第十三話 語るべき物語
ある者が終わりを望んだ時――、その状況に彼女らは間にあった。
その光景を見て――、彼女らは自らの過ちに気づいた。
――そして、それこそが新たな過ちの始まりとなった。
彼女らは自らをも追い込み過ぎた、その罪を犯し心が壊れゆくその者を、それでも繋ぎ止めるために。
その責任は自分たちにこそあると、そう思い込んで――、すべてを背負い込んでしまった。
誰にも語るべき物語を語らず――、それ故に彼女らは正しい道を違えたのかも知れない。
果たして彼女らはどうすべきだったのか?
一つだけわかることは――、それでもその事が、その者の辿る運命を繋ぎ止め――、一つの奇跡の切っ掛けとなったこと。
全ては結果論――、ヒトの心は結局、本当に正しい正解を選ぶことは出来ない。多分、常に間違ってゆくのだ。
――それこそが、先史文明の人類が彼女ら天魔族たちに求めた、ヒトの心を正しく宿す――、ヒトの心を理解出来る神々の姿だったのだろう。
◆◇◆
その時、魔王城は騒然となっていた。
かの反逆者の首魁である【イラ・ディアボロス】がその姿を表したからである。
戦闘になるかも知れない――、そう考えてオラージュは、自らとルーチェと、そしてプリメラ師匠を連れて魔王城を出る決意をした。
イラ・ディアボロスと戦闘になるならば、数を連れてゆくのは悪手である。――彼女は諸共叩き潰す手段を持つ。
だからこそ、それに対応できる自分たちだけで彼女に相対する事にした。
――しかし、そこに総司とメイアがついてきた。
総司は決意の目を湛えて――、メイアはその表情を怒りに染めて。
断ることも出来ただろう――、でもそうすれば勝手に別行動を取る可能性もあった。
だから、オラージュはあえて彼らも同行させた。そのほうが護りやすいからだ。
――そして、その事が一つの奇跡へとつながる一手となった。
「イラ……」
先頭を走りながらプリメラ・ベールは苦い顔をするのを隠さなかった。
言っても――、かのイラ・ディアボロスも自らが剣を教えて、自らの役目を継承させた者なのだ。
弟子が狂ってゆくのをプリメラは止めることが出来なかった。
だからこそ――、今日こそ正しく止めてみせる、そう心に誓っていた。
奔る五人の目前に人影が見えてくる。それをみてメイアが一人先頭になって走り出した。
オラージュはその姿を見て、苦しげな表情でメイアを追いかけた。
「ふふふ……」
幽鬼そのものの――、死人そのものの黒い剣士が立っている。それを見てメイアは駆け寄ろうとして、追いついたオラージュに遮られて止まった。
「イラ・ディアボロス!!」
メイアは憎々しげに、怒りの表情で目前の幽鬼に向かって叫ぶ。
「……やあメイア――、久しぶりだね?」
「イラ! 貴様!! 今更何をしに戻ってきたのじゃ!! ……反乱を引き起こした貴様が!!」
「……ふふふ」
その幽鬼は静かに笑う。そしてそのまま視線を五人の最後を走る少年へと向けた。
「――たった一人の男――、そうか……君があの時の……、ジード様だね?」
「イラ・ディアボロスさん?」
「……大きくなられた、聡明そうなお顔をしてらっしゃいますね……」
そう言って、正しく臣下のように語るイラに、少し困惑の表情を総司は向けた。
「……一つだけ聞くぞイラ……」
「はいなんでしょうか? プリメラ師匠――」
「お前は何をするために帰ってきた?」
その言葉に微笑みを深くしてイラは答える。
「天魔族の魔王城再集結を行っていると耳にしました。ならば馳せ参じるのが筋でしょう?」
「……」
黙るプリメラに、今度はルーチェが前に出て言う。
「……本当にそれだけなのか? お前は――、あの時のことを反省している……と?」
「ふふふ……、ルーチェ――、あの時共に魔王軍の敵になった君が、今はその魔王軍に帰順しているのか……」
「く……」
「ならば……、私もそう有りたいものだ」
そのイラの言葉にその場の皆が困惑の表情を浮かべる。
静かに総司が口を開く。
「イラ……さん」
「なんですか? ジード様……」
「……貴方は何故――」
――母さんに……。
そう口に出そうとして総司は止めた。――それ以上の言葉が出なかった。
