第十四話 謝罪
その日、いつも魔王様の側にいたオラージュが出ていた。
もっともメイド兵たちは居るので、私が余計なことまでする必要はない。
記録を書きながら、私は可愛い目で私を見つめるその幼子に手のひらを向けた。
その子は私の事が分かっているようで、その小さな指で私の人差し指を握った。
――ああ、この子は……。自然と私の顔が緩む。
私は生まれてすぐに戦いを知った生粋の戦士で、こういった事を知らなかったが、今ではもうお世話の仕方を熟知している。
この子だけは――、魔王様の愛するこの子だけは必ず私が守り抜く――、そう誓ったのだ。
――そう誓ったのだ、
――恨みたくなど無かった、憎悪など――、何故この子に抱かなければならない!!
ふざけるな!! 何故この子に刃を向けた!!
心が砕けてゆく音がする――、矛盾が心を狂わせてゆく。
あの時の魔王様の行動は当然のことなのに――、親であれば当然であり、――幼い子が救われるには、それしか方法はなかったのに――。
私はあの時――、泣きながらその子に刃を向けていた。そして魔王様に止められて――。
――そう、私はあの後死んだ――、魔王様も私がそうするという確信があったのかも知れない。
もしかしたら、万が一私がそうならなくとも、もうその子に刃を向けることはないと言う確信があったのだろう。
でも……、私と同じ苦しみを得るものが現れるかも知れない。
また同じような悲劇が起こるかもしれない――。
――だから魔王様は……。
◆◇◆
魔王城の奥にある小さな回廊の一角に総司は静かに立っていた。そこに一人の幽鬼が姿を表す。
幽鬼が静かに総司に話しかける。
「やあ、ジード様。またあったね……」
「イラさん……」
それは静かな対話。
「どうしたんだね、思い詰めた目をして」
「……」
そうして黙る総司に近づいて、幽鬼は腰の長剣を手に取る。
「ふふふ、まあいい、じゃあ君の罪、その贖罪の時だよ……」
そう静かに――、しかし胸を掻きむしりながら語る幽鬼に、総司は光のない目を向けた。
「やはりそうなんですね?」
「ん?」
「おそらく、僕の予想のとおりなんですね?」
その総司の言葉に、幽鬼は笑顔を向ける。
「ほう? ジード様は自分の罪を自覚なされた、――と?」
「罪……」
総司はあの日の会議室での、オラージュの言葉を思い出す。
『すべて切っ掛けとなった災厄、今から十五年前――、魔王様が物心付く前であると存じますが、その時、一度魔王城は失われております。――突如、歴史上観測したことのない魔力域異常――、それによる局所的空間破壊によって、魔王城と周辺区域が大崩壊したのでございます』
総司は静かに語り始める。
「そう……、あの日、歴史上観測したことのない魔力域異常が起こり、そして局所的空間破壊によって魔王城が崩壊した……。その魔王城には例の繁殖種と呼ばれる者たちが保管されていて、それ以外にもその崩壊に巻き込まれた者がいた……」
光のない瞳が幽鬼の瞳に重なる。
「……そう、当然と言えば当然。魔王城は母の居城であり、だからそこで当時の僕も育てられていた……。そうして事件が起こり、それを切っ掛けに貴方は僕に憎しみを得た……」
総司はその手に握る育児日記を見つめて言う。
「……その前まで、貴方は僕を育ててくれていた、オラージュさんの代わりだった人……だった。それなのになぜあの事件以降僕を憎み始めたのか……。それは、予想できるそれは一つしか無かった……。そう一つしか無かったんです……」
そうして――、総司の瞳から涙が溢れ始める。
その光景を幽鬼は――、霞む意識の中で見つめた。
心の奥に――、確かな痛みを得ながら。
◆◇◆
オラージュ達は魔王城内を走り抜ける。
目的地は近い――、総司に――、魔王様に早まった事をさせてはならない。
イラ・ディアボロスが――、本当の意味で壊れるのを止めねばならない。
オラージュは目に涙を貯めながら走り抜ける。
(それはどうしようもなかった――!! 貴方は恨む必要も、悔やむ必要もなかった!!)
