながらそれでも捕縛結界を維持し続ける。
――総司から送られてくる【天魔の力】に――、
――【幻魔】の生命核を砕かれながら――。
――スクリタの触覚と、そして聴覚が消失する。
「まだ!! まだああああああああああ!!」
ナンダの力が捕縛結界を内側から押し広げようともがく。しかし、それをその強い意志だけでスクリタは押し留めた。
「サーガラアアアアアアアアアアアア!!」
捕縛結界内で、自身の侵食定理に焼かれつつ【征天のナンダ】は叫んだ。
――そして、スクリタの視覚が消失した。
何も見えない、何も聞こえない、何も感じないその世界でスクリタはそれでも捕縛結界を維持し続けた。
そんな彼女に……、見えないはずのなにかが見え初めた。
「大丈夫……、ですか?」
そういって声をかけてきた男の子を、私は訝しげに振り返る。
「む……? なに?」
「いや……、地面に蹲ってますし――、なにかあったのですか?」
優しげなその表情の男の子に、私はその手で地面を指さして答えた。
「は? ……ああ、これ? 食べてたアイスが地面に落ちたから見てただけよ?」
「え? ……あ、そうですか?! それなら良かった……」
その言葉に、私は眉を寄せて怒りの表情を作る。
「よかないわよ……、何? アンタあたしに喧嘩売ってる?」
その返しに流石に彼は狼狽えた様子で言葉を返す。
「うえ? いや怪我とかじゃなくてよかったって意味で……」
そう言ってうつむく彼を見て――、私は思った。
(……ふん? これがあの天魔族の王? 冴えない男ね……)
そう――、それが私たちの出会い。
そして、かけがえのない記憶。
――総司、私はあの後、あのナンダに自分の気持ちを知られたくなくて、あんな嘘を言ったけど。
それまで私は、同士達からも異質な者として見られていた。当然、彼らは仲間でもなく常に孤独に生きてきた。
魔人族のなかにあっても、彼らを終末に導くという使命が在って……、おそらく心の底のかつての想いから、私は罪悪感を感じていたのだろう。
その中にあって、その一日だけは――、
――その一日だけは、心の底から楽しかった。
――そう、確かに楽しかったのだ。
だから、その一日が私にとっての、おばあちゃんとの日々と等価の大事な思い出になって――、だからこそ私は最後の最後で総司や、その仲間たちに非情になれなかった。
その意識が薄れてゆく。――闇に埋没してゆく。
その最後の意識の中でスクリタは言った。
――この後、あのお人好しが気に病まないといいな……。
――本当に――、本当に楽しかったよ……。
――さよなら総司。
そうして、スクリタの意識は途絶え、……その生命核は致命傷に至った。
◆◇◆
不意にスクリタがその場に倒れ込む。その捕縛結界が消えて、侵食定理が途絶えてその身をボロボロに焼かれた【征天のナンダ】がその場に跪いた。
「く……、なんと愚かなり……サーガラ」
そう呟く前で、総司は倒れたスクリタに駆け寄ってその身を抱えあげた。
しかし、その瞳は何も映さないガラス玉のようになっていて、その身もピクリとも動かなくなっていた。
「スクリタさん?! スクリタさん!!」
必死で呼びかける総司を睨んで、少し嘲笑を浮かべながらナンダは言った。
「なるほど……、愚かなる魔王は、サーガラを助けるとかほざきながら、自分がしたことが何か理解していない……と?」
「なに?!」
そのナンダの言葉に総司は反応して睨む。その視線を嘲笑で返してナンダは言葉を続けた。
「いいだろう……、貴様のその愚かさ加減に免じて……、この場は引いてやろう。その屍も……、貴様に預けてやる……」
「しか、ばね?」
そのナンダの言葉に総司は目を見開く。そして、身動きしないスクリタを見つめた。
その間に【征天のナンダ】は何処からか取り出した転移の術符でその場から去っていった。
「スクリタさん……。まさか……」
総司は一瞬ためらった後、その耳をスクリタの胸に付ける。その心臓の鼓動を聴いて総司は安堵した。
しかし――
「スクリタさん……」
その時、かつてスクリタが言った言葉を総司は思い出す。
『私たちの生命核は【幻魔】そのもの。あなた達天魔族の宿敵であり反属性……』
その内容に、言いようのない不安を感じて、総司はただその場で、もはや心臓が動くだけの人形と化したスクリタを抱えることしか出来なかった。
――スクリタさん。




