第十五話 未知なる未来――、当たり前の勇気
――そうだね、こんな質問を君たちにしてみよう。
君たちは周りにいる見知った友人を見て、その人は【極天のワシュキ】より強いと断言できるかね?
そう――、直近だけとは言え未来を見抜き、最強の身体能力や術式適性を持ち、反則そのものの侵食定理を九種類も持つ。
さらに言えば、そんな侵食定理を九十七回も扱えて、それを未来視で使い分けるんだよ? ――まあ、勝てるわけがないと思うのが道理だろうね。
――しかし、だ――、
君たちは大抵の者が視覚を持ち、周囲をそれで確認しながら歩いてゆくのだが、それを突然失ったなら君はそれでも勇気をもって歩けるだろうか?
何も見えなくて怖い? ――そうだね。
――ここから語られるのは、そういった話でもある。
◆◇◆
マーレは病院区画に運び込まれてくる天魔族たちの治療を進めていた。
その患者の中には極度に衰弱した【プリシア・アンドロマリウス】や、何とか意識を保ってプリシアを心配そうに見つめる【トロ・バラム】らの姿もあった。
そんな状況の只中に、先程までマーレが対話していた客人が心配そうな表情で現れる。それを認めてマーレは声をかけた。
「あ……、すみません。私の自室に放置してしまって……」
「いや、構わないさ……。魔人族に対する医療の知識はないが、天魔族が対象ならば何とか役に立てると思って来たんだが……」
「……ありがとうございます。でも大丈夫です……」
そう言ってその人物に笑顔を向けるマーレ。しかし、すぐに沈んだ表情を浮かべて言う。
「なにか嫌な予感が……、胸騒ぎがするんです。先程、トロを運んできてくださったコル・フェニックスさんが言ってたんです。まだ敵が要塞内に隠れているかも知れない……と」
「ふむ……」
「一緒に援護に来ているという、ルーチェさんやオラージュさんとの連絡もまだとれていません……」
その表情をしばらく黙って見つめた客人は、小さく微笑んでマーレに言った。
「……ふ、ならば……、ワタシが確認してこよう……」
「え? でも……貴方は……」
そう言って見つめるマーレに笑顔を向けて……、そして背を向けて歩き出す。
その先に――、自分にとっての宿命が待つということを、この時の彼女は全く気づいてはいなかった。
◆◇◆
薄く笑う修道女【極天のワシュキ】が、まさしく適当に振り回すように長剣を振るう。
それでも、その速度に追い込まれるようにオラージュのその身から血潮が舞い散った。
「く……そ、オラージュ……」
背中を大きく裂かれたルーチェは、さすがのその傷に意識が薄れ始めている。
オラージュが咄嗟に、素早く応急処置をしたが、それでも流れる血は止まらなかった。
――このままでは失血死しかねない。
ガキン! キン! ……シュ!
その緊急時に、オラージュはただ一人ルーチェを庇う形で【ワシュキ】と一騎打ちをしていた。
【ワシュキ】の定型も見えない乱暴な刃が、オラージュの熟練の双剣技を追い詰めてゆく。隙をついて様々に仕掛けるが、それらはすべて【ワシュキ】の未来視に見抜かれて、その身の傷が増えるだけだった。
コル・フェニックスらに連絡を取ろうとも考えたが……、この場に現れたら【ワシュキ】の犠牲者が増えるだけだと思いとどまった。
相手はもはやただ遊んでいるようにも見えるが、そんな相手にオラージュは手も足も出なかった。
この場を凌ぐ策が思いつかない。不屈の意志で立ち向かっても、そこから先が見通せない現状では、ただその心がすり減るだけであった。
(……せめてルーチェとの連携なら、ある程度は……)
そう思ったところで時間を巻き戻すことなど出来ない。そしてただオラージュは追い詰められていった。
(……この場は、もはやわたくしが……)
そしてとうとう悲壮な決意へと心が向かう。――自らの命を捨ててでもルーチェを救うべきだと。
「……ふふふ、そんな思い詰めた表情でどうしたのかな? こんなに楽しい殺し合いなのに……」
「楽しいものですか……」
満面の笑みを浮かべる【ワシュキ】をオラージュは睨む。
その様子に小さくため息を付いて言った。
「ふう……、仕方がないね。そんなに言うなら……、ひと思いに始末しようかな?」
その【ワシュキ】の言葉にただオラージュは睨みを深くしただけであった。
(……まさか、ここまでの敵が控えているとは……。これは、少なくとも【対サーガラ編成】と同等の特別編成で挑むべき相手……)
それを何とか魔王様に伝えられないかと静かに考えるオラージュだったが……、不意に【ワシュキ】の表情から笑顔が消えるのを見た。
「……?」
「……」
表情を消した【ワシュキ】が静かに周囲を見回し始める。――同時に、それまで自分を追い詰めていたのにも関わらず、静かに間合いを広げ始めていた。
