第十五話 魔王
溶岩流が海のようにうねり、その魔力光が地面を焦がしていた。
その中心で、全長三百メートルの巨竜が静かに眠る。
巨竜の傍らには、全長十二メートルの竜頭の人型機械――【機竜】が膝をついている。
その肩に腰を掛けるのは、銀髪に緑の瞳を持つ少女。
その少女は、その周囲に佇む他七人の女性たちを見下ろして、――一人ため息を付いた。
その態度に――、他七人のうちの一人が薄く笑いながら言葉を発する。
「ふむ……、やはり君の特性上――、親と子だとか――、そう云う関連で追い込んだこの作戦は気に入らないのかね? ……【サーガラ】――」
「別に――。どうせ天魔族は……、この世界を無に戻す邪魔になるんだし――、いつかは殺し合うし……。それと――」
サーガラと呼ばれた少女が、その身を守護する竜頭人型機械に思考で命令する。
【――Yes, ma'am.】
その巨体の腕が――、先程自分をサーガラと呼んだ女性の身体を掴む。
「……何かね? 気に障る事でも?」
「ねえ、【ワシュキ】……。――私の名は――、サーガラじゃなくて……、【スクリタ】よ――。今度間違えたらリセットするからね?」
その行為を気にもとめず、その腕に掴まれた女性は薄く笑って言った。
「以後気をつけるとしよう……、サーガラ――」
「――!」
その言葉に一瞬怒りを見せつつも、その少女は竜頭人型機械の腕から女性を解放した。
「……君は繊細でいけないね……。まあ……、母なる竜の同位体故に仕方なし……か」
「――で? この後どうするの?」
「ふむ……、魔王の剣を自害に追い込む事には失敗したが。その代わりに精神を壊す流れには持っていけた。もはや天魔族に、これから起こる破壊に対する切り札はなく――、高い確率で魔王種も失われるであろう……」
スクリタはあの街での総司の顔を思い出す。
「……なるほど――あの約束も、無駄になったか」
「その後――、天魔族の【世界律管理機能】の大半が失われた世界を正しい無へと導く。……我らの使命は正しく実行されて――、我らも無へと戻る……」
「そう……」
その言葉を聴いて、一人スクリタは【機竜】を繰ってその場から出て行こうとする。
「何処に行くのかな?」
「……今のところ私の居る意味ないでしょ? 街に遊びに行く……。まだ食べてないスイーツもあるし、無くなる前に遊び尽くさないと――」
「……」
他七人が向ける視線を無視して、少女は竜頭人型機械の肩に乗ったまま姿を消す。
その場に残った皆は一様にため息を付いた。
「――困ったお方だ……」
◆◇◆
イラ・ディアボロスのその精神が完全に停止して既に三日が経った。
彼女は目を開いているものの、その瞳に何も移してはおらず――、その精神を回復させる目処もたってはいない。
あの時、魔王城に現れたイラ・ディアボロスは既に心が壊れかけていた。
かつての彼女は、罪悪感と、行場のない慟哭と、理不尽な憎しみと――、それらすべてに追い込まれて、完全な自己矛盾に心を壊されてゆき――、最終的には暴走して、あれだけ可愛がっていた幼子と、敬愛する先代魔王にまで刃を向けてしまった。――そして、やっと正気を取り戻して魔王城から逃げた時――、そのすべての行いを顧みて――、崩壊寸前の心のままに自害をしようとしたのだ。
でも、それは彼女を追って来たコル・フェニックスらに止められて、――発作的に自害をしない様になった頃には、その根本の記憶が抜け落ちた状態になっていた。
それ以降、不安定な精神状態のまま「理不尽な憎悪にまみれた心と、それを間違いと顧みる心」が交互に現れる状態になって、――「心が死に至る記憶」だけ喪失した状態で生きてきたのだ。
コル・フェニックスらは、イラ・ディアボロスの自害の理由を、理不尽な憎悪に対する自身への断罪だと思っていた。
無論、それもある意味正しかったが――、「心が死に至る記憶」を喪失した状態では、当然、本当の理由には至れなかった。
――総司と相対したら――、その「心が死に至る記憶」を思い出してしまう事に、コル・フェニックスらは考えが至らなかった。
オラージュ・ヴェルゼビュートは育児経験が深かったから、「自分が目を離した隙に子どもが死ぬ……」という状況もよく理解していた。
だから――、イラ・ディアボロスの「心が死に至る記憶」がそれに類することだと真相に至ることが出来た。