しかし、そのかわりにメイアが叫ぶ。
「イラ!! ……ならば聞かせろ!! 何故――、何故貴様は魔王様に刃を向けた!! 何故魔王様を裏切ったのじゃ!!」
その言葉を聞いて――、
「――!!」
一瞬、メイアを含めたその場の全員の心が凍りつく。
「魔王様を……、私が裏切る――か……」
静かに――、そして確かに、底冷えのするほどの怒りを、イラ・ディアボロスは顔に出していた。
「この私が……」
「……イラ」
メイアはその時、イラの心の地雷を踏み抜いた自分に気づいた。
「……くくくく……、ははははははははははははははははははははははははははは!!」
イラはひたすら笑い続ける。狂気に取り憑かれたかのように。
総司はその光景に、一つの確信を得て――、そしてその考えのために俯いた。
「……」
突然、その笑いが止まる。
イラの怒りの表情がメイアに向けられた。オラージュは怯え始めたメイアの前に立ってその視線を自分が受け止めた。
「久しぶりだねオラージュ……」
「……命を――、絶っては居なかったのですね?」
「……ん?」
不意にイラが胸を抑えて苦しげな表情を作る。
しかし、それはすぐに収まって、オラージュへ笑顔を向けた。
「……まさか、私が何故命を絶つ? その意味はないだろうに……」
「そう……ですか」
静かにオラージュは目を閉じた。
「ならば……、本当に帰順を望むのならば――、このまま貴方を拘束いたします。一度、反乱を犯した以上、仕方のない措置だとお考えください」
「……」
そのオラージュの言葉にイラはただ黙っている。
オラージュはそんなイラに向かってもう一度言った。
「その背の黒剣を下ろして……、投降を願います」
そのオラージュの言葉に、イラは静かに頷いてその背の黒剣を下ろした。
それをプリメラが手にして――、
――こうして、かつての反乱者、イラ・ディアボロスはあっさりと捕縛された。
――その光景を【アクイラ・ヴァサゴ】は見ている。
共にある皆に振り向き、その彼女らは行動を開始した。
◆◇◆
イラ・ディアボロスが戦う事なく投降した事を聞き、――天魔族の皆は一様に安堵した。
これですべて元通りになると――、そう淡い期待を抱いて。
――そうして夜の帷は降りたが、総司は一人地下書庫に居て、本を読みながら考えをまとめていた。
その様子を【キルヤ・ダンタリオン】が静かに見つめている。
「やっぱり、そうなんだろうな……」
総司はメイアとイラのやり取りから一つの結論に達しつつあった。魔王軍への反乱を起こしたとされるイラ・ディアボロス――。
しかし、それの当時の本来の目的は、魔王である母に反逆することではなく……。
「僕を殺すこと……、か」
イラの本来の目的はそれだけであったのだ。そしてそれは皆が何度か言っていた事柄でもあった。
ルーチェが語ったイラの言葉【災厄の切っ掛け】……。まさしくそのように総司の存在を解釈して、あの時の幼い総司を始末しようとした。
おそらく、イラ・ディアボロスには本気で魔王に反逆する気はなく、総司の親として魔王が総司を守ろうとしたからこそ、反逆者とならざるをえなかったのだ。
――総司は思う。
「……異物、そう魔王種として異例づくしで生まれたから。彼女はそう考えたのか? だから僕を……」
――この世界に来ても付きまとう異物という言葉。その言葉は総司の心を深く沈ませた。
総司は立ち上がって書庫内を歩き始める。――そうして、ため息混じりで書庫を回っていると、ふとかわいい装飾の小さなノートのようなものが、本と本の間に収まっているのを見つけた。
――総司はそれを訝しげに手にとってそれを開いてみる。それは育児日記であった。――そう、自分自身、かつてのジードの……。
「……」
静かに、何気なくページを捲ってゆく。その記録者名欄に書かれていた名前の大半はオラージュであった。無論、その記録場所はかつての魔王城であり――。
ふと、何か頭に浮かびかけて総司は頭に手を触れた。
「……え?」
そうして眺めてゆくその記録の一部に、――記録者名欄にオラージュ以外の名前が見つかった。それは総司がよく知る人物の名前だった。