その奇妙な行動にオラージュは困惑の目を【ワシュキ】に向ける。
――そして、【ワシュキ】が倉庫から【アスクラピア】内部へ続く通路へと視線を向けて、そしてその向こうを睨んだ。オラージュやルーチェもそちらに自然と視線が向いた。
そこに彼女は立っていた。
「……ふう、なかなかヤバいタイミングだね?」
そうして口に咥えていたタバコを放り投げるのは――……。
「え? なんで?」
「あ……、貴方は……」
驚く二人に笑顔を向けて、そして眼鏡の端に触れて――、その彼女【キルケ・アスモダイオス】は歯を見せて笑顔を作った。
その彼女を睨む【ワシュキ】の視線が細くなる。その様子に危険を感じてオラージュはキルケに向かって叫んだ。
「お下がりをキルケ様!! そのものは未来視が扱えます! 貴方ではひとたまりもない!!」
「……ほお? ああ……、なるほど……ね」
そのオラージュの言葉に、一人納得した様子でケラケラ笑い始めるキルケ。それを困惑の表情で見つめながらオラージュは言った。
「キルケ様? 何を?」
「……ああ! なるほど……、だからここにワタシが現れた途端に……」
――ソイツの笑顔と余裕が消えた――と。
その言葉に【ワシュキ】は怒りに似た表情でキルケを睨んだ。
「……笑顔と余裕? ……え?」
そのキルケの言葉に、何かを理解し始めるオラージュ。
「アンタ、名前は知らないが……、その未来視とやら……」
――今は見えてないんだろ?
「あ!!」
そのキルケの言葉にオラージュは納得の表情を作る。キルケは静かに【ワシュキ】へ嘲笑を向けて言った。
「……まあ、ワタシの扱う固有権能は……、いわば何でもありのワイルドカード……。そんなワタシがこの場にいれば、その先にどんな行為を行おうと……」
――必ず阻止されるんだから。
「まあ、そうであれば、テメエの都合のいい未来なんざ見えるハズはないし……、大抵はその先が見えない闇となる……ってか?」
その言葉に【ワシュキ】は小さく呟く。
「かつて私が仕掛けた作戦……。魔王の剣を追い詰めて、そして幻魔竜王にて天魔族に大きな傷を与える事を目指した……」
「……ああ、あれ、お前の作戦だったのか? ご愁傷さま……。ワタシがひっくり返してやったぜ……」
その答えに【ワシュキ】は目を細めて、そして小さくため息を付いて言った。
「まあ……いいでしょう。ここは引くといたしましょう」
「な?!」
その【ワシュキ】の言葉に驚きを隠せないオラージュ。【ワシュキ】は静かに言葉を続けた。
「……キルケでしたか? 貴方の存在を確認出来ただけで良しといたしましょう……」
その瞬間、その身が光りに包まれる。それは【征天のナンダ】を内包した黒い立方体も同じで――、そのまま両者は霞のように消え失せたのであった。
(……助かった? ……しかし)
オラージュは、意識を失って倒れているルーチェに駆け寄ってその安否を確認する。
正しく生きている事を知って安堵すると共に、キルケに向かって視線を向けた。
「……う、ぐ……」
そのキルケが、膨大な汗を全身から吹き出してその場に座り込む。そのただならぬ様子にオラージュは声をかけた。
「キルケ様?! どうしたのですか?」
「……ち、あのオンナ……。ただの非戦闘員のワタシにあんな殺気飛ばしやがって……。神経が消し飛ぶかと思ったぜ……」
「……あ」
震える身体で座り込むキルケの表情は、明らかな恐怖心と怯えがみてとれた。
まあ、そうなるのも当然と言えば当然……。
明確な戦う技術もない非戦闘員のキルケでは、チート固有権能で相手の行動を抑え込めてもそれから先に続かない。
――そうして、使い切りのチート固有権能を失えば、後は邪魔者として殺されるだけなのだから。
「キルケ様申し訳ありません……。そして、助かりました……」
「は……、気にするな……。まあこれもワタシの運命だったんだろうさ……」
冷や汗を拭って笑顔を取り戻したキルケが言う。
「でも、まあ……あのヘンなの……。あそこで引き下がるのはケッサクだよ……」
「はあ……、そうですか?」
そのオラージュの困惑の表情を見ながらキルケは言う。
「当然さ……、アイツは未来が見えなくなって、勝ち筋を確認できなくなったから引き下がったんだぞ?」
「え……、あ……」
そのオラージュの、何かをひらめいた表情に、優しい微笑みを向けてキルケは言った。
「……未来が見えないなんざ、誰でも……、天魔族だろうが魔人族だろうが、奴の仲間だろうが、大抵は同じだろ?」
――未来ってのは誰しも見えない。あの【ワシュキ】はそれが見えなくなっただけで逃げたのさ。
【キルケ・アスモダイオス】はそう呟いて、――その手のタバコに火をつけた。




