幕間 サーガラの生誕
その日、その森の奥で一人の少女が産声を上げた。
その時点でその姿は既に赤子ではなく十代前半の姿であり、小さな金色の機械の子竜を抱えていた。
そうしてゆく宛もなくよろよろと歩み続けていたその少女を、薬草取りの老女が見つける。
しばらく前に、たった一人の身内であった孫を病で亡くした彼女は、その子を自宅へと連れ帰って。そして――、
その子が抱える金の子竜を見て、彼女に【スクリタ】という名を与え、そして孫のように可愛がるようになった。
その名こそは、かつてその地域が幻魔竜王に襲われた際に、天から飛来して幻魔竜王を滅ぼしたという伝説の金鱗蛇龍――、【善女竜王】という別名で知られる人世守護龍の名前であった。
――その名が、かの【サーガラ】と深いつながりを持つ名であることは、ある意味で運命であったのかもしれない。
そして、しばしの月日が流れた。
「ごほごほ……」
「おばあちゃん大丈夫?」
辛そうに咳をするおばあちゃんに、スクリタは心配そうな目を向ける。その背中を擦って咳が止まるのを待つ。
そのスクリタの足元では、子竜がスクリタと同じく、おばあちゃんを心配そうに見上げていた。
「ふふふ……、ありがとね……、スクリタもりゅうちゃんも……」
「アギャア……!」
子竜はスクリタとおばあちゃんを交互に見て、その場でちょこちょこ跳ねまわった。
スクリタはその子竜を捕まえて、その胸に抱くと思い詰めた様子で言った。
「やっぱり……、お山の龍湖まで行ってくる……」
「スクリタ……」
「……あそこなら、おばあちゃんの症状を改善できる薬草があるかもしれない……」
そのスクリタの顔を見て、おばあちゃんは顔を横に振る。
「……いいや、無理だよ……。これは違うんだ……。たとえ症状を軽く出来たとしても……」
「……おばあちゃん!!」
そのスクリタの強い言葉におばあちゃんは言葉を続けられなくなる。
「まだ……、居なくなっちゃいやだよ!! もっと長生きして欲しいよ!!」
「スクリタ……」
「まだ……、一緒いたいよ……」
涙を流すスクリタにおばあちゃんは笑って答える。
「もう……、心配しないでいいのよ? まだまだおばあちゃん……、スクリタのそばにいるつもりだし……」
「うん……」
「でも……、お山はダメよ? あそこは魔獣がたくさんいて危険なの……。スクリタは何故か人一倍頑丈だけど……、それでもおばあちゃん、スクリタが怪我するのは見たくないのよ……」
大好きなおばあちゃんの、その言葉にスクリタは小さく頷く。そして――、その日は普通に二人仲良く過ごした。
「ごほごほ……」
夜中におばあちゃんの咳の音でスクリタは目覚める。その苦しげな様子をみて、――そして静かに決意をした。
(……私、このりゅうちゃんといれば、すごい力が出せる……。変な防御シールド?も生み出せるみたいだし、多分、魔獣も撃退できる……。――だから、明日、おばあちゃんに見つからないように、お山の龍湖に薬草を取りに行こう)
そして――、きっとおばあちゃんを助けるんだ。
そうして少女は一つの決意を心に宿す。しかし――、彼女の運命はそのそばに近づきつつあったのである。
◆◇◆
その闇の中――、二人の女が森を抜け、ある村を目指して歩いていた
そのうちの幼い外見のゴスロリ少女が、隣の歩く修道服の女性に向かって言う。
「はあ……、ほんっと面倒くさい話ね……。なんでソイツだけ母竜から直接生まれなかったのよ……」
「ふふふ……、それはまあ……、多分【生誕】の竜性の影響かも知れないね……」
ゴスロリ少女――【征人のバツナンダ】の問に、修道服の女性――【極天のワシュキ】が薄く笑って答えた。
「……【生誕】の竜性は特別な存在……、そしてその初期起動にも特別な経路を取る必要がある……。だから、母竜は生まれる直前に、彼女をそれに相応しい場所へと転移させた……。重要なことは、【生誕】の竜性は【最初の死】を伴わないと本起動しない……、ということだ」
「はあ……、それってまさか生み直しでもやるの?」
「大丈夫さ……、初期起動って言っただろう? 一度、【生誕のサーガラ】としての誕生を経れば、それ以降は我々と同じ経路で生み直し可能になる……」
その答えに小さくため息を付いて、そして進む先に方向を見た。
「……で? その【生誕のサーガラ】が居る村って……、皆殺しにしていいの?」
「ふむ……」
その【征人のバツナンダ】の言葉を聴いて【極天のワシュキ】は一瞬考えてから――、そして優しげに微笑んで答えた。
「ふふふ……いいよ。好きにするといい……」
その答えに【征人のバツナンダ】は、――心底楽しそうに笑った。
◆◇◆
そして始まったスクリタの冒険は、結構あっさりと終わりを迎えた。
子竜の炎のブレスは、それだけで一般魔人族の炎系魔法ほどの威力が出る。おまけに子竜を抱えているスクリタは、離れているときよりその体がうまく動いた。
もっとも、なにかの拍子で子竜が彼女から離れると、とたんに体が重くなるのは昔からの体質によるものである。その原因はわからないが、そんな体質を治すことよりも、何よりおばあちゃんの症状を癒すことこそ彼女にとって大事だった。
「……これ、本で見た……。咳止めの薬草……」
それを手にして急いで村へと引き返すスクリタ。しかし……
「……?」
しばらく進むと、村のある方角から不審な煙が見えた。
それを見て嫌な予感を感じたスクリタは、急いで子竜と共に村への道を走った。
そして――、その嫌な予感は的中したのである。
「え? なに?」
村が燃えていた……、そして、その村のそこかしこに、村人の切り刻まれ、細切れになった死体があった。
スクリタは顔を青くして――、その村の中央区画にあるおばあちゃんと住んでいる家へと走った。
おばあちゃん!! ――おばあちゃん!!