――イラ・ディアボロスは、その後のすべての天魔族への悲劇や災難、可愛がっていた幼子の至った状況、敬愛する先代魔王の嘆きや、――その果てに起こった老いと死――、そのすべてが「自分が幼いジードから少しでも目を離してしまった――」事で起こったことだと、すべてを背負い込んでしまった。
そうして、ひと一人で背負いきれる筈もない絶望的な後悔の果てに、――心が完全に壊れてしまったのだ。
総司は魔王城のバルコニーでオラージュとともに闇夜を眺める。
「魔王様……、あの時、わたくしは――、イラ・ディアボロスにこう言われたのです」
――お前にはわからねよオラージュ――、
――大事な時にあの方の側にいなかったお前には。
「……おそらく、あの時の彼女は、すでに心が壊れかけていて――、暴走のままに放ったあの怒りの言葉自体が、自分自身へ向けられたものだったのでしょう」
「――『大事な時にあの方の側にいなかった』――ですか……」
――あまりに理不尽……、常に幼子につきっきりでいることも出来ない。
でも――、だからといって、目を離した事が原因でなにかが起こったら、それは取り返しがつかない事。
だからイラ・ディアボロスは――、その取り返しがつかない事が起こったがゆえに、すべてを背負い込むことしか出来なかった。
――そして心が完全に壊れた。
軽々しく――、どうしょうもなかった、と言うことは出来ない。
でも――、それしか彼女の心を救うすべはなかった。
イラ・ディアボロスは、――その幼子を愛していたがゆえに、その子を危険に晒した挙げ句に、理不尽な憎しみを向けてしまった自分が、何より許せなかった。
そして――、その果てに起こったすべての事も――。
「……わたくしには痛いほど――、痛いほど理解できるのです。……わたくしも、あれから――、イラにああ言われたときから、魔王様のおそばから離れられなくなったのですから」
「……オラージュさん」
「離れた瞬間に、それが失われたら――、わたくしは後悔してもしきれません」
総司は真剣な表情で夜空を見上げる。
「天魔族の皆は――、それぞれに苦しみがあって、それを背負って生きている。おそらく、それから逃れるすべはないのでしょう」
「……魔王様」
「でも、それは僕たちの心の証であり、その苦しみが永遠に消えることはなくとも――、それを乗り越える事はできるはずです」
総司は――そしてオラージュを見つめる。
「――僕は、強くなります。力も、そして心も――、誰にも負けないぐらい。誰にも負けない強さを――、皆の心を支える事の出来る強さを――」
総司は少し俯いて言う。
「母さんは……、一つだけやってはいけない事をしました」
「魔王様?」
「――皆をおいて逝ったことです」
その言葉をオラージュは静かに聞く。
「――僕は皆をおいて逝きません。オラージュさんが安心できるような、――誰よりも強い魔王になります。ですから――」
その総司の言葉に、オラージュは静かに微笑んで頷いた。
「――ならば、それに相応しい。そんな魔王様に相応しい、強い存在にわたくしもならねばなりませんね――」
そうして総司とオラージュは頷きあう。
「……僕は、イラさんも必ずその苦しみを乗り越えられると信じます。そして、その手伝いが出来るように僕も最大限の手を尽くします」
――そして。
「二度とこんな悲劇が起こらないようにしてみせます」
――それが天魔族の王たるものの、魔王としての使命ですから。
こうして少年は新たな決意を胸に抱く――、それこそが彼の【魔王】 としての本当の始まりだった。
――と、不意に魔王城内から無数の足音が聞こえてくる。
十数人の天魔族が、ルーチェを先頭に焦った様子でバルコニーへ走り出てきた。
それをみて困惑の表情で総司が呟く。
「……? どうしました?」
「小僧!! オラージュ!! ――大変だ!!」
怒っているのか、それとも怯えているのか、薄く汗をかきながらルーチェは言う。
「魔王城の――、北西三十キロ先に……」
――幻魔竜王が現れた。
その報告に、総司とオラージュは完全に言葉を失った。
◆◇◆
――すべての条件は揃った。
――魔王の剣は折れて戻らず、魔王は未だ未熟。
――そして、狩るべき獲物は、その666人すべてが我らの狩り場に集まっている。
――さあ世界の、その終わりの始まりはここに成る。
――我ら【幻竜八姫将】が、それを導く。
――我らの、その【戦争】の始まりをここに告げよう。