第十一話 医者たるもの
魔王城に至った【メイア・レヴィアタン】は、その城門前で一人佇むオラージュを見つけて、そして走って駆け寄った。
そうしてたどり着いた目前で一瞬俯いたメイアは、それでもしっかりと意思のある瞳をオラージュへと向けて、――そして言った。
「オラージュ……、ごめんなさい。心配かけて……」
「……、いいえ。お帰りなさい。メイア……」
そう言ってオラージュはその胸にメイアを抱きしめた。
「わたくしも――、あの時、貴方を気に掛ける余裕があったら……」
「違うよオラージュ……、妾が弱虫だったから……」
そう云うメイアの目を見てオラージュは言う。
「ならば——私たち天魔族はみんな、弱虫です」
そう微笑んでメイアをしっかりと抱きしめる。
「メイア……、近いうちに、皆が正しく揃った時点で――、ほんとうの意味で先代魔王様を送り出す……、そういった会を行おうと考えております」
「うん……。妾は――、ちゃんと見送るよ……」
そうして抱き合う二人のもとに、ヴァロナを連れたルーチェがやってくる。――と、
「……」
不意にメイアがオラージュから離れて――、そしてルーチェ達に背を向けた。
ヴァロナが朗らかに笑いつつメイアに声をかける。
「お! やっとお子様の泣き虫が終わったかな?」
「……ヴァロナ様」
流石にオラージュがヴァロナを睨むが。
「……おかえりメイア。もう大人になったんだな?」
「ふん! ヴァロナ! 妾をいつまで子供扱いするのじゃ!! 金にしか目のない薄情者が!!」
それを聞いたヴァロナは、心底楽しそうな笑顔を向けて、そしてメイアの頭を撫でた。
「はいはい……、俺は金しか目のない薄情者だよ。もしかしたら、今のお前のほうが俺より大人になったかもな……」
「あ~~た~~ま~~を~~……、撫でるな!! 妾を大人扱いするのか、子供扱いするのか、どっちかにせい!!」
「はははははは……、いや~~、撫でやすい頭だ~~」
ヴァロナの態度に頬をふくらませるメイア。そんな様子にルーチェがメイアに声をかける。
「ははは……、ひさしぶりに聞くな、お前の子どもそのものの言動……」
「……」
だが……、ルーチェに対しては、メイアは無反応だった。
「……ん? どしたメイア……」
そうしてメイアの肩に触れようとした時――。
「触るな……」
静かに……、はっきりとした拒絶の声がメイアから響いた。
それを――、オラージュは静かに見続け、ヴァロナは頭を掻いて目を瞑り、――ルーチェは大きく目を見開いた後に……、静かに苦しげな表情を浮かべた。
「……メイアさん」
そこにマーレと共に総司がやってきて、その状況を理解する。
「あの……、メイアさん――」
「ごめんソージ……。先に行く……」
そう言ってメイアは一人静かに魔王城へと向かった。
――そうして、その場に残りの皆が取り残された。
その中で、静かに手を見つめていたルーチェが小さく呟く。
「ここしばらくの生活で……、勝手に皆に許された気持ちでいたんだな私。あいつは、ある意味誰よりも先代魔王様を想っていた子だ……。ならばそれを裏切った私を許すはずはない……」
「ルーチェ……」
心配そうに自分を見つめる親友に、静かだがしっかり意思のある瞳で言葉を返す。
「……大丈夫だ――、これは私が犯した罪の結果……。ならばそれに相対するしかない……」
「ルーチェさん……」
「は……、小僧――、そんな顔で見るなよ? 私を誰だと思ってんだ?」
そう言ってルーチェは不敵に笑う。
「……私はどんな相手にも負けるつもりはない。私は――、必ずあの子と……、もう一度笑って酒を飲み合う間柄になってやるさ……」
「ルーチェ……」
その場の皆が笑顔でルーチェを見つめる。そしてオラージュは……。
「……とても良いことを言ったつもりでしょうが――。……メイアがお酒を飲めないこと、忘れていますねこの筋肉馬鹿……。もし彼女に無理に飲ませたら——、檻に入れて折檻しますからね?」
その今までにないオラージュの表情に、――その場の全員が怯えた。
◆◇◆
その日の夜――、魔王城のバルコニーで一人佇むマーレを見つけて、総司はその傍に歩いていった。
「……みんな、やはり苦しんでいたのですね」
「……」
マーレは、自分に近づく総司の気配を感じて、――そう夜空に呟いた。