村を……、無数の死体の只中をスクリタは走る。ある死体に足を取られて転んでしまう。その手の薬草が手から離れて近くへと落ちるが、――それをもう一度手にしてスクリタは立ち上がった。そして――、おばあちゃんが待つであろう家が近くなった時、――その光景を見た。
「くひひひ……。けははははははは……!」
その口が頬まで裂けた少女が、村人の胴のない首をその手で弄んでいる。その口へと周囲に漂う光体が集まってゆき……、美味そうに咀嚼している。
「ひははははははは……!! やっぱ嬲り殺しは楽しいよねぇ! 弱いやつが抵抗もできずに嘆く姿は最高だわぁ!!」
「あ……、ああ……」
その光景にスクリタは呆然とする。その胸に抱えている子竜が、そのイカレタ少女に向かって威嚇の声をあげる。
「グルルルルルルル……」
「あん? なにコイツ……」
その牙を見せて唸る機械の子竜を、その少女【征人のバツナンダ】は眉を歪めて見た。
「ふん? ……ああ、これ……、【生誕のサーガラ】の機能の顕現……。それじゃ……、アンタが【生誕のサーガラ】?」
「……?!」
その言葉と、自身へ向けた視線に、スクリタは怒りの目を向けた。
「おまえ……!! 皆を……、村をこんなにしたのはお前か!!」
「……はあ? なに怒ってんの? もしかしてイカれちゃった?」
その答えに――、スクリタは心の奥から吹き出す怒りのままに叫んだ。
「イカれてんのはおまえだ!!」
そのスクリタの絶叫に反応して、彼女が抱える機械の子竜がその口から炎を吐く。それは【征人のバツナンダ】へと向かいそしてその全身を火だるまへと変える。
「ぐあああああ……!! て、めえええ……!! ……なにすんだ!!」
「ギャアアアア!!」
機械の子竜もまた怒りの声をあげて、その口からいくつもの炎を【征人のバツナンダ】へと叩きつけた。
たまらず【征人のバツナンダ】はその場から逃走を始める。その逃げざまを憎々しげに見送ってから、ふとおばあちゃんの事を思い出した。
「おばあちゃん!!」
スクリタはそのままおばあちゃんと今まで過ごしていた家へと走った。
――そして、運命の時は来る。
スクリタは家の玄関を抜けて、急いでおばあちゃんの行方を探す。
しかし、しばらく見つけられずに涙目でおばあちゃんを呼んだ。
「おばあちゃん!! 何処?! おばあちゃん!!」
「アギャ!」
不意に子竜が、その小さな前足で方向を示す。その行動に頷いて、――そして走った。
「おばあちゃん!!」
叫んで、その部屋へと駆け込むと、そこに床に倒れ伏すおばあちゃんが居た。
「おばあちゃん!! 大丈夫?!」
「す、く……りた」
「おばあちゃん!!」
その呼吸があまりに荒くなっており、その顔も青ざめ始めていた。
それはそれまでの症状よりも遥かに深く見えて、涙目でその手の薬草を見た。
「この薬草!! ……これで!!」
そう思った時……、一つの事実に至る。
村がこのような状況で、だれがこの薬草を薬に変えられるというのか。
全てを理解して……、そして力なく薬草をその場に落とした。
「おばあ……ちゃん……」
「すく……り、たぁ……」
そのおばあちゃんの声音が懇願するものに変わる。
「くる、し、い……、たすけ……て」
「おばあちゃん……、おばあちゃん!! 今助け……」
そしてその口からその言葉を聞く。
「は、やく……、らく、に……」
「……!」
「どうか……、もう……。すく、り……」
その言葉をスクリタはただ呆然と聴いた。
「くる、しい……。しな、せて……」
「……」
――いいのか? サーガラ……。
不意に頭の中になにかの声が響く。
「アギャ!! アギャ!」
その声を否定するように、必死でスクリタの身を揺らす子竜。
――はやく死なせてあげなくていいのか? サーガラ……。
「ギャ! アギャ!!」
自身に必死で呼びかける子竜の、その叫びが小さくなってゆく。
――苦しみを取り除いてやらなくていいのか?