その名を見て、総司はふとある予想に至る。
すべての切っ掛けは、やはりあの魔王城崩壊事件……、そこで起こった事はイラに総司への憎悪を与えた。
「……。あ……」
【それ】はある意味で当然の話しだった。その予想は本当ならばすぐに気づくべきことだった。
そうならば、すべての辻褄が合うのだ。そうであればあのイラ・ディアボロスの憎悪も理解できるのだ。
そんな事、なぜ気づかなかったのか? それは多分、自分自身否定したかったから――。
――自分の罪を。
総司の――、自分の存在がもたらした結果を……。
そうして総司は静かに地下書庫を去ってゆく。
そのただならぬ様子にキルヤが総司に声を掛ける。――でも総司は答えずに、ただ静かに歩いていった。
「ま、おう、さま……、ま、って……」
必死に呼びかけるが、総司の瞳は死んだように何も映さない。キルヤは総司を見送る事しか出来なかった。
「あ、ああ……」
キルヤは涙目になって――、そして地下書庫から走り出す。
いつも、離れることのなかった地下書庫から走り出て、そして誰かに助けを求めるために走った。
もう……、外に出たくないなどと、言っている時ではなかった。
「まお、う、さま! 助けて!!」
そうして魔王城を走る彼女の声は、――あまりに悲痛な叫びだった。
◆◇◆
「なんともお粗末な警備だな……。イラ様を捕まえて……、完全に気が緩んだか……」
その場に倒れて動かない警備の天魔族を見つめながら。
黒髪の天魔族【コル・フェニックス】は仲間とともに地下牢区画へと進んでゆく。その先に主である【イラ・ディアボロス】が待っていた。
「……遅かったな――」
「いいえ……」
「黒剣は?」
「流石に無理です……、諦めてください」
そう言って、手にした天魔族魔剣士の正式長剣をイラに渡した。
イラは頷いてそしてコルたちに言った。
「……十分――、いや五分でカタがつくだろう。その間だけ足止めしろ……」
「はい……、分かっています――」
そのままイラはコルたちが見守る中――、魔王城の闇に消えていった。
(――ええ、大丈夫です……、普通に帰還すれば、彼女らは貴方とジード様の正しい相対を邪魔するでしょう……。だからこそ……)
【コル・フェニックス】は信じていた、仲間たちも信じていた、その相対が【イラ・ディアボロス】の心の救済になるだろうと……。
しかし、それはあくまで【イラ・ディアボロス】をよく知るからこその判断――、結局は独断であり……、それを 【コル・フェニックス】はある人物に教えられる事になる。
◆◇◆
【キルヤ・ダンタリオン】に事情を聞いたオラージュは、呼べる仲間を連れてケロナに総司の居場所を調べさせたうえでそこへ向かって走った。
そのオラージュに同行するのは、ルーチェ、プリメラ、ヴァロナ、そしてその妹のオイレであった。
――【イラ・ディアボロス】が目指した結末を正しく理解して、オラージュは今にも泣き出しそうな目で必死に走る。
しかし、その歩みを遮る者たちが居た――。
「コル・フェニックス!!」
オラージュはそう叫び、目前の一団の指揮者を睨んだ。
「申し訳ないが、イラ様の邪魔はさせない……」
「全ては……、ここに至るための策略ですか?!」
コルは静かに頷く。
「どけ……」
プリメラが鋭い視線でコルを睨む。
「無論出来ませんよ……。仮想魔源核――開放」
【system LOGOS:――分割神核機能・個別世界律限定適用を開始致します】
【system LOGOS:――個体識別符名・天魔七十二姫、序列37番、コル・フェニックス】
「固有権能行使」
【system LOGOS:――固有権能・不死不敗(Immortal and Undefeated)】
「――!!」
その場の皆が息を呑む。
「お前の固有権能は確か――」
「ええ――、時間内は死ぬこともなく、そして肉体限界を無視して戦うことが出来る。貴方が相手でも多少はもちますよ――」
「――時間稼ぎか」
プリメラが舌打ちして、そしてコル・フェニックスの背後から、その他の仲間も集まってきた。
(まずい! このまま戦いになれば、その間にも魔王様が!!)