「天魔族にとって――、死は近いようで遠いお話……。常に戦場に在る神々の軍勢としての生命力があるが故に――、先代魔王様の老いてゆく姿、老衰へと進む姿に狼狽えてしまった」
「そう、ですね……」
「天魔族はたいてい百年以上生きます。あのメイアでさえ……、あれで百歳近いのです。我々にとって先代魔王様が亡くなるであろう十五年先はあまりに短い年月でした……。それは……、その短い間に命が失われることは恐怖そのものでした……」
――そう、そして自由に生きてみてもなお、かつての苦しみは残り続け――、魔王城を離れたその十五年では癒えることがなかった。
「……これだけ弱かったんですね。天魔族は……」
「マーレさん……」
マーレは静かにそして悲しげに話を続ける。
「皆の中である程度大丈夫だったのはオラージュとルーチェ。ただ――、ルーチェに関しては戦士の性なのか困難の正体を形あるものに求めてしまった。胸騒ぎや、そもそもの考えなしの性格が最悪の道を示してしまった――」
総司はかつてのオラージュとルーチェの相対を思い出す。
ルーチェは皆よりいくらか精神的に頑丈だったからこそ、皆を心配して――、心配しすぎて、何とかしたくて足掻いた果てに、あんな選択をしてしまったのだ。
それを悔いて泣くルーチェをその目で見ている。
「メディアは――、あれで心が弱い子です。だから先代魔王様を見送る決意が出来ずに、新たな魔王様が立つという事を、――それを認めることを拒否しようとした。でも――、彼女はあんな事をしでかしたとはいえ、必死で天魔族のために足掻いた人でもあります。彼女の勢力――、叡智の塔が最大勢力なのは、あの時ばらばらになってゆく天魔族たちを引き止めて、それを正しくまとめ上げてみせたからです」
総司はメディアのあの必死に足掻く姿を思い出す。
泣きたいのに、投げ出したいのに――、ある意味正しくなかったとはいえ、その想いを守るために必死だった彼女の姿を――。
「ヴァロナは……、ほんとまさしく彼女こそが自由人ですが――。でも……、その心の奥の嘆きがあって……、自分を薄情者だと考えていた」
総司はヴァロナとのあの夜景を思い出す。
決して彼女は薄情ではなく――、おそらく誰よりも皆を正しく見ることの出来る人なのだ。
「メイアは……、ええ――本当に苦しんで……、会いたいのに会えなくて。すべてが手遅れになって……」
総司はメイアの泣き顔を思い出す。
彼女は本当に会いたかったのだ……、それでも会えなくて――、おそらく今でも後悔の中にあるだろう。
自分は世界を隔てていた――、そう云う前提があったが、彼女の場合は決意さえできていれば会えたのだから。
――それぞれがそれぞれに苦しんで、先代魔王という存在との想いの物語があった。
おそらくそれは、オラージュや――、もしかしたらあの【イラ・ディアボロス】にも……。
総司は小さく微笑んでマーレに言う。
「でもすごいですね……、マーレさんは皆のことをよく理解してて、それに心も強い――」
マーレはその総司の言葉を聞いて目を瞑って――、そして、静かに顔を横に振った。
「私の事を良くみすぎです魔王様――」
「マーレさん?」
「私は……、本当は……」
そのマーレのその身体が震え始める。その異変に気づいて総司はマーレの肩に手をおいた。
「マーレさん? どうし……」
「私は!! 私は魔王城に戻りたくなかった!!」
「――!」
それは慟哭のような、悲鳴のような声。
「マーレさん……、でも僕の母を……」
「ええ……、定期的に戻ってました。治療をしていました。でも――、私はそれが死ぬほど嫌だった……」
「え、な……、なんで?」
マーレは、今までの朗らかさが消え失せたかのような、絶望に満ちた表情を見せる。
「――何もわからなかった……」
その言葉は、まるで闇の底から響くような声音だった。
「何も……わからない?」
「――何もわからない……、そう、何もわからない。先代魔王様の神核の損傷の原因――、神核の治療法――、その老い死へ向かう先代魔王様を救う方法」
「……」
「今まで見てきた病気や怪我には、そういったモノはほとんどなかった。もちろん、救いきれない命はあったけど――。それは、行うべき施術が間に合わなかったからこそだったり、もっとより良い治療法をその先に示したり――、理解できる部分があった――、でも……」