その場に居るものは――、今回の切っ掛けをある程度までは理解ているだろう。
それは正解だし――、しかし、オラージュはただ一人、イラ・ディアボロスのその真実に至っていた。
それは多分――、かのコル・フェニックス達すら至っていない真実。
彼らはその相対でイラが救われると考えた。……しかし、重大なピースを彼らは持ってはいなかった。
――全員が全員、ボタンのかけ違いをして――、正しい対話をしなかった。
だからオラージュは走る。
あの時救えなかった友を救うために。
◆◇◆
総司は幽鬼の前で懺悔する。
「母さんが神核に損傷を受けた原因。それによって貴方を含めた皆が苦しむことになった原因。貴方が僕を憎むようになった原因。……母さんは多分、逃げ遅れた僕を助けるために魔王城の崩壊に巻き込まれたんですね? そうして神核に損傷を受けた……」
そう……、全てはそう考えれば辻褄が合うのだ。
魔王城に取り残されて……、死にゆく我が子を救うために――、母は神核に損傷を受けた。
――そして、それが全ての悲劇の引き金になった。
まさしく――、少し考えれば当然の話だった。
「全ては僕が切っ掛け……、僕が……、僕が母さんの……神核を壊す切っ掛けを作ってしまった……。全ては僕が原因だった……」
その言葉にイラは胸を掻きむしる。
その痛みが増してゆく。
「僕が……」
――しかし、イラ・ディアボロスは軋む胸を押さえながら片手で剣を振り上げる。その理不尽な憎悪のままに、……すべてを終わらせるために。
でも、ふと何かを忘れているようで、――その剣が止まる。
そして……、
「ご、めんなさい……」
「!」
総司の涙を見て剣を持つ手が震える。
――胸が軋む。
「ごめんなさいイラさん……」
――胸が軋む。
「みんな、ごめんなさい……」
――胸が軋む。
「全部僕のせいで……、全部、全部……、僕が母さんを……」
――胸が軋む。
「僕が母さんを死なせてしまった……」
――胸が軋む。
そして、イラの思考がかつてに戻ってゆく。
◆◇◆
魔王城の周囲に異常密度の魔力嵐が渦巻き――、魔王城の外壁すら破壊されようとしている。
「魔王様! 魔王城にお戻りになってはいけません!」
「イラ……」
一時避難した魔王とイラたちであったが……、ジードがいないことを知って魔王が城へと引き返し始めたのである。
「……無理なのです! 見つけることが出来なかった!!」
「ごめんねイラ……」
魔王が、それでも魔王城へと歩き始める。
「待ってください!」「魔王様?!」「待って」
その場の皆が魔王様を引き止める。……でも魔王様は歩みが止まることはなかった。
だから、イラは力で強引に止めようとした。魔王種に拮抗する力を持つ自分ならば可能だと考えた。
でも……。
「魔源核――開放」
【system LOGOS:――中枢神核機能・世界律管理者権限をもって従神核への拡張機能を実行致します】
【system LOGOS:指示をどうぞ:▶】
【勅令】。
――その場の全員が動きを止める。それは配下天魔族への絶対的支配権能。
もはやイラもその仲間も、魔王様の歩みを止めることは出来なかった。
ただ死へ向かおうとする魔王に向かってイラは叫ぶ。
「魔王様あああああああああ!!」
同じように仲間たちも魔王に呼びかけ続ける。
「魔王様ああああ!!」
――皆が無力感に打ちひしがれて、そして、魔王様は魔王城へと消えていった。
◆◇◆
そう、これが憎悪の根源――。そうして魔王様は神核に損傷を受けた。
だからこそ、その原因となったコイツを、――ジードを殺すのだ。
――再びイラの剣は動き始める。でも大事なことを忘れているようで、そのきしみ続ける胸を残った片手で掴んだ。
ふと、床に本が落ちているのを見た。それはいつもジードをあやしながら自分が書いていた育児日記だった。――それは懐かしく……、かつてを思い出させて。
「ああ……」
イラはやっと思い出した――。
心が完全に壊れる前に閉じたかつての記憶――。
慟哭があって――、そして理不尽な恨みを罪もない者に抱いた自分。
――そして、正しく思い出した自分自身の罪。
それを顧みて――、だからこそ、オラージュに投げかけた怒りは自分への断罪になった。
――だから自分は、本当の咎人に罰を与えようとした。
自分という、本当の咎人のその生命をもって償いとするために。
「ごめんなさい、イラさん。僕が、僕のせいで……」
――違いますジード様。
違うのです――。
――そうしてイラの手から剣は落ちた。
その剣は総司を傷つけることもなく、ただ乾いた音を響かせて床に転がった。
そうして、忘れていた――、自分の心を壊しゆく記憶を――、己の罪を――、イラは正しく理解したのだ。
◆◇◆
オイレ・アマイモンの見守る中でコル・フェニックスは語る。
「……あの時、イラ様を見つけた時――、イラ様は自害しようとしていた。それを見て俺達は、自分たちがしたことの罪を知った……」