オラージュが悲痛な表情を浮かべて、その場の皆が息を呑む。
総司が居るであろうその先が、あまりも遠く感じられた。
「ヴァロナ姉さま」
「なんだい妹よ」
いつのも朗らかな笑顔もなく沈んだ様子の妹に優しく答えるヴァロナ。
「ヴァロナ姉さま、ここは私に任せてください……」
「うえ? お前、それは……」
オイレは悲しげに、それでもしっかりとした意思のこもった目で姉を見る。
「……私が交渉します」
その言葉に、ヴァロナは一瞬目を見開いて、そして優しく微笑んで答えた。
「はあ……、わかった行って来い。その間に俺らは先に進む……」
オイレはその姉の答えに、元の朗らかな笑顔を取り戻して言った。
「はい、魔王様を絶対に助けてくださいね……、ヴァロナ姉さま……」
「は、姉ちゃんに任せておけ……」
そうしてオイレ・アマイモンは一人、コル・フェニックスら――、分からず屋たちの前へと歩いてゆく。
それをルーチェらが止めようして――、ヴァロナの手で制止された。
その幼く見える少女の姿を、困惑の表情で見るコル・フェニックス。
「お前は」
「貴方がたの相手は私がさせていただきます」
その少女の宣言に流石に絶句するコルたち。
(……コイツ、確かヴァロナにいつもくっつてたガキ。たしか、戦闘も術も得意じゃないって聞いたが……)
「やめておけ、怪我をするぞ」
そう言って静かに睨む視線を、その意思ある瞳で見返しながらオイレは言う。
「いいえ、そうはいきません。貴方がたが話すべきこと聞くまでは……」
「はあ? なにを」
オイレはもはや笑顔を消して、まるでその場を掌握するかのような気迫で言葉を続ける。
「貴方がたは言うべきことを正しく口に出していません。……誤魔化しています。それは自分たちだけが理解できることだと、勝手に思い込んで私達に打ち明けてくれない。そんなこと正しい事だと本当に思っているのですか?! ……私達は同じ天魔族の仲間ですよ?!」
「お前に、俺達の気持ちのなにがわかるって!」
その瞬間、オイレはあの言葉を放つ。
「ええ……わかりませんとも!」
言葉を失うコルたちにオイレは言う。
「かつて、メディアさんと魔王様がぶつかった時、魔王様はそう言いました……。そして、こうも言いました。だからこそこういうのだと! ……対話の席に着くべきなのだと! ……ならば! 今私がやるべきことはたった一つ! ……交渉です!!」
「な?! ふざけるな!! 戦いの場でなにを……」
その瞬間、オイレの口がひと紡ぎの言葉を発する。
「仮想魔源核――開放!!」
【system LOGOS:――分割神核機能・個別世界律限定適用を開始致します】
【system LOGOS:――個体識別符名・天魔七十二姫、序列7番、オイレ・アマイモン】
「固有権能行使!!」
【system LOGOS:――固有権能・言の葉世界(Dialogue World)】
その瞬間、オイレ・アマイモン――、そしてイラの配下であるその場にいた全員が闇に飲まれる。
そのまま暗い世界に入り込み、その闇の空間に形ある建築物が組み上げられていった。
いつの間にかその建築物内に立つコル・フェニックスらは驚愕で周囲を見回す。
「これは!! 個別世界構築系固有権能?!」
それは、まさしく一部屋だけの異空間だった。
闇に消えるオイレたちを見て、オラージュはヴァロナに向かって視線を向ける。
「オイレ様とコルたちが消えた?! 貴方の妹は……」
「おい! ヴァロナ、お前の妹は大丈夫なんだろうな?」
口々に言う仲間に向かって、いつもの胡散臭い笑顔で答える。
「ははは、大丈夫だろ? 交渉になったらあいつの独壇場だし……」
ヴァロナのその言葉に驚く中――、とうのヴァロナは進むべき先を示した。
――その先に総司とイラが居る。
◆◇◆
この事態に、コル・フェニックスらは狼狽えて、目前のオイレを睨みつけた。
「ち……、世界構築系固有権能で俺達を閉じ込めたのか?!」
部屋の中央に設置された机を挟んで立つオイレは、その机に歩み寄ってその机に手を触れて言った。
「コルさん! それにその後ろの皆も、そこに机と椅子を用意したので、今からお話を聞かせていただきます!」
その言葉に、怒りを顕にしながらコル・フェニックスは叫ぶ。
「は! ふざけるな!! こんな固有権能、それを実行してるお前をなんとかすれば!!」
即座にコル・フェニックスは、オイレに向かって奔り、その手の剣を振るおうとした。
……。
手応えがない……、いや勝手に腕が止まった。その事実に驚きを隠せず、自身の手のひらを見た。
「手応えがない?! これは、まさか?!」
オイレ・アマイモンは、幼い少女らしさをそのままに、しっかりとした意志のこもった言葉でその場にいる皆に向かって言う。
「言の葉世界は言葉だけが力となり――、交渉だけが戦う手段! お互いの納得――、もしくは時間経過のみで解除される! そして、交渉を妨害する一切の行為はすべからく無効です!!」
オイレの視線がコルたちの意思を貫き通し、そしてその心へと響く言葉を紡いた。
「さあ、席についてください皆様方――。これからじっくり、この私オイレ・アマイモンが、貴方がたが話すべき事を聞いて差し上げます――」
その言葉は――、意志は――、想いは――、その場の誰よりも強く気高く映った。