マーレの瞳から涙が流れる。
「何もなかった……、何も見えなかったのです。私の長い――、長い医者としてのすべてが――、先代魔王様の病気には……、全く通用しなかった……」
「マーレさん……」
総司は、あの初めてマーレと会話した時の話を思い出す。
『い、いえ!! 結局役立たずだったし……』
アレは――、まさにそう彼女が考えて出た言葉だったのだ。
「怖かった……、逃げたかった……、でも医者として逃げるわけにはいかなかった――。対処療法で一時損傷が回復した時があった――、でもそれはすぐに原因不明の損傷拡大で意味をなさなくなった。その損傷の原因を探ろうとした――、でもなんの手がかりも見つけられなかった。その損傷を――、人工的な神核構造で補強しようとした。でもそれはすぐに砕かれて――、損傷は残り続けた……。思いつく限りの治療法を試して――、そのすべてが無駄だったのです」
――そして……。
「――先代魔王様は亡くなり……、私は何も――、何もしてあげられなかった」
マーレは静かにその場に泣き崩れる。総司は――。
「マーレさん……」
「申し訳ないです……、私は医者でありながら、貴方のお母さんを救うことが出来なかった。そして――、もし同じ病気が誰かの身に――、あなたの、魔王様の身に発症したら……、私では治療できない……、無力な役立たずなのです」
「マーレさん!!」
総司は強い口調でマーレに呼びかけた。マーレは涙に濡れた顔を総司に向けた。
「そうだとしても……、それが真実だとしても――。もし僕がその病にかかったとしたら――、僕はマーレさんの力を信じます」
「私は……」
「マーレさん……、本当にすべての病を理解していましたか?」
「……」
総司は優しく笑いながらマーレに言う。
「今のマーレさんの医術だって、勉強の果てに貴方が身に着けて……、培ってきたものです。そして……、地球でもそうですが、新しい病気というのはいつも生まれてきて……、お医者さんたちはそういった未知に立ち向かって来た……。そこには完全に見えているモノなどなかった筈だと思います」
――だから。
「ええ……、僕はマーレさんを信じます。今は見えていなくて……、母を救えなかったと嘆いていても――。貴方は立ち上がって、そしてその謎に戦いを挑める人だと――、僕は信じています」
「魔王様……」
「ええ……、大丈夫ですとも。貴方なら絶対に、いつか必ず、……母を苦しめた謎を解き明かしてくれます。――僕は絶対に信じます」
その言葉にマーレは涙を拭いて立ち上がる。
「……ふう、すみません。泣き言をいってしまいました」
――魔王様の言う通りです。
「私は何を迷っていたのか。何を嘆いていたのか。……何を弱いことを言っていたのか」
――ええ! その通りなのです!
「私の戦場は医療の場です……。ならば私はそのすべてをもって、病という敵に立ち向かいましょう。もはや弱音など吐きません。絶対に私はこの戦いに勝利する」
それが――!
「それが医者たるものの務めだからです! ……二度と負けるもんですか!!」
私は必ず……、救うべき命を救ってみせましょう!
マーレはそうして夜空を眺める。その瞳には一片の曇もなかった。
◆◇◆
自室でオラージュは一人夜空を眺める。
その記憶は、かつての会話を再生した。
――オラージュ、お前の出撃の間は――、私に任せておけ……。
――すみませんイラ……、ジード様のお側に母親は必要ですし。
――分かってるって、大丈夫だ……、私がお二人を守るから。
そして、オラージュの記憶はあの日に至る。
――イラ?! なぜですか!! なぜ貴方が……。
――うるせえよオラージュお前は黙ってろ。
――ジード様や、魔王様に刃を向けるなんて……、以前の貴方なら……!!
――お前にはわからねよオラージュ――、
――大事な時にあの方の側にいなかったお前には。
オラージュは静かに目を瞑る。
わたくしはどうすればよかったのでしょう?
貴方はわたくしを送り出し――、そして、あのときはわたくしに怒りを向けた。
あれから……、わたくしは魔王様から離れることを辞めた。
いや……、離れることができなくなった。
メイアがあれほど苦しんでいたのにメイアを救いに行かず。その他の皆に対しても……。
私は――、どうしたら良かったのでしょう?
――イラ・ディアボロス……。