「……いや」
――そのまま、おばあちゃんを苦しいまま死なせる……か?
「……いやあああああああああ!!」
――それをおばあちゃんは望んでいるのか?
「やめて……、いや……」
そのスクリタの耳に、大好きなおばあちゃんの声が聞こえた。
「く、るしい……、らくに……」
――ああ、そうだ……。安らかに――、苦しむことのないように――。
そうしてスクリタは静かにおばあちゃんに手を伸ばした。
その目は光を失い、手は最後の抵抗のように震えて――。
その時、何処からか――、あの子竜の哀しげな鳴き声が聞こえたような気がした。
◆◇◆
その家の外で【極天のワシュキ】は新たな同士が現れるのを待った。そして、その望みどおりに、家の中から確かな足取りでスクリタが出てきた。
それを見て深い笑みを浮かべる【ワシュキ】。
「やあ……、【サーガラ】……おはようだね?」
「……ん? ああ……アンタ【ワシュキ】ね?」
その答えを満足そうに聞く【極天のワシュキ】。それに対して【生誕のサーガラ】は頭を片手で叩きながら言った。
「……はあ、なんかよく覚えてないけど……。面倒くさい事になってたみたいね私……」
「ふふふ……、いいさ、もうそれも繰り返すことはない……」
「しっかし……」
【生誕のサーガラ】は周囲を見回して……、そしてそこかしこに転がる魔人族の死体を眉を歪めて見つめた。
「なによ……、このイカレタ有り様……」
「ふふふ……、すこし【征人のバツナンダ】がやりすぎてしまってね……」
「はあ? それも私の……」
「……そう……、同士だ……」
その言葉に、【生誕のサーガラ】は心底眉を歪めて嫌そうな顔をする。
そんな彼女に向かって、不意に怒鳴り声が浴びせられた。
「おい! てめえ!! 【サーガラ】!! さっきはよくも……!!」
「ん?」
その怒り顔をつまらないもののように見つめて、――そして【生誕のサーガラ】は【ワシュキ】に問う。
「もしかして……、アレが【征人のバツナンダ】?」
「ああ、そうだよ……」
にこやかに答える【ワシュキ】から視線を外して、怒りのままに掴みかかろうとする【征人のバツナンダ】を感情のこもらない目で見た。
そして――
グシャ!
不意に【生誕のサーガラ】のその影から、巨大な機械の腕が伸びて【征人のバツナンダ】のその体を掴んだ。
【征人のバツナンダ】は身動きが取れなくなり……、そしてその手の握力でその身が締め上げられ潰され始める。
「おい……、お前……、本当はどうでもいい話だけどさ……」
「あがががががが……、いだだだだ……」
「正直テメエのコレ、不快だからさ……。次、私の前で、魔人族を一匹でも殺しやがったら……」
「ひぎぎぎぎ……」
「このまま絞め殺すぞ? ……理解したか?」
その【生誕のサーガラ】の言葉に【征人のバツナンダ】は苦しみながら吐き出すように言った。
「……ぐ、わかったわよ……、殺す時は、貴方の目の届かない、ところ、でやるわ……」
「……」
そのまま静かに締め上げようとする【生誕のサーガラ】のその肩に【極天のワシュキ】の手が置かれる。
「……ん? まあ……、そうね……、世界を終末へと導き……。そして私達も安らかな終末へと諸共進む……、その同士だから、多少の不快は我慢すべき……か」
そのまま機械の腕は影へと消えて、【征人のバツナンダ】は解放された。
「げほ、げほ……」
その姿を冷たい目で見下ろし……、そして、静かにその場を去ってゆく【生誕のサーガラ】。その後に【極天のワシュキ】や、心底不満そうな【征人のバツナンダ】も続いた。
――と、不意に【生誕のサーガラ】は振り返って、背後に立つ【見知らぬ家】を見る。
それは遥か記憶の果てに消えた、おばあちゃんとの生活のあった家で……。
――スクリタ。
不意に誰かの声が頭の中に響く。
「すく……りた? 何だろ? ……とてもいい響き……」
その言葉を反芻して――、そして【生誕のサーガラ】は小さく微笑んで、誰に聞こえることもない小さな声で呟いた。
「サーガラ……、とか味気ない名前より……、そっちのほうが素敵かもね……」
――今度からそう名乗ろう……。
そして……、幻竜八姫将【生誕のサーガラ】は本当の誕生を経験した。
かつての大事な日々と……、大好きな人と……、その想いをその記憶の彼方へと封印して。
それは、今から十六年前――、かの全ての切っ掛けである、魔王城崩壊事件が起こる直前の話であった。