「罪……ですか?」
「――あそこにいたから、どうしてもジード様を恨んでしまう事は分かったから。俺達は……、暴走するイラ様を本気で止めることが出来なかった。あの時――、イラ様に斬り殺されようが止めていれば……。イラ様を自害に追い込むこともなかった」
オイレは静かに目を瞑る。
「だから……、イラ様の自害を何とか止めて――、そして……」
「ならば何故……ジード様にイラ様を差し向けたのですか?」
「イラ様は……、壊れているようで何とか心を保っていた。普段のイラ様は――、確かにジード様への憎悪を語っていた。でも――、まるでかつてに戻ったように優しい心を取り戻して。その時――、ジード様への憎悪は自分の逆恨みだった……と、話せていたんだ……」
「――!」
「……そして、ここ最近はそういった傾向のほうが遥かに強くなってて。これなら――、そう思って……。無論、最悪を考えて――、イラ様に渡した剣は……、天魔族、ジード様相手ならば傷つけず折れるものにして……。あのお二人だけで話す機会を――、そう考えた」
その言葉に――、オイレは深くため息をついた。
「……貴方がたは――、……馬鹿ですね」
その言葉にコル達はただ項垂れた。
◆◇◆
その時――、魔王城に慟哭が響き始める。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……」
「イラ、さん?」
そのあまりに深い嘆きの声に、総司はイラのその顔を見る。
その表情は――、もはや正常な心によるものではなかった。
「ち、がう、ちがううううぅ……」
――イラはその場に跪いてただ頭をかきむしる。
「全部……、わ、たしのせい……」
床に涙をこぼしながら――、ひたすら嘆き続ける。
「わたしのおおおおおおおおあああああああああ……」
その場所にオラージュたちが到着する。
オラージュはそのイラの姿に――、絶望に満ちた泣き顔を向けた。
(――間に合わなかった……)
総司は震える手でイラの肩に触れる。
イラは涙に濡れた顔を総司に向けて――、その手に縋り付いた。
「……違います――、違う、のです――。親が……子を、守ろうとするのは……、当然なのです……。……それを恨むのは筋違い……だ」
イラは総司の手を握りながら色のない瞳で語る。
「わたしは……、魔王様……、直下特務、あの日……、オラージュも、配下のメイド兵も……出払っていて、だからこそジード様の……、お相手は私がしていた。……そう、私が見ていた。……見ていたのに……、こともあろうにあの時……、あの事件が起こる直前に、――私はほんのわずか、目を離してしまった……」
「――!」
その言葉を――、イラの懺悔の言葉を、総司は驚きの表情で聞く。
「……その直後にあの魔力域異常が、起こって……。私はジード様を連れて魔王城を脱出すべく探した……、でも――見つからなかった!! ……目を離した後に起こった……、魔力域異常に怯えたジード様は……、おそらく何処かに逃げようと……したのでしょう。私は……、それを見つけることが出来ず――、魔王様の脱出を優先して……」
「イラ、さん……」
周りに居る天魔族たちも静かにその言葉を聴いている。
「……でも、魔王様はジード様を助けるために……、魔王城へとお戻りになられた。……そして、あのような……事になった……」
そして――、イラは慟哭の声を上げる。
「……私が目を離さなければ!! ……私が正しくジード様を連れて逃げていれば!! ……魔王様の悲劇もなく!! ……ジード様も地球へ送られる事もなく!! ……皆も苦しむこともなく!! ……全てはなかったはずだ!! ――全ては私のせいなのです!! 貴方のせいなどではない……、ましてや私は、老いて死に向かう魔王様を見ていられなくて、苦しくて――、辛くて――、こともあろうにすべての罪をジード様に被せて、――自分の心を守ろうとしたのです!!」
イラは頭を床に擦り付けて、苦しげに言葉を吐き続ける。
「……申し訳ありません魔王様、……ジード様。――みんな私のせいなのです。私は取り返しのつかない事をしてしまった……。私が反乱など起こさなければ、逆恨みなどしなければ――、魔王様とジード様は、その最後の時を一緒に過ごせた筈なのに……!! ――私が、弱すぎる私が……、貴方がたの幸せを……、最後の時間を奪ってしまった……」
オラージュはその姿に、俯いてただ涙を流す。
(……やはり――。貴方は――)
「……すみませんジード様ぁ……、だから貴方のせいじゃないのです……、私のせいなのです……」
「イラさん……」
「わ、たしの……」
そのままイラの心は完全に停止した。
――その瞳にはもう何も映ることはなかった。
その時――、魔王城に総司の悲痛な叫び声が響いた。
――イラさん……! イラさん!! イラさん!!